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グラデニア戦記(仮題)  作者: K33Limited
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004 襲われた開拓村

 四月に入ると、ウーナはジャムを伴って任地へと赴いた。

 既に父アルヴァーもポーラノーラへと移っており、慣れ親しんだ家には母ハンナと弟トーケルだけが残された。

 母は近隣の手を借りて、これら忙しくなる牧場の仕事を切り盛りして行くだろう。

 弟は来年の成人に向けて、体を鍛え、剣の修行に励むに違いない。


 北国の春が冷たい風を押し退け、道端には白や黄色の小さな花々が咲いていた。

 僅かな蜜を求めて蜂や小虫の舞う道を、二人は馬の背に揺られながらのんびりと下って行く。

 馬は毛足の長いガッチリとした北地の馬。

 軍馬として鍛えてはいないが、大事に世話をして来たクレベルソン牧場の産駒だ。


「開拓村の仕事って具体的には何をするの?」


 長い白髪をポニーテールに結わって、それがジャムの背中で風に揺れらていた。

 対してウーナは昔から髪を短くしている。動き回るのに邪魔だと言うのが、その理由だった。

 ジャムも真似をして切ろうとした事があった。だが、ウーナがそれをさせなかった。

 自分の癖毛と違い、真っ直ぐで奇麗な髪だからと、伸ばすよう奨められたのだ。

 褒められたのが嬉しくて、以来、ジャムは髪を伸ばし続けている。


「まったく分からないわね。行政府の開拓使府っていうお役所で指示して貰えるそうよ。まぁ私は騎士な訳だし、治安に関する仕事になるでしょう」

「そっか。とにかく一緒に頑張ろう」

「ええ、頼りにしているわ」


 新しい環境で何をさせられるにせよ、ウーナもジャムも望む所だった。

 第一歩を踏み出す、そのくすぐったいような期待というものが、二人の胸に溢れていた。人界に五千万と言われる人間の一粒として、何が出来るか。

 任地はクレベルソンの牧場から三〇キロほど南へ行った北洋神殿の近郊。そこでは北部の生産性向上を掲げ、広大な農地の開墾が行われているという。


「せっかくだから北洋神殿に寄ってから行きましょう」

「うん。女神プラキアはウーナの守護神だもんね」


 北洋神殿はただ一柱の女神を祀る神代七神殿の一つ。

 女神プラキアは星を司る船乗りの守護神であり、星座や文字を示したくさびの女神とも言われている。

 神話では渦神シュトロアの妻で、ある日、船乗りに過酷な試練を与える夫と喧嘩別れをしていた。それが故に海の神殿は南と北とに分かたれたのだと。


「つまる話が別居中なわけよ」

「わざわざ俗っぽく言い直さなくても」

「でも身持ちは固いのよ? 北洋神殿は敷地から何から一切合切男子禁制でしょ? それってシュトロアへの操立てなんですって」

「シュトロアが迎えに来るのを待ってるっていう事?」

「バカね。男子禁制なんだから迎えになんか行けないでしょ」


 取り留めもない会話が続いて、やがて大きく弧を描く街道の坂下に、広々と海が開けた。


「見て、神殿の塔よ。ゆっくり来たけど正午を待たずに着いたわね」


 ウーナは馬腹を蹴って速度を上げた。

 直ぐにジャムが並走する。

 下り坂に風を切る心地良さが二人の体を駆け抜けて、坂の終わりから続く低い石垣に沿って進む頃には、姉妹の息は軽く弾んでいた。

 神殿を見上げれば、中央から伸びる塔は鐘楼でなはく灯台になっている。それは北洋を往く船の安全を見守る、女神プラキアの瞳だ。

 二人は駒留に馬を繋いで、蔦の絡まるアーチを潜った。

 若草の庭。

 白く照り返す石畳。

 聞こえるのは潮の香りも豊かに騒めく磯波の声。

 やがて二人は白木の門扉を開けて、清浄な空間に足を踏み入れた。

 広々とした一宇は、その中心を灯台の基礎が貫き、数名の巫女が床を掃き清めていた。


「上がらせて頂いても良いかしら?」


 ウーナが声を掛けると、巫女の一人が黙って頷いた。

 本来、灯台へは神殿関係者以外は立ち入れないのだが、クレベルソン家は毎年、冬籠りの前と雪解けの頃に神殿を訪れて寄進を行っている為、今や当主となったウーナにはそれが許されたのだろう。

