表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グラデニア戦記(仮題)  作者: K33Limited
1/34

000 プロローグ ~デイバーリーチの戦い断章~

 見渡せば燎原に火は絶えて、所々、灰鼠はいねずに燻る煙ばかりが漂っていた。

 草の海に浮かぶ小島の如く密集した木立。その中に息を潜める五十名足らずの部隊。

 静まり返った朝の気配と隙のない包囲網に、兵士らはいよいよ意気阻喪し始めていた。


 帝歴六一三年六月。

 遡れば十六年前の乱に端を発し、中央軍を二つに割った中央戦争の混乱。それは終結から四年を経た今も尚、残火燻らせ、熾火が爆ぜるように乱を引き起こしていた。


 帝都北東、およそ三五〇キロ離れたデイバーリーチでは、乱を鎮めんとした都市軍が内部の反乱により分裂。反乱軍の手によって、中央が任じた司令官は排除され、主城を取り巻く五つの支城が奪われた。

 リーチ城に立て籠もった残存勢力は、秘かに一部の兵を城外へ出し、包囲網を形成する支城の一つを奪取。それによって外部と連絡を取り、援軍を呼ぼうと画策していた。




「キム、敵陣に動きは?」

「副長。まだ向かっては来ないみたい、かな」


 その答えを確かめるように、副長ジャマルディ・イニヤンガは見張りの頭越しに木立の向こうを窺った。

 夜半の行軍は予期せぬ遭遇戦となり、何とかここへ逃れたが、夜が明けた今、残された時間は僅かだろう。

 副長は夏だというのに、粟立つチョコレート色の肌を摩った。そうしながら、希望を探していた。


「どの方角も同じね」

「抜け出せそうにないかな?」

「今の所は、うん。ところでキム、ウーナを見なかった?」

「隊長なら少し前に様子を見に来たけど。副長と同じで巡回してるんじゃ?」

「そう、ありがとう。昨晩の戦闘ではぐれた者たちは?」

「誰も。死んだのか、逃げたのか、何も分からない」

「そう……」

「副長」

「なに?」

「僕たち助かるかな?」

「キムがお守りをくれたじゃない」


 副長は愛想も誤魔化しもない小波さざなみのような笑みを浮かべた。

 手には初陣の前に、キムが送った河原の石が握られている。ただの石くれだったが、流れに磨かれて宝石のような艶があった。

 キムのベルトには、代わりにと渡された、副長手作りの根付ストラップが挟まれていた。こちらは蜜蜂をかたどった幸運のお守りだ。


 どちらも兵士と言うにはまだ若い。

 二人に限らず、隊は軒並み十代の若者で構成されていた。そしてそのほとんどが軍歴のない者たちだ。


 キムは、こうなる前は石工をしていた。別に選んだとか、望んだとか言う訳ではない。

 親もまた石工だった。その親が、生活の苦しさから農村の蜂起に加わった。

 連れ出されたキムは、鎮圧に来た軍に追われて方々を逃げ回った。やがて、親ともはぐれ、共に逃げる農民たちと賊徒のような暮らしに落ちて、結局は軍に囲まれ、そこで強制徴用されたのだった。


