人の感情はねじれあう
今、鋒原光に正式的な彼女はいない。とは言えそれは成り行きではなく、光が意図してそうしているのであって、その気になれば彼女の一人や二人すぐに出来てしまうだろう。そうしないのは、彼女を作ってしまうと色々と行動に制限が掛かるのと、他の女子の寄り付きが悪くなるからである。
しかしその結果、女友達の数は極端に多い。光は休日にはそれら一人ずつと遊びにも出掛けるし、互いに家を訪れたりもする。無論、これだけ異性から人気の高い光がわざわざ「美人じゃない」女子と仲良くする理由は特に無く、女友達のほとんどは他の男子生徒が羨む様な美人ばかりである。
――その中の一人に、類家 真央という女がいた。
真央は光の友人達の中でも特に容姿が優れていて、学校が違う事もあり光は重宝していた。今でも一週間に二回は会っているし、光が家を訪れる回数も多い。……しかし、そもそもなるべく秘密裏に会うようにしている事と、学校が違う事とで光は真央が普段学校でどういう生活を送っているのかをほとんど知らなかった。
類家真央は、言ってしまえば少し頭がおかしかった。一人称が「まぁ」である事は周囲から白い目で見られる原因となっているし、以前学級日誌に『魔法のエンピツ』と称して自身の恋愛談を書き記した時には学年中がその存在を知る事となった。
そういう事をするのが「頭がおかしい」と判断する根拠なのではなく、「こういう事をすれば周囲がどういう反応をするか」を考えられないのが真央の決定的欠陥である。だから、友人と呼べる人間がほとんどいなくなってから慌てて自身の行動を改めたものの、それは既に遅すぎて、今では同じように周囲から拒絶されている連中と仲良くするしか真央には残されていなかった。
そんな頃に、真央は光と知り合った。その頃には既に真央の外見的性格には修正がかかっていて、またそういう真央の過去を知る機会も特に無かったので、光は真央の内面についてしっかりとは知らぬまま付き合いを始めた。
変な行動をしない真央は一女性として素晴らしく魅力的で、光はとても気に入った。多くの時間を二人で過ごし、メールや電話などもどれだけ繰り返したか分からない。二人は正式に彼氏彼女の付き合いを交わした訳では無かったが、やっている事はそれとほとんど違い無かった。
――しかし類家真央は、自分が美人だという事を客観的に理解していた。
これが何よりも厄介であり、最大の問題である。長く二人の時間を過ごしてきた真央は、自身の容姿からして当然光も自分の事を愛してくれていると信じ切っていた。付き合わないのは、その方がお互い気楽に会えるからだと考えていたし、それらを疑う事など微塵も知らなかった。
結果、自分は光の女友達の中でも群を抜いた存在であり、光に一番愛されているものだと信じ込んでいる。だから真央は、光が他の女性と会う事を許さない。それに対して怒る権利が自分にはあると考えているからだ。とは言え、実際に光が他の女子と遊んでいるのを目撃してもその怒りを爆発させる事は出来ない。そんな事をして光に嫌われてしまうのだけは避けなくてはならないからだ。
だから、そういう時は真央は張り裂けそうになるまで胸の底にストレスを溜め込み、一人でいる時に爆発させる。人形の類を引き裂いたり、兄が昔使っていた金属バットでコンクリート塀を力の限り殴り続けた事もある。
――けれど、光はそれを知らない。光の認識では真央は、普遍的な性格をした美女なのである。
***
「うそ−!? そんな事あるの!?」
詩織は思わず声を大きくした。ある朝の教室、青川詩織と縦妻香織は机越しに向かい合って話している。
「う……、うん。この前ちょっとね……」
香織は少し恥ずかしそうに顔を俯かせる。
香織は、あの日の間違い電話の事を友人の詩織に何となく話してみていた。ただ、世間話をするようなつもりで。
「すっごー……。そんな事ってホントにあるんだ」
詩織は目を丸くして驚いている。
「えっ、その相手の人の名前とか聞いてないの?」
詩織がそう聞くと、香織は恥ずかしそうに口を尖らせた。
「あ……えっと、確か鋒原……って言ってた。多分だけど……」
「ええ!? 鋒原って、鋒原光くん!?」
詩織は再び声を張り上げた。
「えっ……、下の名前は知らないけど」
「うそーっ、その人超有名人だよ。ジャニーズ顔負けのイケメンだって皆話してるんだから」
「いや、顔とかは別に……どうでも」
香織は顔を赤くした。
「なーに言ってんの。そんな事があったんなら、もしかしたら光くんも香織の事意識してくれてるかもよ?」
「ちょっ……! だからそんなんじゃ無いってば!!」
香織は怒りすら感じさせる程に否定した。
「まあまあ。香織も男嫌いを直すチャンスじゃん。光くんに仲良くしてもらいなさいって」
そう言って詩織は笑いながら香織の肩を叩いた。香織はその手を叩き落とすかのように払い、詩織は今度は香織の腰回りに抱きついてじゃれ合う。そうして、二人は馬鹿馬鹿しくも楽しそうに笑っていた。
――そんな二人の会話を、真央は教室の隅から睨む様にして見ていた。