002 アグレアさん、やらかす
昔話です。本筋は帝歴六一三年からになります。
帝歴六〇四年、春。
アグレア・ドレイファスは母マルタと共にその妹、つまりは叔母の在家を訪れていた。
季節は春と言っても、北方サイレンの果てともなれば、まだ残雪が遠近と目につく。
九歳のアグレアは母親にお仕着せられた着ぶくれ姿で、如何にも窮屈そうだった。
「まぁアグレア、貴女も来てくれたのね。叔母さんの事は覚えてる?」
「はい。お久しぶりですハンナ叔母様」
分厚いフードを外して挨拶し、ペコリと頭を下げれば再びフードが被さる。その煩わしさにコートを脱ぎ捨てたくなるのだが、厳格な母の手前、我慢せざるを得ない。
アグレアの母マルタの妹ハンナが嫁いだクレベルソン家は古くからの農村貴族で、家長は代々騎士号の世襲を許されている。
家屋は石組のありふれた田舎農家だったが、農地の他に、それなりの広さの牧場があって、そこで馬や羊を飼育していた。
サイレン地方という土地は、古くはノルドラントというフリア人の国家があって、それが王政に移行してノルデン王国になった。
王政期に領邦君主として配された上級貴族の下、功を成した農村貴族に騎士号が授けられたのだ。
王国は後に王の意向で議会制ウィンターランドへと移行し、それを最後に帝国の統治下に呑み込まれている。
クレベルソン家の歴史を紐解けば、四、五百年は続く世襲騎士の家系という事になるのだった。
「ハンナ、貴女の子たちは何処?」
「娘は牧場の方に出ているわ。息子はお昼寝よ」
ま・き・ば!
普段からやんちゃに野を駆けずり回っているアグレアは、牧場と聞いて早速、そちらへ飛んで行いきたい気持ちで一杯になった。
そわそわし出した娘に母親の冷ややかな視線が落とされる。それでも負けじとアグレアは声を上げた。
「お母様、私も牧場! 牧場! まー・きぃ・ばっ!」
「貴女アホの子なの。繰り返さなくても聞こえてます」
「まっ・きっ・ばっ!」
「もう、煩いわね。そんなに行きたいなら行ってらっしゃいな」
「はいっ!」
叔母さんの失笑もなんのその。アグレアは放たれた矢のように駆け出し、コートを脱ぎ捨てて石垣の向こうへと飛び出して行った。
「こらっ! コートは!?」
「お母様にあげるー!」
いりません。と顔に文字浮かべて苦り切った表情のマルタ。それを宥めすかして、ハンナは打ち捨てられたコートを拾いに行った。
「元気に育ってるじゃない」
「それだけは確かね。けれど、私はもっとおしとやかな娘に育って欲しかったのよ」
「姉さんの子だもの。土台無理な話よ」
「ん? 久々に姉妹喧嘩でもする?」
「はい降参」
姉妹はしばし真顔で見つめ合い、同時に噴き出して家の中へと入って行った。
一方、牧場へ駆け込んだアグレアは、牧羊犬と戯れる従妹を発見した。
「ウーナ!」
大声で呼びかけながら駆け寄れば、振り返った従妹は思いっきり不思議顔。ついでに牧羊犬には吠えられる始末だ。
「……だれ?」
「んん?」
「ここ、クレベルソンの牧場よ?」
「いやいやいや」
去年も来たでしょ、と言いたかったが、相手は四つ年下だ。去年四才なら覚えていないのも仕方のない事かもしれない。
「ほら、従姉のアグ姉ちゃんだよ。忘れちゃったのぉ?」
「知ってたわ」
「をいっ! なんだそれ!?」
「わーい、引っかかったぁ。そろそろ来るって聞いてたもの」
「やめてよもう! せっかくの再会が台無しでしょ」
「もっとびっくりする事があるわよ」
「びっくりはもういいよ」
「ダメ、びっくりしてくれなきゃ遊んであげない」
「えー……」
従妹のウーナは一風変わった子だった。
アグレアにとってそれが苦手という訳ではない。