 長引く戦禍は、戦費を賄う税という形で農村を締め上げる。

 そこへ加えて、近年の天候不順から冷害を招くという負の連鎖。

 塗炭の苦しみに喘ぐ者たちは賊に落ちるか、安かりしとはいえ手当の出る兵士になるか、残された選択肢はそう多くはなかった。


「じゃあキム、ここは任せるね」


 黒い肌の副長は高い所で束ねた真っ白なポニーテールを揺らして背を向けた。

 その白さが、黒い肌と土色の鎧に良く映えていた。

 キムはその遠ざかる後ろ姿を、青い想いを込めて見送った。


 副長の足取りは早い。

 木立の間に間に隊の者と目が合えば無言の目礼を交わし、隊長の行方を追う。

 隊長のウーナとは長い付き合いだ。

 十年近く、二人は北の辺境で家族も同然に育った。いや、気持ちの上では本当の姉妹か、それ以上だった。

 北地に暮らすフリア人は黒い肌のヘムネス人を差別しない。

 ジャマルディは南方で奴隷に落とされ、北の果てでクレベルソンという一家に買われた。

 買われたが、奴隷としてではなく、家族として迎えられた。そこでウーナと出会い、人間として生きる喜びを知ったのだ。

 もし、ここで命が終わるのならば彼女の隣で死にたい。そう思った。万が一にも、ウーナを逃がす事ができたなら最高だな、と。




 ウーナ・クレベルソンは北方、サイレン地方の生まれ。ポーラノーラの街に程近い、猫の額ほどの所領を持つ田舎貴族の家に育った。

 フリア人は男女の別なく長子が後を取る。その為、ウーナは世襲を許された土地持ち騎士である父の後継に立てられた。

 緑の牧場に暮らし、両親の他には弟が一人。そして五歳の時に家族に迎えた同い年のヘムネス人が一人。

 家畜で事足りるので家猫はいない。

 犬は牧羊犬が二頭いた。


「ふぅ。この辺りかしらね」


 ウーナはお誂え向きな小岩に腰を下ろした。

 木立の中の狭い曇天を見上げ、浮かべるのは薄い苦笑い。

 昨夜は散々な乱戦になった。

 後追いで敵と当たるだろう父の部隊に勝機を作るべく、ウーナは別動隊を率いて、支城の裏手へ回り込みを図った。

 ところが予想外の速さで城を落していた敵は、城周辺に掃討部隊を差し向けており、部隊はその網にまんまと飛び込んでしまったのだ。

 ウーナたちは草原に身を伏せて極力交戦を避けようとした。

 すると敵は冬越しの枯れ草に火矢を放った。

 燻り出されるように白兵戦へと移行し、燃え盛る草原の中で多くの味方がたおれて行った。

 そうした中、火の回る速さにおののいた敵と、気まぐれの雨とに救われて、ウーナたちは何とかこの木立に難を逃れた。

 しかし、明けて見ればぐるりを五百は下らぬ兵に囲まれている。

 対する味方は元いた半数という有様だった。


「やれるだけの事をやってこの結果なら、まぁ仕方がないわ」


 運を味方に出来なかったと小さく嗤った。

 短剣ダガーを膝の上に乗せると、目を閉じて、しばしの時を過ごす。

 朝の静寂に紛れる小鳥のさえずりを楽しみながら、脳裏に思い出を描いては口元をほころばせた。

 頬にかかる真珠色の髪は朝露の湿り気を帯び、払う指の白さと溶け合うかのようだった。

 やがて瞼が開かれ、海色に似たマドンナブルーの瞳が輝けば、そこには決然も沈痛もなく、日常の面持ちだけが浮かんでいた。


「我が守護、北洋の女神プラキアよ、私、ウーナ・クレベルソンは齢十四を以って御許へ向かいます。どうか御手を広げてお迎え下さい」


 しっかりと握った短剣の先を、自らの喉元へと差し向ける。


「父上、母上、お先に参りま――」


 ドンッ!


