『帰ってきた娘を見て、慌てて洗濯物をしまいに行く母親。』
「とうとう来たな。待ちに待ったこの時間が!!」
初めてウミガメのスープ―――別名、水平思考ゲームをプレイした次の日の放課後。
さっきまで退屈そうにしていたケンジが、待ってましたと言わんばかりに瞳を輝かせて僕のところまでやってきた。
「そうだね。やっと放課後だね。さあ帰ろうか」
「そうだな! 早くウミガメのスープしような!!」
「あっ、やっぱりやるんだね」
「当たり前だろ! それに昨日はマコトだって楽しそうだったじゃんか」
「まあ、否定はしないよ」
実際否定はしない。
昨日のウミガメのスープは、いつもケンジがやりたがるような面倒なものじゃなくて、帰りながら喋って頭を動かすだけでいいという、めんどくさがりな僕にも優しいゲームだった。
サッカーやらキャッチボールやらゲーセンやらカラオケやらといった、いかにも青春してます。みたいなものではなかった。
だからだろうか、昨日の僕は最初こそ面倒に思っていたものの、最終的にはウミガメのスープを楽しんでしまっていた。
「それじゃあ今日もやるってことでいいよな? ウミガメのスープ!」
「僕が嫌だって言ってもやるんでしょ。しょうがないから付き合うよ」
「またまた~。マコトは素直じゃないなあー。素直にやりたいって言えよー」
「それじゃあ今日は無言で帰ろうか。しゃべった方が負け」
「まて! 俺が悪かった! だからそれだけはやめろ」
僕は無言とか静かな空間というものに苦を感じないタイプだけれど、ケンジは違う。僕とは逆で、わいわいしてたり、にぎやかな場所が好きだ。
ほんと、なんで真逆なタイプの僕らが一緒にいるんだろうってたまに思う。
「それで? 今日はどんな問題なの?」
「おう、今日はだな―――」
「まことー!」
下駄箱でお互い靴を履き替えながら今日の問題を聞き出していると、突然僕を呼ぶ声が聞こえた。
声に反応して振り返ると、そこにはよく見知った顔があった。
「ハル」
「おっ、三舟か」
僕がハル、ケンジが三舟と呼んだのは、クラスメイトの女子の名前だ。本名は三舟春。僕の幼なじみでもある女の子だ。
ちなみにどうでもいいかもしれないけど、僕の本名は二ノ宮真。ケンジの本名は一之瀬賢治だ。
「まこと、久しぶりに一緒に帰ろ。というかこれから毎日一緒に帰ろ?」
「別にいいけど。……あれ? いつもの子と一緒じゃなくていいの? ほら、確か隣のクラスの」
「あー、いいのいいの。なんか彼氏できたからってそっち行っちゃったから」
「なるほど。それで一人になったから僕を誘ったんだね」
「そうそう。一人だとつまんないしさ。家が隣のよしみで一緒に帰ろうよ」
僕とハルは幼なじみということもあるけど、家も隣同士だ。
家族ぐるみで仲が良く、よく一緒にイベントごとを楽しんだりもする。
「あのー、お二人さん? 俺のこと忘れてないか?」
「あっ、一之瀬くんいたんだ」
「いたよ!? いただろ!?」
「あははっ。ジョーダンだよ、ジョーダン」
「ったく、ひでーな、もう」
こんな簡単なやり取りをしながらも、三人そろって靴を履き替える。
「ねえねえ、まこと。帰りにどっか寄ってこうよ。喫茶店とかどう? それか買い物付き合ってよ」
「さあケンジ。早く今日の問題だしてよ」
「お前、ほんと面倒ごと嫌いなのな。まあ、俺的にはやってくれるなら何でもいいけどよ」
下駄箱を出て、それから校門を出てすぐところでハルからちょっと面倒くさそうな誘いがかかる。
だから僕はすぐにケンジに問題を出すように催促をして、ハルの誘いを遠回しに断ることにした。
その結果、ハルは「ぶー」と、頬を膨らませて明らかに不服そうな顔をして、ケンジは言いたいことはあるけどまあいいや、みたいな反応を返してきた。
よし、一番の面倒ごとは避けられそうだ。
「それで、問題ってなに? なぞなぞでもしながら帰るの?」
