005 二つの策動
サイレン地方の最北州、ノルデンフリアの州都ペテルクラシコに、開拓村から急使が到着したのは、村が襲撃を受けてから二日後の事だった。
「それで避難民は?」
州総督エミリオ・ガスパリーニ伯爵は、神経質な手つきで肩にかかる赤い髪を払った。
「はい。報告によれば女たちは北洋神殿に預け、負傷者した男については近隣の在郷へ。健常な男たちは現在こちらへ向かっており、明後日には到着するものかと」
「開拓使は死亡。現在は副官の指揮、か。その割には迅速なようだが」
総督は伝令の報告と文書とを照合するようにして、片眉を上げた。
「副官、並びに襲撃当日に着任したという騎士が指揮を執っているようです。お手元の報告書もその騎士なる者の手という事でした」
「そうか。下がってよい」
「はっ、失礼します」
総督は報告書を畳むと、それを脇に置いて、この場に同席する両名を見た。
ポーラノーラの都督ヤコブ・オスカリウスと、今一人はその配下の騎士だ。
総督の視線は、その今一人へと流れる。
「これは貴殿の御息女という事になるのか? アルヴァー卿」
「は、そのようです。赴任当日とは何と言いますか、間が悪いと申しますか」
「だとしても、素早く的確だ。中々に見所がある」
「痛み入ります」
ガスパリーニは内心、間が悪いのはこちらの方だ、と繰り返し指でテーブルを叩いた。
目下、ノルデンフリア州は中央の命を受け、他州で勃発した反乱を鎮圧する為、兵を動かそうとしている所だった。
「さて、どうしたものだろうか諸君。ペテルクラシコ、ポーラノーラ、そしてスノープル。各軍の半数を南下させ、デイバーエンドの反乱鎮圧に加わる筈が、自らの膝元を騒がされてはいい笑い者だ。さっぱり格好がつかぬ」
また始まったか、とポーラノーラの都督ヤコブは鼻を掻いた。
中央から任じられた目の前の痩せ男は、家柄はまずまずらしいが、型通りのお役人様だ。軍人らしさというものは欠片も持ち合わせていなかった。
この程度の事で何を騒ぎ立てるのか。実に莫迦莫迦しい。そう思ったら鼻まで鳴らしてしまい、ヤコブは慌てて会話を継いだ。
「この件はこちらにお任せ下さい。被害の規模から見ても五百かそこらの喰い詰めた徒党でしょう。総督には予定通りスノープルへ向かって頂き、我々は始末を付けてから後を追います。なに、強行軍の教練とでも思えばどれほどの事もありません。デイバーリーチに入る前には合流してみせます」
ペテルクラシコとポーラノーラの兵を併せた州軍は、南のスノープルで更に兵を加え、ケンタリオ州を通過してデイバーラント州に入る予定だ。
その後は反乱が起きたデイバーエンドの手前、デイバーリーチに軍を集結させる事になっていた。
「そうかね? それであればまぁ……。ふむ、アルヴァー卿」
「はっ」
「開拓村は卿の庭のようなものだ。早々に賊の居所を割り出し、速やかにこれを殲滅されよ」
殲滅と聞いて、アルヴァーは「吸収しては?」と言いかけた。しかし、隣でヤコブが咳払いをした為、言葉を呑み込んだ。
相手はイスカル人。しかも伯爵様ときている。賊と化したフリア人などお構いなしに違いない。
そもそも地方軍は、頂点に立つ大将軍こそ地方有力者から抜擢されるが、その下で各州を治める総督はほぼイスカル人だ。ドレイファスのような名家に限っては例外ともなるが、イスカル人による支配体制は揺るぎないものだった。なればこそ不満分子は地に蔓延り、ひと度中央戦争のような騒ぎがあれば、それを契機に一気にその不満を吐き出す事となるのだ。
議場を出たヤコブとアルヴァーは都市郊外に設営された帷幕に移っていた。
机には地図が広げられたままで、予定の進軍経路に赤線が引かれている。
ヤコブは薄くなった頭を撫でつけ、椅子も引かずに、立ったまま話を始めた。
「なに、大した手間もかかるまい。俺は身一つで総督閣下に付いて行くから、お前の方でうちの千を丸々率いて片を付けてくれ」
簡単に言うヤコブにアルヴァーも一応は頷いた。概ね同意なのだ。
気がかりがあるとしたら、賊に知恵者がいて、西の複雑な山岳地形を上手く使われたら嫌だな、とまぁその位なものだった。
「賊は山中に潜んでいるだろう。山間の移動と奪った物量を考慮すれば、今も村からそう遠くない地点に潜んでいる筈だ。鼻歌で出来る仕事だな」
そう笑ってアルヴァーの肩に手を回し、執務に使っている奥まった一角へと連れ込む。
二人は同郷で、成人の儀を共にして以来の友だ。アルヴァーの都市軍入りはヤコブの誘いによるものだった。
ヤコブもまた農閑騎士の家系だったが、立身して出世を目指し、どうにか都督の座に収まった今は、男爵になっていた。