嗜好は似ている気がするし、一緒に居て退屈しないのだが、時折会話がちくはぐになる。お構いなしに進めたり、あっさり話題を変えてしまったり。そういう事が間々あった。
「アグちゃん、こっちよ」
快晴の陽射しに真珠色の髪を輝かせながら、ウーナは厩舎へと走り出した。
すっかり出鼻を挫かれたアグレアも、気を取り直して後を追う。
長い厩舎はどれも空だった。
馬たちは外に出されているのだろう。
更に行くと厩舎が途切れて、今度は羊小屋が現れた。馬と違って群れごと入れるので、こちらはかなり大きい。
二人は小屋の前で立ち止り、幅広の大きな観音開きの木戸に手を当て、ギィと音を立てて押し開けた。
「ジャム! アグちゃんを紹介するわ」
暗がりの中に動いたものが何であるか、アグレアは咄嗟には理解出来なかった。
珍しい家畜かな、と思って目を凝らした所へ、戸口から射し込む陽射しの下に、それは現れた。
「はじめまして。ジャマルディです」
「わあ!」
「ほら、びっくりした」
ヘムネス人だ! 話に聞くばかりの南方人を見てアグレアは驚いた。
マリブ人が初めてカンタゴナのヘムネス人と遭遇した時、黒い肌を見て夜の国の怪物だと思ったそうだ。マリブ人はカンタゴナを攻め滅ぼし、彼らを奴隷として使役した。
ヘムネス人は未だに各地で奴隷制という鎖に繋がれている。
彼らを奴隷と見做さないのはここサイレンと、西のゾアフティくらいだろう。
サイレン地方にも奴隷はいた。しかしそれは困窮した者が自らの身を売る場合で、買う側の根底にあるのも助け合いの精神だ。
長い冬。痩せた土地。少ない人口。助け合いなくして北の暮らしは成り立たなかった。
「貴女ヘムネス人ね。初めて見た。とっても奇麗な白い髪ね」
「ありがとう。私は北の部族だから髪は真っすぐで白いの。南の部族は髪も真っ黒で縮れてる」
アグレアは羨まし気にジャムの白い髪を見つめ、つい触れそうになった手を引っ込めた。
北部に暮らすフリア人はおしなべて銀髪や色の薄いブロンドだ。しかし一部では少数ながら黒髪のフリア人がいる。
アグレアはその血も色濃き黒髪のドレイファス。母方フェダールの血はドレイファスのそれに敗北してしまった。
子供心にもアグレアの薄い色合いの髪に対する憧れは強かった。
「黒い髪ならタタハリの子供。白い髪ならタタハリの従者なんですって」
ウーナが付け足す。
女神タタハリは滅びしカンタゴナの地母神殿に祀られる神だ。
帝国には神代に建てられたと伝わる七つの神殿がある。その他の神殿は全て人の世を迎えてから築かれたものだった。
七神殿には全て合わせて二十二柱の神々が祀られていた。
「へー、地母神タタハリかぁ。じゃあじゃあ守護宮は?」
「女王蜂座の女蜂宮です」
「げぇ!? なら守護神もタタハリじゃない! くっそ、まじか!? いいなぁいいなぁ地元守護神。ウーナもじゃんか! 私だけ縁もゆかりもないってどゆこと!? 羨ましいっ、あー!」
この年頃の女子はどうにも星座が気になるらしい。
神々は地に祀られると同時に、黄道を繋ぐ星座にそれぞれの天宮を持つ。そこが神去りし後のお住まいなのだ。そして誕生日に示される天宮の神が、その者の守護神であるとされていた。
アグレアの言う地元守護神とは、所縁の地方にある七神殿の神と、己の守護神とが合致する事を指した造語だ。
例えばウーナの場合は、女神プラキアを祀る北洋神殿のあるサイレン地方生まれ。舟帆座は展帆宮の守護神もプラキアで、これは地元守護神になるからアタリという事になる。
対してアグレアはサイレン生まれの恋人座。恋患宮の守護神はスピナス地方の雷霆神殿に祀られし女神フェルベライ。よってこちらはハズレ。
地元守護神は幸運に恵まれるなどと様々な迷信もあり、何も女子供ばかりが信じている訳ではなかった。
