君を振り向かせるために 4
公爵を見て、ジルドが口を開く。
「いきなり王宮に来いとは、驚いた。品や資格がねえと働けねえのか?」
「いや、それは後から学べばいい。それなら、国を護る仕事はどうだ?」
「国を護る?」
「人を守ることにも繋がるな。諜報活動、と言えばわかり易いか?」
「諜報……俺に、こそこそしろと?」
「違うな、むしろ堂々と振る舞ってもらいたい。国外で情報を集める仕事が主だが、扱いは王家直属だ」
「王家直属? そんな仕事を、入国したばかりの俺に?」
ジルドは眉根を寄せている。
「ああ。ある方から推薦されてね。まあ希望者は大勢いるから、無理なら他を当たろう」
「いや……いえ、是非! 俺に……私に任せて下さい!」
公爵の駆け引きめいた言葉に、ジルドが即答する。
提示された給金は、傭兵時代を上回るはずだ。命の危険が全くないとは言えないが、重要な職だしある意味尊敬されている。
こうしてジルドは、ニカの父親であるローゼス公爵の下で働くことが決まった。動向を見守りつつ、ニカとは接触できない国外へ。我ながら、一番いい解決方法だったと思う。
「それにしても、ジルドの特徴がニカの語った通りだったとは……」
生まれ変わる前の記憶があるというのは、本当のようだ。読んだ本と偶然の一致があるのは奇妙なことだが、現実は物語のようにそう単純ではない。だって、王子の私が好きなのは『悪役令嬢』と言い張るニカだから。
十六歳となり成人した私は、望めば結婚だってできる年齢になった。
夏生まれのニカも十六歳となり、秋には社交界にデビューを果たす。デビューの日、年頃となった貴族令嬢達は国王と王妃に謁見し、挨拶をする。その後、天宮の大広間で開催される舞踏会に出席するのだ。
舞踏会には将来の伴侶を探す意味合いもあるけれど、ニカは私の正式なパートナーなのでこの限りではない。王子の私が最初に踊ることになっているため、婚約者のニカを周囲に印象付けよう。
そういえば、ソフィアは以前「ニカはダンスが苦手だ」と言っていたが、今はどうかな?
心配になった私は、ニカ本人に聞いてみることにした。
「ニカ、社交界デビューまであと約一ヶ月だね。準備はどう?」
「はああ~~」
思いの外大きなため息に、ニカの不安を知る。
「まさかダンスが気になるの? それなら私と練習しよう」
「でも、私、貴方の足を踏んでしまうかもしれないわ」
「だからこそ、練習しておいた方がいいと思うよ。本番でも君は、私以外とは踊らないんだし」
「え、そうなの? 最初に踊ったら、パートナーを代えるものだとばかり思っていたわ」
「私が許すとでも? 婚約中だし、周りも大目に見てくれる」
普通はパートナーを交代するものだが、ニカを他の男に引き渡すはずがない。王子の私にその気がない以上、誰も強制できないだろう。
「じゃあ、貴方と一回踊ったら、私はお役御免ってこと?」
ニカはやはりダンスが苦手なようだ。
でも残念。一度と言わず何度も踊らないと、周りを牽制できないが?
今言うと、辞退しそうな勢いなので、本番まで黙っておくことにする。
「明日から頑張ろうね」
はっきり答えていないが、嘘はついていない。
ニカとのダンスの練習が、非常に楽しみだ。
翌日、約束通り公爵家を訪ねると、ニカの側にいたソフィアが急に我儘を言い始めた。
「どうしてヴェロニカだけ? 私だってエルと踊りたいのにぃ」
「いや、私はニカに教えに来たのであって……」
困った顔でニカを見る。
けれど彼女は私の表情に構わず、「お先にどうぞ」とあっさり勧めてきた。私の婚約者は、今日も冷たい。
仕方がないので、先にソフィアの相手をする。
一度踊れば満足して引き下るだろうと、そう思って。
確かにソフィアは上手く、ステップも滑らかで楽しそうに踊る。ただ、私にとってはそれだけだ。ソフィアは違うようで、続けて踊ろうとねだってきた。
「エルー、今度はもっとゆっくりなのがいい」
姉を蔑ろにするのか?
私はソフィアを窘めることにした。
「今日はニカの練習に来たんだ。ごめんね」
「ええー! 私の方が上手なのにぃ」
「そうだね。だからもう、練習は要らないんじゃないかな?」
「もう、エルの意地悪~」
頬を膨らませたソフィアが、怒って部屋を出ていった。
――やれやれ、ニカに比べると随分甘やかされているな。
私はニカを見て、肩を竦めた。
ソフィアが諦めてくれたおかげで、ようやくニカを相手にできる。
婚約者でありながら、自分から近付こうとはしないニカ。その彼女が、踊っている間は私に身体を預けざるを得ない。
――こんな機会を逃すはずがないだろう?
私は微笑みながら、彼女に手を差し出した。
ニカは下手というわけではないが、身体の動きが硬い。そのため動きがぎこちなく、時々焦り間違える。それなら、初心者用のステップを復習するところから始めようか? 私は彼女の二の腕に手を添えて、腰に手を置く。
「ニカ、もっと背筋を伸ばして顔を上げて?」
角度の調節という名目で、思う存分触れられる。これならもっと早くから、練習しようと誘えば良かったな。
「ニカ、その調子だ。恥ずかしがらずにもう少しくっついて。その方が私も支えやすい」
「こ、これではくっつき過ぎのような気が……」
「気のせいだよ。ほら、肩の力を抜くといい」
肩に手を置き、軽く撫でた。
――ガチガチなニカをリラックスさせようとすると、余計に緊張するのはどうしてだ?
少しの動きで済むように、ニカを一層引き寄せた。
思ったよりも小さな手と細い腰、大きな胸が私に当たる。ニカは小さな頃自分で語っていたように、素晴らしいスタイルとなっていた。
――ドレスの下はさぞかし……いけない、集中しよう。
ニカも私に対して思うところがあるらしい。
「あの小さかったエルが……」
「ん? どうした、ニカ」
「いえ、何でもないの」
わざと問いかける。
君が言いたいのは、私との身長差のことだろう? 昔の私は背が低く、ニカを少し見上げていた。だが今は、彼女の頭は私の胸の位置にあり、見下ろす形だ。そのため、踊りながらでも彼女の吐息や戸惑う様子が伝わってくる。
――ねえ、ニカ。私はもうあの頃の小さなエルじゃない。ラファエルという名の男であり、この国の王子だ。だから君はもっともっと意識して、私を好きになればいい。