 横合いから突き飛ばされた。


「何やってるの!!」

「あっぶ、あっぶな! ちょっとジャム貴女、今、喉! 喉かすったわよ!?」


 小岩から転げ落ちた拍子に切っ先が触れて、ウーナの喉元には薄っすらと赤味を帯びた筋が通っていた。


「ウーナがバカな事してるからでしょ!」

「バカって貴女……」

「バカでしょ!? バカバカッ、バカウーナ!」

「えごっ」


 怒涛の剣幕でジャマルディがマウントを奪った。

 ウーナは押し潰されたカエルのように呻いた。


「なんでっ……。そんなに簡単に諦めてっ、ウーナが隊長でしょう!?」

「分かってるわよ。だからこそ潔くと思ったんじゃない」


 肘を着いて身を起こそうとするウーナ。

 ジャムはその両肩を力任せに押し返して、起き上がるのを許さなかった。


「バカッ! どうしてそうなるの! 残された私たちは!? みんなここで死ねってこと!?」

「そんな訳ないでしょ。上手く逃げてくれればいいなとは思っていたわよ」

「逃げ筋があるって思うなら、そこに賭けてウーナが指揮を執ってよ!」


 怒りの収まらぬジャムが、ラベンダーの瞳から涙の粒をポタポタと落とした。

 ウーナは抜け出そうともがくのを止めて、そのままぐでんと大の字に横たわった。

 ジャマルディ・イニヤンガは昔から、感情が高まると我知らず涙を流す娘だった。

 出会ったその日から愛称はジャム。

 それまで弟しかいなかったウーナの、かけがえのない姉妹になった。


「そりゃあね、逃げ筋があればねぇ……」

「ぐすっ……ないの?」

「あったらいいなぁ、くらいよ」

「真面目に!」


 泣きたいのはこっちよ。そんな言葉を隠してウーナは嘆息した。

 とにかく目まぐるしかった。

 そもそもが体制側にいると思っていたら、知らぬ間に反乱側に立っていた。

 無論、隊長として決断はした。しかしそれも望んでの事ではない。


 出だしは良かった。

 反乱軍は想定通り、敵に大打撃を与え、全ての支城も落として見せた。

 ところが今の状況はどうだ。

 見回せば息を吹き返した敵に囲まれている。今や殲滅の時を待つばかりではないか。


「大真面目よ。私の計算だと、一方にドーンと行ってバーンとやっても倍以上の敵が相手よ。かちの隊で負傷者も有りじゃ絶望しかないわ」

「それで何もかも諦めたの? ドーンと行ってバーン作戦がダメだから?」

「言い直されると恥ずかしいから止めて頂戴。でもどうかしら? ただ、クレベルソンは代々の騎士。武門に生まれた以上、最期くらいは潔く。そう思ったのは確かね」

「わ、私に一言も言わないでっ」


 恨みがましく睨みつける。


「謝って!」

「え? 何よ」

「悪い事をしたら謝るんでしょ。ちゃんと私に謝ってよっ」


 感情に巻かれたジャムは、今の状況などどうでも良いように、ただ謝罪を迫った。

 ウーナは勢い首でも絞められ兼ねないなと思い、素直に応じる事にした。


「ごめんなさい、ジャム。馬鹿な真似をした私をどうか許して頂戴」

「……もうしないで。やだよ、ウーナ」

「分かっているわ。ごめんね」

「うん」


 ウーナはジャムの頬に触れて、流れる涙の筋を拭った。

 それから不意に、自分よりも遥かに育ちの良いジャムの乳房に手を伸ばした。

 革鎧に阻まれて温もりも手触りも有りはしなかったが。


「えっ、なに?」

「そろそろ退いて貰おうと思って」

「もう、口で言ってよ」


 若い花房を隠すようにジャムが身を離す。

 それからウーナの腕を引いて立たせると、掴んだ腕をそのままに言った。


「ウーナ。武門だからって死ねばいいってものじゃない。どんな時でも生きる意味や価値はある――。木の根や土を噛んでだって生き延びる。それだって立派な武門でしょ」


 死地にあっては生を願い、その生に何らかの価値を求める。

 人間というのは不思議なもので、誰もがそこに至り、逃れる術を知らない。

 ただ生きる。

 その事が不可能な、どうにも不格好な生き物だった。


「力説ね。でも、ジャムの言い分も尤もだわ。――さて、それじゃあ戻って、最後の最後まで指揮を執りましょうか。これで満足でしょう? 私の可愛い副長殿」


 マドンナブルーとラベンダーの瞳が互いの姿を映し出し、そこにあるべき姉妹の姿を見た。

