012 行動開始
渦巻いた風に翻弄されて、蝶があらぬ方へと舞い上がる。
百騎の騎馬が草原を駆け抜け、直進から今、大きく右へと旋回して行った。
「いいか! 騎兵突撃ってのは突進力が全てだ! 槍は真っ直ぐ構えていさえすりゃあいい。敵は突進力でブッ飛ばす。そんじゃあもう一回り行くぞぉ!」
威勢の良い号令に、応と叫んで馬群が続く。通過した後には土ごと蹴り上げられた草の塊りがごろごろと転がった。
「シクスったら口ばかりじゃなく、馬の扱いは堂に入ったものよね」
「でも見て、ほら。後ろ半分が全然付いて行けてない」
「あれでも随分と上達した方でしょう。最初の頃はてんでバラバラな方向に走ったりしていたんだもの」
天幕の前に立って、ウーナは優雅に紅茶を啜りながら練兵の様子を眺めていた。
横手を見れば、ハスミンがカールを手本に立てて弓の教練を行っている。
隊を二つに分けて、馬と弓の教練を交互に行い、合間合間に白兵戦と休憩を挟む。ここ数日ウーナの部隊はそんな訓練メニューを繰り返しながら過ごしていた。
「デイバーエンドの任務だけど、このまま先送りしてて良いの?」
「気にする事はないわ。時間はまだたっぷりあるわよ」
ウーナたちが今いるのはドレイファス家のお膝元となるドレッドキープの郊外だった。
ノルデンフリアの深い山道を南西へ抜けて、最初の中継点であるルーペンを通り、更に南西の第二中継点、ドレットキープへと到達した。今は不在だが、従姉のアグレアが総督として居を構えるルペラニカの州都だ。
今は四月の終わり。部隊はここで、約半月を訓練に費やしていた。
任務地であるデイバーエンドはドレッドキープから西へ一七〇キロ行った辺りにあって、行こうと思えばいつでも行けた。
ウーナはギリギリまで留まって、プルプル仔鹿の素人集団を、最低限の水準まで鍛え上げるつもりでいた。
「さて、シクスが後一周したら白兵戦の教練ね。たまには私が鞭を取ろうかしら」
「それはよした方が良いと思う」
「あら何で?」
「ウーナの教え方はちょっと」
「ちょっと何よ。はっきり言いなさい」
「だってウーナってば、ドーンとかバーンとか、ベベーンとかって教えるでしょ?」
「感覚を共有するのが大切なのよ」
「うん。でもそれ全然分かんないから」
「そんな事ないでしょ」
「でも、私は分かんない。多分みんなも」
「細かい事は気にしなくてもいいのよ。任せておきなさい」
お任せ出来ない。ウーナの教え方というのは、本当に言葉通り、自分が分かっている事を感覚的に伝えるだけなので、言われた方はチンプンカンプンなのだ。ここへ来てしゃしゃり出て来られても困ってしまう。
どう説得したものか、と頭を悩ませていると、ジャムの目に飛び込んで来るものがあった。
「ウーナ、誰かこっちに向かって来てる」
「あら、どちら様?」
ジャムの示す方向から、単騎の兵がやって来た。背に通した旗指物は赤地に黒猫。ドレイファス家の伝令だ。
迎えたウーナは、伯母マルタからの呼び出しと聞いて、早速向かう事にした。これでジャムも一安心だ。
「ハスミーン!」
「おー?」
「ちょっとお城へ行ってくるから、適当に切り上げておいて頂戴」
「分かったー! お土産よろしくー!」
「はいはい」
ハスミンの言うお土産というのは矢の事だった。訓練で使う矢は都度回収していたが、それでも無くなったり折れたりして目減りしてしまう。ウーナは補填の為、城へ行く度に少しずつ分けて貰っていた。それが伯母、姪の誼というやつだ。
ドレッドキープはサイレン地方で最も人口の少ないルペラニカ州にある。これをドレイファス家が長年、兵農一体によって生産と防衛の両立に努めて来た。
一帯人口が五万程度の都督府にあって、一万の兵役人口を有するという例は他では見られない。
通常、中央が制定する都市軍の兵役人口は、一帯人口の五%から八%で一割には満たないものだ。それが二割に達するのは兵農一体により現地徴用兵の数が五割を超えているからだった。
その上、ドレイファスの兵は歴史を紐解いても精強で知られている。中央でもその人気は非常に高く、ルペラニカ州軍、及びドレッドキープ都市軍への赴任を希望する士官や兵士は後を絶たなかった。
