君を振り向かせるために 5
ダンスの練習を始めてすぐの頃。
断られる覚悟で、ニカに聞いてみる。
「君の社交界デビューに合わせて、ドレスを贈りたいんだけど」
今からでも急ぐように言えば、最優先で仕立ててもらえるだろう。
「要らないわ。自分で用意できるし」
予想通りの答えにがっかりしてしまう。
彼女の書いた物語は、王都でも評判で売れ行き好調なのだとか。だからもし、ニカの継母である公爵夫人がデビューのためのドレスを忘れていたとしても、自分で用立てられるのだ。
贈り物は、またしても受け入れてもらえない。落ち込む様子を見せるわけにもいかず、私は何でもないことのように答えた。
「そうか。でも、ニカなら何を着ても似合いそうだね」
社交界デビュー当日。
私はニカの到着を、天宮の外で今か今かと待っていた。
正面に公爵家の馬車が停まった途端、思わず駆け寄る。扉が開きニカを見た私は、思わず息を呑む。彼女の手を取り顔には笑みを湛えながらも、目が離せない!
長い黒髪を結い、薄く化粧をしているニカ。
瞳と同じ赤のドレスは、流行りのハイウエストで襟を大きく開けている。襟元と裾以外の装飾はほとんどなく、身体の線が出るためスタイルの良いニカにしか着こなせないだろう。
「ニカ、すごく綺麗だ。美し過ぎて言葉が出ない」
見惚れてしまうが、他の男に見せるのは惜しい。理由をつけてこのまま送り返そうか?
そんなことを考えながら、彼女の乗って来た馬車に目を向ける。すると、ニカに続けて降りてきた人物がいた。
「ソフィア、どうして君が?」
「ふふ、来ちゃった」
淡いピンクでゴテゴテした装飾のドレスを着たソフィアが、近づいて来る。だが、今日はニカのデビューだから、十四歳のソフィアには全く関係がない。それなのに、なぜ当然のように着飾ってこの場にいるんだ?
「今日は十六歳以上の者が集う場だ。君にはまだ早い」
「でもお母様が、ヴェロニカが何かしでかさないか心配だから、見ておきなさいって」
何だそれは。
公爵夫人もいったい何を考えている?
「どういうこと? ソフィア、それって勝手に……」
ニカも驚きを口にしたが、一応確認しておこうか。
「ニカ、君は知っていたの?」
「いいえ、もちろん知らないわ。てっきり貴方が招待したかと思っていたの」
ニカが自分の唇を噛む。
この頃よく見るその癖のせいで、彼女の唇はいつも赤い。舐めて癒してあげたいが……いや、その前にソフィアだ。彼女をなんとかしなければ。
「どうして私が招待するんだ? ソフィアには、このまま帰ってもらった方が良さそうだね」
「そんな! せっかく来たのに」
ソフィアの目に、みるみる涙が浮かぶ。
そんな義妹を、ニカが注意する。
「ソフィア、これは規則なの。貴女は十四歳だから、まだダメなのよ」
けれどソフィアは泣き止まない。
嘘泣きだと思うが、ニカは気づかないようだ。
「いい加減になさいっ!」
「ヴェロニカのバカ、意地悪、嫌いっ」
思い通りにいかないと、ソフィアは機嫌が悪くなるのか。ただ、今日はニカが主役だから、邪魔はしないでもらいたい。ため息をつく私に、ニカが告げる。
「ごめんなさい、このまま連れて一旦帰るわね」
「それは困る。仕方がない、とりあえずこちらへ」
私の相手は君しかいないから。それに先ほどから、通り過ぎる者達に好奇の目を向けられている。
明らかに十六歳に見えず、泣き止まないソフィアは人目を引く。このままでは埒が明かないので、ここから移動しよう。
「やっぱりエルは優しいわ。大好き!」
ソフィアは嬉しそうな声を出すけれど、本来は規則違反だ。ニカが「再び連れ帰る」と言い出さないよう、私は口に出かかった文句を我慢する。
勝手に腕を絡ませるソフィアだが、私の横でおとなしくしているうちに控室へ誘導しよう。ただでさえ、廊下を行き交う人々の不思議そうな視線が突き刺さる。私だって、できれば婚約者のニカだけを相手にしたいのに。
ニカのため、控室には赤い薔薇の花を飾らせた。残念ながら、二人でゆっくり眺めている場合ではなさそうだ。早急にソフィアのお守り役を用意しなくては。
「また後で」
当然のようにニカの頬にキスをする。一瞬だったので、ニカは避ける暇もなかったようだ。ソフィアはソファで飛び跳ねているが、知ったことではない。
執務室に戻った私は、護衛のクレマンを伴いニカを呼びに行く。十六歳になったばかりの貴族女性達は、舞踏会の前に国王夫妻に謁見する必要があるからだ。
「ニカ、時間だ。玉座の間に向かってくれ」
「ええ。ソフィアをお願いね」
私は部屋を出るニカの後姿を見ていた。
本当なら今日は、彼女のことだけを考えていれば良かったはず。ソフィアも赤ん坊ではないんだし、もう少し淑女らしくしてくれればいいものを。
ところが振り向くと、ソフィアが私の目の前に立っていた。
何だか嫌な予感がする。
「あのね、エル。聞いてほしいことがあるの」
「何だい、ソフィア。今じゃなきゃダメなの?」
ソフィアの言いたいことは、薄々わかっていた気がする。私ははぐらかすために、次々と関係ない話題を振った。けれどとうとう、焦れたソフィアが想いを口にする。
「あの、あのね。私、エルのことが好き!」
率直で可愛らしい告白だけど、応えるという選択肢は私の中にない。
「ありがとう。私もソフィアのことは、妹のように可愛いと思っているよ」
「違うの! 私はその……ねえ、ヴェロニカじゃなく私を好きって言って!」
この半分でも、ニカが私に好意を向けてくれたなら。
だが、今はニカよりソフィアだ。
ここではっきりさせておこう。
「ごめん、それはできない。私が好きなのは、昔からずっと一人だけ。だから婚約したんだ」
「そんな!」
私の返答を聞き、ソフィアが涙を流す。今度は嘘泣きではなく、本物の涙のようだった。だからといって、ここでほだされるわけにはいかない。
「私の様子を見ていればわかるよ。自分でも恥ずかしくなるほど、私はニカに夢中だから」
「ひどいっ! 私だってずっと一緒にいたのに……」
「ごめんね。ソフィアを、女性として意識したことはないんだ」
「いやっ、私の方がエルを好きなのに!」
言うなりソフィアが飛びつく。
転ばないようとっさに足を踏ん張った。
ソフィアの肩を持ち、引き離したその時――。
戻ってきたニカの姿を目の端に捉えた………………最悪だ。