なんだかんだすぐに機嫌を戻したハルが疑問を口にした。
「三舟はウミガメのスープって知ってるか?」
「ウミガメのスープ? それって料理の?」
「うんうん。期待通りの返答をありがとう」
昨日の僕と似たような回答をしたハルにケンジは満足げにうなづく。
よっぽど嬉しかったのだろう。
「その反応ってことは違うんだよね? じゃあウミガメのスープって何なの?」
「ああ、ウミガメのスープっていうのはちょっとした推理ゲームだ。水平思考ゲームともいうけどな」
「水平思考ゲーム? なにそれ? どういう意味?」
「そうだな。例えば『男は死んだ、なぜ?』みたいな、これだけだと答えが複数あったり、意味が分からない問題を、はい、か、いいえ。イエスノーで答えられる質問をして答えを導き出すゲームだ」
ケンジが昨日僕が例えた通りのまま、ハルにウミガメのスープを説明する。
が、当の本人であるハルはまたちょっと納得しきっていない微妙な表情。仕方ないので助け舟を出すことにする。
「ハル、確か前に出された質問に答えて、自分の考えてる人の名前を当てさせるアプリ持ってきたでしょ? あんな感じだよ。あれの推理版」
「あーっ! あのアプリみたいなやつか!」
僕の説明でようやく納得がいった様子のハル。
ケンジはケンジで「さすが幼なじみだな。扱いがわかってる」なんて言いながら、にやにやと僕らを見ていた。
……なんだよ、その視線。
「っと、とりあえず説明は済んだな。それじゃあ早速今日の問題だ。……一応確認するけど、三舟もやるよな?」
「もちろん。仲間外れはよくないよ」
「元からそんなつもりねえけど、まあいいや! それじゃあ問題! 『帰ってきた娘を見て、慌てて洗濯物をしまいに行く母親。』さて、どういうことだろう? 今日は初心者の三舟もいるからちょっと簡単めだぜ」
「昨日の僕も初心者だったんだけど……」
「マコトは例外だ。お前は最初からレベルが高いからな」
「そんなことないんだけど」
言いたいことはいろいろとあったが、とりあえず問題は出された。
『帰ってきた娘を見て、慌てて洗濯物をしまいに行く母親。』
これが今回の問題らしい。
確かに昨日の問題よりは情報が多いし、簡単そうに見える。
「しつもーん。その日の天気はどうだったの?」
問題が出されて早速ハルは質問を飛ばした。
けれど、その質問の仕方は―――。
「三舟。その質問の仕方じゃ答えられないぞ。イエスノーで答えられないからな」
「あっ、そっか」
初心者だからしょうがないっちゃしょうがないけど、早速注意されるハル。
まあ気持ちはわからないでもないし、お手本というわけじゃないけど、ここは僕が先に質問をしよう。
「ケンジ、質問。その日の天気は雨だった?」
「ノー。雨じゃないぜ」
ケンジが昨日同様に楽しそうに笑う。始まって早々からウミガメのスープが楽しいのだろう。
まあそれはいい。それよりも今はハルの方だ。今ので質問の仕方がわかってくれたらいいんだけど。
そう思ってハルの方へ視線を向けると、なるほど、といったように左手の手のひらに右手のグーを落としていた。すごい古典的なひらめき方だ。
「しつもーん。その日の天気は雪でしたか?」
「ノー。雪でもないぜ。同じ質問が続いてもしょうがないから言っちゃうけど、天気は晴れだな。ちょうど今日みたいな感じだと思ってくれていいぜ。雲一つない快晴だ」
今度はちゃんとした質問ができたハルは、ケンジの言葉につられて空を見上げる。それにつられて僕も空を見上げた。
ケンジの言った通りの雲一つない快晴。そのおかげか太陽も働きやすいようで、気温の方も少し高い。
そうして空を見上げ終わったハルは、返ってきた返答に頭を悩ませる。
どうやらもう大丈夫そうだ。これで僕の方も問題に集中できる。
「ケンジ、質問。母親は娘を見たから洗濯物をしまいに行ったの?」