城門を潜ったウーナとジャムは厩番に馬を預けて城内広場を歩いた。
錆び付いた檻と呼ばれる主城は黒光する岩の三重城壁に囲まれ、夥しい数の尖塔が天を衝く。
城郭内には総督府と都督府、更にドレイファス家とその主だった家臣の住まいがあり、広々とした敷地内の至る所を猫が闊歩していた。
「伯母上、お呼びにより参上しました」
「早かったわね。二人ともそこへ掛けなさい」
ドレイファスの居館は最内、第三城壁の内側に張り付くように建てられている。
造りは何処も質素な構えで、客人を招き入れる広間にすら飾り気と言うものが見られない。質実剛健を旨とするフリア人らしさと言えるだろう。
着座を促したマルタは杖を突きながらやって来て、三つの封書をテーブルに並べた。そして椅子を引き、腰を落としては一つ深い息を吐く。
当主兼総督である娘のアグレアが不在である今、マルタは城代を務めている。但し、兵権に関してはアグレアが指名した副官の一人が総督代理としてこれを握っていた。
「今日になって矢継ぎ早に報せが舞い込んで来て。どれから話したものやら、迷ってしまうわ」
「伯母上にしては珍しい事。なら良い報せからお願いします」
「良い報せね。さてはて、ならこれかしら。ハンナからの手紙よ」
「あら、母上から?」
マルタは一通だけ官府を行き来するようなものとは異なる封書を取り上げて、既に取り出してあった便箋をウーナに差し出した。
「え? 母上がポーラノーラへ? 牧場はどうするのかしら……」
「私にも見せて」
隣で大人しくしていたジャムが、珍しくもウーナの動揺する内容と知って、思わず横合いから手を出した。
文面からは母ハンナの困惑が読み取れる。
挨拶もそこそこに書かれた内容は、牧場にポーラノーラからの使者が来て、突然、住まいを移すように言われたとの書き出しに始まった。
避難については父アルヴァーも承知の事で、使者はアルヴァーの上官であり友人でもあるポーラノーラの都督ヤコブの手配だと書かれている。念の為の避難という名目で、詳しい事情の説明もなかったらしい。
ハンナは避難の必要があるとは思えないと書いており、更に、どうしても避難が必要ならば姉マルタのいるドレッドキープへ行きたいと結ばれていた。
「こちらへ呼ぶのは構わないのだけれど、状況が分からずに困っているのよ」
「そもそも伯母上、これは良い報せではないわ」
「母親からの便り、という点では良い報せでしょう」
内容には三人が三人とも「何かおかしい」という思いを抱いた。
先に起こった開拓村の一件を除けば、ノルデンフリアは平和そのものだ。無論、生活の苦しさは他州と変わらなかったが、避難の必要性を感じるぼどではない。
「この手紙から分かるのは、お父様が避難を考えるような状況で、お母様は理由が分からずに困ってる、という事。だとしたら一緒にいるトーケルも不安だと思う。伯母様、私は一先ず二人をこちら呼んでしまった方が良いと思います」
「確かにジャムの言う通りね。ここで私たちがあーでもないこーでもないと話しをするより、母上たちを呼んでしまって、直接聞いた方が早そうだわ」
「良いでしょう。娘である貴女たちの意見が一致しているのなら、私も何ら悩む必要はありません。直ぐに使いを立てましょう。では次に進むわよ」
マルタは次の封書に手を伸ばし、二人に読み聞かせた。内容はサロモン帝の崩御と、それに伴う新帝即位に関しての中央からの布告文だ。
「まじか……。サロモン帝って四、五年前に即位したばっかりだったよに思うのは私の気のせいかしら?」
「これでまた色々と荒れて来そう」
ジャムの言葉に、伯母もウーナも「全くね」と青い息を吐き出した。
とは言っても、これに関しては死んでしまった者をどうこうできる筈もなく、新帝即位も順当な流れだ。地方に在っては告知されました、承知しました。と、済ます他はなかった。
「それにしても皇太子殿下ってかなり若かったと記憶しているのだけど」
「殿下は今年で十二歳におなりよ。これまでの即位の最若年が十四でしたから、更にお若いという事になるわね」
