ニカとの出会い 3
「私の行動には深いわけがあるの。実はね――モブだから、話しても大丈夫かしら」
モブって何?
不思議そうな僕に気づかず、ヴェロニカは次のことを語り出した。
「父が半年前に再婚するまで、私は公爵家の正当な一人娘だった。生まれてすぐに母を亡くしたから、母親の愛情を全く知らない。不憫だと甘やかす父によって、我儘いっぱいに育ってしまったの」
年齢よりずっと大人っぽい喋り方で、僕は驚く。
「一度袖を通したドレスは、二度と着ない。気に入らないことは絶対に拒否。食事時、少しでも嫌いな物が入っていたら食べずに全部作り直させる。本は重いし持つのも苦手。もちろん、勉強なんて大嫌いだった。だから父は、傍若無人に振る舞う私を危惧して、人の良さそうな女性と再婚したみたい」
知ってるよ、調べた通りだ。
新しいお義母さんは子爵家の未亡人で、彼女にはソフィアという娘がいる。
「新しい義母は、元の身分は低いけれどおとなしそうで小さな女の子を連れていた。それが義妹のソフィア。彼女こそ、この世界のヒロインなの」
「ヒロイン?」
「そう。物語の女主人公のことよ」
「それは知っているけど……この世界のって?」
「まだ続きがあるの。聞いていてね」
僕は頷く。
調べた以上のことを、打ち明けられるのかな?
「ソフィアと初めて会った私の頭に、こことは全く別の世界の景色が閃いた。私には、この世界に生まれ変わる前の記憶があるの」
ええっと……突然どうしたんだろう? 生まれ変わる、とは?
「前世の私は決して裕福とは言えず、学年で一番貧乏だった。着ているものは全て誰かのお下がりで、文房具や学用品もほとんどが寄付されたもの。クラスの子に以前の持ち主の名前を発見されて、笑われたことだってあるわ」
『前世』、『クラス』って?
「そのせいで私は引っ込み思案になって、いじめられるのは当たり前だと諦めた。『キモい、ブス』なーんて声をかけられるのはまだいい方で、そこにいるのに無視されたり、学習グループに入れてもらえなかったり。先生達が見て見ぬ振りをしていたことが、何よりつらく悲しかったわ」
『キモイ』、『学習グループ』?
所々わからない言葉があるものの、言いたいことは何となくわかる。でも、教師が学習をさせないとはどういうことだろう?
「一人ぼっちで行き場のなかった私。いつしか家の近くの図書館が、心の拠り所となっていた。本は買わずに借りる物……小さな頃から、そう教えられていたから。ある日、顔馴染みの司書が私にラノベをくれたの」
「ラノベって?」
「本のことよ。閉館後に『内緒よ。廃棄する分だから、要るんだったらあげる。こういうの好きでしょ?』そう言ってこっそり渡してくれたわ」
図書館や図書室は、王族や貴族が所有するものだ。貧しくても図書館があるなんて、随分進んだ文明……なのか?
「それが私と『ブランノワール~王子は可憐な白薔薇に酔う』というタイトルのラノベとの出会い」
ブランノワール?
「その本は何度も借りられたらしく、捨てるというだけあって表紙はボロボロで。中もところどころにテープを貼って、修正した箇所や破かれた所があったわ。残念なことに、綺麗な挿絵には落書きがされていて、幼少期の王子の顔はペンで黒く塗りつぶされていた」
不思議な題名だし、僕はそんな本を読んだことがない。
「それでも私は嬉しかった。生活に余裕がなかったために自分のものと呼べる本は、学校の教科書と母がどこかからもらってきた絵本や図鑑だけだったから。自分だけの本、返さなくてもいい恋愛小説が私のものになったのよ! だから、ワクワクしながらページを開くと、楽しい世界が広がっていた。キラキラした登場人物、中世ヨーロッパのような生活、魔法使いがいる想像上の場所。ここではない、どこか……」
「憧れの世界に思いを馳せている間、私はつらい現実を忘れられた」
ヴェロニカの声が、急に低く沈んだものになる。
悲しそうに言うから、僕は胸が痛くなった。
「私はおとなしいヒロインよりも、自分の意見をはっきり言える義姉の悪役令嬢の方が好き。彼女の真っ黒な髪と深紅の瞳を綺麗だと思ったし、凛とした立ち居振る舞いも魅力的だわ。『ヴェロニカ』は誰に媚びることもなく、誰に従うわけでもない。たった一人でも、いつも堂々と振る舞っている」
「ええっと、今は本の中身の話?」
ヴェロニカは、彼女の名前だ。
本の登場人物も、同じヴェロニカと言うのかな?
「そう。ヒロインがソフィアで、ヴェロニカは悪役。本物の悪役はやっぱり格が違うわ。義妹に犯罪まがいの嫌がらせをしながら、上手にもみ消して尻尾を掴ませないんだもの。王子は愛するソフィアを庇いながら、証拠探しに奔走する。王子の心はとっくにソフィアのものなのに、義姉のヴェロニカが上手く立ち回るせいで、なかなか婚約を破棄できずにいたの」
頭が痛い。ヴェロニカは、本の中身と現実をごっちゃにしているようだ。
「美しく孤高の存在である悪役令嬢ヴェロニカ。私は、本の中の彼女に強く惹かれた」
『悪役令嬢』って?
初めて聞く言葉だし、自分で悪役と言うなんて変じゃないのか?
「学校ではいつも一人。だけど、ヴェロニカの存在が私を支えた。彼女のシーンを思い出すたび、彼女ならこう考えるかな、ここで泣いたりしないよね? と私は自分を奮い立たせたわ」
学校は庶民のためのものだし、神学校の入学は男子に制限されている。貴族は自宅で家庭教師をつけるのが普通なのに、公爵令嬢である彼女が学校を語るとは……わけがわからない。
「何度も……もうダメだと思った。いじめに遭ったと訴えても、誰も聞いてくれなくて。大人は当てにならないし、どこに相談すればいいのかもわからない。スクールカウンセラーだって予約制だし、ずっと先まで順番待ち。そんな時、ヴェロニカが私に教えてくれたの」
『スクールカウンセラー』ってなんだろう?
彼女の話には、僕の知らない言葉が多過ぎる。