「イエスだな。娘を見なかったら母親はいつも通りの時間に洗濯物をしまいに行ったはずだ」
「もう一つ質問。母親は実際に洗濯物をしまったの?」
「ノーだな。いつもの時間になればしまうだろうけど、この時にはしまってないぜ」
とりあえず今までの質問でわかったことは三つ。
天気が晴れだってことと、洗濯物はしまわれなかったってこと。
それとこれが一番大事なことだけど、昨日の問題みたいに第三者が関係してくることはほとんどないということだ。
もし第三者が関係してくるのなら、娘を見なかったら母親はいつも通りの時間に洗濯物をしまいに行ったはず。なんてケンジは言わなかったはずだ。
娘を見たから。なんだから、娘以外は特に関係がないはずである。
「しつもーん。母親は娘を見ただけで洗濯物をしまいに行ったの? なにも話してないの?」
「おっ、三舟もいい感じになってきたな。答えはイエスだ。話しててもいいけど、話す必要はないぞ」
「そうなんだ。てっきり娘がいたずらでお母さんをだましたのかと」
「すっげー嫌な娘だな……。嫌がらせが過ぎる」
ハルの質問とその思惑にケンジが苦笑いを返す。
まあ、気持ちはわかるよ。僕だってちょっと思うことはあるもん。かわいいイタズラだともとれるけど。
「僕も質問。洗濯物に何か異常はあった?」
「異常ってのがよくわからんが、ノーだな。洗濯物は至って問題なしだ」
「続いて質問。娘じゃなくて、例えば父親が帰ってきても同じことになったの?」
「イエスだな。状況が同じならって条件が付くけど」
今の質問で、洗濯物に関しては特になにも考えなくていいことがわかった。
それと、性別が関係ないこと、年齢が関係ないこともわかった。
「ちょっと状況を整理しようか。お互いの考えを共有しておくのも大事だしね。そういえばケンジ、これって僕とハルの協力プレイってことでいいんだよね?」
「俺は協力プレイでも対決形式でもいいぞ。二人に任せる」
「ハルはどう? 僕は協力プレイのつもりでいたんだけど」
「私もそれでいいよ。というか推理ゲームでまことに勝てる気がしないし、私一人で解ける気もしないしね」
二人の了承を得て、僕とハルの協力プレイが決まった。
それから簡単な状況整理を行い、今互いがどんなふうに考えているかを共有した。
その結果
・天気は晴れ。
・洗濯物はしまわれていない。
・洗濯物に異常はない。むしろ洗濯物について考えなくてもよい。
・母親は娘を見たから洗濯物をしまいに行った。つまりは他の物を見ても洗濯物をしまいにはいかない。
・年齢、性別は関係ない。
・母親が洗濯物をしまいに行くにはなにかしらの条件がある。
という情報が僕らにはわかっていて、ハルは「まだ状況がよくわかんないけど、娘がなんか重要そう」と、僕と同じ考えをしていた。
なので二人で娘についての情報を探ることにする。
「しつもーん。帰ってきた娘はいつもと何か違った?」
「イエスだな。いつもとちょっと違ったぜ」
「質問。そのいつもと違ったところを見て母親は洗濯物をしまいに行ったの?」
「それもイエスだな。いつも通りに娘が帰ってきたならこうはならなかったぜ」
「続いて質問。いつもと違うっていうのは家を出た時と帰ってきた時の変化?」
「イエスだな。家を出た時から違うところがあったわけじゃないぜ」
「やっぱり娘が重要そうだね」
「だね、問題は何が違うのかってことなんだけど……」
「いいねいいね! ウミガメ沼ですね!!」
僕とハルが二人で頭を抱える中、ケンジが心底楽しそうに悩んでいる僕らを眺めている。
だけど、そんなことは気にしない。今集中するべきなのはケンジの様子じゃなくて、問題の方だ。
「しつもーん。娘は自分で何か変化してきた?」
「んー……。ちょっと悩むな……。わりい、イエスノーだ。ただ、娘は自分からこうなったわけじゃないぜ」
