表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウサギ部屋   作者: 水経
8/19

25日目

25日目?


 この日、私は部屋を脱出した。

「有朱! 大丈夫か!?」

「待って春生……速いっ! ずっと運動してないから、足がもう……っ」

 私が約25日間過ごしたあの部屋は、タワーマンションの24階だった。エレベーターで地上2階へ降り、有名ホテルのロビーと見紛うラウンジを走り抜ける。

「待って、春生……!」

 私の手を引く制服姿の彼女こそ、お風呂場の声の主。同級生で幼馴染の相模春生だ。

「急がないと奴が戻ってくる!」

 長年の剣道で鍛えた春生の腕はたくましく、転びそうになる私を何度も受け止めてくれた。

 外に出てすぐ、春生は道路に向かって手を挙げる。

「タクシーで行くぞ」

 人が忙しなく行き来していたが、背の高い春生は少し目立っている。

 やがてタクシーが一台停車すると、春生は私に先に乗り込むよう言った。

「グリーンロード商店街へ」

 硬いシートに身を沈め息を整えていると、春生の細く大きな手がそっと私の手に重なった。

 見上げると、彼女も私を見ていた。

 久しぶりに彼女の顔をまじまじと見た気がする。きりりとした眉が下がり、切れ長の鋭い目が微かに潤んでいる。

「相変わらずのイケメンっぷりだね、春生……」

 辛気臭い空気を吹き飛ばそうとしたはずだったのだが、春生の目は一層潤んでいった。

「有朱、お前……良かった!」

「わぁっ!」

 突然強く抱きしめられた。私よりも遥かに育った胸の塊が肺を圧迫してくる。

「春生、苦しい、春生……」

「心配したんだぞ! ケータイは繋がらないし、夏休み最初の課外も全部来てないから……」

 指摘されて気づいた。

「あ、課外……あったんだ」

 ケータイの存在もすっかり忘れていた。おそらくウサギがまだ持っているのだろう。私の鞄も、制服も……。

「でも、どうして春生はあそこが分かったの? どうしてウサギと……交流というか、繋がりがあったの?」

 春生は怪訝な顔で答える。

「ウサギ? 何だそれ……」

「え……? あの部屋にいた人だよ、ずっと私の世話をしてくれてた……!」

 まさか、春生の前では姿を隠していなかったのだろうか。

「そもそも今はあそこがお前の実家だったろ?」

 え?

「お前をあんな風に閉じ込めていたのは……」

 息を呑んだ、その時。

「お客さん、着きましたよ」

 運転手の声により、春生の声は遮られた。

「……とりあえず行くぞ」

 運賃は春生が支払ってくれた。私は一銭も持っていなかったので助かったのだが、予想より高額で少し驚いた。

 タクシーから降りるとちょうど正面にゲートがあり、石畳でできた道の両脇には沢山の店がひしめき合っている。緑色のゲートには、グリーンロード商店街と白抜きで書いてあった。

「懐かしいね、ここ……」

「ああ、そうだな」

 小学生の頃、この商店街に春生とよく遊びに来ていた。中高は春生の部活が忙しく、一緒に行くことは少なくなっていたが。

「どこへ向かってるの? あそこが私の実家って、どういうこと?」

 急ぐ背中に疑問を投げかけるも、返答はなかった。私の手を引いたまま、疎らな人の間をすり抜けていく。

「ねぇ、春生」

 最近ウサギとしか会話していなかったせいか、声が小さくなった気がした。商店街の賑わいに声が掻き消されていく。

 婦人服専門店、薬局、CDショップ……いくつかの店の並びに既視感があった。

「あ、この先って……」

 商店街の石畳が終わり、裏のゲートを抜けた。すると、懐かしい一戸建てが目に入る。

 ひやま動物病院と彫られた石の看板がまず目に入る。その横にはネコの形をしたプレートが下がっていて、ネコの胴体部分に診察時間が書いてあった。

小さな石の階段を昇ってドアを開けると、可愛らしい鈴の音が響く。

「はーい! ただいま……って……」

 カウンターの奥から出てきたのは、白衣にマスクの男の人だった。ツンツンとした茶髪と高い身長に萎縮して一時は春生の後ろに隠れるも、何だか見覚えのある姿に隠れるのをやめる。

