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ウサギ部屋   作者: 水経
9/19

26日目

26日目?


 9年ぶりに再会した彩人を、なぜか直視することができない。これが照れなのか、緊張なのか、戸惑いなのかよく分からなかった。もしかしたらその全てかもしれないが。

 最初は海と都会の景色が一望できる広いリビングに案内されたが、そこでは確実に緊張してしまうためいつもの部屋にしてもらった。

 いつもの部屋のいつもの位置にお互い座っている。それでも緊張してきた。ウサギの着ぐるみを着ていた時の方がまだ気安かった。

「有朱、最初に確認しておきたいんだけど」

 記憶の中よりもずっと大人びた声に未だ驚いてしまう。最後に一緒にいた頃は彩人がまだ中学三年生くらいで、今はもう大人なのだから当然だが。

「えっと、何?」

「前も聞いたかもしれないけど、いつここに来たとか……本当に覚えてないの?」

 後頭部が少し痛んだ。これは例の頭痛の予兆だろうか。

「覚えてない、です。学校の終業式が終わって……春生と教室で話して……気がついたら、視界は真っ暗でずっとあの電子音を聞いてた……かな」

「そう、分かった。そしたら話していこう」

「はい……その、荻野さん」

 彩人は突然笑い出した。片目を細め、口角を上げると急に幼くなったように感じる。何と呼んで良いのか分からず、咄嗟に思いついた呼び方をしたのだ。

「荻野さんって、キミも荻野でしょ? ややこしいし、昔みたいにお兄ちゃんって呼んでよ。恥ずかしいなら彩人でもいいよ」

「じゃあ、彩人……?」

「うん、良くできたね」

 彩人は義理の兄だった。

 7つ離れてはいたが、私のことを本当の妹みたいに可愛がってくれていた。

「9年前、どうして突然いなくなったの?」

 これはずっと聞きたかったことだった。長い年月が経って、彩人の記憶は少しずつ風化していた。それでも昨夜彩人を見た時に、幼かった当時の記憶が呼び起こされたのだ。

「その……目と何か関係があるの?」

 彩人は左手を眼帯に添え、静かに微笑んだ。

 その寂しげな横顔に、少しずつ昔の記憶が甦る。

「そうだね、有朱はその時居なかったけど……あの人の振りかざした裁ち鋏が、たまたま目に当たったんだ。そのまま入院して、退院した後家には戻らなかった」

 彩人の言うあの人とは、おそらく義母のことだ。彩人は義母の連れ子だった。彼女は気に入らないことがあると、居間の机にいつも置いてある裁ち鋏を振りかざしてきた。私の髪も、あの裁ち鋏で……。

「高校は淳のアパートに居候させてもらって、大学は都内にアパートを借りて通ったよ。その後卒業して、ある程度生活していける資金が貯まったから、キミを迎えに行こうと思ったんだ」

 このマンションを見ると、ある程度生活していけるどころではない金額を稼いでいる気がする。

「あの家は辛かった……特に幼い有朱にとっては尚更ね。でも、やっと迎えに来れた」

 彩人の声は落ち着いていた。ただ、時折浮かべる微笑みが作られたもののように感じる。幼い頃からずっと強く見えた彩人も、本当は辛い気持ちを隠していたのだろうか。

「遅くなってごめんね。でも、これからは僕が一緒だから。有朱は何も心配しなくて良いんだよ」

 彩人の右目のことを考えると胸が穏やかではないが、もうあの家には帰らなくて良いのだ。彩人と暮らしていけると思うととても嬉しい。ただそれでも、どうしても引っかかることがある。

「えっと、どうしたの……?」

 黙って彩人の顔を見つめていると、ウサギの白い耳と赤い瞳が重なって見えてきた。やはり彩人はウサギだったのだ。

「その、迎えに来てくれたのは嬉しいんだけど……どうして最初から姿を見せてくれなかったの? それに手と足を縛って、目隠しして……」

 監禁、という言葉は伏せておいた。

 このことについては尋ねられるだろうと分かっていたはずなのに、彩人は少し狼狽えている。

「あれは、その……趣味で」

 趣味……?

「久しぶりだったから、直接顔を合わせるのも恥ずかしかったし……有朱があまりにも……可愛かったから、誰の目にも触れさせたくなくて、なんて」

 誰の目にも、触れさせたくない……?

「本当にごめん……もし必要なら、そこの窓から飛び降りてくるから」

 突如立ち上がり後ろのカーテンを開ける彩人。

「え、やめて! 大丈夫、大丈夫だから……もうどこにも行かないで」

 本当にやりかねないと思い、久々の大声を出した。

 止まってはくれたが、彩人は窓の外を眺めたままだった。ビルの隙間に挟まっている窮屈な青空を見つめているのだろうか。

「彩人も冗談言うんだね」

 全て真面目な顔で言うため、どこからが冗談なのか分からなかった。ただ、趣味うんぬん以降は全て冗談だと思いたい。

「冗談、かな?」

「うん、冗談、だよね?」

 念を押すように尋ねたが、彩人は答えなかった。

 彩人の背後に立ち、広い背中にそっと身体を預けてみた。真っ白なワイシャツから、いつもウサギが匂わせていた甘く爽やかな洗剤の香りがする。

「今は詳しく聞かないけど……そのうち、ちゃんと教えてね」

「……うん」

 不思議だった。この3週間、ウサギの正体を、監禁の理由をずっと考えていたはずだったのに。ウサギが彩人であると分かっただけで、もう十分だと考えてしまっている。

 彩人がいる。あの女がいない。

 それだけで、全てがどうでも良くなってしまっていた。

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