ニカとの出会い 2
第一印象は衝撃的だった。
ローゼス公爵家の庭の一画で、まず目に飛び込んできたのは黒髪の女の子……のお尻。
植栽に頭を半分突っ込んで、向こうの様子を窺っているようだ。
「ねぇ、何してるの?」
思わず声をかけた。焦ったように顔を出して振り向く彼女は、驚くほど綺麗な顔立ちで、瞳がルビーのように濃く赤い。吸い込まれそうな瞳に、僕は一瞬言葉を失う。
――ああ、この子がヴェロニカか。絵姿よりも美しく、大人びている。まだ婚約者の候補ではあるけれど、王宮を訪ねて来る同じくらいの年の令嬢達より賢そう。
「何って……ちょっとね。忙しいから、邪魔しないでくれる?」
再び口を開こうとしたところ、彼女が先に答えた。
その偉そうな言い方にたじろぐが、態度には出さないように気をつける。大人っぽく見えたのは気のせいで、中身はやはり子供だった。初対面の相手への礼儀もわからず、幼稚な喋り方しかできないのだろう。
「ふうん?」
でも、せっかく来たのだ。取り敢えず、彼女を観察してみよう。僕より背が高く、色白で綺麗な女の子。ただし口調は――。
「あのねえ、これには重要な意味があるの。後々壮大な話に発展していくんだから」
その子はこちらに向き直ると、またもや威張った言い方をした。
自宅の庭を覗くだけの行為に、どんな意味があると言うのだろう。壮大な話とは?
――ああ、そうか。
確か今日は、彼女の誕生日。だから、見たことがないほど大きなプレゼントが届く、という意味なのかもしれない。
口に手を当てクスリと笑いかけるが、その子の真剣な表情を見て真顔に戻った。
もし彼女の言うことが本当で、これから何か重要なことが起こるのだとすれば――?
未知の世界はいつだってワクワクする。高等知識まで習得し、日々退屈していた僕にとってはいい暇つぶしになりそうだ。ここに残って、彼女の様子を見るのもいいかもしれない。
だから僕は、わざと感心したフリをする。
「そうなの? すごい!」
すると彼女は気を良くしたのか、話し続ける。
「私の名前はヴェロニカ。この家の長女よ。貴女は? なんてお名前?」
うん、知っていたよ?
だって君は、僕の婚約者候補だ。
予想通りで良かったと、どこかでホッとする。だけどまだ決まったわけではないから、茶色のかつらと白いドレスで女装したままラファエルという名を明かすことはできない。
「ぼ……私? 本当は名乗っちゃいけないって言われているんだけど……」
「まあ!」
ヴェロニカが驚くのも当然だった。この国では、身分の低い者から名乗って挨拶するのが常識だから。
自分より質素な服の女の子(本当は男だけど)が公爵家の庭にいて、そこの娘に挨拶しないばかりか、名前を告げることも拒否した。礼儀を知らない奴だと思われても、仕方がないと思う。けれど彼女は呟く。
「モブだから名前がない?」
モブっていったい何だろう?
何となくバカにされているようで、思わずムッとしてしまう。
でも、よく考えれば呼び名がないというのも変だ。僕は小さな頃の愛称を、ヴェロニカに教えることにした。
「「じゃあ、エルで!」」
驚くことに言葉が重なり合う。
ラファエルの『エル』。
君はどうして、僕の名前がわかったの?
わかったわけではなく、たまたま思いついたのがその名前だったらしい。だって目の前のヴェロニカは、大きな目を見開いてびっくりしている。
「クスッ」
その様子が年相応で可愛くて、気づけば僕は笑っていた。彼女もつられて笑う。
「フフ、フフフ」
楽しそうなその顔がとても綺麗だったので、僕は思わず見惚れた。
――ねえヴェロニカ、まずは友達になろうよ。
そう言おうとした矢先、彼女の声が聞こえた。
「いいわ、エル。貴女、私の弟子にしてあげる。これからは、私を手伝いなさい」
予期せぬ言葉に僕は一瞬、自分が女の子の姿であることを忘れてしまう。
「……え、弟子? そこは普通、友達じゃないの? まあ、空いている時なら別にいいけど」
素の声で、つい本音を漏らしてしまう。王子の身分は明かせないが、偉そうな言い方になってしまった。彼女の弟子になるほど、いつも暇なわけじゃない。たまたまここに来ただけで、普段は色々忙しいのだ。
僕の答えを聞いたヴェロニカは、綺麗な顔を歪め口元をヒクヒクさせている。生意気な、と怒っているのかもしれない。僕は一瞬、怒鳴られることを覚悟した。ところが彼女は、怒りを飲み込むことに成功したようだ。元の表情に戻り、冷静な声を出す。
「そう。じゃあ、早速だけど義妹を監視して」
「義妹さん?」
「そうよ。ソフィアっていうの。銀色の髪に青い瞳が綺麗で可愛いでしょう?」
特徴を説明されたけど、とっくに調べて知っている。だが背伸びをして向こうを見ても、屋敷近くの庭はからっぽで、使用人すらいないようだ。
「可愛いかどうか……誰もいないんだけど」
「なんですってぇーー!?」
ヴェロニカは、自分の義妹がそこにいないと知るや、急に慌て出した。
「なんてこと! それもこれも、王子がぐずぐずしているせいで……」
「お、王子?」
まさか女装がバレ!?…………たわけではないらしい。
なのになぜか、義妹の不在をこの僕のせいにしている。
「ソフィアもソフィアよ。大事なシーンですぐに屋内に戻るなんて、根性ないわね!」
「こ、根性? 王子と何の関係が?」
彼女の言っている意味が全くわからない。こんなにも理解できない状況は初めてだ。
『ソフィアと王子と根性???』
好奇心を刺激された僕は、彼女に質問してみることにする。
「ねぇ、どうして王子が出て来るの?」
僕は今日、この家に招待された覚えはなく、思いつきで寄ることにしただけ。それなのに、王子がぐずぐずしているせいとは、どういうことだろう?
「私の行動には深いわけがあるの。実はね――」
ヴェロニカは自分には過去の、ここに生まれ変わる前の記憶があると、淡々と語り出した。