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泉 鏡花「紫陽花」現代語勝手訳

作者: 秋月しろう

泉鏡花の「紫陽花」を現代語(勝手)訳してみました。


本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。



「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。


浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。

(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)


勝手訳を行うにあたり、青空文庫「紫陽花」を底本としました。

 一


 ぬめぬめと青光りする蛇がおびただしく()んでいるというので、その()(やしろ)には里人(さとびと)は近寄らないが、片眼を(うしな)った老爺(ろうじん)がいて、昔からかしずくように、大切に世話をしていた。

 その片眼を喪った時、一度だけ見たという、几帳の蔭に居られた長い黒髪のお方、そのお方こそ神であったに違いない。


 ついこの前、水無月(陰暦六月)も半ば、二十日あまり照り続いた日盛りのことである。鼓子花(ひるがお)さえも草()()()色褪(いろあ)せ、砂も、石も、きらきらと光りを帯びていた。松の老木(おいき)の梢から糸が乱れたような薄い煙が立ち上るのは、木精(こだま)とかいうものだろうか。物がゆらゆらと霞んで見えるくらい暑い日中は夜中よりずっと静かである。そんなひどい日差しの中、野の細道を、十歳(とお)くらいの美少年が、尻を端折り、竹の子笠を(かぶ)り、裸足で、

「氷や~、氷~」

 と、呼びながらやって来た。今から町中(まちなか)に行こうとしているのである。氷は(むしろ)(づつみ)にして、天秤棒に釣るしており、その片端には、均衡を保つため、手頃な石を(わら)(なわ)で結んでいるが、重い物を(かつ)いでいるので、まだ力のない身体(からだ)はよろめき、その(たび)に、石がブランコのように(はず)みをつけて揺れる。

 と、こうして、この(やしろ)の前まで来た時、大きな溜息をついて立ち止まった。

 笠を目深(まぶか)(かぶ)っているけれど、日の光りは(さえぎ)れず、白い(うなじ)も赤らんでいる。少年がいかに暑いのか知れるというものである。


 蚯蚓(みみず)(むくろ)干乾(ひから)びて、色も黒くなっているが、まだ半ば生々しく、ほんの少し(うごめ)いており、そこに赤い蟻が群がり湧いて、(せわ)しく動いている。()(ずえ)を揺らす風もなく、平たい焼けた石の上に、何とか言う、尾の(さき)の少し黒い蜻蛉(とんぼ)()()と留まって動きもしない。


 そんな折、社の裏の木蔭から婦人(おんな)が二人出てきた。一人は涼傘(ひがさ)を畳んで、細い手に杖として持ち、もう一人は、それよりも年が若く、伸び上がるようにして、背後(うしろ)から傘を差し掛けている。おそらく侍女なのだろう。

 背の高い貴女(おんな)の頭は傘の内側につかえそうで、その青い絹の裏地が、眉の辺りに影を作り、黒髪にある(くら)く光るもの(*頭に挿した簪か?)を(きら)めかせていた。

『誰だ?』と美少年が見返ると、その貴女(おんな)はちょっと侍女の方を振り向いたが、やがて少年に向かって、

「あの、少しばかり……」

 暑さと疲労(つかれ)とで、少年はものも言うことも出来ず、わずかに頷いて、(むしろ)を解き、濡れた笹の葉をざわざわと掻き分けた。

 雫は垂れているが、氷の(かたまり)氷室(ひむろ)から切り出したままの形で、まだ(かど)も失っていなかった。その一角を(のこぎり)でもって切り取り、

「さあ」と、振り向いた。その時、少年の睫毛(まつげ)に額の汗が伝ったが、手が塞がっているので拭うこともできず、眼を(つむ)ったまま差し出した。ところが、貴女(おんな)の手に渡した氷の色は真っ黒であった。

「まぁ、この氷はどうしたの?」

 美少年はものも言わず、直ぐに鋸の刃を返して、さらさらと削り落とせば、氷の粉はばらばらと辺りに散り、ジ、ジ……と蝉が鳴き止むような音を立てて、焼けた砂に()み込んでいった。



 二


 それは、商いに出る時、継母(ままはは)が炭を()いたままの鋸を気づきもせずに少年に持たせたからだった。少年はそうとは知らず、削り落として、黒ずみを払うが、瞬く間に氷の量は掌の上で小さくなった。