「来月即位って、もう明日だ。一夜明けたら第二十代レオカディオ帝の御世になる」
「良い治世を願うわ。残りはこれね」
ウーナは不躾にも伯母の前に置かれた封書を断りもなく取り上げた。
おしとやかな娘を好むマルタは咎めこそしなかったが、呆れ顔でその様子を眺めていた。
最後の封書は帝都にいるアグレアからのもので、冒頭、予定されていたセイバーウォール行きが延期になった事について触れられていた。続いてその理由が書かれていたのだが、そんな事まで書いちゃっていいの? 的な内容にウーナもジャムも目が丸くなった。
アグレアはシレッとサロモン帝が弑逆されたと書いて寄越したのだ。
内容を精査すると、即位の儀の際に罪人への刑が宣告されるとあり、明日には誰もが知るのだと分かったが、普通はこんな風に手紙に書いて寄越したりはしない。しかも北地のお茶やお菓子を送って欲しいとか、待機は退屈ですとか、私信めいた事まで混ぜこぜに書かれている中にだ。
「アグちゃんったら相変わらずね」
「あの娘はドレイファスの恥を固めて作ったようなものよ」
「そんなに言ったら可哀相です、伯母様。アグ姉様もきっと頑張ってると思います」
ジャムのフォローが虚しく聞こえるほどの内容ではあった。
「二人はこの手紙、何か思わなかった?」
「さぁ、どうかしらジャム?」
「どいう事ですか伯母様?」
「ハンナの手紙と他の二通。有り体に言えば皇帝陛下の崩御だけれど」
「それならタイミングという事かしら?」
「そうか。中央は早くから崩御の情報を掴んでるから、都市軍にいるヤコブ都督やお父様にも伝わって、それでお母様の避難を考えたのかな」
「んー、そこまではどうなのかしら? アグちゃんの手紙だけど、確かに知らない人が見たら相当ぶっちゃけてるわよね。でも、アグちゃんなりにかなりオブラートに包んでるわよ、これ。アグちゃんでも気を遣う内容を、中央が滅多やたらに地方に飛ばすかしら?」
「その通りね。私も二つが連動しているとは思わないわ。ただ、この二つが時期的に重なっているというだけで、何か良くない事の兆しに思えてならないのよ」
現情勢に負の拍車をかけるような皇帝の死。そしてその拍車がかかった結果を占うかのようなハンナへの避難指示。指示を出した以上、ヤコブとアルヴァーは何らかの危険がハンナに及ぶと考えるだけの根拠を持っているのだ。
それが皇帝の死と繋がっているかは分からない。分からないが、身内が絡むだけに、一抹の不安に襲われるのも無理のない事だった。
「とにかく伯母上。伯母上は直ぐにも母上に使者を出して下さいな」
「ええ。早馬と伝書鳩でヤコブ都督の手配した迎えが来る前に報せるつもりよ」
「お願いします。私はデイバーリーチに使いの者を出して、父にそれとなく尋ねてみましょう。名目は母上の避難先の変更を知らせる為とでもしておけば問題ないわ。ジャム、使いは誰が良いかしら?」
「馬の扱いならシクスかヘンネムさんだけど、後はハスミンか私か」
「ああ、ヘンネムがいたわね。彼に頼みましょう。では伯母上、私たちはこれで下がります。何かあれば夜中でも呼んで頂いて結構ですから」
三人はモヤっとしたものを抱えつつ解散した。
退出後、ウーナは直ぐさま閉めた扉を開いて、恒例の矢の持ち帰りに断りを入れた。危うくハスミンへのお土産を忘れる所だった。
野営地に戻ると、既に炊事の煙が立ち上っていた。
ウーナは空腹を先に満たし、それから主立った面々を集めた。城での事を踏まえて、隊の今後に関して方針を決める必要があった。
「私は相談役として、お側付きを命じられていますので、使者に立って長く隊を離れる訳には行きません」
ヘンネム・ハスローはアルヴァーによってウーナの隊に付けられた相談役だ。
ヘンネムは己の役割に反するとして、デイバーリーチへの使者を断った。言い分としては尤もである。
「それもそうね。ならヘンネムはここに留まって騎兵の調練をお願い。シクスに行って貰いましょう。いいわね?」
「戻らなくても文句言うなよ? デイバーリーチには中々の娼館があるんでね」
「一日の逗留を認めるわ。往復二日で三日後には戻ること。夜明けと同時に発って頂戴」
