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現実の消失  作者: 微睡 臚列
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現実のしっぽ

『全ての映画はGOビデオへ通ずる』と言う言葉が私の界隈ではあって、大手のレンタルビデオ店では新作が入ると不人気の旧作は押されて店内から消える。しかしここGOビデオでは一度店内に陳列された作品は二度と外に出る事はない。だからB級から有名どころまで大量の作品が棚に陳列されている。(所蔵)新作が入って来て場所が無くなると建物を増築して無尽蔵に物語を蓄えていく。欠点は最新作はやや遅くに入荷する。

私は店の端の壁からもう一方の壁を見詰めるのが好きだった。真っすぐに長い通路が続いていて自分の身長よりも高に棚が左右に迫る様にあってそこに色んな人が苦戦して作り上げた物語が収められていてそれが夥しく整列してあるのだと思うと胸がざわざわするような憧れと猟奇心が風船を膨らませる様に私は空気を吸って寝ぼけ眼を気鋭に張りつめさせた。『店内を隅から隅まで散策して楽しむのだ』この興奮はときめきからだった。


まずは連続アニメの棚を横目にアニメ映画の区画へ進む。


「やっぱりないか・・・」


ここへ来たらテレビでCMしている『象の背』と言うアニメ映画がレンタルに出ていないか必ずチェックする。その後に独創的な世界観のアニメ映画が無いか探す。アニメにしかできない様な内容の奴だ。目を付けていた連続アニメの前で止まって借りようか悩む。『一度借りたら何十時間も拘束されてしまう』と思って毎回借りない。外国のSFの場所へ向かう途中に日本の社会派をチェックして洋画の新作を確認する。

途中一度見た作品を手に取って頭の中でその映画を見る。週一くらいで来るので内容は意外と変わっていない。GOビデオの表はこれで散策終了だ。問題は裏側だ・・・。通常の作品の在庫も広大だが18禁のエリアも広大で通常の作品と同じだけ数がある。

『18歳未満立ち入り禁止』の暖簾をくぐってアダルトフィールドへ侵入する。暖簾をくぐった所で私は我に返る。


「私は一体何をしているんだ?純粋にビデオ屋を楽しんでいる場合ではない。夢から出られなくなった原因を突き止めなければ」


すきがあれば私を又夢の中へ引きずり込もうと世界はそういう力が働いている様である。ここが現実ではないという事を常に自覚していないと意識を持って行かれそうだった。睡魔の様に・・・。


GOビデオの建物からは私の負の妖気が多量に出ていたのでここに何かあるはずだ。通常ビデオのエリアは特には何も無かった。


私は自分を楽しませるためでなく救うためにアダルトビデオを見て回る。人の気配はなくて青白い蛍光灯の明かりが窓のない空間を満たしていて換気ファンが回る音が幽かに鳴っていた。

人がいないので貸し出しビデオの一つに何らかの暗示を秘めた物が無いか探す。どの作品にも主人公は幾らかのコンプレクスを懐いていてそのコンプレックスを使って一線を越える反動をつけて物語は官能な方向へ行く。

私のコンプレックスが『原因』に大きく関わっていてもおかしくはないが、どの作品にもそれなりにコンプレックスがあって際立って私に関係していると思えるものは無かった。


「ん~」


私は探す当てを今失っていて他の目星を探して顎に手を当てて唸りながら彷徨うに近く歩いていた。


「あ」


「よう」


角を曲がった所で下の段の作品を見ている男を見つけて男も私に気づいて声を掛けた。彼は私の唯一の友だった。


「こんなとこで何やってんの?」


「見て分からないか?独りよがり中だよ」


「そう」


私は立ち去ろうとしたが男は呼び止めた。


「俺も行くよ。飯どう?」


実は関わり合いたくない。しかし呼び止められる事を期待してもいた。だらしない恰好でけんかっぱやくて一緒にいるとトラブルばかりに巻き込まれてしまう。しかし唯一の友達だからしょうがない。男は私の事を友達だと思ってくれている事が離れがたい唯一の理由だ。それだけで私は救われてもいた。だが実際は『適当に使えるちょろいやつ』と思っているのかもしれない。


本当は断りたいけど・・・。私は「うん」と言って心の中で溜息を吐いた。


深夜のファミレスで向かい合う二人。機嫌を損ねると私にも喧嘩を売って来るのでつまらなそうにはできずしかし話を盛り上げてしまうと中が深くなってしまうので聞き役に回り投げかけられた話には共闘を強要されない程度に共感の意思を声色に出しながら短い返事をする。正直私は帰って寝たいのであからさま嫌そうにしたいし睡魔に耐えるのが酷く大変だった。


「仕事又辞めたよ。俺って本当にダメだよな」


責めてはいけないし本人に惨めな状態だと思わせてはいけない。たとえ怒りが自分自身の所為だとしても他人に矛先を向けてしまうから。仕事の方を悪くして褒めながら次の仕事に直ぐつかせる流れを作らなければいけない。一様『仕事はしなくてはいけない』という意識が本人の中には在るのが唯一の救いだ。


「ダメなんてそんな事ないよ。よく頑張ったと思うよ。仕事なんて人生の本の一部だしいくらでもあるよ。少し休んで又挑戦すればいい。合う合わないもあるし」


まずいか?『仕事なんてしないで良いよ』と言うふうに聞こえてしまったか?


「そうだよな。少し休んで又仕事しよう。今度はどんな職業が良いかな~?」


とりあえず功を奏した様である。


「物事はなる様にしかならないし人はできる事しかできないのだから」


「そうだな・・・。ありがとうな」


妙に素直な所があるからたまに本当に彼の事を思った笑みを作ってしまうときがある。彼は恐ろしく純粋なのだ。


「この言葉は諦めの言葉じゃないんだ。頑張って頑張って限界までしてそれでもだめだった時に『ああ、俺が出来る最善を尽くした』て事を自分に理解させるための言葉なんだ。後に引きずらない様に」



後悔とは物事がダメだった時に強く残るのではなくて中途半端に終わってしまった時に強く残る物だと哲学者の誰かが言っていたのが記憶にあった。のでどうしてか私はカッコつけたくて彼の気を引くような事を言ってしまった。『面白い男だな』と思われてしまうと厄介だから『あ~しゃべりすぎた・・・』と後悔していた。


「少し外を歩こうよ」


ファミレスから出て彼はそう言った。私たちは夜の町を散歩した。

コンビニで強い酒の瓶を買って彼は飲んでいた。誰彼かまわずに通り過ぎる人間に「この社会がダメなんだよ俺じゃない!」などと叫んで中には怖そうな人もいたのでひやひやしたが「この酔っ払いが!」と吐き捨てられるだけで済んだ。

電車をくぐるトンネル淡いオレンジ色の光がさす向こうに妙なモノが歩いていた。這っていたの方が合っているだろうか?彼は目を細めて「あ?」とそれを視認して私に問いかける。


