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クロは、本当の感情を自らの心の箱に閉じ込めている。
本当のクロはもっと残虐で、厳かで、恐ろしいものだと言うことは、
あの光景を見てしまったぼくだけが知っている。
この純粋な少女のクロは、
自分の中に「パンドラの匣の中身」が眠っていることを知らないのだ。
それ故に、自分が「災厄」と呼ばれることを嫌っている。
彼女をパンドラ・ボックスと呼んでいいのは、目覚めてしまった時だけなのだ。
「んーっ、あまーい!ねーねーミソラ!
これ、とってもあまいよぉ!!まるでケーキみたい!!」
「それはそうだよ。だってそれはケーキなんだから……」
と、いうわけで。
クロは最も価値の低いDランクの秘宝として、
ぼくは旅の魔法使いとして城下町へと入ることに成功した。
今は喫茶店の中でこの城下町の名物、
「ストロベリーシフォン」を2人で食べている。
例えパンドラ・ボックスが中に入っているからといって、
中身を出さなければ結局クロは人の位置が分かるだけの、ただの少女なのだ。
見た目相応の純粋さを持つ器の少女、クロ。
数万年分の悪意を詰めた秘宝、パンドラの匣。
まるで正反対の2つだが、きっといい感じに相殺しあっているのだろう。
「へぇー、これってケーキなんだぁ……あっ!」
クロがつんつん、とフォークでスポンジをつつくと、
いちごがぽろりと皿からこぼれ落ちた。
ぼくが手を伸ばすも間に合わず、
クリームのついたイチゴは地面にスカイダイビングしていった。
ぺとっ。なんとも言えない音が聞こえた。
「うぁー……いちご死んじゃったー……もう食べれないかなぁ?」
「洗えばいいと思うよ。ちょっと待ってて……」
ぼくは落ちたいちごを指先でつまむ。
そして水道を借りてぱしゃぱしゃと洗って、席に戻った。
すると、あーん、と口を開いてクロが待っていた。
「……え?」
「ほぁ!はあふ、ふひほははひひへへ!」
聞き取れる言葉でお願いしたい。
ぼくはとりあえず、スポンジの上にいちごを戻した。
すると、クロはぷぅ、と頬をふくらませる。
「……むーーーっ」
どうやら納得いかなかったようだ。
「……ダメだった?」
「だめだった!」
「ぼくはどうすれば良かった?」
「言わないもん。ミソラはもっと、おんなのこの気持ちを考えるべきだもん」
そんな事言われても……。
ぼくは小さなため息を吐き、
背負っていたリュックサックから1枚の紙を取り出した。
そこには「盗賊討伐任務」とでかでかと書かれている。
「それが今日の仕事?」
ぼくはクロの質問に頷いて答えた。
この世界では、家を持たないぼくのような放浪者は、
こういった依頼をこなさなければ生計を建てることができない。
この異世界に来る際に魔法を使えるようにしてもらったのはそのためだ。
そして、ぼくが選択する任務は基本的に「人」が関わるものになっている。
例えば「人探し」だったり、「人間退治」だったり。
どちらにせよ、クロの「人間探知」の能力が活きやすいためだ。
ただ、クロのデメリットとしては
「人間」は探知できても「秘宝」が探知できないというものがある。
つまり、秘宝の力によって隠された人間や、
人間退治をする際に相手が秘宝を持ち出してきた場合、
事前の情報が役に立たなくなる。
その上、クロは戦闘能力をほとんど持たない。
ぼくはこの世界では一般的な魔法使いという扱いなので
中級的な魔法までならひとまず扱えるが、
クロは基本的に何も出来ない。
出来ることと言ったら棒を振り回したりするくらいだ。
そのため、戦闘などはすべてぼくが行うこととなる。
今のところ秘宝と戦闘をしたり、
自分より格上の魔法使いとの戦闘も無いため、
それなりの生活は出来ているが……今回の相手は盗賊だ。
もし秘宝を盗んでそれを悪用しているような相手ならば、
苦戦は免れないだろう。
さて、どうやってこの盗賊団と戦うか……。
ぼくが作戦を練ろうとしていると、
クロが食べているケーキをじっと眺める少年がいた。
少なくとも清潔とは言えない黒ずんだ服を着て、
今にも倒れそうなくらいに、痩せこけている。
クロは困った表情でぼくを見る。
ああ、分かっている。
クロがこういう顔をする時は、どうすればいいのか分からない顔だ。
自分の分をあげるべきか、
それとも新しいものを注文してあげるべきか。
ぼくは財布を開き、ある程度余裕があるのを確認した。
「すいませーん」
クロは、ぼくが店員さんを呼ぶと
、ぱぁっと表情を明るくして、
その少年に「ちょっと待ってね」と言って、優しく撫でてあげていた。
表情が優しそうな店長らしき人が来る。
しかし、ぼくが注文をしようとする、その前に。
「……はぁ、また来たのか!おい、薄汚い小僧!お前にやるもんはない、さっさと帰れ!!」
その店長は顔を一気に険しくする。
大きな罵声が店に響いた。
それを聞いた瞬間、少年は震え上がって、
そのまま店を逃げるように出ていった。
クロも固まって、店長を見つめていた。
「……失礼しました、旅のお方。あの子供はこの城下町でも悪名高い盗人小僧でして。うちの商品もいくつか盗まれているんです」
まずい。
クロはこういった負の感情にとても弱いのだ。
店長の言い分は分かる。
だが憎しみや恨みのこもった言葉や行動は
クロの中のパンドラの匣に共鳴して、蓋を開けてしまいかねない。
目の前のクロはパーカーをかぶり、震えてしまっていた。
「ああ、失礼しました。お客様。何か、ご要件がございましたか?」
「……ストロベリーシフォンを2つ、持ち帰りで」
はい、承りました。そう言って下がっていく店長を脇目で見ながら、
クロのそばにぼくは座った。
「……クロ?」
「……やだ、やだ……。……こんな、■い気持ち、やだよぉ……」
すっかり怯えきった姿。
これを見るのは、久しぶりだった。
いままでの町は、みんな穏やかで優しい人間ばかりだったから。
ぼくはクロの手を取って、自分の手をその上に重ねる。
「……クロ。大丈夫、大丈夫だよ。
クロの分とあの男の子の分のケーキを買ったんだ。
一緒に食べれば、また□くなれるよ」
「……うん、わかった。ミソラがそう言うなら……」
クロはぼくの手を取り小さく頷いた。