ニカとの出会い 10
屋敷の奥から走って来た侍女が、ニカに湯浴みを勧めた。
「エル、一緒に入ろう」
「ひぇ? い、いいよ」
「濡れて気持ちが悪いでしょ。遠慮しないで」
ニカは無邪気に僕を誘う。女の子同士だから、一緒に湯に入っても構わないということだろう。
だが僕は……。
ニカの裸を想像した途端、頭に血が上る。
「平気だから。ニカは自分のことだけ考えなよ」
「女の子同士で恥ずかしがるなんて変なの。嫌なら、エルが先に入れば?」
「いや、いい。ほら、早くしないとお湯が冷めるよ」
悲しそうなニカが気になっても、頷くわけにはいかない。
脱げばさすがに男だとバレるし、背中の羽を見せてはいけない。
かつらと服は脱げば済むし、簡単な浄化魔法なら扱える。あっという間に綺麗になるので、手間もかからない。僕の魔法のことは、ごく一部の限られた者にしか教えていないため、当然ニカにも内緒だ。
だから、がっかりしてはいけない。
「こ、子供だし。そういうのはまだ早いし」
ニカが湯浴みをしている間に、僕は大急ぎで天宮に帰ることにした。
それからも僕は、ニカのいる公爵家に通い続けた。
魔力が安定してきたせいか、この頃少し体力がついて背も伸びた気がする。
「なんで? なんでエルだけ大きくなってるの? 小さい悪役令嬢なんて、迫力がないから嫌だわ」
背が並んだことで悔しがるニカは、やっぱり可愛い。ソフィアもそれなりに愛らしいけれど、僕が気になるのは悪役令嬢と言い張るニカだ。
彼女が僕をじっと見る。
気になるなら、もっと近くで見ればいいのに。
彼女の白くて小さな額に、ぼくはわざと額を合わせた。
「ど、どど、どーしたの?」
「どうしたって……ニカがボーっとしていたから」
焦ったように離れる姿が可愛くて、思わずクスクス笑ってしまう。彼女のいろんな表情は、見ていて飽きない。そういえばこの前も、こんなことがあったっけ。
その日ニカは突然、庭に落とし穴を掘ろうと言い出した。
「落とし穴って?」
「深い穴を掘って、その上を通った人が落ちるようにするの」
戦術ではよく使うが、いたずらにも有効なのだろうか?
半信半疑でニカと二人で掘り始める。以前、庭に二人で小さな穴をあけた時に、スコップの使い方はわかったから。今回の方が順調だし力がついてきたこともあって、どんどん土をすくう。そんな僕を見て悔しかったのか、ニカもむきになって掘り進めていた。途中、どう考えても深すぎると思ったが、面白いのでそのままにしておく。
「どうしよう、掘り過ぎたわ」
ニカが気づいた時には、自分の身長よりも深い穴になっていた。足場を作れば出られるけれど、せっかくなので出られないと言っておこう。
「こんなんじゃ出られないし、ソフィアが怪我しちゃう」
「そうだね」
言うなり僕は、口笛を一回吹いた。
もちろん護衛に対してで、意味は『邪魔するな』。滅多にない機会だから、今を楽しもう。
「今のは?」
「ん? 助けが来ないかなって」
「そう。誰かが気づいてくれればいいわね」
「じゃあ、助けが来るまで話をしようか」
強気なニカは、自分のミスで出られなくなったことが恥ずかしいようだ。使用人を呼ぼうとしないため、二人で長く過ごせることになった。まあ、時間が来れば護衛が助けに来るだろうから、別に心配していない。
「それで、ニカは看守のどういうところが好きなの?」
彼女の好きなタイプが気になる。
本人は王子に全く興味がないようだが、当の王子は違う。候補の中で婚約しても構わないと思えたのは、ニカだけだから。
「どこって、全部よ全部! 年上で渋くて、陰があるところも素敵。カッコいいし優しいし、それから……」
顔を輝かせたニカに勢いよく語られると、気分はちょっと複雑だ。彼女が身分を全く気にしないと、わかってはいたけれど。熱心に話すニカと一緒にいたせいか、あっという間に時間は過ぎた。
別の日のニカは、ソフィアを驚かせるために、シーツを被ってお化けの真似をしようと言い出した。前回の落とし穴で懲りたのか、その日は家の中だ。隣の続き部屋で、ソフィアが戻ってくるまで待とうということになった。ソフィアは母親と一緒に買い物に出かけたらしく、なかなか戻ってこない。待ちくたびれたニカは、いつの間にかぐっすり眠ってしまった。その寝顔は幸せそうで、すごく愛らしい。
「僕は、何か試されているのか?」
そんな疑問を抱くほど、ニカに全く警戒されていない。女装をしているとはいえ、未来の婚約者に対してこれはいかがなものだろう? 艶やかな黒髪と白い肌が間近にあり、彼女の小さな唇からは、安心したようなため息が出ている。
「可愛い……」
我慢できずにおでこにキスをしたことは、ニカには内緒だ。
他にもソフィアの人形を隠そうとしていたから、ニカのものとすり替えた。おやつのパンケーキの間にマスタードを塗っていた時は、間違えたフリをしてニカの席に置く。残さず食べるように言われたニカは、涙目だった。悪いことをしたなと思ったけれど、最初にソフィアに食べさせようとしたのはニカなので、平気な顔を貫く。
そんなこんなで、ニカと過ごす全ての時間がとても楽しい。
ニカの隣は居心地が良く、気を遣わなくていい。
誰かといて期待されないなんて初めてだ。彼女の前では王子ではなくただの『エル』でいられる。
まあ、女の子の恰好ではあるけれど。
ねぇニカ、気づいている?
君は悪役にはなりきれない。
ソフィアを傷つけないように、いつも注意を払っているのだから。
本物の悪人は、いたずらする前に安全確認なんてしないよ?
唐辛子入りの水もマスタードをたっぷり塗ったパンケーキも、自ら辛さを調節なんてしないんだ。泥団子は大きく外したし、赤い果汁の爆弾もまずは自分にぶつけたらしい。調理場にいたサラに、掃除が大変だったと後で愚痴を零されたから。
成功したらしたで、優しい君はきっと自分を責めるはず。だから僕は、敢えて邪魔をした。だって、ニカの中で僕はドジな女の子の『エル』だろう?