「何だ?あれ?」


私は首を傾げるがあれが何なのか知っている。私の狂気だ。皮が無くて空気に触れる表面は燃える様に熱かった。ずんぐりむっくりで赤黒い体に瞼の無い真ん丸の目が血走っている。私の事を舐めているがどんな人間も狂気をどこかに持っている。あらゆるものが意味を失った時命さえ無意味になった時、社会や肉体や恐怖や恐れなど関係なくなり死を問わない獣となって死ぬ間際一瞬の間に人は何でもできる。理性と狂気との線を越えさせてはいけない。どんな人間も

結局獣にならずに理性を重んじて理不尽に死ぬ人もいる。


彼は私の狂気を面白がって近づいていく。いじくっては「おいこれ見ろよ面白いぜ」と私の方へ笑顔を向けた。


『いいかい?』


『ダメだ』


『そう』



私は狂気に身をゆだねる事を拒む。きっともう戻ってこれなくなるから・・・。


『ならはっきり言え。言わなければ結局私がお前を征服する』


そうだ・・・「嫌だ」と言うんだ。それだけの事だろう?唯一のどうしようもない友達を失うだけだ。爆発してしまう前に言うんだ。


私は言えなかった。我慢の方が圧倒的に多い関係を友情と呼べるだろうか?何でか知らないが私は嫌われたくなかった。


赤黒い塊のずんぐりむっくりの形はまるで象の様に思えた。夢の中のいや本の中の象が何を意味しているのか漠然と分かったような気がした。巨大で冷酷で圧倒的な力だ。その力を手に入れるため払う代価は全てだ。それは私の消失に他ならない。象は私の許諾を待って彷徨っている。私がその力を使う時を待っている。全てを差し出す時を・・・。


朝6時に私は解放された。


意識がしどろもどろになりながら早朝の町を歩いて家へと帰宅する。

『扉を開けたらあの女がいるかも』と期待の様な予想をていたが静まり返ったいくつかの箱があるだけで、少しがっかりする。私は歯も磨かず着替えもせず部屋へ入ったままの格好で倒れ込む様にその場で寝転がった。只々ようやく自由になった。自分のした事をする間もなく眠りが襲って来ることに苛立ちを覚えながらしかし逆らえなかった。それほど精神は疲労していた。


翌日なのか?よく翌日なのか?分からないが私は着信音に起こされる。通話を開始しながら見た時計の時刻は深夜3時を丁度回った所だった。例の友人からだった。「今遊んでいるから来いよ」電話の先で騒がしい声が飛び跳ねていた。『何時だと思ってるんだ?』聞こえない様に私は溜息をする。友人が大人数で遊んでいる時で私を呼ぶのは珍しかった。殆ど二人の時が多い。昨日だかおとといだかにカッコつけて変な事を言ってしまったから私を意識してしまっただろうか?変な事言わなければよかった・・・。もう一度溜息。

『きっと少なからず騒がしい向こう側は厄介な人がいるだろうか?』彼以外にも厄介な人間関係が広がる事は何としても避けなければいけなかった。


「もう遅いし、俺はいいや」


「何言ってんだよ?今最高潮に盛り上がってんだよ来ないなんて無しだよ」


「いやもう布団に入っちゃってるし」


「は?なんで?嫌だったら来て直ぐ帰ればいいじゃん?とりあえず来てよ」


友人の語気に苛立が混ざってきた。


「ん・・・でもさ」


「でもさじゃなくてさ。じゃ待ってるから」


その後場所を強引に伝えて電話は切れた。眉間に皺を寄せて重く苦しい溜息を吐く。嫌だった。回避する方法を探すがそのチャンスは今の電話のタイミングだけだった。断りの電話をもう一回したらきっと友人の逆鱗に触れてしまうだろう。友人を怒らせないいい考えが無いか?探すが実際5個しか間違えが無い間違え探しを6個見つけてください。と言われて永遠悩んでいる気分で、脳の中に何か灰汁の様なモノがたまって行くのを感じた。


何で?着信画面を見た時友人だと確認したのに出てしまったのだろうか?なぜはっきり断れなかったのだろうか?それは友人の機嫌を損ねてしまうと思ったからだった。私は人に嫌われることになれていなかった。いや今まで一度も無かった。空気の読めない惨めで仲間外れの自分と言う存在になったら壊れてしまう様な深い冬が心に訪れる様な不安があった。だから私と言う人間は他人の要望には身を削って答えてしまうようにできてしまっている。



しぶしぶ私はしたくして言われた場所へ向かった。



向かったのはとある埠頭で真っ暗の海からは肌寒い風が吹いてきていた。暫くその辺を探してみるが大きめのワンボックスカーが一台止まっているだけで他には人はいなかった。このまま合流できないで終わる事を期待していたが電話が来て「車が一つ止まっているからそれだよ」と言われ、私は車を覗き込むが全面濃いスモークフィルムを張っていて中は分からなかったが人の気配がした。まさか?この車はやばい車でここには友人は乗って居なくて遠くから私が事件に巻き込まれるのを眺めて楽しんでいるとかではないよな?と嫌な想像が走ったが、扉が開いて出て来たのは友人だった。納得いかないが友人の顔を見て安心した。


「入れよ」


酒臭い息を吐きながら友人は言った。


運転席と助手席以外は平らになっていてそこで6人程が酒を飲んでいた。友人以外は皆初対面で何人かは見た目からやばそうだった。


「彼が?かっこいい事言った子?」


「ええそうです」


どうも友人は私が先日ファミレスで友人に言ってしまった余計な事をこの宴会で言ったらしかった。それで私を呼ぼうとなったようである。言わなければ良かった・・・。


この蛇の巣は私を収めて扉を閉めた。

私は大量のピアスとタトゥーが頬まで入った男の隣に座った。真ん中に置いた電気ランタンを囲む様に蛇たちは円を書いている。それぞれが私をどうにかしようと思ったらどうにでもできるしそれをなんとも思っていない毒蛇の様な存在としか認識できなかった。私は恐怖の虜となり体の震えを必死に隠した。弱い人間だと認識されてしまうと私は彼らにとって食い物にしか見えなくなってしまう。しかし強い人間だと思われてもいけない彼らの自尊心を傷つけてしまうと淘汰しようとする。どちらが強いか?実際に試そうとするからだ。かといって彼らに有益な存在と思われても困る。殺されはしないモノの一生骨をしゃぶられかねない。ここはつまらない人間だと思わせるのが一番だ。


私は話しかけられない限りランタンを凝視して話しかけられたら目を合わせずその人の鼻の下を見るようにした。

しかしかえって裏目に出たかもしれない・・・。全員から敬語を使われている何をしてきたとも分からないが主犯格の坊主頭の男の視線が私を見詰めていた。


「そんなに怖がらなくていいよ。取って食ったりしないからさ。ほら今を楽しもう」


そう言って私に酒を勧めた。暫く話を聞いていたが確かに他愛無いくだらない会話で笑っているだけだった。見た目が怖いからと言って怖い事をしているとは限らないし決めつけてしまうと結果怖い人間にしてしまうのは決めつけてしまった方が悪かったりもする。

私は差し出された酒を飲んだ。


そこからの記憶は断片的で私も蛇の隣でげらげら笑った記憶を持って自分の部屋で目を覚ました。大丈夫だろうか?私はちゃんとつまらない人間でいただろうか?