 二人は入り口の鎖を外して、急な螺旋階段を上って行った。


「ジャムは初めてね」

「うん。いつも柱の祭壇でお祈りするだけっだった」

「私も二度目よ。それも、生まれた時に母上に抱かれてだったそうだから、記憶にはないわ」

「なら、良い思い出になるね」

「そうね」


 ウーナは上り切って、後を来るジャムに手を差し伸べた。

 灯台は、内陸を背にする北西の壁を除いて、ぐるりを見渡す大パノラマ。

 中央には台座があって、金色の油盆が青い炎を立ち上らせていた。


「わぁ、すごい」

不滅の神炎ネバーエンディングファイアよ。神代の七神殿だけにある、絶えざる神々の炎」

「今まで遠くから眺めるばっかりだったけど、こうして間近にすると凄い迫力だね。熱くないのも何だか魔法みたい」

「ええ。でも先ずはこっちよ」


 ウーナはジャムの肩に触れて、北西の壁を示した。

 そこには女神プラキアを模った白い神像が祀られていた。

 身の丈はジャムよりも低く、ウーナと同じ程度の大きさだ。


「これが女神プラキア? ちょっとウーナに似てるかも」

「そうかしらね」

「ほら、癖っ毛な所とか」

「ご指摘どうもありがとう。でも、癖っ毛だなんて女神様に失礼よ。さ、お祈りしましょう」


 ウーナが像の前に跪き、ジャムもそれに倣う。

 二人は左手を胸に当て、右手を軽く握って、その親指を額に押し当てた。

 沈黙の祈りを風が包み込み、静かな時間が流れて行く。

 先に祈りを終えたウーナが、額に当てていた親指に唇を触れた。

 立ち上がったウーナはジャムを残して神炎を回り込むと、東に開ける海を遠く眺望した。


「良いわね……。蒼界は広々としていて」


 流氷の時期を過ぎた沿岸は穏やかで、そこから水平線まで、輝く凪の海が続いている。

 果てしなく広がる。そう表現するにこれほど当てはまる景色もないだろう。見る者の心を一際大きくする絶勝だ。


「ウーナは海の向こうへ行きたいの?」


 ジャムが隣に立って言った。

 頭の後ろでは、白い髪が吹き流しのようにはためていた。


「蒼界は人界とはまた別の世界よ。人間はただ、海上を往く事だけを許されているに過ぎないわ。でもそうね――。海を行くように自由に人界を行き来できたら良いとは思うわね」

「自由に?」

「そう、自由よ。土地の境も、人種の境も、私にはちょっと窮屈なものだわ。今の世の中には自由が足りてない。蜂起や反乱が起こるのだって、結局はそのせいじゃないかしら。みんな小さな自由が欲しいのよ」

「そっか。なら、ウーナは北洋の女神様に自由を願ったの?」


 いいえ、とウーナは海の向こうに目を向けたまま答えた。


「ジャム。人生に於いて最も貴重なもの。それはチャンスよ」

「チャンス?」


 ジャムはウーナの視線の先を追った。

 そこにどんなチャンスを見ているのだろうかと。


「そう、今より前へ進む為のチャンス。より高みを目指す為のチャンス。先ずはそれを掴まなきゃならないわ――。チャンスを生かす事が出来れば、その先には成功や勝利、栄光や自由もある。向こうは待っているのよ。私たちがたどり着くのをね」

