君を振り向かせるために 6
ニカに勘違いされただろうか?
護衛のクレマンに軽く頷きソフィアを託すと、私はそのままニカに声をかける。
「お帰り、ニカ。準備ができたら行こうか」
「え、ええ」
彼女の赤い唇から、私を責めるような言葉は出ない。
「行ってくるから。おとなしくしているのよ」
ニカはソフィアにそう言うと、私と一緒に部屋を出た。
早めに誤解を解いておく必要があると思った私は、話をするためニカを小部屋に連れて行く。
「ニカ、聞いてほしいことがあるんだ」
このまま話していいのだろうか?
ソフィアに告白されたと、ニカに伝えても?
でも万が一、「それならソフィアとくっつけば? 私は全く気にしないわ」と言われてしまえばおしまいだ。既にジルドが現れた今、どう転んでもおかしくない。
ニカの語った通りになるなら、私はニカとは結ばれない運命だ。それならニカの気持ちが私に傾くまで、もう少し黙っていよう。
真面目な顔で続きを待つニカに、私は別のことを語る。
「ごめんね、ニカ。お父上の公爵は、この場に来られない。詳しくは教えられないけれど、大きな仕事を任せているんだ」
これは本当で、調査のため国外に派遣した。
娘の晴れの日に重なってしまい非常に申し訳ないが、急を要する案件だった。ちなみにジルドも同行している。
「別にいいの、いつものことだもの。それより急がないと、皆さんお待ちかねなのではなくて?」
なぜかホッとした顔のニカと一緒に、大広間へ向かう。
ニカと腕を組み会場に足を踏み入れた途端、大勢の目が――特に男性の視線がニカにまとわりつく。近頃彼女はますます大人びて、匂うような美しさを漂わせている。スタイルも素晴らしく、この中で一番綺麗だ。私はニカの腰に回した手に力を込めた。
一方ニカはそんな私に気が付かず、大広間を見回しているらしい。そんな彼女の視線が、ある一点で止まる。
――なんだ、ソフィアか。
先ほどの私の言葉を聞いたソフィアが、ニカと一緒の私の様子を見に来たのだろう。
後ろには護衛のクレマンが控えている。ソフィアの態度が悪ければ、打ち合わせ通りここから連れ出す手はずだ。短い金髪に固い顔つきのクレマン。彼なら冷静沈着だから、ソフィアのお守りを安心して任せられる。
ソフィアを案じるニカに、私は囁く。
「彼女なら大丈夫だ。言い聞かせたら、わかってくれた」
「そう。それならいいけれど」
ソフィアより、気にするなら私のことを。
大人になった君に私が喜んでいることを、もっと知ってほしい。
「それよりニカ、綺麗な君をどうしよう? 着飾った姿を、みんなに見せるのが惜しいような気がしてきた。ファーストダンスが終わったら、二人で抜けようか?」
「冗談を言っている場合じゃないでしょう? 王子が抜けてどうするの。ねえ、もしかして酔っている?」
「そうだね、酔っているのかも。君の美しさに」
「いえ、真面目に聞いているんだけど」
至って真面目なのに。
褒め言葉を素直に受け取らないニカは、他を圧倒するほどの己の美しさに気づいていないようだ。私は自慢の婚約者をエスコートし、フロアの中央に進み出る。周囲に知らしめるこの瞬間を、私はずっと待っていた。
――ヴェロニカ・ローゼス嬢は私の相手で、正式な婚約者。誰にも渡さない!!
ニカはかなり緊張していた。
真っ直ぐ顔を上げてはいるが、手が少し震えている。
その様子が、「こんなんじゃ出られない」と言いながら、落とし穴の底で強気に振る舞う子供の頃と重なった。
私は当時を思い出して口の端を上げ、彼女の耳に唇を寄せる。
「大丈夫、リラックスして踊ればいい。何度も練習しただろう?」
「ええ、そうね。でも、失敗したらと思うと怖くって……」
「ニカ、君の弟子を信じて」
きちんとリードするから、たまには私を信用してほしいな。
予め伝えておいた通り、何度もニカと練習した曲を楽団が奏で始めた。ワルツの調べに合わせ、彼女が踊り易いように導く。出だしこそぎこちなかったものの、練習の甲斐あってニカは自然な動きだ。その調子だと言うように、私は彼女に微笑みかけた。
「ニカ、すごく上手だ。一番最初に君と踊ることができて嬉しい」
「エルったら、嘘ばっかり」
久々にエルと呼ばれた。
――弟子の話を持ち出したから、男として見られていないのか?
一番始めは確かにダンスの教師とだが、それを数に入れるつもりはない。正式な舞踏会で踊るのは、やはりニカが初めてだ。
「嘘じゃない。公式な場で堂々と踊れるんだ。私の相手は君だと、みんなに知らせることができる」
ニカの考え込む表情を見て、回した手に力を入れて引き寄せる。支える腕の強さを、感じてほしくて。
――私は女装をしていたエルじゃない。正真正銘男で、大人となったラファエルだ!
心の声が届くはずはないのに、ニカが身体を強張らせた。私は彼女を怖がらせないよう、優しく話しかけることにする。
「素敵だ。君からは、薔薇のいい香りがする。大好きだよ、私の薔薇」
公爵家の庭には、いつも薔薇の花が溢れている。ニカは薔薇が大好きで、日頃から薔薇の香油を好む。いつもより念入りに仕度をしているせいか、香りがより強い。私はニカに顔を寄せ、彼女の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「うわっ」
そんな私に動揺したのか、ニカがステップを踏み間違えてしまう。
バランスを崩した彼女の身体を腕一本で支え、そのままターンする。たったあれだけの仕草でニカがうろたえるとは思わなかった。
――それとも私が、大好きだと言ったから?
「ごめん、こんな時に言うつもりではなかったのに」
「こんな時って? 酔っ払っている時にってこと?」
「違うよ。全く飲んでいない。それよりほら、曲が終わる」
最後にニカをくるりと回す。
赤いドレスの裾が広がり、咲く花のようだ。
曲が鳴り止み互いに礼をしたところで、会場から歓声と拍手が鳴り響く。無事ニカのお披露目は終わり。これからは、自分のために楽しもう。