大事件 3
ニカの小さな赤い唇が、私の指ごとタルトをくわえる。
必死に咀嚼しているが、そんなに急いで飲み込もうとしなくていいのに。
「どう? タルトは君も好きだろう?」
それとなく、フィルベールのことを匂わせる。
君は彼と、どんな話をしているの?
私はニカの口に入った指を、そのまま自分の口に含む。伏し目がちにニカを見ながら、その指を見せつけるようにゆっくり舐めた。
「な……舐め、舐め」
ニカの顔は真っ赤だ。
こんな仕草くらいで照れるとは、何とも愛らしい。
「あら」
「まあ」
「お熱いこと」
周りの令嬢達の声を聞き、ニカがさらにうろたえる。
恥ずかしそうに震える姿が可愛くてたまらない。
「ヴェロニカは奥ゆかしいね。感想を素直に言っていいんだよ?」
「それどころじゃないわ! 人前でこういうのはちょっとって、いつも言っているのに」
「ああ、二人きりの方がいいと、そういうわけだね?」
髪をかき上げながら口にする。
ニカが望むなら、すぐに茶会を終了して彼女らを追い払おう。
「違っ……」
「ヴェロニカ様が羨ましいですわ。こんなに愛されて」
「本当。美男美女でお似合いです」
「殿下は、ヴェロニカ様を大切にされていらっしゃいますものね」
ほらね? 令嬢達の方がよくわかっている。
ここまでしても君はまだ、私の気持ちに気づかないの?
私は花瓶から白薔薇を一本引き抜くと、ニカを見ながら香りを嗅いだ。次いで瞼を伏せ、悲しそうな声を出す。
「残念なことに最近、私の大事な薔薇に悪い虫がついているようでね」
こう言えば、さすがに君でもわかるだろう?
薔薇がニカで、悪い虫とはフィルベールだと。
「駆除したいが、そうもいかない。悩ましい限りだ」
フィルベールが悪人と決まったわけではない。調査をさせているものの、詳しく掴めていなかった。私の目が嫉妬で曇っているせいかもしれないので、ニカには警告だけに留めておく。
「私の思い過ごしであればいいけれど。大切な薔薇には、元気よく育ってほしい」
ニカがようやく納得したという顔になる。
理解したようで良かった。
「びっくりしましたわ。本物の薔薇のことをおっしゃっていらしたんですのね」
「そうよ! ヴェロニカ様に限ってそんなこと」
いや、ニカのことだけど?
彼女の名誉のために、わざと肯定も否定もしない。けれど他人が気づくくらいだから、当事者のニカは当然わかっているはずだ。
「そうそう、悪いといえばお聞きになりまして? 事件のこと」
「ええ。例の人攫いでしょう? 何でも、貴族令嬢ばかりがいなくなるのだとか」
「怖いわね。何もわからないなんて」
その噂が問題だった。
貴族の若い女性、それも箱入りの綺麗な女性ばかりが狙われている。あの男が人攫いに関連しているのではないかと私は疑っているが、証拠が無い。犯人達の潜伏場所も判明しないため、八方ふさがりだ。
「人攫いだとしたら、怖いわね」
ニカが同意する。
わかっているならいいんだ。
十分気を付けてくれ。
やはり心配なので、きっちり確認しておこう。
私は他の令嬢と一緒に部屋を出ようとするニカを、呼び止めた。
「ニカ、私の贈ったペンダントは、きちんと身につけている?」
「ええ。肌身離さず持っているわ。ほら」
ドレスの中から引っ張り出すニカ。ずっと付けてくれていたとは、嬉しい限りだ。
「良かった。外出する時も忘れずにね」
魔法石があるのは、ちょうどニカの胸の位置。
私はそれをさり気なく持ち上げて、唇に当てた。
火の魔力を補充するためだが、赤い瞳を見つめながら「彼女を守るように」と願う。
真面目な顔をしていたせいか、ニカが不思議そうに見つめている。目の前で魔力を使ったから、驚いたのだろうか?
魔法石を放しふーっと息を吐くと、ニカが慌てたように聞いてくる。
「な……何で!?」
「何でって、何? 魔力を供給しただけだけど?」
目を丸くしたニカを見て、思わず微笑む。
君の肌に触れていたものに私が直接口を付けたから?
それとも一瞬とはいえ、私の指が胸を掠めたせい?
もちろんわざとだ。
本当は、唇ではなく手に握るだけでも魔力は込められる。
人肌で温められた魔法石は、ニカと同じ薔薇の香りがした。石に頼らず直接守ってあげたいが、常に一緒にいることはできない。まあ、私としては魔法石より君の素肌に直接触れる方が、何倍も嬉しいんだけどな。
「何でもない。そろそろ帰るわね」
「ああ、気をつけて。それからニカ、今後も肌から離さないようにね」
腕を組んだ私は、おどけたように首を傾げる。
「どうして? そうしないと、お守りの効果が出ないの?」
「ん? いや、その方が私が嬉しいから」
「なっ……」
ポカンと口を開けたニカが可愛い。
冗談なのに、本気と捉えたようだ。
まあ、全てが冗談とも言えないが。
すぐに赤くなるニカ。
この分だとサラが記していた通り、フィルベールとはこっそり会わずに文通だけの関係だろう。
不安はないはずだった――この時点までは。