「待ってる……そっか。なら、一緒に行かなくっちゃね」

「ええ。でも焦ってはダメ。私たちは成人して、僅かな自由を手に入れたわ。これから先も少しずつでいい。チャンスを逃さず少しずつ、手に入れて行きましょう」

「うん、そうだね」


 その時、低い空から海鳥たちが海上高く舞い上がった。

 上昇気流という名のチャンスを掴んで飛ぶ鳥たち。

 その翼は、逆光に溶けて、眩さの中に消えて行った。


「さて、そろそろ行きましょうか」


 と、ウーナは海に背を向けて階段へと向かった。

 ウーナが階段を降りようとした時、その肩をジャムの手が引き止める。


「ウーナ、待って。見て、あれ」


 ウーナはジャムの指先を追って西の空を見遣った。

 最初、高空に円を描く鳶に目を奪われたが、直ぐに、その向こうに幾筋もの煙が立ち上っているのが分かった。


「あれは開拓村の方ね」

「耕地を広げるのに森を焼いてるとか?」


 そうではないだろう。

 ジャムの言葉通りならば煙はもっと一所に集中している筈だ。

 ウーナは村に何らかの異変が生じたと判断した。直ぐにも向かうべきたと。


「ジャム! 急ぐわよ」

「うんっ」


 灯台を駆け下りた二人は、驚く巫女たちに見送られながら、厳かさの中を靴音高く走り抜けた。

 馬に飛び乗り、二股に延びる街道の、更に南へと向かう道筋に乗る。

 北地の馬はその太い脚を駆使して、力強く坂を駆け上がった。

 途中、森へ逸れる間道へ飛び込み、一路開拓村へ。

 神殿から開拓村まで四キロはあろうか。巡行と異なり、任地での入用の荷を括った馬は、出足の勢いを徐々に失って行った。


「ウーナ! 人がっ」


 一人の若者が足を引きずるように林道を歩いていた。

 身なりは農作業者のそれで、肩に傷を負っているようだ。

 ウーナは命に別状はないと見て、僅かの勢いも殺さずに擦れ違って行った。

 驚いたのはジャムだ。てっきり止まるのだろうと思っていたので面食らってしまった。しかし、ここで離れる訳にはいかない。


「身を隠して、じっとしててっ」 


 怪我人にそれだけを言い残して、直ぐに馬腹を蹴って加速する。

 やがて頭上の空を狭めていた木々が開け、広大な農地が目に飛び込んで来た。

 煙は農地に点在する藁山や小屋から、更には奥まった辺りの開拓村からも上がっていた。

 火の手は見えない。既に燻る程度には鎮火しているようだった。


「開拓使の所へ行って状況を確かめましょう」

「ウーナ、これはどういう事なの?」

「ジャム、足下を見てご覧なさい。蹄の痕が入り乱れているわ。それなりの数の騎馬に襲撃されたという事よ」


 ジャムは緊張した。そして、ウーナの平静な声音を不思議にも感じた。この状況を見て怖くはないのだろうか、と。


 村へと進む中、時折、死体が目についた。

 ジャムは胸が悪くなって目を背けた。

 狩りをして幾度となく鳥や獣を捌いて来たが、それと人間の亡骸を見るのとでは訳が違う。

 ウーナはどうかと目を向ければ、鞍上にぴんと背筋を伸ばし、これといって動じた様子も窺えなかった。


 ウーナはウーナで、こんなものかと感じていた。

 いよいよ北の僻地にまで、世の乱れが波及したのだろうが、散々話に聞かされた内容とは違っているように思われた。

 もっと、ひどく凄惨なものを見のだろうと想像していたのだ。だから「こんなものか」だった。