「しつもーん。じゃあ水に落ちたとかそういうこと?」
「それはノーだ。偶然こうなった。とかじゃないぜ」
「質問。その変化っていうのは服とかバックとかみたいな持ち物にじゃなくて、娘自身に?」
「その質問だとイエスノーだな」
「じゃあちょっと変えて質問。じゃあ持ち物と娘の両方に?」
「イエス。服と娘の両方に変化があったぜ」
今の質問でやっぱり娘に問題があるのがわかった。
この問題のカギは娘にあるのは間違いない。
問題はその変化がなんなのか一切手掛かりがないことだ。そこさえわかってしまえば点と点を繋ぐようにすべてがつながっていくはずなのに。
「マコト、俺は昨日言ったはずだぜ。ウミガメのスープの解き方はテストみたいにわかる問題から解いていく。わからなくなったら飛ばして他の問題を解いた方がいいってな」
「確かに言ってたね。でもだいたいのことは聞いたような……」
「そういえば母親についてはあんまり聞いてないんじゃない?」
僕とハルがいい感じに悩んでいるのを見ていたケンジがちょっとしたヒントをくれた。
ただそのヒントをうまく使えるかどうかは僕ら次第で、僕がそのヒントを上手く使えそうにない発言をすると、ハルがぽつんとつぶやいた。
「確かにそうかもしれない。母親の行動に関してはちょっと聞いたけど、基本的には娘のことと、洗濯物のことと天気のことしか聞いてない気がする……」
洗濯物。という単語を聞いてまず連想したのは天気だった。
そこから娘の方へと関心がずれていって、あまり母親の行動に関しては関心がなかったかもしれない。
この手の問題を解くのに一点ばかりを集中して考えるのは悪手だ。幅広く状況をとらえて、問題となるべくものをピックアップする。それが昨日僕がウミガメのスープを初体験した時の感想だ。
それなのに今は娘に焦点を置きすぎていた。気を付けないと。
「しつもーん。母親は美人?」
「……どうしてそんな質問をしてきたのかと逆に俺は問いたい」
「いやー、なんかマジな雰囲気になってたからちょっと軽い感じにしようかと思って」
「あー、確かに三舟はそういう雰囲気苦手そうだわ。とりあえず質問として答えておくけど、答えはこの問題には関係ない。だ。美人でもブスでも好きに想像してくれ」
「わかった。すっぴん美人の化粧ブスだと思っておく」
「好きにしてくれ……」
なにかをあきらめたようにケンジがため息をこぼす。
まあ気持ちはわからないでもないけど。
今のでわかったかもしれないけど、ハルは基本的にお気楽主義というか、能天気というか、とにかく明るい女の子だ。アホの子とも言うかもしれない。ほんと、幼馴染じゃなかったら一生関係を持つことがない人種だったと思う。
今までの質問も珍しくまともなものだけだっただけで、今のような突拍子もない発言をすることも多い。
と、そんなことは置いておいて、今のちょっとした二人の雑談のおかげでいくつか質問ができた。早速聞いていこう。
「ケンジ、質問。母親は洗濯物が心配になってしまいに行ったの?」
「イエスだな。洗濯物が心配でしまいに行ったぜ」
「続いて質問。洗濯物以外は心配してなかった?」
「これもイエスだ。母親は洗濯物以外は心配してないぜ」
「もいっこ質問。母親が洗濯物を心配した理由だけど、濡れてるかどうか心配したの?」
「こいつもイエスだな。濡れてないか心配でしまいに行ったぜ」
今の三つの質問で母親の行動についてだいたいのことはわかったはずだ。
・母親は洗濯物が濡れてないかを心配していた。
・洗濯物以外は心配していなかった。
この二つがわかれば母親のことに関しては十分だろう。
むしろ問題なのは―――
「ここから娘の変化にどう結び付けていくか……だよね」
そう。いくつかの小さな問題が解けても、この問題の本質が解けなければ意味がない。
また行き詰ってしまった。
「うーん……。私はお手上げかなー」
