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トライアングルラブとおっさん  作者: 仲島 たねや
第一章 トライアングルラブと告白
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トライアングル・ラブと告白③

 馬鹿な男だと春日井芽亜里はそう思う。

 そもそも男なんてものは一匹としてまともなやつなんていない。

 その中でもとびっきりの阿呆の部類に先ほどのやつは入るだろう。

 告白して断られて泣き出して、さらにはそのまま走り出した時には精神障害者かなにかかと思ったし、ちょっとだけ様子が気になったからちらりとグラウンドに目を向ければどういう経緯か気絶してるし。

 嵐みたいなやつだと思った。

 そのまま過ぎ去ってくれれば問題ないが、気絶までされてはさすがに自分に非があるような気もしてくる。後ろめたさが心に残ってしまう。

 だけど知るもんか。

 芽亜里はそう思いながら校舎を抜け出し、未練がましい足取りでレンガ状の公道を通り抜けようとし、やはりあの男をこのまま放っておくことは倫理上よろしくないのではと足を止める。うだる暑さは、しかし早いうちにクーラーの効いた家に帰ろう、そうささやいてくる。正しいと思う。告白されて断っただけの芽亜里が、よくわからないうちに気絶してるやつを構う理由もない。義理もない。

 そうだ帰ろう。

 無駄なことに時間をとられた。

 心置きなく踵を返して、さあ、歩いて十二分の我が家に帰ろう。

 その時、

 夏の風がふわりと通り過ぎた。

 すぐ横だった。

 乱れた髪の毛先は通り過ぎる風の行く先を示している。夏の風は無防備に肌着の透けている白シャツをその身にまとい、夏の風はあまりにも女っ気のないスニーカーで地を噛んで、その手には帰宅時に持ち帰るべきスクールバックの一つだってありはしない。夏の風の正体は女の子で、それは芽亜里のよく知る人物だった。尋常ではない雰囲気だった。さきほどの名前も知らないフラれた男のようにも見える。芽亜里は頬に飛んできたなにかを指の側面で拭い、指の側面に小さな水滴がついたことによりおぼろげながらに状況を掴んだ。

 たぶん、彼女は、泣いていた。

 彼女の身になにが起こったのか。

 それを知る由もない芽亜里は意図せず彼女の後を追いかける。

 すごい速さだった。

 追いつけない。

 それでも背中だけは見失わないように、彼女の行き先だけはつかめるように、煙草を持っている手の飛び出した車を横目に、芽亜里は息を切らして歩道を走る。下校途中の黄色い帽子の小学生にそれを見られて、コンクリートの灰色の歩道に汗が滴り落ちる。それに構うものかと慣れない走りを続けて、そして背の高い生垣が車道の逆側に現れる。

 なまず公園だった。

 生垣に囲まれたなまず公園、そこは芥山市の管轄であり、マラソンコースに数ある遊具、憩いの場としての植林エリアに、鯉の有名な池は老若男女問わずに人を集める。

 彼女はそこに入った。

 たぶん入った。

 入り口のハチ公もどきの銅像を通り過ぎた芽亜里は彼女がどこにいったのだろうと目を配らせる。しかし彼女を見つけたところでなにをするでもないだろうと芽亜里は思う。だって彼女と話した事なんて一度もない恥ずかしがりやの芽亜里だからだ。それでもわき目もふらずに泣いている彼女の涙の理由を知りたかった。マラソンにいそしんでいるんだかお喋りにいそしんでいるんだかわからないおば様集団が「さっきのあの子はいったいどうしちゃったのかしらねえ」「やだもう野暮ってもんよそれは」「そうよそうよ」「あれは意中の男の子にばっさりとフラれちゃったに決まってるじゃないの」彼女を見つけるための貴重な情報だと思った。だけど憶測と推測のただの気まぐれに過ぎないおば様たちの軽口は、正直話半分に聞いていたほうがいいとは思うがしかし内容が内容なだけにただ聞き流すこともできやしない。