蛇集団の中ではめを外してしまった事と二日酔の酷い頭痛で私は頭を抱えた。


こめかみを揉み続けていたらどこかでバイブレーションが鳴っていて手に取った画面には知らない名前が登録されていた。その表示に震撼する。私は連絡先を教えてしまったようだ。眉間を揉みながらあの中の一体誰と連絡先を交換したのだろうか?と思ってその誰でも厄介なことに眉間の皺を作った。


「はい」


「ああ、昨日はどうもね」


一番まずい男だ。主犯格のあの人・・・。


「今日とか時間ある?」


「・・・」


私は切迫的に押し黙った。断る正当な理由を探した。が焦ってぐるぐる回る頭の中は不自然でない言訳や用事がその回るスピードに追いつけづ通り過ぎて行った。簡単に言えば頭真っ白状態だ。


「もしもーし?」


「あ、えっと」


「あ、えっと」なんて言ってしまったら次に言う事は嘘のいいわけだと告知している様なモノだ。もうだめだ。


「はい。大丈夫ですけど」


「そう。じゃああの埠頭にこれから来てもらえる?何時ぐらいになりそう?」


今から?横暴だ。いやな予感しかしない。


沈黙を挟んで私は「15時くらいには行けると思います」と答えた。時刻はまだ11時だった。主犯格の男は「ん~まあいいや、じゃあ待ってるね」『今すぐ来るわけではないんだ?』と一瞬疑問に思った間を作って電話を切った。

なぜか私の息は荒くなっていた。私にできる精一杯の策がこの微妙な時間稼ぎだった。「え~今すぐ来てよ」と言われたら素直に「はい」と言っていたので、まだ4時間もある事を突っ込まれなかった事に安堵した。同時に自分の情けなさに泣きそうになっていた。

なんだかこれを引き金にアンダーグラウンドに引きずり込まれて2度と健康で文化的な最低限度の生活に戻ってこれない様な嫌な予感をしていた。そうなる前に私はしなければ行けない事があった。


最後の晩餐である。


高級趣向の海鮮丼屋へ行って私はさも人生に成功した人間が振舞う様な余裕があって落ち着き払った自分を纏って席に着く。注文はもちろん『こぼれイクラ丼』と『シラスの踊り食い』だ。

注文を終えて姿勢を正し、目の前を見詰めて静かに待った。心の中は穏やかで何も無かった。何も考えない様にしていたのかもしれない。スマホを弄ったりして時間を潰す事はしなかった。待っている時間も貴重で私が必死に作った残りわずかな時間を正確に感じたかった。

暫くして店員は『こぼれイクラ丼』を私の前においてイクラを目の前で掛けるパフォーマンスをした。目の前をイクラの滝がきらきら光って流れ落ちて行ってた。普段の私なら歓声を漏らして取り乱していたが、確かにこの上なくおいしそうと思っているが、私はその滝を静観した。イクラが全て流れ落ち店員が頭を下げ私は「ありがとう」と静かに言う。

私はイクラ丼を見詰めて口に入れる。美味しかった。しかし態度ではでなかった。まるで感性を持った私が分厚い弾力のある壁の中に閉じ込められて感情を出そうにも出せなくて、自分をロボットの様だと思った。

何口目だろうか?一体なぜだろうか?私は涙が机に落ちたのを捉えて私が泣いているのが分かった。入店時は良かったのに情けない。私とは薄っぺらなのだ。今では体を震わせて鼻水を啜りながら泣いていた。


『何ではっきり断らなかった?簡単な事だろう?只嫌だと言うだけだ。どうして自分を苦しめる他人の為に?臆病者め。情けない』


自分自身を心の中で叱咤したが『今からでも嫌だと言える』という事は自分自身に強要しなかった。このまま不幸に耐える事を選んだのだ。どうしても言えなかった。一体なぜ私ははっきりと嫌だと言えないのだろうか?


しらすの踊り食いをしてる頃にはとりあえず泣いてすっきりしていた。まだ何も解決していないのにまだ始まってもいないのに勝手にその分の悲しみを洗い流してしまった。


食の喜びと泣いてすっきりしたので偽物の快楽は最高潮に達し店を出て『もう思い残す事はない』と言う所まで私の怠惰は完成してしまった。やらなければいけない事をおざなりにしてストレスを解消するために一時の快楽を求める。『私は道化だ』と自分でも分かっていた。


時計を見ると14時で、もう色々マヒした頭は只、あの埠頭へ行かなければと思って体を動かした。何が待っているのか?と言う予測をする部分はもう機能していなかった。私は電車を乗り継いで10分前にはあの埠頭へ着いた。昨日と変わらずワンボックスが止まっていた。スモークフィルムが濃すぎて中が見えないので目を凝らして中を見ていたら扉が開いた。

主犯格の男が笑顔で降りてきた。


「おお、よく来た。ちょっと遅いけど」


「何の用事でしょうか?」


「ああ、とりあえず乗って」


男は要件を言わずに私を助手席に乗せると車を出した。

私はいつ要件を言うのかと男を見詰める。男は気づいている・・・私の視線にしかし目を合わせようとはせず違う会話でごまかそうともしない。さも運転に必要な様に辺りをきょろきょろとしている。


「すいません」


「ん?なに?」


「どこへ行くんでしょか?」


男は私に微笑んだだけで答えなかった。街のコインパーキングに車を止め「よし!行こう」と男は言った。こんな時、似合っている見上げた空は、雨が降りそうに世界を薄暗く不安にさせる曇天だろうと思ったが、しかし実際空はムカつくくらい不一致に晴天だった。

暫く歩いた後、街ビルの一つに入って男は言った。


「いや、ひどい雨だったね」



突飛な文脈に私は男を見る。

なぜか一人だけびしょ濡れの体を払って男は私にそう言ったのだ。

唐突に漠然と私の中で私が呟いた『何か修正されているね』そう言う私に質問したかった。『修正されているのは私か?世界か?どっちだい?』としかし自分と話すのはやめた。私は目を伏せて頭を振った。心身のストレスが限界まで来ている。だから幻覚や現実がうまくつながらなかったりするのだろう。私は考える事をやめた。



