魔物と発情期
生温かい空気が顔にかかる。血生臭さに腐敗臭が合わさった最悪の臭いだった。
「ゴポッ・・・」と、胃の内容物が喉元まで押し上がる。
「マキ!!」
マルレーンが焦りの声を上げる。メス犬からなった魔物が、転けたマキの背面に覆いかぶさっていたからだ。
「ゴクリ・・・」と、押し上がってきた内容物を押し戻し、覚悟を決める。蛆虫が湧いてて生理的嫌悪感100パーセントなので触りたくはない。しかしこのままでは命の危機なので、その腹を押し退けようとする、がしかし。
「ッッ?!うぉぉあぁぉあぉあぁぁ?!?!?!」
魔物が腰を振った。結果大量の蛆虫やら腐った肉がマキの体全体に落ちる。あまりの気持ち悪さに、一瞬意識が飛びそうになった。
おおおおおおちつけけけけけけ・・・。
魔物となってしまった現生生物の在り方は、基本的に見て凶暴だ。肉を見つける度にいかつい顔して何でもかんでも襲いかかる。因みにこんなことを聞けば野生の動物ヤバそうと感じてしまうが、しかし魔物は狂暴化する反面、五感情報が鈍くなる。つまり獲物を見つけること自体がそもそも難しくなる。その為足の速い野生動物であれば、魔物からの逃走は容易となっている。さらに付け加えると、魔物は野生動物によく逃げられるせいで常に腹ペコなので、魔物の食料は基本的に捕まえやすい生き物。つまり人間が主食となっている。結果的な話ではあるが。
さて話を戻して。魔物は凶暴であるが、同時に本能に忠実であるとも言える。まずは食欲。殺して喰らう行為。次に睡眠欲。邪魔するやつを殺して静かな場所で休息を取る行為。そして性欲。自身の遺伝子を残す為に、基本、異性とイチャコラする行為。但し魔物である為、行為中や行為後についうっかり殺してしまうこともよくある。
そして、だ。今現在マキが相対している魔物は、絶賛発情期真っ盛りで、プラス数十分程前に商人を襲って喰ったので、今は満腹状態にある個体であった。
魔物の腰の動きが早くなる。
「マママママウンティングぅぅぅ!!!!!!」
「フンッ!!」
「キャウゥ゙ッ゛!」
マルレーンの飛び蹴りが魔物にクリーンヒット。魔物が吹き飛び地面を跳ねる。
「あ、ありがとう。」
酷い残り香に鼻をもがれながら、マキがのっそりと立ち上がる。
「怪我は?!」
「な、ないよ。うん。心、以外はね・・・。」
精神的ダメージは多大なるものであった。
「マルレーン様!」
「大丈夫よ。」
起き上がった魔物がマルレーンに対して威嚇する。が、見たところ魔物は既に瀕死のようだ。肉がボロボロボロと崩れ落ち、逆に立って生きているのが不思議なくらいだった。
「少し前途多難な気がしましたが、まあいいでしょ。」
マルレーンが小手を付けた拳を構える。
「マキ、よく見ていて下さい。もう一度、対魔物の戦い方をレクチャーします。」
「う、うん。ごめん。お願い。」
「いいですか。魔物に対して行う攻撃は、」
魔物が直線的な動きでレンに飛びかかる。マルレーンはそれを躱して、魔物の胴体に華麗な回し蹴りを入れた。そして決めポーズを一度。続けマキの瞳に視線をやって話を続ける。
「カウンター。それが対魔物に効率的な戦闘スタイルです。そして一番に行うべき対処は、」
マルレーンが魔物の頭を踏み潰した。
「司令塔たる頭を潰しましょう。これで魔物は動けなくなります。一応心臓を潰したり失血死を待ったりなどもできますが、手っ取り早く終わらせる方法としては頭部の破壊が一番です。」
片足を赤く染めるマルレーンを見て、マキは「おっかねぇ」と思った。あと、「小手使ってないじゃん!」とのツッコミも入れておく。
「うん。了解。で、今さらなんだけど・・・物理が基本なんだ。」
異世界なのに・・・。
「魔法とかってないの?」
「ありませんね。」
異世界なのに・・・。