「もしかして、有朱ちゃん……!?」

「はい。あの、淳くん……?」

 恐る恐る尋ねると、彼はマスクを外した。頬のソバカスが露になると、懐かしい気持ちが一層強まる。

「そう! いやぁ久しぶりだなぁ、もう高二だよな? 春生ちゃんが連れてきたのか?」

「そうだが……」

 堅い返事の春生。一方淳くんはカウンター越しに私をマジマジと見つめてくる。

「いやー、綺麗になったな! 有朱ちゃんも立派なお姉さんなんだなぁ」

「親戚のおばさんか、お前は」

 春生の辛辣な口調に少し驚いたが、そういえばこの二人は従兄妹同士だったということを今思い出した。

「だって6年ぶりだぜ? 」

 夢でみた時よりも更に身長が伸び、顔つきが大人っぽくなっていた。目が更に細くなって顔の輪郭がはっきりとしたからそう思うのだろうか。

「淳くん、大学卒業したんだね」

「おう、しっかり親父の跡継いで獣医さんやってるぜ!」

 ふとウサギ小屋でのやり取りを思い出した。動物が大好きで、私が小学生の頃よくウサギ小屋に遊びに来ていた淳くん。結局、あの夢の中のパンダ柄ウサギはどうして倒れていたのだろうか。

 しかし今は回顧している場合ではない。

 横にいる春生の袖を何度か引くと、頭を少し下げてくれた。

「ねぇ、春生……どうして今ここに来たの?」

 カウンターの向こうの淳くんに聞かれないよう、春生の耳元へ囁く。すると珍しく春生は笑った。

「こいつに匿ってもらう」

「「え?」」

 淳くんと声が重なった。

「え? 匿う? だって、アイツは? やっと有朱ちゃんと暮らし始めたんじゃねーのか?」

 暮らし始めた?

「だから、あの変態野郎から有朱を守りたいんだ」

 話が見えてこない。

「変態野郎って、アイツ有朱ちゃんに何か……っと」

 バイブ音が響き、淳くんはスラックスのポケットからケータイを取り出した。着信の表示画面を見て、なぜか目を見開いている。

「わりっ、ちょっと待ってて!」

 淳くんがカーテンの奥へと消えていくと、春生は深いため息を吐いた。

「今出るのか……全く、こっちも急いでいるのに」

「えっと……」

 舌打ちをする春生を恐る恐る見上げると、吊り上がっていた眉が下がった。

「ああ、すまない。どうかしたか?」

「さっきから、誰? 私と一緒にあの部屋にいた人は誰なの?」

 やはり春生は怪訝な顔をする。

「……奴はお前に姿を隠してたのか?」

「うん、ずっとウサギの着ぐるみを着てた。その人に最初は手と足を拘束されて、目も見えないようにされてた……でも、段々それは外してくれたの。お風呂とトイレの時以外、あの部屋からは絶対に出してくれなかったけど」

 春生の顔が、哀しみと苛立ちに染まっていくのが分かった。気づいた時には、再び抱きしめられていた。

「そうか……怖かったよな、辛かったよな……もう大丈夫だ。私が何とかする」

 チクン、と胸が痛んだ。

「ええと……ありがとう」

 言えなかった。

 ただ閉じ込められてただけではない。ウサギは美味しいご飯を作ってくれて、勉強を教えてくれて、色々なことを話して教えてくれた。いつもそばに居てくれた。

 ウサギが何か悪いことをした訳ではない、ただウサギには自分が必要なのだ、と。

「だが、なぜ奴は有朱に……いや。とりあえずこれからどうするかを淳が帰ってきたら相談する」

「うん……それで、さ。誰なの? 私を……」

 監禁していたのは。

 最後の言葉は、耳触りの良い鈴の音に掻き消された。玄関の方を振り返ると、深い黒を宿した片目と視線がぶつかる。

「あ……」

 心臓が跳ねると同時に、例の頭痛が始まった。頭の中が、幸福と災厄が同時に訪れたような奇妙な状況に陥る。

「有朱……」

 最初右目の眼帯のせいで気づかなかったが、9年ぶりに見たその顔は幼い私が見る度に安心したものだった。柔らかい輪郭の大きな瞳、その下の泣きボクロ、薄ら血が通った唇……変わっていない彼の特徴は、あげればキリがない。

「彩人、お兄ちゃん……?」


 この日、私はウサギ……もとい彩人の部屋へ戻った。

 帰ることを決めたのは私だ。春生は最後まで心配してくれていたが、そこは譲らなかった。話したいことが沢山あったからだ。

「有朱がいなくなってたから、焦って思い当たるところに電話したんだ」

 それで淳くんのところが引っかかったのか。

「そう、なんだ……」

 いつもの白い部屋、いつもの彼のはずなのに、何だか言葉が上手く出てこなかった。

「……ごめん。お互い話したいことが沢山あるだろうけど、今日はもう休みなよ。久々に外に出て疲れたよね」

 そう言って、彩人は椅子から立ち上がった。思わず袖を引きそうになった手を慌てて引っ込める。

 彩人がいる。

 その事実に頭の中はまだ追いついていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