人二人がやっと入れるほどの狭いエレベーターで何処かへと向かう。

扉が開いて暫く廊下を行くと何人か事務仕事をしている部屋へ入る。会社名はどこにも書かれていなかった。どうやらこのビル全体が一つの会社が持ている様だった。


「どうも」


「そろそろ来る頃だと思ってましたよ」


そう言って初老の男が自分のデスクから離れて受付のカウンターにいる私達の方へ歩いて来た。黒縁の眼鏡を浅く掛けて上目遣いにまず私を見た。次に主犯格


「言った事は問題ないね?」


「ええ、問題ないです」


『言った事?』とは一体何だろうか?私はこの二人に何らかの取引がある事を認めた。そしてそれは私が何らかの形で加わった取引だろうと思った。


「あんたはここで待ってて」


初老の男にそう言われて、主犯格だけが奥のパーテーションの中に消えて行った。どうしてだろうか?私の中の危機を知らせる警報装置は壊れていた。明らかに今ここは危険だと分かっているのに私の中は静かだった。何らかに安心しているのだ。一体何にだろうか?ああ分かった。闘わなくていい事にだ。抗わなくていい事にだ。人は自分自身を守るため周りの環境を良くしようとする。怒りを使ったり涙を使ったり知恵を絞ったりして、私のその回路が全く機能していない・・・しかし、なんと清々しい・・・自分自身を守ると言う最も重要な錘を私は外していた。自分の存在を尊重し他人や社会に抗う事の困難さを知ったのと同時に自分自身の存在を他の者と同等に保つために戦ったり抗ったり社会と自分をすり合わせたルールを見つけて自分自身に強いたりする事は膨大なエネルギーを使って思考を使って大量のストレスを抱え込む事だとも分かった。自分を保つと言う行為なのに同時に心が蝕まれていく・・・。


ここは牢獄に違いない。


何がおかしかったのか?私は短く笑った。

事務の若い男が笑った私を一瞥して又すぐにパソコンタイプをした。


心の中の静寂しじまには誰もいなかった。もちろん私自身も。

これは自由とは違う事が分かた。望むものさえ無くて自分が何が良くて何が悪い事なのかすら全く分からなかった。只疲労を終えた安楽だけがあった。


待っている間中あいだじゅう線路下の道にいた象が滑稽に私の隣にいた。


私の中で今の状況を打開しよと記憶の本を必死に捲っている者に私は怒鳴った。『やめろ!!』とだから静寂だ。


初老の男と主犯格は10分程度で戻って来て私は今度初老の男と狭いエレベーターに乗った。主犯格はエレベーターの乗り口で別れた私に手を挙げて微笑んだ顔を見せていた。


「落ち着いてるね」


私は答えない。


「この状況を知っているのかな?殆どの人は知らずに連れてこられているが、もし君が理解していてこんなに冷静なのはいい事だ」


それはあなたにとって?手間がかからないから?


「知らなくてもほとんどの人間は騒ぐんだけど君は?」


「壊れているんです」


「そうか・・・」 


この小さな箱はそれから沈黙が充満し暗い所へ落ちて行った。

『チン』と音を鳴らしてビルの地下2階へ到着する。開いた扉の外は真っ暗でまるで深海に到着した様だった。男はエレベーターから腕だけ出して電気を点けた。もっと広大な空間に闇が滞留している場所かと思ったがすっきりとした廊下が目の前に伸びていた。


「行こうか?」


私は男の後ろについて廊下を進んでいく。

一番奥の部屋だ。安っぽい張りぼての黄ばんだ扉だが、この扉の綻び方と言いノブの形と言い私は見覚えがある様な気がしてスーと息を吸って首を傾げた。男は扉を開けた。



・・・。


「あれ?」


突然私は自分の部屋のちゃぶ台の前に座っていた。目の前にはまだ湯気が立っているお茶があってそれを見詰めた。あの扉を抜けた後私はどうなったのだろうか?そう考えた。明らかに私が私の真実を覗こうとする事を嫌がって邪魔していた。全く思い出せないのだ。私を邪魔する私は悲しそうな顔で困って眉間に皺を作っているのだ。どうにも「早く私の記憶を持ってこいそれは私のだぞ!!」と怒鳴る事が出来なかった。

私はお茶を一口飲む。


『象の背』の文中に確か「もう取り返しのつかない事に気づかせないようにしている」があったな・・・。もしかして?私はもう死んでるのか?いやいや待てよ。死んでるのならあの超能力が使える女は私に『ここが夢だ』と気づかせる事に意味がない。だって死んでいたらもう現実も妄想もないから、死後の世界になっちゃうからね。

私が目覚めた先には命を持った私が必ずいる。そうでなくては困る。私は逃げ込んだ自分の夢を出ると決めて、今『なぜ?夢の中へ逃げ込んだのか?』という原因を探しているのだから、そうと決めたのだ。それに夢に逃げるほどだから、現実が悲痛のモノである事は予想の範疇で今は既に覚悟している。


『見せるのだ!私に真実を!』


私は少し気の毒だとは思ったが、悲しそうに泣いている私に怒鳴った。私は重たい溜息を吐いてしかたなさそうに立ち塞がっていた扉の前をどいた。あの扉だ。あの扉。


「よく言った!」


いつの間にか女が座っていた。


「ほら、目が覚めるわよ」


「え?」


地下室にしても薄暗い部屋だった。部屋の大きさの割に小さな埋め込み式のオレンジ色の電球がか細く照らしているのが分かった。寝ぼけ眼で私はあたりを見る。あの扉が見えてノブが左右逆だった。ここは扉の内側だった。中年の男が一人視界に入って男は今は私に背を向けていた。リクライニングした椅子の様なモノに座っている感覚があったのでとりあえず起き上がろうとするが体が動かなかった。何か?妙だった。特に縛られている感覚は無くてでも体が動かない。男は主犯格でもなくて事務室にいた男でもなく違う男だった。ここが何をする部屋なのか知らないが男はココ担当の様だった。いや正確にはなんとなく何をする部屋かは分かる。

男が振り向いた。なんだ・・・。顔は穏やかで優しそうな中年の男だった。満足そうに私に笑いかけていて私まで微笑みそうになった。


人差し指を折って第二関節を自分の唇に擦って微笑みながら私に近づいてくる。私は人が立った目線よりも下にいる様だった。男は私の所まで来ると腰を曲げて私の目線に合わせまじまじと私を見る。男の息遣いが見えた・・・聞こえたでは無くて見えたのだ。生暖かく生臭い独りよがりの快楽に陶酔している時の醜い息だった。表面は社会性に順応しているが男の中身は己の快楽と狂気に醗酵している。『怪物だ・・・』先ほどの安心は裏返って私は呟く。視野の下に微かに何か?ステンレスのトレーの様なモノの端が見えていた『なんだろうか?』と思って目を動かそうとしても目は動かなかった。視野がまるで固定されているかのようだった。『何かおかしい』ようやくそんな違和感に気がついて冷や汗の様な感覚がどっと出る。

今度男は私から少し引いた距離に向かい私の方を向いて視界に入らない何かをぺちぺち叩いて口を動かした。男の立派なのどぼとけが動いたので何かしゃべったのだろうと思ったが声は聞こえなくて私は首を傾げる・・・いや視界が傾かなったので首は傾げられなかったようだ。

