きくこの毎朝
スカートをなんとなく手で払ってから家を出た。玄関から門までを歩く間に、真向かいの家のドアが開く音がした。少し足を早めて門を抜けると、ちょうど家を出て門の方へと向かうふーちゃんと目が合った。
「おはよー」
「おはよ」
朝の挨拶はたいてい、ふーちゃんからだ。
梅雨が明けた途端、空は真っ青になって、挨拶を返した時に上げた手をそのまま降り注ぐ朝の陽射しにかざしたら、光が肌の上で跳ねた。肌に当たる風はもう、夏の暑さを帯びている。
「朝から暑いねー」
手で首筋を扇ぎながらふーちゃんが先に話し掛けてきた。中学入学と同時にこの街に引っ越してきた私は、すぐ目の前の家に同級生の女の子が住んでいても、クラスが違うのもあって、特に仲良くなることはなかった。
今年、クラスが一緒になってから、毎朝、学校に一緒に行くようになったきっかけはもう覚えていない。帰り道が一緒になり、一年生の時は朝、顔を合わせてもなんとなく頭を下げる程度だったのが、彼女の人懐こさもあって一気に仲が良くなってしまった。呼び方も、弓長さん、から、名前のフミコから取ったあだ名のふーちゃんに変わったし、ふーちゃんも私をいつのまにか「きくちゃん」と呼ぶようになった。
「暑いねー」
「はい、きくちゃん」
一緒に学校に行くようになってから、二人だけの秘密にしていることがある。日ノ内中学の生徒の姿が多くなる道に出るまでの間に、お互いが交互に用意した飴を食べる、というのがその内容で、毎日ではないけれど、たまにこうしてふーちゃんからだったり、私からだったり、飴の手渡しが密やかに行なわれる。
手渡されたのが大玉の飴だったので、思わず笑ってしまった。
「ちょっと。大きいよ」
「よし。ウケた」
「えー」
小声で話しながら、二人して飴を口の中に放り込み、ゆっくりと歩く。男子にばれたりしたら大変なことになるから、できるだけ、こそこそと。夏みかん味の飴の甘さと酸味で少しだけ、暑さが薄れたようだった。
昨日の朝、話したことはもう覚えていない。学校のこと、友達のこと、クラスのこと、きっと他愛のないことだ。中学を卒業した後でも、思い出すことはないような話なのだと思う。今日、これから私たちが話すこともそうやって忘れていくのだろう。
でも毎朝、時にはふーちゃんとこっそり飴を食べながら登るこの坂道の風景が、私の記憶の中から消えることはきっとない。大人になってふーちゃんと再会したとき、飴のことを懐かしく話す私たちがいたら、いいな、と思いながら、今日の私たちは数学の宿題の話をし始めた。
掲載日:2014年 09月25日 18時54分
最終更新日:2014年 09月26日 13時01分