 ウーナは最早ここでは死ぬまいと思い、ジャムは決して死なすまいと覚悟をした。



「ウーナ! ジャム! 来たよー! 来た来た来たーっ!!」


 転がり込むようにして現れたのは、隊の斥候班を任されているハスミン・セラだった。

 偽装用の枯れ草を乱暴に外せば、目にも明るい橙の髪。

 日焼けしたような小麦色の肌はバスキア人のそれだ。


「来たよっ、東から!」

「え、何が? 東の敵陣だけが寄せて来たの?」

「違うって! 来援! 味方! やっほーい!」

「来援!? どこの誰が?」

「シクスたちだよっ、うちらの騎馬隊が囲いを破って、今、東の囲いは総崩れになってる。やったね! これで命が繋がった!」


 白黒の姉妹はそれこそ目を白黒させた。

 シクスはジャムと対を為す一方の副長だ。

 彼らは父の麾下で行動を共にしている筈だった。

 追っ付けやって来て、敵と正面を切ると思われたが彼らが何故。


「どゆこと?」

「さぁねー。昨夜の乱戦で逃げ戻った連中がいたかもね。それで報せたのかも。とにかく急ごっ。脱出するなら今しかなんだから」

「それはそうね。ハスミン貴女、西側の子たちに集まるように伝えて頂戴」

「とっくに手は回してあるって。二人とも、早く早く!」


 言い終えぬ内にきびすを返すハスミン。

 三人は木立の中を全力で駆け抜けた。


 木立の東側には昨夜を生き延びた面々が揃い、駆け付けたウーナの下知を今かと待っていた。

 どの顔を見ても昨夜の疲れが抜けずにある。けれども今は、そこに希望なる輝きが添えられていた。

 ウーナは彼らを見て「何とかなるものね」と思い、ジャムは「みんなを死なせずに済んだ」と安堵の息を吐いた。


「オーケー、余計な話をしている暇はないわね。みんなっ、一気に駆け抜けるわよ。準備はいい? 負傷者には手を貸してやって」


 隊長の言葉に、生き延びるチャンスを得た若者たちの眉が開ける。

 ジャムはさっきまで死のうとしていたウーナの凛とした声に、内心可笑しさすら感じた。そしてそんな余裕が生まれた事を素直に喜ぶのだった。


「何をにこにこしているのジャム。まだ助かってないわ。私と貴女で先頭を往くわよ」

「え? ダメダメ! 先頭は矢の的なんだから、ウーナは真ん中にいて」

「戦場ならどこにいたって矢は飛んで来るわ。私が隊長なんだから、当然先頭よ」


 このようにウーナには運を天に任せる所があった。

 生への執着が希薄と言うか、己の命に殊更の重きを置かないのだ。

 為せば成る。天が許せば生き延びる。

 そうした生来の楽天は時に勇ましくもあったが、ジャムにしてみればとんでもない事で、ストレス以外の何物でもなかった。


「負傷者は中に入れて守りなさい! 持つのは盾。剣はいらない。さぁみんな、ドーンと行ってバーンとやってビュビューンと逃げるわよ! 天宮にいます己が神の加護を願って!」


 ウーナの指示に隊が一つの生き物へと変わる。

 時を置かず行動に移さねばならないとあって、ジャムもそれ以上は言葉を飲んだ。


「いざっ、我に続けー!!」


 ファーストペンギンが飛び出して行った。

 フリア人としては歳を考慮しても小柄で痩せっぽち。そんなウーナが大声上げて先頭を切り進む。

 その後ろから、若い雄叫びが思い思いに追い被さっては連なった。


「我が守護、展帆宮ソルヴィットの女神プラキアよ。束の間、我らの生を繋ぎ給え」


 ウーナの静かな祈りが隣を行くジャムの耳にも届いた。

 神去って人の天地となりしこの時代、果たして加護は下るのだろうか。

 ジャムは一瞬そんな事を思ったが、直ぐにその考えを振り払って、己が守護神の名を叫んだ。 


「大地の母、女蜂宮レギナアピスのタタハリよ! 今こそ御身の加護をくれらせ給え!」




 これは一地方の局地的な戦闘に過ぎない。

 しかし、このような戦いがこの時代には何処へ行っても繰り返されていた。

 争い、奪い、従え、牛耳る。

 天を巡る二十二宮の神々は黙して語らず。

 疲弊した民は、この混乱を終結へと導く英雄の登壇を待ち望むばかりだった。

地図等

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=75065318

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