男は急に何かに気が付いたように片手を立てて又口を動かした。今度は声は聞こえないものの何と言っているのか分かった。「ごめん、ごめん」だ。

そう言って男は私の所へ来て視界を少し下の方へずらした・・・。



胃と食道が何度も波打って吐き気に耐える事が出来なかったが、もう吐く食道も胃もない事が理解できなかった。

私の前には私のパーツがステンレスのトレーに乗せられて並べられていた。その一つを男は叩いていてそれが意味する事はそれは商品だという事だ。たたき売りさ。すでに気づいてはいたが私は主犯格に売られたのだ。


自分を守る事を放棄するとはこういう事だ。今になって後悔している。人に自分を好きにさせる事を甘く見ていた。私は涙と鼻水が止めどなく流して震える事の出来るはずの部分は全て震えていた。がもう無理だ。

しかし、まだ私には意識があって、もしかしたらまだ助かる望みがある様な気がしてならない。夢の中では私を奮い立たせ現実と戦わせようとさせていたのだから・・・。


震える私の意識など分からない男が両手を合わせてハッと口を開けて何かを思いついたようだった。部屋の隅の暗闇に一瞬消えて又戻ってきた。男の口が『じゃじゃーん』と動いて私の前に鏡が向けられた。


・・・。


無理だった・・・。


・・・。


私は脳と眼球だけになっていて細い針金が眼球を支えているだけだった。

放心状態の私の意識の中の視野に、あの象が部屋の隅の暗闇から現れるのが見えて言葉を話した。


『私に支配させれば今でも間に合う』


・・・。

 


私は走っていた。暗闇を全力に近い速さで。足音は薄い鉄板を鳴らした。閉鎖的で強固なごうの床と壁と天井が私を閉じ込めしかし守っている様でもあった。もしかしたら目の前は見えずも崖かもしれないのに、もしくは危険な場所に飛び込んでしまうとも知れないのに私は走った。後方から必死で逃れ、前方に救いを求める様に・・・見えなくとも今この暗闇は一本の直線だと分かった。片方は負、陰、-、片方は正、陽、+、そしてどちらに着くと無く今悩んでいる私が正常な私なのだろうか?と以前そう言った様な気がしていた。

突如として明かりが点いたかと思ったが違った。錯覚だ。私の中に期待とやらが灯ったのがあまりにも嬉しくて余す事無く暗闇のこの空間で私は嬉しそうに笑った。この通路の先に誰かが私を待っていてくれていると言う茫漠とした予感。本当に何の証拠もきざしも無く、私の到着を待つ人が居るなんて確信をえれる物は何もないのに私はそう思った。もしくは私が私を救うための妄想だろうか?『そうだったら良いのにな』というよがり切った希望だろうか?もう体力も限界だし、一寸闇に潜む恐怖はそのままあるのに、私は加速した。自分自身の姿さえ見えないのに私は風を起こし私の後ろは闇を払い道を作ってる様でならなかった。

殆ど『射出』と言う言葉が近かった。これも又曖昧な予感なのだが、そう言うモノってたまに当たる物で私はそれを信じて視覚でも聴覚でも触覚でも知覚する前に先行して体を動かした。予感とはこの暗闇の通路の終わりを認識し、そのへだたりは扉であるという事、そして今五感で認識していないのに実際扉のノブに触れ・・・回した。


途端とたんに私は出口へ飛び出した。


百年ぶりにも感じられるの日の光に私は放心状態になる程感動して飛び出た瞬間は極スローモーションで私の器いっぱいに陽光ようこうが充填されて最後にたっぷんと満足して目の前を認識し始める。


この建物に見合った広い屋上に出るのかと思ったが少し違った。丁度手を掛けれるほどの柵が外壁の方にあって今立っているフロアーから2メートルほど小さくなって壁が上へ続いていた。幅2メートルの外廊下が終わりが可視出来ない程続いていた。私は首を傾げる。何らかの終着点へ着くような気がしていたからだ。

外廊下には分別されてはいるがゴミがあちらこちらに散乱していた。腐敗する前に誰かが回収に来るのか?比較的古くないゴミだった。大型ショッピング施設の飲食店のバックヤードのゴミ置き場の様だった。


とりあえず私は歩いた。外は晴天だけど大きな雲が群れずに個々に浮かんで漂っていた。たまに雲の影に入るがその時雲は殆ど頭上近くまで来るのでこの建物の今いるフロアーが相当高い事が分かる。


しばらく歩いていると女がいた。

メイドの恰好で柵に寄りかかって疲れてそうに首や肩を回しながら煙草を吸っていた。飲食店勤務独身30幸薄低迷女が休憩している様だった。私は女を見つけて嬉しくってニヤニヤしながら女に近づいていく。


「よ!」


急に出た私に女はビックっと驚いていぶし気に私を睨んで煙草を一口深く吸った。


「よ!じゃないわよ」


女の反応は思っていたのと違って女がイライラしている理由を頭の中で探して顔は面食らったまましばらく停止していた。


頑張って飲食店のバイトをしているのに私が茶化しに来たから怒っているのだろうか?

私が女を見つけて嬉しくなったのと同じく私が現れた事が女にとっても嬉しい事だと思っていたが違うようだった。


「あんた・・・又目をそむけて夢の中に逃げてきたの?」


女は呆れて溜息と共に煙草の煙を吐いた。

私は女が何の事を言っているのか理解するのに時間が掛かりそうだったので諦めて、私の何かに呆れている女の態度の区切りの良い時に女を誘って「遊びに行こう!」と言うタイミングを見計らっていた。


しかしいつまでも女の眉間の皺は深くて蛇の様にグネグネ動いて白い煙の溜息は破線状に続いていた。私は一旦、からに微笑んで空の広大な青を見上げた。この時、頭上には雲は無かった。どこまでもずっと青く澄んでいてまるで凪いだ絶海の海みたいでなぜか心が静まって行った。一つ小さく細長い楕円形の雲が私に背を向ける様に私から遠ざかって風に流れていた。


『船だ・・・。小舟が海を漂っている」


私は抽象的にそう思った。


「ちょっと?聞いてるの?」


「え?」


私はその小舟に本の一瞬支配されていた。女が何か言ったのを認識できなかったのだ・・・。


「自分の肉体と魂を面倒だからって他人に委ねてはだめ。他人の好きに自分を使っちゃだめ。あなたはあなたの為にある。だからあなたは自分自身を大切にしなくてはいけないし、自分自身を知らないとどうすれば良いのか分からない。自分を知るには経験と失敗の積み重ねがいるのよ」


私は目の玉を左上へ向けて何で自分が怒られているのか?記憶の中を探すが分からないので、女が勝手に怒っているていにして、女に向き直ってニコッと笑って見せた。

女は手で頭を抱えて頭を振って呆れていた。そして「まったく・・・」と言った後には怒鳴った。


「ふざけないでよね!!命を賭けて断って!!」


私の交感神経はビクッと飛び起きてへらへらした顔を真剣な眼差しへ変え女を見た『私の為にこの女は真剣に怒ってくれている』内容は分からなくても真剣に取り組むべき事なのだと思った。