再び僕が悩んだのを見てハルが降参に近い発言をこぼした。
その発言にケンジが嬉しそうに笑顔を向ける。
「三舟は脱落だな。マコトはどうする? 降参するか?」
「しないよ。簡単だって言われてたのに解けないのもちょっと嫌だし」
「いいねいいね! マコトもウミガメ沼にハマってきてますね! いや~、それにしても、ちょっとしたチュートリアルのつもりが上手いことハマったもんだぜ。まさかここまで苦戦してくれるとは。あれか? マコトくらいになると逆に簡単な問題の方が難しいのかね?」
ケンジの安い挑発を無視しつつ、冷静に今までのやり取りを整理していく。
次の質問が出てこない以上、適当な質問を投げ続けるか、今までを振り返って疑問を抱くかのどちらかしかない。僕の性格上、前者はないので、自然と後者の案になる。
「マコトがんばるね~。私は最初に娘が濡れてたから雨か雪が降ってると思って、なのにそれが理由で母親が洗濯物をしまいに行ったわけじゃないって時点でもうわけわかんないよ。ワケワカメだよ」
両手を挙げて降参のポーズを取るハル。
よく、あきらめも肝心。なんていうけど、諦めるのが早いものどうなんだろうか? って、めんどくさがり屋な僕が言えたことじゃないか。
……ん? そういえば―――。
「ケンジ、質問。帰ってきた娘は濡れてたの?」
「え? まこと、それはもう私が聞いたよ? 問題文にもあるじゃん」
「ううん。聞いてないよ。質問してない」
「おう、その通りだな。聞かれてない」
「でも、問題文の方にも」
「問題文にもないよ。問題は『『帰ってきた娘を見て、慌てて洗濯物をしまいに行く母親。』だから、濡れてるなんてケンジは言ってないし、問題文にもない。でしょ?」
「さすがはマコトだな。ちゃんと問題文を読めてる」
こんなことを言ってはいるが、全然悔しそうでもないケンジ。すっかり出題者として楽しんでいる。
前回もそうだったけど、このウミガメのスープは問題文がすべてじゃない。むしろ穴だらけの問題文を埋めていくようなものだ。テストとかの穴埋め問題に近い。
だから自分の思い込みでそうだと思ってることでも、実際に質問するまでは信じてはいけない。
「ハル。ウミガメのスープって、意図的に隠してたり、当たり前だと思わせて実は違う。みたいなこともあるみたいなんだ。だからどんなことでも確認しておいた方がいいよ」
「そうなの?」
「うん。今もハルは娘は濡れてないって思ってるみたいだけど、答えは違うかもよ? で、ケンジ、さっきの質問の答えは?」
一通りハルへの説明を終えた僕は、再び視線をケンジに向ける。
「おっと、そうだったな。答えはイエスだ。娘は濡れて帰ってきたぜ」
「えっ!? そうなの!? 私はてっきり濡れてないんだと……」
心底驚いたようにハルが飛び跳ねている。
それもそうだろう。絶対そうだと思ってたことが違かったんだから。
僕だってハルと同じで娘は濡れてないと思い込んでいた。天気が雨じゃない。雪でもない。そう言われて濡れる要素はないと、勝手に思い込んでいた。
そういうのはよくないと思っていても、ついつい問題にのめり込むとうっかりしてしまう。
「ケンジ、質問。季節は関係ある?」
「そうだな……。まあ関係なくはないな。むしろ特定の季節の方が答えを連想しやすい。……つーか、マコト。お前もう答えわかってんだろ」
「どうだろうね。質問。その季節は夏ですか?」
「やっぱりわかってんじゃねえか」
「えっ!? えっ!? どういうこと!? 私にもちゃんと説明してよ!!」
ようやくこの問題の答えらしきものを特定した僕に、さっきまでの余裕の笑みを伏せるケンジ。
そんな僕らの様子を見て、一人蚊帳の外になっていたハルが騒ぎ出した。百歩譲って騒ぐのはいいにしても、服の袖を引っ張るのは伸びるからやめてほしい。
「それじゃあ解決パートな。昨日みたいに頼むぜ」