「え、でもちょっと待って。だったらなんで僕とかレンとか、華奢な体でこんなにも強い力を発揮できてるの?」
「魔力による肉体強化的なものですね。」
「魔力!・・・え?魔法ないの?」
「そうですね。火山のように火を吹くことも、湧き水のように水を浄化することもできません。」
異世界なのに・・・。
「・・・そっか。」
マキは落ち込んだ。が、別に落ち込みすぎることもなかった。それにそもそも、別にどうでもよかったことに気がついた。
「で、魔力っていうのは?」
「そういえば説明がまだでしたね。」
「必要無いことってこと?」
「まぁ、はい。そうですね。そもそも現代人でどうこうできる代物ではありませんので。しかしそんなものでもいつかは役立つかもしれません。」
「ん?現代人?どういうこと?」
「そうですね・・・私たちは、生まれつき体内に『魔力』と呼ばれるエネルギー的な何かを持っています。そしてこれの量によって、身体強化が自然と行われす。謂わば外付けの筋肉と鎧だと考えて下さい。さらに、瘴気を浄化する為にもこれが必要となります。つまり私は魔力量が多かったので聖女となったわけですね。」
「へぇ〜。」
「そもそもの話、この世界には瘴気が多量に溢れています。そしてそれは、私たちが住んでいるこの生存圏も同様です。ただ薄いというだけで、瘴気は何処にだって存在しているのです。」
「じゃあみんな常に瘴気に晒されてるってこと?」
「その通りです。その為魔力というものは、全ての人間に必須な機能なんです。ただそれでも足りない人が多くいる現状、それを打開するために造られたのが、あの石です。」
「石?」
「ほら、思い出して下さい。多くの者が首からかけていたでしょう。」
「ああ確かに。」
「あれこそ瘴気の浄化を手助けする為の、『御守り石』と呼ばれるものです。」
「健康に生きるうえで絶対的に必要なものってことね。」
「はい。」
「あれ、でとだとしたらそれで瘴気ってどうにかできちゃう?」
「原材料が足りませんし、既に行われています。」
「行われている?」
「はい。先程も言ったように、世界には瘴気が溢れているんです。つまりですね?今、私たち人間が住んでいる土地は大陸の端っこなんです。つまり此処を超えれば、そこにあるのは多量の瘴気が充満した土地だけ。そこで生きていける人間なんて勇者様をおいて他にいません。」
「あれ?人類終わりかけってこと?やばくない?」
「大丈夫です。人類生存圏の縁には、既に大量の『生命石』・・・御守り石以上に瘴気を吸収し浄化してくれる石のことですね。これがずらりと設置されているんです。ただこれも浄化を繰り返すごとに効果を失い、『死命石』となってしまいますから、その都度交換する必要があるんです。そしてその交換頻度を生産頻度が上回った結果、私たちは今現在の人類生存圏を確保できたんです。」
「要はこれ以上は、僕らの住んでるとこにより濃度の高い瘴気が入り込まないってことでいい?」
「はい、そのとおりです。」
「そっか。じゃあ取り敢えずはひと安心か。」
「そうですね。」
「・・・いずれ広げるの?」
「そのつもりです。」
「じゃあ僕も頑張ろ。・・・一緒に世界を取り戻そう!」
「帰る気は無いのですか?」
「何も思い出せないしね。」
「思い出せたらどうしますか?」
「・・・それはその時になってみないと。」
「思い出したいですか?」
「ん〜・・気になりはする・・けど。・・・でもなんか思い出したくない無いって気持ちが心の何処かにある気がする。」
「そうですか。・・・そうですね。では、一緒に世界を取り戻しましょうか。」
「うん!」
明日を求めた答え故に、マキは笑った。既に決まった覚悟であったが為に、マルレーンは微笑んだ。
「必ず、取り戻しますよ。私たち人間の世界を。」
「そうだね!僕も頑張るよ!」
2人は繋いだ手を空に掲げ、大きな声で宣言した。