「賊の吸収は好きにやれ。事の始末さえつけばその辺はどうだって構わん。総督もご多忙で、一々そんな事まで覚えちゃいないだろう。それと、物資も適当にちょろまかしておけ。賊の仕事は穴だらけだ。帳面通りに回収できなくとも文句は言われんさ」
随分と杜撰な物言いに不審なものを感じて、アルヴァーは肩の手を払った。
「どいうことだ。何か企んでいるのか?」
「企むとは何だ」
会話を止めて、二人は互いの目を覗き込んだ。
ヤコブの目付きは不穏なものへと変わっていた。
身分が代わっても態度の変わらない男だったが、今はやけに鼻に付く。
「俺もお前もフリア人だ。このご時世にイスカル人共のお役に立ってどうする。同胞の為に何か、やれる事があるだろう」
「どうも聞かない方がよさそうだな」
蜂蜜酒を注ぎ始めたヤコブに、アルヴァーは背を向けた。
「ここは何処だ? アルヴァー」
「……どういう意味だ」
去りかけたアルヴァーに蜂蜜酒の杯を押し付けながら、自らも一口呷って、ヤコブは奥の椅子に腰を下ろした。
「ここは北の最果てだ。サイレン地方? どうだかな。かつてはウィンターランドと呼ばれた。その前はノルデン王国だ。俺たちのご先祖様を騎士にして下さってありがたい国さ。そうだろう?」
「ああ。そしてその前はノルドラント」
「そう! それより以前は名もなき土地だ。だが、国として名もない頃からずっと、この北地は、我々フリア人のものだった」
ヤコブは舌で唇を湿らせながら懐をまさぐり、そこから金のペンダントを取り出した。
「それは……黄金の錨か」
「アルヴァー。これは真面目な話だ。俺が何の為に今の地位まで上り詰めたと思ってる? 欲しかったのは権力や金じゃない。情報だ」
「何の情報だ? 何を知った? それを俺に聞かせてどうする気だ?」
黄金の錨。
それは帝国に敗北したウィンターランドの残党が、帝国の支配を良しとせず、反攻を期して結成したと言われる抵抗組織の名だ。二百年以上前の話であり、今も存在すると信じる者は少なかった。
「聞け。こいつはお伽噺なんかじゃないぞ。同胞は今もこいつで繋がってる。いいか、堅物のお前にはいつ話すかとずっと迷ってたんだが、今言う。――俺たちはデイバーラントへ向かい、そこで反乱に加わる。分かるな? 決起だ。今なら帝国を叩けるっ」
帝国の侵攻に最後まで抵抗した北地の民は、確かに子々孫々、反帝国の気概というものを受け継いできた節がある。しかしそれは現実に帝国を打ち倒せという類のものではない。
少なくともアルヴァーはそう考えていた。
「無茶だ。それに俺は妻と息子を残している」
「心配するな。俺の女房を迎えに行かせる。家族は安全だ。娘だって合流させればいい」
「いや無理だ。そもそも勝算はあるのか? 何処まで先を考えている? 大将軍が動き出すに決まっている。留守宅に火を付けるのも同然なんだぞ」
デイバーラントはサイレン地方の中核州であり、州都ウィンターゲートは大将軍府が置かれる地方首都でもある。更に言えば、かつて存在したフリア人国家の首都でもあった。
大将軍であるグリーデマン伯爵は現在、帝都の治安維持を目的に、中央の招請を受けて留守にしている。その隙に首都を狙う動きを見せれば、中央は伯爵にその阻止を命じるだろう。
それにサイレン地方は五百万と人口が少ない。七州あって、二州しかない隣のスピナス地方とほぼ同数。中央センチュリオの約半分だ。当然兵役人口でも差が開く。
それだと言うのにヤコブは顔色一つ変えなかった。
「アルヴァー、伯爵は軍勢を動かせと命じられれば、その時点で帝都を包囲して落としにかかる。これはな、大将軍オットー・グリーデマン伯爵が引いた絵図だなんだよ」
「本気、なのか……」
アルヴァーは呻いた。
北の民を背負って立つ大将軍の意志ならば、これは只事でない規模の反乱になる。
そこに一騎士として馳せ参じよと言う。まさか自分の代で、再び帝国を割るような動乱に加わろうとは思いもよらなかった。
アルヴァーはそれでも、己の身一つの事ならばそれも良いと思った。
フリア人として立つ事を強く拒む気持ちはない。ただ、家族を巻き込む事ばかりが気がかりだった。
時を同じくして、帝都グラデニーでも思わぬ出来事が起こっていた。
好色帝と呼ばれたプロスペロ帝に代わって帝位を継いだサロモン帝は、それなりの危機感を持って政務と向き合う人物だった。
第一に、分裂した中央軍の対立に収拾を付けた。中央戦争を引き起こしたカメルレンゴ大公との和解を成し遂げたのだ。
再編された中央軍は各地で蜂起する農民の鎮圧に当たり、手薄となる帝都の防衛にはサイレン地方から地方直轄軍を招請して警固に当てた。
次に着手したのは、先帝が遊び金の為に切り売りした官職の刷新だ。