「えー? またあれやるの? 面倒だし答えだけじゃダメ?」
「ダメだ。あそこまでやって探偵だろ?」
「僕探偵じゃないんだけど」
「気にすんな気にすんな」
昨日のように探偵っぽく解決するよう言ってくるケンジにちょっとした抵抗を試みる。
けどやっぱりケンジの勢い任せな説得とも言えないゴリ押しにゴリ押されてしまう。
「ねえねえ、さっきから何の話? 仲間外れはよくないよ」
「あー、これからマコトがこの問題の答えを探偵っぽく答えてくれるんだよ。それをめんどくさがったから今説得してた」
「へー、それじゃあ私は助手だね! ワトソンだ!」
「まあいいんじゃねえの? 探偵に助手は付き物だしな」
僕になんの相談もなく助手が決定した。
まあ別にいいんだけどね。この際どうでも。
「それじゃあ始めるよ」
「よっ! 待ってました!!」
謎の相槌を入れられて周りに人がいないのかを確認する。
運よく人はいなかったけど、もし見られてたら恥ずかしすぎる。
「恥ずかしいから大声はやめてよ」
そうケンジに注意しながらも、頭の中で今わかっていることを整理しておく。
・天気は晴れ。
・洗濯物はしまわれていない。
・洗濯物に異常はない。むしろ洗濯物について考えなくてもよい。
・母親は娘を見て、心配して洗濯物をしまいに行った。つまりは他の物を見ても洗濯物をしまいにはいかない。
・年齢、性別は関係ない。
・母親が洗濯物をしまいに行くにはなにかしらの条件がある。
・帰ってきたとき娘は濡れていた。
・家を出る前は濡れてなかった。
・濡れていたのは娘の意志じゃない。ただ、偶然とかいうわけではない。
・季節は特別に重要視はしてないが夏。
「まず、この問題のピースは大きく分けて四つ。一つ目は洗濯物。二つ目は母親の行動。三つ目は天気。四つ目は娘。だね」
そう言って僕は四本立てる。
そして指を三本折り畳み、人差し指だけを残した。
「まず一つ目の洗濯物だけど、これは特に問題に関係ない。まったくじゃないけどね」
「えっ? 関係ないの?」
「うん。むしろミスリードを狙っての側面が強いようにも思う」
「ミスリード? まこと、なにそれ?」
「ミスリードっていうのは意図的に誤認しやすいような表現をすること。今回の件で言えば、洗濯物をしまわなかった。そして天気が雨や雪じゃないってところで娘が濡れていないと僕らに思わせてた」
「確かに私たちさっきまで娘は濡れてないと思ってたよね。違かったけどさ」
昨日ケンジがしてくれたように、今日は答えが一人だけわかっていないハルが相槌をうったり質問してくれるので進行が楽だ。
そう思いつつ、指を一本追加で立てる。
「次に二つ目の母親の行動。正直これもほとんど意味がないよ」
「そうなんだ。でも天気は関係あるんだよね? ミスリードがどうとか言ってたし」
「実はそうでもないんだよね……。僕らが勝手に勘違いしてただけで、天気は晴れだって最初の方でわかってたから」
天気は最初の最初に質問した問題だ。
その時点で天気は晴れだとケンジが明言していた以上、悩むようなところではなかった。
「それじゃあやっぱり四つ目の娘が一番の問題なの?」
「んー……。正直どれもそこまで問題じゃないんだよね。この問題……」
「えーっ!? だって娘の変化がわからないって一緒に悩んでたじゃん!!」
「そうだなー、一生懸命悩んでたな。濡れてただけだけど」
ケンジがニシシと笑う。
ケンジからしたらあんなに悩んでた僕らはバカに見えただろう。だって洗濯物を急いでしまいに行く理由なんて、一つしかない。
雨が降ってると思ったから。だ。
「あのね、ハル。この問題はすごく単純なんだよ。というかハルにもわかるはずなんだけど……」
「わかりません!!」
「元気のいい返事をありがとう……」
元気いっぱいに敬礼までしてのわかりません発言。