 幼い頃は別として、ウーナは何事に対しても変に冷静な所があった。冷徹と言っても良い。

 飄々としている。捌けている。あっけらかん。KY。色々と言われるが本人は気にかけてもいない。

 物心ついて「自分は父の後を継いで騎士になるのだ」と自覚した時からそうだった。

 粛々と任をこなし、戦い、いずれは死ぬ。そういうものだと得心していた。その過程に於いて家名を汚しはすまいと。

 それらは、灯台でジャムに語ったチャンスを望む心とはまた別の、言ってみればウーナの下地のようなものだったろう。


「ポーラノーラから参りました。本日着任の騎士ウーナ・クレベルソンと随伴のジャマルディ・イニヤンガです。開拓使の方はおられますか」


 石積みの壁に天幕の屋根といった、如何にも俄か作りの官府でウーナは声を張り上げた。

 返事をする者がないのは既に目で確認済みだ。

 官服の男女が数人、朱に染まって倒れていた。


「ジャム、まともに話せる生存者を探して頂戴。来る時に行き違った彼でもいいわ」

「ウーナは?」

「この規模の村が全滅という事はないでしょう。死体がほとんどないもの。どこかに隠れている筈だから、私はそれを探すわ。ジャムは目に付いた順に当たって行って、数が多いようなら適当な場所に集めておいて」

「分かった。でもウーナ、気を付けてね」

「ええ、お互いにね」


 二手に分かれたウーナは開拓使府を出て村を練り歩いた。

 行けども行けども生存者に行き当たらない。

 死体の数は疎らだ。負傷者を見ないという事は、やはり隠れ場所があるに違いない。

 そろそろ探す場所を変えようか。そう思い始めた辺りで、ウーナの耳に微かな呻きが舞い込んできた。

 見れば、腹部を負傷して壁にもたれた青年が一人。


「貴方、話せる? 何があったの?」


 傍らに寄り、片膝を付いて軽く肩を揺さぶる。

 返事はない。ただ、一度だけ弱々しく瞬きをした。

 最早助かるまい。

 そう判断すると、ウーナは躊躇いなく小剣を抜いた。


「守護たる神の御許へ」


 静かに唱え、あばらの下に刃を通し、安楽を与える。

 光を失った青年の瞳をそっと閉ざした。

 送る為とはいえ、初めて人を手に掛けたウーナは、それでも表情を動かさなかった。

 ウーナはそれをすべきだと判断すると、黙々とそれが出来てしまうのだ。

 この例一つを取っても、やはり普通とは言い難いものがある。


「おい、そこのチビ! あんただよ、おいっ」


 押し殺した呼びかけに、ウーナは青年をそっと横たえ、声のした家屋の中へと歩を進めた。


「私はウーナ・クレベルソン。騎士であってチビではないわ。危害は加えない。出てらっしゃい」


 布切れで拭った小剣を収めながら見えない相手を呼ばう。

 僅かの間を置いて、倒れたテーブルの影から浅黒い肌の少女が立ち上がった。

 刈り込んだ橙の髪に、クロムイエローのくっきりとした瞳。

 乳房の膨らみがなければ少年と見紛う彼女は、肌の特徴からしてもフリア人ではなかった。


「あら珍しい。こんな北の果てにバスキア人?」

「まあね。親父が傭兵でさ。去年、カラザーロックで蜂起した農民の鎮圧に参加したんだけど、そこで死んじまって。戻る当てもないから開拓村の募集に飛びついたって訳。ホント、こんな北の外れとは思わなかったんだよね」