 もう一つ別に新しいのを差し出したが、それもまた黒かった。貴女(おんな)は手を触れようとさえしないで、

「綺麗なのではなくっては」と、静かに首を振りながら言う。

「ええい!」と、少年は力を籠めて、ざらざらと()いた。勢い余って、氷は崩れ落ちて砂にまみれた。

 それを渋々捨てて、新しいのを、また別のものをと、更に何度か()いたけれど、鋸に付いた炭の粉はその都度氷を(よご)し、笹の葉に(おお)われた氷は最早残り少なくなってしまった。

 貴女(おんな)身動(みじろ)ぎもせず、瞳を据えて、冷ややかに見守った。少年は悄気(しょげ)こんで、

「お母様(っかさん)に叱られら。お母様(っかさん)に叱られら」と、訴えるように呟いたけれど、貴女(おんな)は耳にもかけない様子だった。付き添いの侍女は、これでは駄目だ思って、

「まあ、どうしたというのだね。お前、変じゃないか。いけないね」と(たしな)めながらも、

「可哀想でございますから、あの……」と、貴女(おんな)には、何とか機嫌を直してもらおうと取りなすが、貴女(おんな)は、

「いいえ」と素っ気なく言い捨てて、袖も動かさず、立ち上がった。少年は上目遣いに、(かば)ってくれようとした侍女の顔を見たが、涙ぐんで(うつむ)いた。

 見れば、氷が砕けて落ち散ったのが、見る見る水になって流れ、地面を濡らした色も煙を立てながら吸い込まれるように乾いていく。そんな様子を恨めしげに見守った。

「さ、おくれよ。いいのを、いいのを」と、貴女(おんな)()き立てるように促す。

 すると、少年は今度は鋸を下に置いて、(むしろ)の中に残っていた氷の塊をそのまま引き出して、両手に乗せ、

「み、みんなあげるよ」と、か細い声に力を籠めて突き出せば、氷が発した冷気を含む風がむらむらと立ち上った。

 貴女(おんな)は氷を見た後、瞳を流すように動かして、少年の(おもて)(きっ)と見詰めたが、

「あら、こんなのじゃいけないっていうのに」と、今度は苛立った様子で、氷をパッと払い退()けた。氷は(すべ)り落ちて、三つ四つと砕けてしまった。少年はそれを

「あっ!」と驚いて、拾い、拳に掴んだかと思うと、(さっ)と頬を血の色に染めて、右手で貴女(おんな)の手をむんずと掴み、ものも言わずに引き立てた。

「あれ、あれ、あれぇ!」

 貴女(おんな)は引かれて倒れかかった。

 風がさあっと吹いて、さらさらと木の葉を渡った。



 三


 侍女があれよあれよと見るうちに、貴女(おんな)(すそ)(たもと)は、はらはらと(ひるがえ)り、あたかも柳の枝が(ねじ)れたように、細い腰をよじってよろめきながら、またもや悲しい声を立てたので、侍女はさっと駈け寄り、少年を引き離して、

「エエ! 何と失礼な、これ、これ、ご身分を知らないか」と叫んだ。

 だが、貴女(おんな)は息苦しそうな声ではあるが、

「いいから、いいから」

「でも、奥様――」

「いいから好きにさせておやり。さ、行こう」と、苦しそうに胸を押さえ、こんな風に歩くのは馴れてもおらず、煩わしくなった履物を脱ぎ棄てた。


 少年に引かれて、やがて蔭のある場所――小川が流れて、一本の桐の青葉が茂り、川に面して紫陽花(あじさい)の花が壊れた垣の内外(うちそと)に今を盛りにと咲く空き地――へとやって来た時、少年は立ち停まった。貴女(おんな)はホッと息をついた。


 少年は躊躇(ためら)う素振りも見せず、流れに(うつむ)いて、掴んできた先ほどの炭の粉で黒くなった氷を、その流れに浸して洗った。

 それを掌に乗せて透かして見れば、雫がひたひたと(したた)って、見る間にも溶けていく氷は、早くも豆粒より少し大きいほどになっていたが、水晶のように透き通って、一点の汚れもなくなっていた。

 少年は貴女(おんな)(きっ)と見て、声を震わせながら

「これでいいか」と言った。

 貴女(おんな)の顔は蒼白になった。

 遅ればせに駈け付けた侍女は、その様子を一目見るなり、目の色を変えて、貴女(おんな)横様(よこざま)にしっかりと抱いた。貴女(おんな)はその膝に倒れかかりながら、片手を()()と胸に当て、

