僕の可愛い婚約者 5
そういえば先日、こんなこともあったようだ。
「出入りの業者から珍しい果物をもらったが、みんなで分けるにしては数が少ない。いつも最初に試食する料理長が、たまたま不在とは」
「そうねぇ。どんな味だか気になるにしても、小さくカットしても全員には行き渡らないわ。どうしましょう」
偶然通りかかったニカが、料理人達からそんな相談を受けたのだとか。
「絞って果汁にして分ける」というのが模範的な解答だろう。けれどニカは、その果物を見た後でこう告げたらしい。
「それなら、じゃんけんはどう?」
『じゃんけん』という名の手遊びにも似た決め方を、提案したというのだ。
「だって、果物は果汁にしないで、そのまま食べた方が美味しいでしょう?」
早速その場にいた者達で、じゃんけん大会なるものが始まった。聞くところによれば、じゃんけんは紙とハサミと石の三パターンしかないから、相手の得意なパターンを読めば勝利へぐんと近づく。
けれど意外と読めなかったのか、大人達は白熱したそうだ。
結局、ニカが勝ってしまった。
薄くスライスしたその果物を、彼女はじゃんけんで勝ち残った順になるべく多くの者に分けたらしい。自分は食べたことがあるし、皮の部分でいいと遠慮して、両手で持って舐めていたのだとか。
「やっぱりキウイは酸っぱいわ~」
その仕草やしかめた表情が可愛かったので、一時料理人達の間でニカの顔真似が流行った。 どんな果物なのか気になるけれど、ニカが満足したならそれでいい。
その後、『じゃんけん』は紙もコインも要らない決め方だと、天宮内で重宝されることとなった。
この一件で、ニカは「可愛いし親しみやすい」と評判に。自慢の婚約者を褒められた僕も、もちろん悪い気はしなかった。でも彼女は僕の相手だから、構うのはほどほどにしてほしい。
冬に入ってすぐ、ニカが体調を崩してしまった。
『寒さのせいで身体が弱ったのか、本日はは天宮に伺えません』
心配になった僕は、勉強もそこそこに彼女の家へ向かうことにする。
公爵家を訪れると、ニカの義妹のソフィアが僕にくっついてきた。ニカの手前、ソフィアを邪険に扱うことはできない。仕方なく、僕はソフィアと一緒にニカの部屋に入ることにした。僕の護衛は成人男性なので、当然部屋の外で待機させる。
扉を開けるなり、寝台の掛布の中からニカがひょこっと顔を出す。その様子が何とも愛らしく、思わず笑みが浮かんでしまう。眠っていた場合、起こさずに顔だけ見て帰ろうと思っていたので、これは嬉しい驚きだ。
「ニカ、大丈夫? 具合が悪いと聞いたけど……」
「ねえ、エル。風邪がうつるといけないから、ソフィアとお茶でも飲んできたら?」
僕の婚約者は、相変わらずつれない。
だが、顔色は良く元気そうだ。
「どうして? 僕の婚約者は君だ。ニカの風邪ならいいよ。僕にうつして早く治して」
僕の言葉に顔を赤らめるニカ。そんな彼女と一緒に、横になるのは面白そうだ。そうすれば治るまでの間、二人でいろんな話ができるよね? 公爵が許してくれるはずはなく、所詮は僕の願望だけど。
「ソフィア、お茶の用意をしてきたら? エルは#喉が渇いたんですって」
ニカに言われ、ソフィアが走って部屋を出て行く。僕はベッド脇に椅子を運ぶと、そのまま腰かけた。
「喉が渇くと言った覚えはないよ。もしかして、僕と二人きりになりたかったとか?」
「いいえ、まったく」
からかっただけなのに、即座に否定され残念だ。ニカは、さらに強い口調で僕に告げる。
「あのね、エル。こんな時まで演技しなくていいから。それに、風邪をひいたくらいでわざわざ見舞いに来るのもどうかと思うの。王子が出歩くと色んな人に迷惑がかかるのよ? 護衛を連れて来るだけでも大変じゃない」
「ニカは相変わらず冷たいよね。もう少し愛想良くしないと、婚約者としての務めを果たしているとは言えないんじゃないかな?」
「そうかしら。私としてはかなり……って違う~! 別にそこまでしなくてもいいの。本物の婚約じゃないんだし」
そう思っているのは君だけだと言ったら、どんな顔をするのだろう?
『形だけの婚約』は、僕らだけの秘密。だけど今はまだ、婚約を本物にしようという僕の計画を、話すわけにはいかない。
「偽物でも、それらしくしないとボロが出るよ?」
「だからって、すぐに呼び出すのはやめてよね。世の婚約者達が、ここまでベッタリだとは思えない」
「じゃあ、以前のように僕が通えばいい?」
「だーかーらー、さっきも言ったけど王子は軽々しく出歩いちゃいけないの!」
心配して来た僕を、ニカはすぐに追い払おうとする。でも僕は、あっさり帰るつもりはない。
「それならやっぱり、ニカが天宮に来るしかないよね?」
「週一でも多いくらいなのに、エルはそんなに暇なの?」
「暇じゃないけど忙しくもない。言っただろう? ニカといると気が楽だし、面白いんだ」
「面白いって、私のことをからかって遊ぼうとしているんじゃあ……」
「ひどいな。こんなに協力しているのに」
悲しそうに見えるよう、肩を竦める。
本当は、ニカと遊んでばかりはいられない。楽しいからと時間を割き、責務をおろそかにするわけにはいかないのだ。
情けない王子となり、八年も経たず彼女に見捨てられるようでは困る。だからニカの話を受け入れるフリをした。
「じゃあ、月に10日以内でどう?」
それくらいなら、差しさわりもないだろう。
不意にニカの視線を感じる。
不思議に思い、どうしたのかと聞いてみた。
「ん? どうしたの。僕の顔に何かついている?」
彼女は黙って首を横に振る。
小動物のようなその仕草に、頬が緩んでしまう。
どうしよう、ニカが可愛すぎる!
ベッドに手をつき彼女に身体を近づけた。
よしよしと艶やかな黒髪を撫でながら、耳元に唇を寄せる。
「なんにしろ、ニカの風邪が大したことなくて良かった。可愛い婚約者には、元気でいてほしいからね?」
そのまま僕は、彼女の頬に軽くキスをした。
「な、なな、何!?」
赤くなる様子が可愛くて、偉そうな表情を崩したくて、わざとニカに触れた。頬に手を当て途端におろおろする君は、見ていて飽きない。ニカに会えたから、まあいいか。
本当はもう、わかっていた。
君は風邪などひいていないよね?
呼び出しに応じたくなかったのだろうが、逃がさない。
だって、僕の婚約者は後にも先にも君だけだから。