「そう。お父上のご冥福をお祈りするわ。それで名前は? ここで何があったの? 他の村人たちや役人は何処へ?」


 まぁ待ちなよと、身を隠していた割には落ち着いた様子で、少女は倒れた椅子を引いた。

 傭兵だったという父親との生活で、それなりに肝は据わっているらしい。


「あたしはハスミン。ハスミン・セラ。ここであった事は見たまんま襲撃だよ。逃げてった連中が何処にいるかも見当は付く。役人もそこだろうね」

「襲撃した連中は賊の類? それとも中央に反旗を翻した軍人(ばら)?」

「軍人崩れも混ざってはいたけど、まぁ賊だね。そこかしこで叩かれてあぶれた連中の寄せ集めか何かじゃない?」

「守備隊は何をしてたの?」

「ハッ、守備隊なんてご大層なもんないよ。開拓民から募った自警団だもん。それを幾つかの隊に分けて官府の役人が小隊長をやってたけど。前はアルヴァーって、まずまずの騎士がいて、全体を指揮してたんだけどさ……。あれ? クレベルソンって?」

「アルヴァーは私の父よ。都市軍に転籍した父の後任として私が今日、ここに赴任したの。開拓使が不在で着任は済んでいないけれど」

「あはは、ご愁傷様だね。で、どうすんのさ?」

「そうね……」


 ウーナはハスミンを乗せて駒を回し、ジャムを探して合流した。


「ジャム、こちらハスミン。ハスミン、この娘は私の妹、ジャムよ」


 ウーナはそれだけ言って、さっさと移動を再開した。

 紹介された二人は互いに挨拶を交わす暇すらなく、ハスミンの頭の中ではフリア人の妹かヘムネス人であるという謎がぐるぐる回っていた。


 一行はジャムが見つけた数名の軽傷者を従えて、ハスミンの案内で石切り場へと向かった。開拓村の建材用に石を切り出した場所だ。

 たどり着くと、そこには千人からの避難者が溢れ返っていた。

 ちらほらと自警団らしき装備の若者たちもいる。

 皆、大した傷も負っていない。俄か造りの兵が武器を捨てて逃げ出した。そういう事なのだろう。




「とにかく避難だ。直ちに避難だ。連中が戻って来たら今度こそ全滅だ」


 開拓使の副官だという中年男は唾を飛ばして捲し立てた。

 文官だろうとフリア人なら一本芯が通って然るべき所を、随分と神経の細い男だな、とウーナは鼻白んだ。

 ざっと確認した死者は二十人そこそこ。それが次で全滅とは、一体この副官様は、如何なる二次攻勢を想定しているのだろうか。


「賊が戻って来るとお考えなのですか? 何か根拠が?」

「それは分からん。しかし避難が先決だ。君が指揮を執れ。これは騎士の務めだぞ」


 見るほどに情けない副官様だが、確かに避難は必要だ。

 ウーナは体ごと隣に向きを変えた。


「ジャム、どう思う? 戻って来るかしら?」

「聞き取りからすると倉にも火を掛けられてるし、取り残しがあるとは思わない」


 ウーナは頷いた。

 賊は見たところ官府と倉に集中し、他は追い立てただけという印象だ。その中で不運にも何人かの村人が犠牲になったのだろう。

 もし自身の着任が先んじて、自警団の指揮を執っていたとしたら、抵抗した分、反って犠牲は増えていたかもしれない。

 そしてジャムの推察もまた正しい。

 逃げる者を追えば石切り場にたどり着いただろうに、それをしていない。物資の略奪に終始したという事だ。

 そんな連中が今更、取り残しがあると考えて戻るとは思われなかった。


「ジャムの言う通りね。では副官殿。避難先にはどちらをご希望でしょう?」

「決まっている。ペテルクラシコだ。あそこなら安心だろう」


 ペテルクラシコは南西にあるノルデンフリアの州都であり、一帯人口は三十七万にまで達する、サイレン地方北部域で最大の要衝だ。


「それは遠すぎるのでは? 負傷者もいる千人からの集団を引き連れて行ける距離とは思ええません。一〇〇キロと見積もっても四日はかかるでしょう。その間、賊の目に触れれば、今度は女性が狙われる事だって有り得ます」