真剣に聞く姿勢にしてみたものの実際女が言っている事が理解できないので真剣だけど女にとっては間抜けに見える質問をするしかなかった。


「一体何を断ればいいんだ?」


勿論女は呆れた溜息を吐いた。


「あなたを壊そうとする他人の頼み事をよ」


「なるべく人には優しく親切でいたいと思っているんだけどダメかな?」


「ふざけないで!あんたの言う優しいとか親切とかは只の・・・」


女は大きな溜息をして言葉を諦めた。


「もう、ムカついた。今忘れてる記憶を戻してあげるからね」


「忘れてる記憶?」


「私が何でこうも出しゃばって来ても排除されないのはあんたが『夢から目覚める』って決意したからよ。だから武装した黒ずくめの団体さんはあの時みたいに力を持っていない。逃げ帰って来たってそう簡単に諦めさせないからね」


「夢?」


「ほら。こっち来な」


女は急に憐れみを私に向けて両手を開いた。私も知らない私の哀れな所を抱きしめてくれるようだった。女の気遣いを無駄にしたくないかったので少し恥ずかしいが私は女の懐へ入って女の体へ手を回した・・・。良い匂いがして遅れてぬくもりが伝わってくる。どこか懐かしさを伴って心拍が緩やかになり自分が落ち着いて聞くのを感じた。体の力が抜け女に身を預けた。


私のバイタルが落ち着いて行くのを待っている様に私の背中を優しく叩いて体を微かに揺らしていた。まるであやされている様に思えて私は殆ど眠りそうな意識の中笑った。


女は私が夢と現実との間の線を越え様としている所にいる事を感じ取って耳元で囁いた。


「何も恐れる物が無かったとして、真にあなたがしたい事は何?」


あれ?その質問はまだ解消されてなかったの?一体何が言いたいんだ?遠回り過ぎてよくわからないよはっきり言ってくれ・・・。


私は眠りに落ちた。現実から夢へ続く真っ黒な筒を凄いスピードで移動している最中にそう首を傾げた。


着いた先は受け入れがたい惨状で、何故女が『記憶』をどうのこうの言っていたのか分かった。私の持っていた信念とか理念とか覚悟とかそこには何もなかった。只忘れたい。私の人生と言う道がすぐそこの死と言う目的地に着く短い一本の道だという事を記憶から消し去ってしまいたいと思った。


しかし待てよ?女は何て言った?もしも死を恐怖している私が恐れている死と言うものを無くしてしたい事とは?一体なんだと言うのだ?これはきっと私が死を恐れずにしなければいけない事だと思う。それは私が生きると言うより只生きるを越えて何かになるという事・・・なのか?


私は必死に逃げ帰った真っ黒な筒の道中にそんな事を考えてまた首を傾げた。


本の数秒も私は耐えられずにまたあの女が休憩している外廊下へ来ていた。漠然と『あの女は休憩を終えてここにはもう居ないだろうな』と思ったが、変わらず女は煙草を吸っていた。


私は女を見付けて安堵の溜息を吐いた。


柵に肘をついて外を見ながら煙草をふかしている女のすぐ隣に逆方向に柵に凭れた。女は私には無反応にけだるそうにそこにいた。


「命を賭けて断ってよね」


私はいくつかの質問が急に込み上げてきて女に聞いた。


「本当にあれは現実だったの?」


女は揶揄うように笑った。


「現実だと思ってもらわないと危機感が無くて本当にすべき事が分からないでしょ?」


「じゃあ?」


「あれは現実じゃない。でも今の段階で何とかしなければ確実に同じ所へ辿り着いてしまうから」


私は強烈な疲労に似た安堵感に胸を撫で下ろす。


「何とかって?」


「だから、命を賭けて断って」


沈黙のうちに頷く。優柔不断で情けないし人に嫌われたくないしなぜか空気を読んで『自分がやります』と言ってしまうのは実際現実の私の性質で間違えない。それを変えて行かなければ勝手に他人に自分の事を決められて惨めな死に方をするという事は分かる。しかしそう簡単に変える事が出来るだろうか?無理な気がする・・・。私は自分自身を変えるための膨大なエネルギーと予想される疲労とストレスを想像してもうすでに疲れ果てた。


げっそりしたか細い声で次の疑問を聞く。


「私はあの象・・・狂気に私を委ねてしまったの?」


気のせいだろうか?女の顔は幽かに誇らしそうに見えた。


「なんとか今の所は大丈夫。何度も狂気に負けそうだったけど、一度も狂気に支配された事はないわ」


「そう・・・良かった」


「今の所はね」


私は屈託した苦笑いを鼻でした。


「象は?あの巨大な象は一体どこへ向かっているんだ?なんのために存在しているんだ?」


「あれはあなたが現実で読んでいた小説が勝手に無意味に混ざったんじゃないの?」


「じゃあ蛹は?」


「蛹?」


その後矢継ぎ早に『小舟は?』『小春さんは?』『永久電池は?』『アフリカに浄水は?』『孤独死した老人は?』『正義は?』『希望は?』『目的は?』と聞こうと思ったが、あまりに抽象的な一事象達だったので私は自分自身を制止した。夢とは全てが象徴的な場面で造られているのだから、全て聞いていたらきりがない。やはり本当に大切な物が何か?私に真に出題されている命題は何か?という事は自分自身で見つけるしかない事に気が付て口を開く事が出来なかった。

しかし、もう一つ質問をする。


「私が解決しなければいけない問題は君が言う『命を賭けて断って』という事だけかい?」


それを成し遂げるのに必要であろう私の心身の消費を覚悟して情けない私を鍛え上げようと決めて女に聞いたのであった。


「アハハハハハ」


女は笑った。


「ほら、見なよ。始まったばかりだよ。あんたって迷路は」


そう言って建物の下を見る様に顎で示した。


遥か俯瞰ふかんから広大な地表が広がっていた。私はその壮大な光景に息を飲んだ。


広大な平野に巨大な象がポツンといた。いつもは行進しているのに今は止まっていた。象の目の前は海で象は何かに怯えている様にも見えた。横では巨大な蛹が半月の体をグラングラン揺らしていた。右端には顔の前に人差し指を一本立てて胡坐で浮き上がっている光る存在『あれは私の中の神だ』世界に刹那の時間で安寧をもたらす事の出来る存在。しかし私個人は世界から押し出され淘汰されてしまう。今は目を閉じて安らかに微笑んでいる。左端には巨大な実体もあいまいな獣がまるで世界を影に呑み込むみたいに端から崩している。『私の中の神』とは対極にいる存在『私の中の獣だ』その2つの存在の間に高層ビル群があって住宅地があって私の故郷があって小春さんはきっと私を求めて限りなく中心に向かって走っている。象以外は皆この平野の中心へ向かって走っていた。ちゃんと私が解体されている街ビルもそこには在って、丁度私が入って行く所だった。