「あ……」と、歯を(くいしば)って、苦しげに空を仰いだ。唇が真っ青になり、鉄漿(かね)(*お歯黒)を付けた前歯が小刻みに動いた。地に手をついて、草を(むし)り掴んだ真っ白な指先も戦慄(わなな)いている。

 その様子に、侍女は、ただ事ではないと驚き、オロオロするものの、なすすべもなく見守っている(うち)に、貴女(おんな)は見る見るうちに衰弱して行く。

「奥様!――奥様!」侍女は泣き声を上げた。

「……しずかに」と、侍女を押し止めると、(かす)かな声で、

「堪忍しておくれ、坊や、坊や……」とだけ言ったが、その声も消え()ってしまった。


 驚いた少年は貴女(おんな)(すが)りつき、今はもう雫ばかりになっている氷をその口に運んだ。侍女が腕を緩めると、貴女(おんな)は顔をのけぞらせて、うっとりと目を見開き、胸に当てていた手を放して、少年の肩を抱いた。そうして、仰向いたままじっと少年を見て、軽く頷けば、そのはずみに、氷の雫はゴクリと音を立てて咽喉(のど)を通っていった。

 桐の葉越しに漏れた薄い日射しが、(さみ)()微笑(ほほえ)貴女(おんな)の顔に紫陽花の色を射映(うつ)した。


              (完)


鏡花の作品は、何度も読み返さないと意味が取りにくい。

言葉の一つひとつ、語順、それらが絶妙なバランスを保ちながら流れて、独特の雰囲気をもたらしている。

一度、粗訳してみても、読み返すと、とんでもない間違いをしていることに気づくこともよくある。


あるいは、なぜこんなことが書かれているのかよく分からない部分もある。

例えばこの作品の冒頭に書かれている片眼を喪った老爺(原文は翁)の話。私の読みの浅さが原因なのか、この作品とのつながりが今ひとつ、すんなりと腑に落ちてこない。


参考までに書いておけば、越野 格氏は<『龍潭譚』小解>の中で、こう語っている。 

……ところで、鏡花は明治三十年前後、その小説の冒頭を、村落共同体の怖れ、戒め、つまり広い意味の禁忌に触れることから書き起こしている。

(略)

例えば、『紫陽花』において、その『片眼の盲ひたる翁』とは、<見てはならぬ>との村落共同体の禁忌を犯して「神」を覗いたがゆえに、その片眼を失ったのであろう。或いは逆に、その片眼という不具合性のゆえに、「神」の使わしめとしての力が付与されたのかも知れない。孰れにしてもこれらのことは思弁的に理解できるのだが、しかし、それらが後の結構と有機的に結びついているわけではない。何のことはない、その「社」の裏の木陰から二人の婦人が出てきたまでのことなのだ。ただそれだけのことに、この来歴は語られていたのである。

 とするならば、この期の鏡花は、小説の結構とは無関係に、共同体から阻害された者、その禁忌を破った者、換言すれば他界との通路を獲得した者を殊のほか描きたかったのかも知れない。その現実的な契機は判然としないが、それが亡母憧憬に胚胎するものであり、観念小説期の主人公たちの疎外感とも通底し合うものであることは間違いないだろう。……(「論集 泉鏡花 泉鏡花研究会編」 有精堂)P.65-67


色々な解釈はあるようだけれど、私は難しく考え過ぎず、まあ、鏡花節とでも言うような前置きと考えて置くことにしました。それが証拠に、この作品を読み終わった後、冒頭の部分の話はまるで頭には残っていませんでした。


※ それと、いつも申し上げていますが、読者の皆様には、是非原文をお読みいただき、私の文章などとは、まるきり次元の違う、華麗な文体に直接触れていただければと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] ささ舟の終わりかたぼくは好きです。まだ何冊かしか読んでませんがこういう感じの多いですよね。こういった解説があると本当に有り難いです。僕以外にも助かっている人みえると思いますし、これから先も絶…
[一言] 今日はお休みだったので、紫陽花とささ舟を読みました。阿呆なのでうまく書けませんが、物語と情景の描写が独特の視点で描かれていてとても面白かったです。秋月さんが訳してくれたおかげで、泉鏡花と露伴…
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