21日目〜23日目
21日目?
そもそも、私はいつどうやってここへ連れてこられたのだろう。
なぜ縛られ目隠しをされていたのか、ウサギの目的にばかり気が取られて肝心な疑問を忘れていた。
『どうかしましたか?』
ノートに鉛筆の先を置いたまま、部屋を掃除するウサギを眺めていた。視線を感じたのか、ウサギは掃除機を持ったままこちらを振り返る。
『有朱?』
今更だが、真夏にそんなモフモフの格好で暑くないのだろうか。それにその丸い手でよく掃除ができるものだ。
「ウサギさんはどこで私を見つけてきたの?」
しまった。声に出す方を間違えた。額と掌に薄らと汗が滲む。ウサギは黙っている。
やがてウサギは手にしていた掃除機をカーペットの上に置いた。
『本当に、覚えていないんですか?』
「え?」
確かに。指摘されて気づいた。
何故か最近の記憶が所々虫食いになっている気がする。ウサギに連れてこられる前もそう。高校が夏休みに入った直後の記憶がない。
一番新しいと思う記憶は、放課後の教室だ。夏休み直前の終業式が終わり、他のクラスメイトはさっさと部活へ行くなり帰るなりしていたと思う。ただ、私は早く帰ることができなかった。というのも、ある同級生につかまっていたからだ。
あの日、彼女は言った。
「ここのところ有朱は変だ」
心底不安そうな顔で、こちらの真意を確かめるような目をしていた。
今思えば、彼女はなぜあんなことを言ったのだろう。
「あ……」
彼女の言葉と共に脳内で再生された声が、ごく最近のものと一致した。
彼女の声こそ、お風呂場で聞いたあの声だ。
23日目?
『夏休みの課題と前期の復習、そろそろしましょうか』
監禁犯が何を言い出すのか。そう思って首を傾げてみせたが、冗談ではないようだ。私の通う高校の英国数社理の教科書を机の上に並べだした。
「……何でウサギさんが私の学校の教科書持ってるの?」
返事は期待していなかったが、やはり返ってこない。
英語の教科書を適当に捲っていると、見覚えのある落書きが見つかった。はっとして裏表紙を見ると、荻野有朱と黒の油性ペンで書かれている。間違いなく私の字だ。
「これ……」
なぜウサギが私の教科書を持っているのか、聞かない方が良いのだろう。気になるが、とりあえず口を閉じた。
『英語からにしますか?』
そもそも勉強するといっても、監禁されていては意味がない気がする。まさか学校が始まる頃には解放してくれるとでもいうのだろうか。
『有朱の高校は英語に力を入れている進学校のようですね』
この辺りに関しては生徒手帳から高校名を知って調べたのだろう。ここへ連れてこられた時にセーラー服だったということは、胸ポケットに手帳が入っていたはずだ。
『さて、まずは文型の復習からいきましょう。学校の問題集からいくつか一文をピックアップするので、どの文型に属すのか考えてくださいね。それでは……』
半ば強制的にHB鉛筆を持たせられ、奇妙な格好の講師による授業が始まった。
授業開始からしばらく経って、白い木の丸机を挟んで正面にいるウサギを時々盗み見た。何だか活き活きしている。顔は見えないが。
「ウサギさん……勉強好きなの?」
目の前の赤い瞳が丸くなった気がした。実際にそんなはずはないのだが。
『好き……ですか、まぁ、嫌いではないです』
「教えるのすごく上手いよね。学校の先生なの?」
素性を探るような質問には何も答えないと分かっていた。しかし、この日のウサギは機嫌が良かったようだ。
『いえ、教師ではないです』
普段は無言になるウサギが、教師ではない、という情報をくれた。
調子に乗った私の口は、次々と今思いつく限りの質問を繰り出していく。勿論、ウサギが答えてくれそうなものを厳選して。
「じゃあ、どんな仕事をしてるの?」
『IT系……でしょうか』
「先生じゃないのに、どうして教えるのが上手なの?」
『昔、塾講師のアルバイトをしていました』
このウサギの気まぐれで分かったことがいくつかある。まず、ウサギは社会人だということ。次に、ウサギがよく着ぐるみの腹の中でカタカタとパソコンのキーを叩いているのは仕事かもしれないということ。他には……。
久しぶりに英語の教科書なんてものを見てしまったせいか、頭がいつもより疲れてきた。やけに眠い。
「そっか、お昼寝してないから……」
ウサギに聞こえないようこっそり呟くと、プツリと何かが切れる音がした。
『有朱、あり……』
無機質な呼び声も次第に遠ざかっていく。目の前が真っ暗に……。
『……有朱、有朱』
無機質な呼び声で目が覚めた。
はっとして起き上がると、鈍器で頭を殴られたような衝撃が襲ってくる。
「っ……!」
『大丈夫ですか? 横になっていてください』
おかしな頭痛は最近いつもの事だったが、今日は何かが変だ。言われるままにフカフカのベッドに横たわる。
「私、どのくらい寝てたの?」
『2時間程です。またこのまま寝てしまっても良いですよ』
ウサギはベッドのすぐ横にいる。その後ろの窓を見ると、白いカーテンに橙色の光が透けていた。時間を無駄にしてしまった気がして、気分が重くなる。
「ううん、もう寝ない。それよりお風呂に入りたいな」
部屋は適度に冷房が効いていたはずだったが、首筋と背中が汗で濡れていた。
一刻も早くこのベタベタした身体を洗ってもらいたい気持ちもあるが、一番は綺麗な純白のレースに汗ジミをつけたくはない。
ゆっくりと起き上がり、汗だくのワンピースを脱ごうとスカートの裾を持ち上げるとウサギがビクリと揺れた。不審に思いつつもワンピースを脱ぎ、毎日洗って用意してくれるシンプルな下着に手をかける。するとウサギの白い腹が一瞬にして視界一面に広がった。突然のことに思わず手が止まる。
「……どうしたの?」
急に抱きついてきたウサギに声をかけると、再び身体が大きく揺れた。
『……その、服は脱衣所で脱ぎなさい』
突然の口調変更。何を動揺しているのだろう。
「どうせ脱ぐんだから、良いでしょ? 」
まさかと思うが。
『……まぁ、そうですが』
身体を見ないようにしているのだろうか。
「……」
もしそうだとしたら、やはりお風呂場で聞こえた声と目の前のウサギは別の人物だ。
なぜウサギはわざわざ彼女に私の身体を洗わせているのだろうか。私の同級生に……。
『さぁ、お風呂に入りましょう』
真っ白な腹に顔を押し付けられたまま、身体を持ち上げられた。その拍子に硬い角が額にぶつかる。
「痛い、ウサギさん、痛いっ」
少し怒りを込めて言うと、ウサギはすぐベッドに降ろしてくれた。
何をそんなに動揺しているのだろう。下着だって毎日洗ってくれているのはおそらくウサギだろうに。
「ウサギさんって、オス?」
しまった、と思った時には遅かった。思ったことをすぐ口に出してしまう癖は、意識しているつもりでも一向に改善されていない。
怒るだろうか、無視されるだろうか。身構えていたが、ウサギがとった行動は無視だった。
やはり、性別に関しては明かせないらしい。