何の変哲の無い親子が目に留まった。父親の背中を喜ばせようとして息子が走り寄って声を掛けようとしていた。私はそれを見て微笑んだ。

獣に破壊されていく方の町は発展途上でようやく安心した暮らしができる設備が出来たのにすぐに獣に呑み込まれそうになっていて、神の方の町は既に整備されていた。『そんな物さ』私は淋しそうに呟く。一つの直線のグラフがある。原点Oから善だろうが悪だろうが一方に行き過ぎる事は『自身の消失』に他ならない。突き詰め極めるのならそれは限りなく陰陽の中心、究極のバランスの中心は一方へ無限に続くのと同じく谷の様に近づきはするが交わる事のない究極の存在へ近づく。そして最も身近にあり自身の中にあり近すぎて見えずらくて大切な物に気が付いたらきっと私たちは何らかの完成した存在になっているだろう。

象の背をよく見ると女がいた。象の背という荒廃した地表に張り付く様に落ちている扉の横で座って虚無に何処かを見詰めていた。街のメインストリートをデモ隊が歩いているのがゴマ塩のふりかけの様に見えてビルの影を縫って逃げる存在を見た様な気がしたが気のせいかもしれない私は私に隠し事がある事なんて当たり前の事だろう。それを守る存在がいるのだ。真理だとか、気づいたら自分自身を壊してしまう事実なんて私が私の為に認識できない様にして、隠して、捏造して、『私』は私が生きれる世界にして咀嚼して反芻してようやく世界が見えているのだ。真実をありのまま認識してしまったら理解できないだろう。

どこかのビルの影からいつかの『象の背』で出てきた『正義』とやらが遥か遠くの俯瞰している私に視線を送っているのが分かった。真っすぐ立って真っすぐ私を見ていた。脅迫じみたその目線から私は目を逸らした。たまに町の中央近くの防災無線の高所スピーカーから「ピーー」と長い連続音がしていた。その音は止まったり続いたりを不規則に繰り返していて私は首を傾げた。『あれ?何かと戦っている?』僅かその音が有るか無いか間隔だけで、苦しそうに必死に持ちこたえている様に感じた。誰が?何と戦って?という事を知るのには情報が足りなかった。

さっきのグラフの話に戻るがあれはきっと・・・神の方に行ってさらにずっと行くと獣の方に繋がっている・・・環・・・なのだよ。全てが私その者で時間を取り去った時私は完成する。


とにかく騒々しくて散らかった私と言う迷路は一体何が言いたいのか分からなかった。結局の所分かっていれば解決策も分かっているので簡単な話なのだが、今分かるのはあの光景のすぐ近くまで行って飛び込んで巻き込まれて整理しようと努力する事でしか理解する事は出来ないという事。散らかった部屋をかた片付ける時にどこから手を付けていいのか分からないので『とりあえずやるか』と言う感じである。その事を理解して重たい溜め息を私は吐いた。『私』とはどうしてこうも複雑で厄介で回りくどくて自分勝手で無価値に思う程薄っぺらの時もあればあらゆる存在が幼稚に思う程濃厚で全能の時もある。些細な事にこだわって激昂して、膨大な計算を一瞬ひとまたたきの内に答えを出して他人の理解を越え・・・。


「全く私と言う存在は」


私はその光景の中に溜息を吐いてそして自分自身を嬉しそうに笑った。







どこから始まったのか?薄暗い地下へ続く朱色のレンガの階段を見つけてしばらく立ち止まっていた・・・。そうしている前の記憶が無かったし私について今ここにいる事に不自然にならない程の記憶しか待ち合わせていなかった。しかし、清々しくて『まあいいか』と思った。きっといっぱいだった私のメモリーが無くなって軽くなった様なきがした。川の水が自然に高い所から低い所へ流れる様に地下の階段を下りて行った。

地下にはレトロな雰囲気の喫茶店があって私が鳴らした扉のベルにマスターが視線を向け私に会釈した。店内にはごく平凡な客がテーブル席2つ程挟んで点在していた。私は自分の席を決めるのに少し止まって客を眺めた。

一つのテーブルでは私服の女性が3人甲高い声で会話が盛り上がっていた。もう一つの席ではスーツ姿で男2人女1人で仕事の合間の食事をしていた。もう一つは4人席に一人パソコンのタイピング音がやたらうるさい蓬髪の男がいてカウンター席に常連なのか?年配の男性がコーヒーを飲んでマスターとたまに話をしていた。私がここに突っ立っていても特に誰も気にもとめない様である。見た所ウエイトレスはいなかった。

確かに階段でもっと深くに降りたはずだが天井の上部には細い窓があって外の光が漏れていた『半地下だろうか?』と私は思う。結局タイピング男の席から一席空けて4人掛けの席についた。席に着くと溜息をしたが悪い溜息ではない、妙に落ち着くのだ少し暗めの淡い照明といい私を気にしない周りの客といい。私はこの喫茶店の階段を見て意識を始める前、誰かに何かを求められ基準以内の成果を常に強要され続け・・・それが私の人生だった様な気がする。それは私ではなく他人が決めた『私』でしかなくてそこに真たる『私』は一欠片も無かった。だから今ここに『私』がいる事が不思議で私は私以外に許されたり、他人の為だったりで『楽しむ』と言う作業をするのでなく、私は私を楽しむなんて考えもしなかった時間が今目の前に存在している事が不思議で殆ど放心状態に席に座った時から目の前の壁を見詰めていた私の視界に水を持った手がにゅっと現れて水を出した。


「ご注文は何にしますか?」


慌てて我に還って店員を見た。どこから現れたのか?若い女のウエイトレスが私ににっこりと笑いかけて私の注文を待っていた。


「あ」


「え?」


なぜ私は「あ」と言ってしまったのだろうか?きっと女がとても綺麗でしかもどこかであったような気がしたので、注文を忘れて、女を頭の中で検索していてでも『注文も言わないとだ』と思って私の回答を引き延ばすためになぜか「あ」と言ってしまった。

結局私の頭の中で女はヒットしなかったので気まずそうに咳ばらいをして「ウインナーコーヒー」ととりあえず注文した。

女は「はい」と優しく注文を受けてくれて今では背を向けてマスターの所へ向かって歩いている。私は女を見詰めて柔らかい笑顔を作っていた。思い出せないので全くの他人だが今現在女が優しく健やかに居てくれる事がなぜか嬉しかった。まるであの子を娘と思っていつくしむ父の様な視線を得た事が自分自身でも嬉しかった。実際私が独身か?既婚者か?という事も先ほどこの喫茶店の入口を見つけて意識を始めた以前の事で私の記憶になかった。もし既婚で娘がいたのならこんな満ち足りた気持ちを何度も味わえたのだから羨ましい限りで、その記憶が無いのは残念に思えた。

目の前に向き直りもう一度微笑んだ後、私は私がしたかった事を始める。特別な事でも私しかできない事でもない。本当にしたい事など他人から見たら些細な事だが本人に取ったら全世界と同価値の事もある。他人と自分とは全く別でしかし同じだけの量が入っているのだから。