 意中の男だと? そんなものが彼女にいるわけがない。とにかく真実が知りたい。

 おば様たちの走るルートから彼女の位置を割り出した。

 三角屋根の公共トイレが見えてくる。

 そのすぐ近くに生えた茂みはうずくまる彼女の姿を隠しきれてはいなかった。

「う…………ぐずっ……ひっく……」

 やっと見つけた。

 荒波霧子をようやく見つけた。

 芽亜里はトイレに入るふりをしてその裏のほうに回り込む。ひょっこりと目の見える顔の半分だけを壁から出して、霧子の不規則にひくつく肩とこちらも心を痛めてしまいそうな涙声を見て聞いた。本当は声の一つでもかけてあげたいところだけど「あんた誰?」の簡素な一言でももらえば二度と立ち直れないかもしれない。そもそもの話で人との関わりを多く持たない芽亜里である。決して人付き合いが苦手というわけではない。ただ無駄に広がる上辺での人間関係に意味を見出せないのである。だからこそ、不必要な関係なんていらないし、特に粗野で乱暴で体格だけが大きく育ったような男との関係なんてまったくもっていらないのである。

 あいつの名前、なんだっけ?

 強調して名前なんて知らないと告白の際に言っていた芽亜里だが、さすがに同じクラスに所属する人間の名前はある程度だけど憶えている。出席番号が前のほうであることをヒントにしてそこから順繰りに名前を探っていく——たしか、き、から始まることはほぼ間違いなくてそして「木」という漢字を思い出せば「木島」の苗字も自然に出てくる。

 木島、

「とおる……ぐずっ……ひっく」

 そうだ透だ。

 

「え?」

 思わず声を出してしまったまるで制御のきかない口を芽亜里は慌てて塞いだ。

 しかし「透」の名前を出したのは驚いている芽亜里ではない。

 霧子が泣きながらに透の名前を紡いだことは間違いなく、霧子の泣いている事態を引き起こした原因に透の存在があることに芽亜里は気づく。透が見るも無様に気絶をしたことによりその心優しさから霧子は心を痛めたのかもしれず、意識の取り戻されたその瞬間に芽亜里にフラれたことを思い出して透がめちゃくちゃに暴れ回ることで霧子は傷つけられたのかもしれない。後者であれば許さない。あの男に思いつく限りの陰湿な嫌がらせをしてやることもやむをえない。

 霧子の続く言葉は、しかし芽亜里の思考をぶった切る。

 それは、誰も聞いていないと思っているからこその本音であったのだと思う。

「うう…………好きだったんだよお……とおるう……」

 ちくりと胸が痛む。

 そして同時に理解した。

 霧子はあの透とかいう男と同じなのだと。彼女は胸の内の好きの感情を相手に伝えたのだと。それは紛れもない英断であることは間違いなく、そこに至るまでの経緯は断崖絶壁にも等しい険しさに満ちていることもわかっている。実は、芽亜里にも好きな人がいる。けれど、相手にこの気持ちを伝えることがあるのならそこに至るまでの経緯は断崖絶壁どころではない。芥山市内で一番に高いと言われている大鉄塔に登って、登った天辺で自殺志願者のように飛び込むぐらいの勇気と覚悟が経緯として必要になる。

 だって、芽亜里の好きな人は、同じ女性の霧子だから。

 同性で運よくカップルになれたという話を芽亜里は聞かない。そいつらはいたとしてもこそこそとした恋愛を楽しんでいるだろうし、そもそも、そのような奴らは男女の通う県立の高等学校において異端の扱いしかされないことが目に見えてわかる。高等学校のコミュニティは狭いが故の広まりの早さが段違いであることに加え、一度の失敗は後世にまで伝えられる面白話へと昇華するのだから厄介なことこの上ない。

 要は茨の道で、成功したはずの告白はそれからが本番なのである。

 しかしその、本番に至るまでの道筋でさえも途切れてしまった。

 霧子の好きな人は、私を好きな人だった。

 なんという奇妙な縁で、なんという奇怪な関係だろう。

 だけど考えてみれば、いまの段階で霧子の心は泣くほどにかき乱されている。泣くほどにつらい経験は、もう二度と男を好きにならないという思いに早変わるかもしれない。その希望はしかし、胸の張り裂けるような悲痛の声からありえないことだとわかる。わかってしまう。まだ、彼女は、まったくといっていいほどに透のことを諦めきれていないのだ。