潔すぎてむしろ清々しさまである。
「ハル。洗濯物を急いでしまいに行く理由って何?」
「そりゃあ雨が降ってるとかじゃない?」
「そうだね。それじゃあなんで母親は雨が降ってると思ったのかな?」
「なんでって……。そうだ! 娘が濡れてたからだ!!」
「だよね」
ハルにもわかりやすいように一つ一つ説明していく。
そのかいあってか、ハルにもしっかりと話が伝わったようだ。
「じゃあそれが答えでいいの? 娘が濡れてたから洗濯物をしまいに行きました。……それってなぞなぞでもなんでもなくない? 普通じゃない?」
頭に疑問符を浮かべて出題者であるケンジの顔色を窺うハル。
そんなハルにケンジは「そこまで簡単な問題じゃないぜ」と、笑い返した。
「えー、これ以上何もないでしょ。他になんの謎があるの?」
娘が濡れて帰ってきたから母親は洗濯物をしまいに行った。
これだけ聞けばなにもおかしなところはない。至って普通の話だ。
だけど、この問題においてその理論はなりたたない。
「ハル。天気のこと忘れてない?」
「天気? ……あっ! そうだ! 天気は晴れだったじゃん! 濡れようがない!」
ようやく思い出したようだ。
そう。この問題がややこしくなっていたのは、まさにこの天気のせい。
「天気は濡れる雨や雪じゃなく晴れ。洗濯物もしまわれなかった。この二つの情報のせいで、僕とハルは娘は濡れていないと勝手に思い込んでいた。勘違いをしていた。けど実際はそうじゃなくて、娘はやっぱり濡れていた」
「そうだね! これで問題解決……じゃないんだよね? なんで娘は濡れてたんだろ?」
「そう。それが最後の問題だよ。それが解ければ完全正解」
僕らが一番頭を悩ませていた場所。
といっても、わかっちゃえば簡単なことなんだけど。
「ハルはさ、雨や雪以外でどうやったら濡れると思う?」
「そうだな。……やっぱり質問した時も言ったけど、池みたいな水が溜まってるところに落ちるとか、水をかけられるとかかな」
「でもそれだと偶然濡れたわけじゃない。ってところが変だよね?」
「あー、そういえばそだね。じゃあ他には―――うーん……」
ここまで来てハルがまた悩みだした。
この様子だと、最後に僕がした質問を完全に忘れているっぽい。
「ねえハル。僕が最後にした質問覚えてる?」
「まことが最後にした質問? えっと、確か、季節は夏かどうか? じゃなかったけ? で、答えは夏で考えていいみたいな感じじゃなかった?」
「そうそう。それで、夏に自分の意志じゃなく体が濡れることってない?」
「夏に濡れたくないのに濡れること……あっ!!」
僕の出したヒントでちょっと悩んだものの、ハルもようやく僕と同じ答えに行き着いたらしい。
ハルの顔に元気いっぱいなひまわりみたいな笑顔が咲いた。
「汗だ!」
「正解」
ハルが元気よく答えてくれた回答。それが「汗」。
「まとまったみたいだな。それじゃあ名探偵マコトさんよ、最後のまとめ頼むぜ」
「名探偵じゃないけど、まあいいよ。やらないと終わらせてくれないみたいだしね」
すっかりあきらめモードに入った僕は、昨日と同じように最後のまとめに入る。
「まずこの問題の答えはシンプルだ。帰ってきた娘が濡れていたから、母親は雨が降ってると勘違いして、外に干してある洗濯物が心配でしまいに行った」
「そうか。だけど天気は晴れだって言ったはずだぜ?」
僕の言ったことを肯定しながらも、まだ問題は残ってるとばかりに問題を投げかけてくるケンジ。
さっきの僕とハルのやり取りを見ていたのに、わざわざ同じ質問をするのは雰囲気づくりのためだろう。ケンジは意外とそういうことを気にするタイプだから。
「確かに外は晴れだって言ってたね。洗濯物もしまわなかったって」
「ああ、なのに娘が濡れてるのはなんでだ? そこがわからなきゃ納得できねえな」
「簡単だよ。僕とハルはうっかりだまされてたんだ。ミスリードってやつだよ」