ただ、アグレアが騒ぎ立てるのにはもう少し理由がある。
地母神殿と北洋神殿はどちらも一柱の女神しか祀っていない。その為、地元守護神をゲットできる確率は単純に言って二十二分の一。スーパーレアな守護神なのだ。
「アグちゃん息切れしてるわ」
「うん、ちょっと力入り過ぎた。まぁ守護神の話はいいや。それでウーナとジャムとはどういう?」
「私たち姉妹になったの」
「ほほーう。ごめん、ちょっと分かんない」
五歳の娘に言うのもなんだが、もう少し脈絡を下さい。アグレアはそんな念を込めてウーナを見つめた。
二人の間にほろ苦い沈黙が漂う。
やがて、ウーナの頭上に燦然とエクスクラメーションマークが輝いた。
「おとうちゃまがペテルクラシコの街へ行って、ジャムを買って帰って来たの。家族が増えたねってお祝いをして、だから私たちは姉妹になったのよ。もちろん私がお姉ちゃん」
「なるほどねー。お土産にジャムを頼んだら、こんな可愛いジャムが手に入っちゃったみたいな?」
上手い事を言ったつもりが、ウーナの冷たい視線に滑ったと知らされるアグレア。前言を撤回したかったがそうもいかない。
「なるほどですか?」
ジャムが親切に要らない部分を聞き流してくれた。アグレア、ここに復活。
「うんうん、なるほどだよ! 私たちフリア人にも奴隷制はあるけど、無理矢理な奴隷がいたら、買える人が買って自由にしてあげる。みんなでお金集めたりしてね。ジャムがここにいるのって、そういう事なんでしょ?」
「……うん」
クレベルソン家に引き取られるまでの不幸を思い出して、ジャムの目元には涙が滲んだ。
「わぁ、ごめんね。ごめんね」
「妹を泣かすなぁ!」
「いぎっ! くはぁぁ……なんてことを!」
ドゲシッ、とウーナの幼女キックが向う脛に炸裂。今度はアグレアが涙目になった。
子供というのは本当に容赦のない生き物だ。
「蹴るなぁ! ここから逆転するんだから、おとなしくしててよっ」
逆転という響きが琴線に触れたのか、ウーナは素直に引き下がった。それでもアグレアは警戒を緩めず、ウーナから少しでも距離を取って先を続ける。
「知ってる? ジャム。私たちフリア人が欲しいのは奴隷なんかじゃなくて助け合える仲間なの。心から信頼できる、な・か・ま」
「仲間?」
「そう。ジャムはウーナと姉妹になったから家族だよね。私とは従姉妹同士になった。私はアグレア・ドレイファス。これからもよろしくね、ジャム」
「うん!」
嬉しさ交じりにはにかみながら、ジャムは両手をパタパタさせて前掛けをはたいた。
その可愛らしい仕草に、アグレアは深く紅いカメリアの瞳を細め、思わずぎゅっと抱きしめる。
「ねぇねぇ、何して遊ぶ?」
抱き合う二人の空気もなおざりに、ウーナはもう次に何をするかを考え始めていた。
アグレアは抱きしめた折に乱れてしまったジャムの髪を整えながら、
「さてどうするか」
と、ひと思案。そこで、はたとジャムの格好に目を止めた。
「ジャム、貴女、前掛けなんてして、何かお手伝でもしていたんじゃないの?」
「山羊さんのお乳を搾ってました」
「えらーい。ウーナはワンコと遊んでたのにね」
「遊んでなんかないわ。牧場を見張ってたもの」
「牧場は見張らなくて良いでしょ? 馬とか山羊を見張りなさい」
「わかるわ」
「そうは見えない。とにかく遊ぶ前に搾ったお乳を運んじゃおう」
それから三人はミルク缶を手に、足並みを揃えて家へと戻って行った。
搾りたての乳を届けた三人は、野山で遊ぶ格好になって再び家を飛び出した。
出がけに、あまり遅くならないようにと釘を刺されたのだが、きちんと返事をしたのはジャムだけで、アグレアもウーナも生返事を放り投げて来たという態だ。