シクスは逗留期間の延長を要求したが、ウーナは全く取り合わなかった。
ハスミンが助平野郎と野次ればシクスも中指を立てて返す。十も離れた女子を相手に下品な振る舞いではあったが、ウーナはそうした事には全くの無頓着だった。
「それから、今話した通り、急な崩御や即位で中央が慌ただしいわ。この状況を見て反乱軍が動く可能性は高いと見るべきでしょう。そこで、ハスミン」
「はいよっ」
「貴女の方で信頼できるメンバーを集めて班を組んで頂戴。明朝デイバーエンドへ先行して、情報収集開始よ」
「了解! ようやくそれらしい展開になって来た」
「カールも連れて行くわよね?」
「もち。って、ああ、弓の指導役か」
「いいのよ。それはこっちで何とかするわ。任務優先でお願いね」
「あいあい」
ウーナは傭兵の心得があるハスミンに、ここ数日で随分と信頼を寄せていた。
隊全体を見れば未だ烏合の衆に毛が生えた程度の集団だ。そんな中で、ハスミンが見込んだ面々だけは、急速に様になりつつあった。
「ウーナ、私たちは?」
「少なくともシクスが戻るまでは今まで通り訓練を継続するわ。ジャム、貴女は弓の指導役を兼ねて頂戴」
「分かった」
近接戦闘を得意とするジャムだが、弓も中々の名手だ。と言うより身体能力に恵まれ、体を使う事柄に関しては万能タイプであると言えた。
「シクスが持ち帰る情報、或いは指示に沿って、隊の行動方針を決めるわ。今日の所は以上よ。みんな、しっかりと休んで、明日からに備えましょう。解散!」
三々五々、散っていくと、ウーナはジャムを伴って、寝る前に物資を確認して歩いた。
兵糧はまだ十分にある。装備も伯母マルタの厚意で槍、剣、弓矢、は一端の物が揃い、更に中古ながら状態の良い革鎧を五十領回して貰えた。
無償ではない。これらの代金に関しては、後日、ルペラニカ総督府から、ノルデンフリア総督府へ請求が回るのだ。中央に属すと、このようにどこへ行っても補給が受けられるという点で優れていた。
「元々の鎧持ちが半数の百程度だから、未だに五十人が鎧なしって訳よね」
「しかも、元々のは厚手服がほとんどだし、他もパーツ抜けしてる鎧ばっかり。遊軍と言っても都市軍なんだから、そこはちゃんと支給して貰いたい」
「それもシクスから父上に伝えて貰いましょう。デイバーリーチは五、六〇キロしか離れていないのだし、用意さえして貰えれば直ぐにも取りに行けるわ」
「ねぇ、ウーナ」
「なに?」
不意に前に回り込んだジャムが、何やらにこにこと笑みを湛えていた。
「あのね、私たちの旗を考えてみたの」
「旗? あら素敵。どんなのかしら?」
「それはねぇ。じゃん!」
ジャムは鎧下に押し込めてあった布を取り出し、ウーナの前で広げて見せた。満を持して広げられたそれは縦割りの二色旗。片側が白、肩側が黒、絵柄の類などはなく、実にシンプルなデザインだ。
「どうかな? ウーナの白と私の黒。名付けて白黒昇旗!」
「お葬式よ」
「え?」
「お葬式!」
ジャムが豆鉄砲喰らったような顔をして固まった。どうやら予想もしないコメントだったようだ。
「誰がどう見てもパッと思いつくのはお葬式よ。死に装束の白と喪服の黒でしょうが。縁起でもない」
「で、でも」
「ジャム。これじゃ半旗を掲げて死の行軍になっちゃうわ。みんなの士気は駄々下がりよ?」
「ううっ」
「ちょ、何で泣くのよ」
ウーナの喜ぶ顔が見られると思っていたジャムは、訳も分からず涙を零した。
これは面倒な事になったと、ウーナは素早くご機嫌取りに回った。
白黒昇旗という名前はいいわね、だとか、真ん中に何か金糸で刺繍しましょう、だとか、とにかく懸命に慰めた。しかしそこは十四歳の少女。慰められれば余計に火が付くという謎のルーチンが発動し、いつの間にやら騒ぎを聞きつけた隊員が人集りとなって、隊長が副長を泣かしたと要らぬ騒ぎに飛び火して行った。
囃し立てる周囲に反って冷めてしまったウーナは、縁起の悪さを敵に押し付ける分には、この旗印でもいいのかしら。などと思ったりするのだった。
地図等
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