君に会うために 1
九歳の誕生日以降、ニカが僕を避けるようになった。時々公爵家に立ち寄っては声をかけたけれど、彼女が僕に応えることはない。
始めは、王子であることがバレて怒っているのかと思った。けれど公爵家で僕はまだ、女の子の『エル』で通っている。それなら考えられる可能性は、誕生日当日の僕の態度だ。
『可哀想に。またニカが仕掛けたの?』
『そうだね。ニカはひどい』
「ソフィアに賛同して、ひどいと言ったからかな。それとも嫉妬してくれてると喜んだこと? ただそれだけで?」
女心はさっぱりわからない。
当日僕の護衛をしていた、比較的歳の近いクレマンに聞いてみることにする。
「ニカをからかうような発言をしたからかな?」
「殿下の態度は、いつも通りと感じましたが」
王子である僕は、他人から「お近づきになりたい」と言われ、すり寄られることには慣れていた。自分から近づこうと思ったのは、彼女が初めてだ。それなのに、一番仲良くしたいニカに逃げられている。
「時間が解決してくれたかな? そろそろ寄ってみよう」
ニカの誕生日から三ヶ月ほど経ったある日。僕は再び公爵家を訪れることにした。もちろん今日も女装をしている。
「こんにちは、ソフィア」
「あ、エル!」
七歳の彼女は、僕に会うなり顔を輝かせてくれる。この半分でも、ニカが僕に会って喜んでくれたなら――いや、今となってはもう、顔を見られるだけでいい。
「ソフィア、元気そうだね。ニカは……元気?」
「たぶんね。ずっと部屋にいるし、出てきても意地悪だから、あたしは嫌い」
「どうして? 君のお姉さんなのに」
「だって、全然お姉さんらしくないもの。エルの方が優しくて、あたしのお姉さんみたい。ヴェロニカじゃなく、エルがお姉さんだったら良かったのに」
今までのいたずらのせいで、ニカはソフィアにかなり嫌われているようだ。自業自得と言えないこともないが、本当のニカはソフィアを可愛く大切に思っている。できれば仲良くなってほしい。
「ソフィアがまだ気づかないだけで、ニカは優しいよ。それにこの前も言ったと思うけど、お姉さんじゃなくて、お義兄さんになりたいな」
「どういう意味?」
「内緒、今はまだね。それより、ニカに手紙を書いて来たんだ。顔を合わせた時に渡してくれる?」
会えないことを想定し、手紙を持参した。先日の謝罪と、理由があって女装していると明かしたのだ。
「ええー、ヴェロニカだけー。私の分は?」
「ソフィアとは、こうして顔を合わせて話しているでしょう? ニカとは会えないから」
「そんなの、呼んでも出てこない人の方が悪いんだもん」
「そう言わずにお願い。ソフィアなら、上手にできると思ったんだけどな」
「できる、できるわ! だって、手紙を渡すだけでいいんでしょう? そんなの簡単じゃない」
「ありがとう。いい子だね」
僕は銀色に輝くソフィアの頭を撫でる。艶やかな黒髪には最近お目にかかっていないな、と思いながら。
「えへへー、褒められちゃった。それで? エル、今日は何して遊ぶ?」
「ごめんね。用事の途中で顔を見に寄っただけだから、すぐに戻らないといけない」
「また~、エルはそればっかり。前はよく一緒に遊んでくれたのに」
それはニカがいたからだよ。
彼女と一緒にいる時が、僕は一番楽しかったから。でも、七歳のソフィアにそんなことを言えば、傷つけてしまう。
「本当にごめん。また今度、ニカが一緒にいる時にね」
「そんなぁ」
ニカのことを考えると、僕はどうしてもため息が出てしまう。追い返されるのを承知で、部屋の前まで行ってみようか?
……余計嫌われるかな? やっぱりやめておこう。
「今度来る時は、もう少し時間を作るから。それならいい?」
「もう、エルったらわがままね! でもいいわ、許してあげる」
「ありがとう、ソフィア」
結局今日も、ニカとは会えなかった。不在がちの公爵を引っ張り出すことはできず、かといってニカの継母に取次ぎを頼むのも気が引ける。
毎回ニカに会えるかと期待するが、顔も見られず気落ちする日々。そんな僕に同情したのか、ソフィアが馬車までついてきた。
「エル、約束よ。今度は絶対に遊んでね? チョコレートケーキを持ってくるなら、お茶にしてあげてもいいわ」
「わかった。ソフィアは良い子だね」
思わず苦笑した。
ニカの語る物語の王子は、ソフィアのこんな優しさに惹かれたのかな、とふと考えて。
現実の僕は、どうしようもなくニカに惹かれている。意地悪をやめさせるためと言いながら、少しでも彼女の側にいたくてここに足を運んでいた。
そうか、物語の中と言えば確か――。
『その子が自分の相手だと思い込み、喜ぶ王子。ところが、二年後に婚約者として紹介されたのは、義姉のヴェロニカだった』
ニカが本の世界を信じているなら、僕が正式な婚約者になりさえすれば、会ってくれるということだ。十歳までは残り一年もない。ソフィアと会話したお陰で見えてきた希望に、賭けることにした。
「じゃあね、ソフィア。必ずまた来るよ」
馬車に乗り込んだ僕は、計画を立てる。
天宮に戻ってすぐ、具体的に話を進めるよう父に願い出なければ。