「アグちゃん、山で探検する? それとも牧場で騎士ごっこ?」
ウーナは去年した遊びを思い出しながら、ワクワクした声で尋ねた。
するとアグレアは駒留に繋いだ自分の小型馬へと駆け寄って、鞍に括った荷を弄り始めた。
「じゃじゃーん!」
振り返りざま、宝物を見せびらかすようにして得物を掲げるアグレア。
「あら、弓矢ね。それで的当て?」
「ちっちっち」
ウーナの推理に指を振り立てる。
的当て、ではない。
「狩り?」
少し考えたジャムの答えに、アグレアは両腕を広げ、
「ぴんぽーん!」
正解したジャムの頭をなでなでした。
「ちらほら野兎が出歩く頃でしょ? 仕留めてお昼ご飯にしよう。お母様たちも驚くよ」
「それは面白そう!」
「でも上手くできるのかな?」
ジャムの心配を余所にアグレアには自信があった。
取り出した弓は七歳の誕生日に父からプレゼントされたものだ。以来、折を見ては父娘揃って母親の目を盗み、狩りに勤しんできた。
二人に問えば揃って経験はないとの返事だったが、何の事はない。基本を教えるくらいは十分に出来る。
「さぁ、獲物を探しに行くよー!」
「おーっ!」
三人はウーナの記憶を頼りにして、例年、野兎を見かけるという場所を巡った。
牧場広しをあちらこちらへ練り歩く。が、一向にして野兎の野の字も見当たらなかった。
「ダメダメじゃん」
「きっとアグちゃんのせいね」
「ちょ、なんでよぉ」
「知らない人が来たから隠れちゃったのよ」
「人見知り! もっと心を開いてよ!」
「それは無理よ。心を開いた途端に矢が飛んで来るんですもの」
アグレアはウーナの空言に脱力し、如何にせんと顎に拳を当てた。
「森へ行ってみるのはどうかしら?」
思案の末、三人はウーナの提案で森に入る事にした。
遠く見晴らす冠雪の峰々から延々と続く樹林が、牧場の目の前まで続いている。
アグレアは小さな子を連れて森に入る事を多少心配したが、二人にとっては勝手知ったる地元の森なのだろう。確かな足取りを見る内に、アグレアもその気になって獲物の痕跡を探し始めた。
「? 何か音がしました」
奥へ奥へと進んで行った先で、ジャムがアグレアの手を取って告げた。
指さす方に目を凝らせば、微かに茂みの葉が揺れたような気がする。
アグレアは空いてる手を水平にして下に沈め、従妹たちに身を屈めるよう指示を出した。
自らは弓矢を構え、未だ見えざる獲物の動きに集中する。
ガサッ――。
音が立って、茂みから姿を見せたのは黒くて丸い何かだった。
声を上げそうになった二人が揃って見上げてくる。
アグレアは目配せで「そのまま」と伝え、つがえた矢を静かに引き絞った。
――何あれ? 猪のお尻? 射って平気かな?
アグレアは経験者には違いなかったが、これまでの獲物と言えば兎と鳥ばかり。
目の前に現れた獣を射たとして後の動きはどうなるだろうか。予想はつかなかった。
彼我の距離、およそ十五メートル。
「ウーナ、あれは美味しい獣なのかな?」
「ジャム、それを知る方法は一つしかないわ。アグちゃん、早く仕留めちゃって」
おチビたちは気楽なものだ。しかしここで及び腰を披露する訳にも行かない。
――素早く二射すれば平気かな。こっちに詰めて来なければどんどん射っちゃえばいいよね。
ようやく見つけた獲物だ。是非とも仕留めたい。
見事仕留めて年長者の威厳というものを示したかった。
――よし、初の猪ゲットするぞぉ!!
その気になった所で、アグレアは腰裏の矢筒から飛び出す七本の矢柄を見た。これを素早く取り出して二射目を射るイメージを思い描く。
息を止め、唾を飲み込み、そろそろ震え出しそうな馬手を緊張から解き放った。
――当たれっ!