無能の官を罷免し、枢密院に諮って適正な人材の登用に厳しく目を配った。
一方、皇帝の直下に置かれた皇帝府では苦虫を噛み潰す者たちがいた。
皇帝府は新帝が立てば刷新されるものだが、そこを老獪な手管で舞い戻ってきた者たちだ。
次の代でも甘い汁をと思っていた彼らにとって、精力的な皇帝ほど邪魔なものはない。
先帝の下では玉座と枢密院とを隔てる衝立として国政に多大な影響力を持っていた。それが今では厄介払いをされたかのように政務から切り離されてしまっている。
無論、それが本来の皇帝府の姿だ。
皇帝のお世話をするという役割を逸脱していたこれまでが異常事態だったと言える。
されど、一度旨味を知った者が大人しく来た道を戻るかと言うと、古今東西、先ず以って例のない事だと言えた。
その日、宰相カルロ・トラバーチは新たに取り立てた人材のリストを抱えて皇帝府を訪れた。
「お会い頂けないとはどういう事だ? 昨日、退出の折りに今日も同じ刻限にお伺いするとお伝えしておいたのだぞ」
取次の者の言葉に、宰相は口元を覆い隠す髭ばかりを動かしてきつく質した。
「閣下もご承知の通り、陛下はこのところ余りに根を詰められて、今朝は些かお加減思わしくないご様子でした。それで今はお休みになっておいでなのです」
「何? 齢六十を過ぎたこの儂に宮中を駆けずり回らせておきながら、自らはお休みだというのか。御病気か? 侍医は何と申しておる」
「御病気とは申されませんでしたが、静養が必要との事でして」
「では侍医を呼べ。儂が直接に聞こう」
「ですが、今は陛下のお傍に付いておられます。せめてお戻りになるまでお待ちを」
「無用だ。お見舞いに上がる故、そこを通せ」
「あ、いけません閣下、いけません!」
青髭の若造相手では話にならぬとばかりに、宰相カルロは強行突破を図って皇帝府を通り抜けた。
数人が追い縋って来たが手にした杖で打ち払い、ずんずんと進んで行く。
空の玉座を拝して奥の廊下に至り、目指す皇帝の居室も間近という所で立ち止まった。廊下の先で扉が開かれ、何者かが出て来たのだ。
「これは宰相閣下。陛下にお目通りですか?」
「フェデリコ・メロイか。一体何事だ。足止めを喰らったぞ。陛下は? 重いのか?」
皇帝府を取り仕切る侍従長フェデリコ・メロイは貼り付けたような笑みを添えて頭を振った。
「いえ、ご安心を。念の為、侍医が離れても良いと判断するまで大事を取ったのです。今からお会い頂いて結構ですよ。ですが、手短に願います。閣下」
直ぐに侍医のラウロ・ファリーニも姿を現し、二人は宰相に一礼して皇帝府へと下がって行った。
カルロは老いた眼を眇めて、しばしその後ろ姿を見送った。
「何なのだ。要らぬ事で騒がせおって」
小脇のリストを抱え直し、カルロはずかずかと皇帝の居室に入って行った。
中に入るとサロモン帝は奥にある寝室ではなく、執務室のソファに横たわっていた。
カルロは足元の狭いスペースに腰を掛け、横たわる皇帝の腰の辺りを叩いて声を掛けた。
「陛下、リストを持って参りました。陛下」
「……宰相か。そう大きな声を出すでない。頭が痛むのだ」
起き抜けというよりは日々の疲れを宿した掠れ声が返ってくる。
「酷いお声ですな。一体何のご病気ですか。今廊下で侍従長が大事ないと申しましたぞ。仮病の類ではないのですか?」
「仮病と申すのか」
「違いましたかな?」
「いや、仮病だ」
「そら御覧なさい。さぁリストです陛下。これで半ば程まで希望された官の入れ替えが済みました。枢密院としましても納得のゆく顔触れです。陛下?」
テーブルにリストを広げるカルロを残して、サロモン帝はふらふらとソファを離れた。
やはりお疲れなのだな。そう感じ、顔色次第では早々に退出しようと、カルロは懐に眼鏡をまさぐった。
老いた手先がもつれて眼鏡を掛けるのにも苦労させられる。と、何やら物音がして不意に風が舞い込んで来た。
陛下が窓を開けたのだなと思い、ようやく掛けた眼鏡のブリッジに指を添え、窓の方を見遣る。
「陛下? 陛下どちらに?」
返事はなかった。
開け放たれた窓辺にサロモン帝の姿はなく、カーテンばかりが揺れていた。
室内を見回しても己の他には誰一人としていない。
風が、バサバサと床にリストを散らした。
「陛下! まさかっ」
杖も忘れて窓辺に駆け寄り、生唾飲んで真下を覗き込む。
「ああ、そんな……。陛下、何故……」
壁垣の上に俯せたまま動かないサロモン帝の姿。
自殺か、事故か。
宰相カルロ・トラバーチには何故このような事態となったのか、全く理解出来なかった。
地図等
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