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■前編

 論語には「四十にして惑わず」という言葉がある。

 人間、四十路ともなれば、己の在り方やら身の振り方やらについての迷いが無くなるだろうということだ。

 だがしかし、わたしには一般論が当てはまらないようで、人生設計には予想外れと戸惑いばかり。

  

「中越先輩。金沢商事からの伝票です」

「はい、ありがとう」


 三十五歳を過ぎたとき、わたしは信用金庫の顔ともいえる窓口業務から、後方事務および出納業務に異動した。

 顧客と接することは少ないが、縁の下の力持ちとでもいうべき大事な仕事で、やりがいのある業務ではあるし、その責任の重さだけ給与も高い。だが、福沢諭吉は寡黙で無表情なお爺さんなので、お喋り好きなわたしとしては、ちょっと味気ない。

 ほんの数年前までは、さっき伝票を持って来てくれた彼女と同じところに座っていたのになぁ。やはり、相談に来る多くのお年寄りには、若くてピチピチな子の方がウケが良いのだろうか。時の流れは残酷だ。

 いくらアンチエイジングを頑張ったって、十代二十代の元気溌溂な若さには適わないし、生まれ持った平安顔や、控えめに育った体は、美容整形でもしなければ、どうしようもない。えっ、美人は三日で飽きる? ブスには一日目が来ないんだよ!


「京子ちゃん。それが終わったら、先に為手(ためて)の方をお願い」

「わかりました」


 えぇい、いちいち肩に手を置くなスケベ支店長。

 心の中で毒づきつつ、入力を終えた伝票を集計済みの箱に置き、未処理の箱の中から為替手形を選り集める。

 メガバンクでは働き方改革が進んでいるようだが、この片田舎の信用金庫では、男女差別撤廃もペーパーレス化も、一向に改善される兆しが見えない。年功序列でなく成果主義だったら、学歴だけご立派な支店長は即刻クビになるだろうに。

 平成から令和になっても変わらない昭和レトロな保守体質に呆れつつ淡々と仕事をこなしていると、ランチタイムを知らせるウエストミンスターの鐘が鳴った。

 ロッカールームに行き、透明のバッグに財布や化粧ポーチを入れて外出しようとしていると、反対側の列のロッカー付近で歓声が上がり、拍手が巻き起こった。


「せーの。お誕生日おめでとう!」

「えっ、なんで? どうして、今日って分かったの?」


 人垣が出来ていて目視出来ないが、どうやらサプライズでプレゼントを渡しているようだ。 

 そうか。朝の後輩ちゃんは、わたしと同じ誕生日だったのか。祝福の輪に囲まれている彼女は、声も弾んでいることだし、きっと喜んでいるだろう。その光景を微笑ましく思いつつも、自分を祝ってくれていた同期は、みんな寿退庫しちゃったんだよなぁと、再度しみじみと時の流れを実感した。


 わたしだって、この歳になるまで信金勤めをするとは思ってもみなかった。 

 半年くらい前まで三つ年下の彼氏がいたし、別れる三年ほど前からはアパートで同棲もしていた。同棲前にも五年ほどお付き合いしていたから、あわよくば、このまま結婚できたらいいなと心積もりをしていた。

 だけど、現実は厳しかった。職業柄、どうしても細かいことに目が行きがちなわたしと、大らかでアバウトな彼とは、反りが合わなかったのだ。付き合い初めは、彼はわたしのことを気配り上手だと思っていたようなのだが、そのうち同棲して一緒にいる時間が長くなるにつれ、物のしまい場所やら公共料金の割り勘やらで一々口出しされるのを小うるさく感じ出したらしい。お袋かよという売り文句に、産んだ覚えはないという買い文句は、冷静になってから振り返ると、実に幼稚な口喧嘩だったと思う。

 何にせよ、わたしとしては悪気が無く、ただただ快適に過ごせるように、キチンとすべきところはキッチリしておこうという責任意識に過ぎなかったので、かなりショックを受けた。


 その一件があってから、わたしは家族や同僚から異性を紹介されないよう、表向きは、おひとりさまライフをエンジョイしているように見せかけている。気楽でいいわ、なんて心にもないことを嘯いてね。だけど、本当はパートナーが欲しいと願っている。でも、誰でも良い訳ではない。しかし、このまま孤独死するのはイヤだ。

 とまぁ、こんな具合に、誰かと一緒に過ごしたい反面、一歩を踏み出す勇気が無くて躊躇しているという揺らぎが生じている。とても不惑の境地には程遠いものがあるというのが、お分かりいただけるだろう。

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