ひゅん、と矢羽根が空を裂く。
弦の振動が弓手に伝わった。
矢は尻尾の真下。急所中の急所へと見事に突き刺さっていた。
「やったぁ!」
余りに狙い通りだったせいか、アグレアはすっかり二射目を忘れて小躍りした。
そしてその喜びは悶絶して身を翻した獲物の正体に凍りつく。
無論、猪ではない。
「ぎゃー!! 逃げて逃げて! 二人とも早く逃げてっ!」
仕留めた獲物を一目見ようと立ち上がった二人は、突然の警鐘に身を固めた。
ウーナはチラ見した時点で理解した。
相手は仔熊だ。
近くに親がいたらそれこそ最悪な、一番手を出しちゃいけない獲物だった。
ジャムは熊というものを知らなかった。
見た事はおろか聞いた事すらない。
チラ見した分にはずんぐりと丸っこくて可愛いな、と思った。
「チラチラ見てなくていいから、早く逃げてっ! ウーナッ、二度見してないで!」
チラリズムは大人になってから! 子供は即退散!
などと意味不明な思考に囚われつつ、遅蒔きに二射目の矢をつがえた所で、茂みの奥から絶望さんがこんにちわ。
「ああああ、やだぁー! お母さんっ! お母さーん!」
この時期の熊は冬眠明けで空腹に違いない。
血の気が引いて行くのが分かった。
最早パニックである。
熊のお母さんも釣られてパニック!
アグレアはぶれぶれの矢を放って弓を投げ出し、矢筒を打ち捨て、既に走り出していた二人の後を追いかけた。
同じ頃、ハンナ・クレベルソンは昼餉の支度を終えて牧場に来ていた。
隣には姉のマルタもいる。
二人とも釘を刺した筈の娘たちが一向に戻らないので、外へ様子を見に来たのだ。
「アグレアはお仕置き決定ね。お姉さんなのに何をやってるのかしら」
「里帰りの時まで厳しくしてたらくたびれない? それより牧場にいないのが心配よ」
ログで組んだベンチに腰かけて、ジャスミンのお茶を啜る。
やがて、なだらかに下る牧場の緑を、道と隔てる石垣の向こう。遠い峯に連なる森の裾から我が子らが飛び出して来た。
見れば三人が三人とも両の手を突き出した格好で、泣き喚きながら走っているではないか。
「ちょっと何事!?」
「何か武器を取って来るわ。姉さんは先に行って!」
揃ってお茶を噴き出しながら、踵を返したハンナに続いて、マルタは駒留の馬に飛び乗った。
状況が不明なら意味も不明。マルタはとにかく娘たちを迎えに牧場を駆け下る。
ところが三人は石垣を越える頭もないらしく、道なりに向きを変えて逸れて行く。
呆れに次いでマルタを襲った衝撃は生半のものではなかった。
娘たちの後方から、赤毛の熊が巨躯を揺すって飛び出して来たのだから。
「嘘でしょう! 何やってるのあの娘たちはっ」
娘のやんちゃに振り回され続け、呆れ諦め慣れ切った。そう思っていた所へこれだ。
咄嗟に馬首を巡らせ、横手の石垣に垂直になるよう針路を切る。
マルタは武器こそ扱えなかったが、武門の名家ドレイファスの夫人として恥じないだけの馬術の技量は備えていた。
石垣を一息に飛び越えた。
手綱を繰って道に乗り、くたくたになっている娘たちの脇を駆け抜ける。
擦れ違いざま我が子が弱々しく「おかあさん」と漏らすのを確かに聞いた。
お母様と呼ばせるまでにかかった手間が、ふと脳裏を掠めた。
「宝瓶宮に憩う水瓶ニィよ。御身の悪戯な魔法を以って、災いを遠ざけ給え!」
守護神たる水界と妖精の女王に加護を乞うて、眼前の熊に怯える愛馬を懸命に御す。
マルタは馬ごと母熊に突進して行った――。
地図等
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