「ほー、何にだまされてたってんだ?」
白々しい態度を取り続けるケンジに説明を続ける。
「洗濯物をしまわない。外は晴れ。その情報で僕とハルは娘が濡れているとは考えなかった。濡れる要因がないと思い込んでしまった」
「思い込みじゃないだろ。雨も雪も降ってないのにどうやって濡れたんだよ? 俺は偶然濡れたわけじゃないとも言ったから、池に落ちたとか水をかけられたとかはなしだぜ。もちろん自分から池に飛び込んだとかでもないぞ」
「わかってるよ。答えはもっと簡単でシンプルだ」
そう。答えはもっと簡単でシンプル。
もう答えのわかっている僕は、ゆっくりと自分の右手を挙げて自分の額を指さす。
「汗だ。季節は夏で、外は雲一つない快晴。そんな日だったら外を歩くだけでも汗を掻く。もしかしたら運動でもしたのかもしれない。そして娘はすごい量の汗を掻いた。服がびっしょり濡れて、母親が雨が降ってるのかと勘違いするくらい汗を掻いたんだ」
夏の快晴。それだけでもう汗を掻くのは必至だ。
日本で一番気温が高く、日が長い季節である夏。汗を掻くのが当たり前の夏。大汗を掻くのだってしょうがない。
服がびしょびしょになるほど汗を掻いたことのある人だって大勢いるはずだ。それが当然なのが夏なんだから。
「最後にもう一回まとめるよ。夏の晴れた日、外から帰ってきた娘は服がびしょびしょになるほどの大汗を掻いていた。そのようすを見た母親が外で雨が降ってると勘違いをして、洗濯物をしまいに行った。けれど外は快晴、空を見上げれば雲一つない晴れ模様。だから洗濯物をしまう必要ない。……これが答えだよ。どう?」
最後のまとめを終えて、ケンジに正解を訪ねる。
ハルに「おー、結構様になってる」なんて言われながらの僕の推理を聞いたケンジは、額に手を当てて大げさに体をのけぞらせた。
「ちぇーっ! 今日も結局負けか。なんか思った以上に泥沼にハマってくれたからちょっと期待したんだけどなー」
「そうだね、正直僕も危なかったよ。もうそろそろ別れ道だしね」
なんだかんだ言って制限時間は結構迫っていた。
僕とハルは家が隣同士だからもう少し一緒だけれど、ケンジとは途中でわかれる。その別れ道まであと三分ほどだった。もう既にその別れ道は視界に入っているくらいだ。
「いやー、危なかったねぇ。あそこでまことがひらめいてくれなかったら負けだったよー」
「ハルのおかげだけどね。ハルが娘が濡れてると思ったのに、って言ったのを聞いて思いついたんだ」
「おっ!? もしかして私ちゃんと助手ができてたのでは!?」
「確かに助手っぽかったかもね。悩んでいる探偵をサポートするっていうののはさ。僕が探偵じゃないことを除けばだけど」
「そんなことないよ。結構ちゃんと探偵してたよ?」
ニコニコ笑いながらハルが言ってくれる。
これが他の人だったら冗談だろうと笑い話になるけど、ハルの場合は冗談なのかマジなのかちょっとわかりづらいのが困る。
さすがに本当に僕が探偵に向いてるなんて思ってないよね?
「別れ道だな。そんじゃあまた明日なマコト。三舟も」
「うん! また明日ね、一之瀬くん」
「じゃあね、ケンジ」
別れ道で簡単な挨拶を済ませ、僕とハルは右の道を、ケンジは左の道に進む。
「そうだ。明日は今日用意しておいた問題やるからな。覚悟しとけよ」
「あっ、やっぱりやるんだね」
「あたぼーよ。負けたまんまじゃ終われねえ。それに楽しかったろ? 三舟もさ」
「そだねー。私も結構楽しかったよ。またやろ」
「ほらみろマコト。幼馴染様もこう言ってるぞ」
二対一で数で有利になったからか勢いづくケンジ。
別に僕もやらないとは言ってないんだけど。
「明日は絶対に俺が勝つからな」
少し離れたところからケンジが言ってくる。
だから僕はこう返した。
「次はもっと手ごたえのある問題を頼むよ」