 わかっていたはずだった。

 自分の好かれている可能性なんて、ゼロにも等しいことぐらい、わかっていたはずだった。

 そして目の前の現実は、改めてゼロという数字の意味を教えてくれる。それが、芽亜里にとっての残酷なまでに突き刺さる非情であることはもはや隠しようがない。


 胸が締めつけられていた。

 身体が震えていた。

 涙が流れていた。

 

 きっかけは些細なことで、いつもの図書館で放課後を過ごしていた芽亜里は窓から差し込む太陽光を遮るためのカーテンを閉めようとした。じゃらじゃらと音を立てて閉められるカーテンの音はしかし芽亜里の席の立つ前に聞こえてきた。

「眩しかったよね」

 芽亜里の思考を先読みして、さらには行動の先回りを果たした彼女はまだ芽亜里の記憶の片隅に新しい。文芸部という活動のほぼない部活に所属している芽亜里はこうして図書館に入り浸ることも多く、図書館の窓からはテニスコートが隣接していることもありテニス部の活動がよく見える。そこまでの厳しさを誇らないテニス部の中ではその技術の上手い下手がわかりやすく、とびきりにその差がひらいている場合にはテニスの簡単なルールしか知らない芽亜里の記憶にでも残りやすいのである。そうして最近の注目株として見ていたのが霧子であり、今日のテニス部の活動はそういえば休みであったことを思い出す。だけど意外だったのが、部活に一辺倒の放課後を送る霧子のイメージがあって、それが彼女の図書館にいるという事実で少し崩れてしまったことである。

 芽亜里は手元の本を読むふりをしながら、霧子がどんな本を読むんだろうとちらりとうかがう。

 本棚巡りでも行うような迷いげな足取りで図書館中を練り歩く霧子は、やがて二百ページほどの薄めの小説を見つけて席に座る。最初はとりあえず手に取ってみたから読んでますという風の表情で、しかしその作品にのめり込むほどにその表情が真剣なものへと変わっていった。と思ったときにはくすりと笑い、そうしてまもなくページも終わろうというときには涙ぐんでいた。

 その様子をしげしげと眺めている自分に気づく。

 微笑ましい気持ちを胸に持つ自分に気づき、霧子に惹かれる自分に戸惑いがちに気づいた。

 いいやそんなわけがない。だって相手は女の子。これはただの憧れだ。

 そうやって今まで自分の気持ちをごまかしていた。


 だけど今、こんなにも揺り動かされている感情は恋に由来するものであると確信できる。

 こんなにも熱くって、これほどまでに腫れてしまって、自分の気持ちはもはや制御することのできないほどに膨大だ。膨らんだ感情はしかし破裂することもなく芽亜里の心にわだかまる。

 ——バンッ! いっそのこと日本を巻き込むぐらいに盛大に爆発してほしかった。

 けれどできない。

 だったらしぼめ。

 しぼんでしぼんでしぼんでしぼんでいつしか影も形も何もなくなるぐらいにしぼんでしまえば、初めからこの感情は無かったことになるに違いなかった。芽亜里は念じる。セミが嘲笑う。それでもしぼめと何度も唱える。

 無駄なことだとわかっているにもかかわらず、何度も唱え続ける芽亜里はぽつりとつぶやいた。

「あなたのこと、好きなんだよ、ねえ気づいてた? 霧子ちゃん」

 諦念混じりの声は霧子に届くことはもちろんなくて、夏の匂いは赤らむ芽亜里の鼻をくすぐって、雑草の茂みの手はささくれに触れることで細かな傷を作りだしていた。細かな傷はそこに一筋引かれているかと思えば、二筋目、三筋目と見るほどに増えていく。ふと思う。怪我をしたのはいつぶりのことであるのだろうと。

 さらに思う。

 自分の心を覗けば、自分の手のように気づかぬうちに負ってしまった傷が、見れば見るほどにいつしか心を埋め尽くすほどに現れるのではないのかと。だけど、その傷さえも、どこか愛おしく思える自分はなにかが壊れてしまったのかもしれない。

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