 言いながら、その可能性はないに等しいと思っていた。

 ウーナは逃げたい一心の副官に対して、脅しではなく緊張を求めて言ったに過ぎない。

 女子供に負傷者までいる一団だ。敵を見て逃げ出す自警団では、何かあった時の対応など望むべくもないのだから。


「ならば、ならば神殿はどうだ? 北洋神殿なら間近だろう」

「女性しか受け入れて貰えませんけれど、それで宜しいでしょうか?」

「きっ、君は私にどうしろというのだ!」


 赤らんで不満を鳴らす副官は、さも現状に耐え切れないといったご様子だ。

 願わくば全権を委ねて引っ込んでいて頂きたい。というのがウーナの本音だった。


「ウーナ、女性だけでも神殿に預けてしまった方が良くない? 男性の負傷者には悪いけど、それで随分と身軽になれる」

「そうねジャム。それと、役人の誰かを先触れとして走らせましょう。私からペテルクラシコの総督に報告を上げれば、この規模の避難者ですもの、都市軍なり州軍なりで対応してくれるでしょう」

「なーなー」


 纏めにかかった所でハスミンが声をかけてきた。


「あら、何かしら?」

「あたし開拓民とか向かないからさ、ウーナの下で雇ってくんない?」

「雇う? 貴女を?」

「親父に付いて回ってたから、腕には多少自信ありだよ?」

「ハスミン。申し訳ないけれど、私には私兵を雇う余裕なんてないわ。自警団に入りなさい。私の指揮下に入るんだから、それで一先ずは文句ないでしょう?」

「文句あるよ! あんな寄せ集めと一緒くたじゃ道連れになって即座にあの世行きじゃん」


 ハスミンは目くじらを立てたが、そうは言っても雇えないものは雇えない。

 けれど、ウーナはハスミンに一目を置いていた。傭兵である親から学んだものよりも、襲撃された村に単独で潜伏していた図太さをだ。


「だったら小隊長に任命してあげる。お眼鏡に適うのを集めて隊を組めば良いわ。これから移動になるから、斥候なんかとっても重宝よ」

「ちぇっ、取り敢えずはその辺か。でも雇えるようになったら雇ってくれるよね?」

「はいはい。考えておきましょう」


 ハスミンとの遣り取りでウーナは考える事が増えた。自分の立ち位置を確認させられたのだ。

 着任して、腰を据えて任に当たる筈が、のっけからこの有様だ。このまま開拓村の復興に従事する事になるのか、それとも賊退治へと駆り出されて行くのか。

 前者の場合、あの副官が開拓使に繰り上がって、その下に置かれはしないか。いっそ使えそうな自警団員に引き抜きをかけて、このご時世、臨時募集のある都市軍にでも飛び込んでしまった方が良いのかもしれない。

 体裁は悪いが、この副官の下に就くよりは幾分マシに思われた。

 ウーナは元々、時世に合わせて柔軟に生きて行くつもりでいた。それは好き勝手をするという意味ではない。

 成人したての若造として任に就き、上に従い、世間一般とは如何なるものかを学ぶ気持ちはある。ただ、唯々諾々として状況に甘んじるのではなく、常に機に対して敏であろうというのだ。


「悩ましいわね」

「ウーナ、考え事?」


 背後から首っ玉に抱き着いて、ジャムが頬擦りをして来た。


「ああ、気にしないで頂戴ジャム。大した事じゃ、って、ちょっと。耳を噛まないでくれる?」

「やだ。ウーナ分を補給しなくちゃなの」

「意味不」

「いいの! 今日は一遍に色々あったんだから」


 甘え出したジャムは中々言う事を聞かない。纏わり付いて離れるという事を知らないのだ。

 ウーナは諦めて妹を好きにさせたまま、早速、報告書をしたためにかかった。

 今は考え事をする前に、目下の仕事として、避難民を総督府に託すのが先だ。

 ウーナは仕上げた報告書を先触れに持たせ、州都ペテルクラシコへと走らせた。

地図等

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=75065318

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