私は本を取り出した。

題名は『象の背』だ。

私は表紙の絵を見詰める。

夕暮れの浜辺で寄せては返す白波交じりの波を当たらない様にして遊んでいる少女と象が描かれていて象も少女も楽しそうに笑っていてそれを確認して私も微笑んでしまった。そうしてなぜかうんうん頷いて表紙が要約して示しているであろう本の全容を言葉にならない塊の様なモノで理解した様になって栞が挟まっている所を飛ばして『今日はあとがきを読んでしまおう』と本を開こうと思ったが何か引っかかって又表紙に戻って凝視した。端に僅かに夕日の色とは少し違う欠片の様な物を見つけてさらに目を凝らす。丁度本の折り込みの部分がその先になっていて、私は折り込みを開てみた。特になんて事ない。小さな船が小さく遠くに書かれているだけだった。きっとこの絵はこの本用に書かれた訳ではなくもう出来ている絵を象と少女が遊んでる所を持ってくるのにたまたま入ってしまったのだろうなと思った。

些細な疑問は解決されてラストが見えないように慎重にあとがきを開く。開いたらあとがきでは無くて解説だった。






『まず初めに言おう。この小説は推理小説他ならない。

まず第一章を読んでポストモダン文学的あるいはナンセンス文学的小説と思うかもしれない。奇抜で無意味であればあるほど意味を持ちリズミカルに読者を不思議に支配する。そんな文体だからこの小説の本当の目的に気づかず読み終えてしまう人もきっといるだろう。綺麗な景色に囚われて・・・ふと我に返る。そんな瞬間的な刹那的絵画の様な側面も持ち合わせている。だから『なんだか面白かった』で良いのかもしれない。

しかし、私は不意に気が付いたのだ『この文章は式になっている』作者は数学で言う所の式を意識しながら作っていて『式があるのなら解がある』と気がついてしまった。小説で言う所の解とは結末の事に他ならない。この小説は結末を推理し当てる小説なのだ。


しかし殺人事件の様なある程度見通しの利く結末が無かった。殺人事件なら犯人と被害者がいて


・なぜ?被害者は殺されたのか?


・どうやって殺したのか?


・犯人は誰か?


殺人事件はだいたいはこんな所が『解』となる。


一章を読んで単純に予想できるのは

『夢の中に閉じ込められてしまった理由を克服して現実へ目覚める』

という事なのだが、きっとこれは結末では無くて中間的な目的であるだろう。なぜそう思うかと言うと実際、一章の途中までは目的が全く分からなかったが一章は一章で一つの目的を示唆している。それは『これは夢だ』という事、主人公はこれは夢だという事に気づきその後に目的が追加されて『夢の中に閉じ込められている理由の探求になってくる』

三章では『夢の中に閉じ込められたのか?自ら閉じこもったのか?』という事が明らかになってと

、つまりは目的は幾重にも重なっている構造を成しているがそれを徐々に明かしていく構造になっている。作者は章事しょうごとに問題を出題していて章事に答え合わせを行っている。そしてその答えを総じて『最終的な解』『結末』を導き出せるようになっている。


という事は既に一章に『最終的な解』があるという事になる。実際は何度も同じ事を言い方を変えて繰り返している。まるでデジャビューの様に初めは抽象的すぎるので理解できないが繰り返すうちに気づき具体的になってくる。


『一体どの段階で『最終的な解』を見つけられるのか?』私はその事をひらめいて急いで本を閉じたよ。そしてまた最初から読み始めた。そして高鳴っていたよ『この本は私を何処へ連れてってくれるのだろうか?』って。出鱈目で混沌を楽しむ本だと思っていたらそれが整理され始めたのだ。整理する事が出来ないから混沌は混沌なのだ。何の繋がりも無く無意味だから出鱈目は情けなく無意味なのだ。そんな物に意味を見出すのだ。それは今までにない。


夢には何の法則も制約も無い。この作品は殆どが主人公の夢の中で森羅万象余す所なく全て一人の人間のモノだという事を忘れてはいけない。そうなるとどうとでもできてしまう。しかし、自然な流れを感じ取れるのは現実のある体系を使っているからである。それは『人生』だ。何度も似たような状態や状況を作ってしまう事は人生によくある事だ。例えばひょうきんな友達とクールな友達そして自分、この三人組は変わらず、この二人の友達が何らかの理由で疎遠になってしまっても違うひょうきんとクールの3人組が出来てしまう。うまく言えないがそんな様な事だったり。

赤ん坊の時はここが一体なんなのか初めは分からないが理解する、それから自分を他人に押し付ける、次には他人を理解しようとする、そして自分を理解しようとする。この小説の構造は人生の理解の姿勢の変化によく似ている。後は意味の連続性などそう言った流れで現実とは似て非なる体系を作っていてだから不思議とおかしくないと思うのだろう。


全文読んで私ながら納得した解の所在の問題を出そうと思う。


・主人公の状態?

・女は一体何をしようとしているのか?

・女は一体何者か?

・主人公は一体何を理解し誰に何をすべきか?


これがこの小説の解だと私は思う。さらに注視すべき所をヒントとして書く。


・魂の所在

・蛹

・巨大な象

・象が恐れているモノ

・象(狂気)の存在


その他意味の繋がらない場違いな音や仕草、言葉など何らかを指示さししめしている』



私は首を傾げた。この解説が本当にこの本の内容と合っているだろうか?と思ったからだ。この先にそう言った内容が出て来るのだろうか?でもそうならこの本にかなり期待できる。そう思って私はニッコリする。そうして目を離してカウンターの方を見た。コーヒーが遅かった・・・。丁度マスターの前のカウンターにウインナーコーヒーが置かれていて今店員の女が受け取った。もうすぐコーヒーが来ると確認できたので又本に向き直る。


『現実の目でこの本を読んでしまうとそれは最終的な解を隠そうとする作者の思う壺だ。よく考えて欲しい。ここには現実の日常は無く、時間も物質も他者も存在しない。宇宙法則すらない。まるでブラックホールの事象の地平線を越えた特異点の様な場所なのだ。しかし法則性は『主人公が夢に閉じ込められた』という事が判明してから明確に出現する。『あらゆる事象は主人公だけの為に存在している』、『あらゆる存在は主人公本人でしかありえない』この二つの不変法則はこの小説の中で絶対であり、純粋な作者の意図を書き示すには最適な調整された領域であると思う。ある偉人の言葉を私は思い出す『我々は世界の中に居るのではない。世界が我々の中に存在しているのだ』』


すぐ来ると思ったがコーヒーが遅いなと思って顔を上げたらすぐそこに女がウインナーコーヒーを持って立っていたので私はビクッと一瞬驚いた。


女は私の前にカップを置いてニコッと笑いかけた。私は狼狽えて逃げる様に目を本に落とす。女の笑顔が素敵すぎて身も心も支配されるような気がしたからだ。もう何かに支配されるのはこりごりだった。たとえ楽園の様な支配のされ方だとしても支配されるという事に私は拒絶反応を示していた。『可哀相に』私は頭の中で限りなく発声に近い言葉を喋った。全くその通りだ。本よりも更に下のテーブルを見詰め自分を憐れんで一伏ひとふせ笑った。


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