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ウサギ部屋   作者: 水経
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16日目~18日目

16日目?


 昨日のあれは、女の子の声だった。声変わり前の男の子のような、低くも柔らかい声の調子には聞き覚えがあった。しかし誰の声だったかがはっきりと思い出せない。そこで、ノートの隅にクラスの同級生や知り合いの名前を羅列していった。

 ウサギの方をちらりと盗み見る。白い椅子に腰掛けじっとしているかのようだが、パソコンのキーを打ち付ける音が絶え間なく響いている。仕事か、それとも課題でもやっているのだろうか。

 ウサギは注意深かった。一緒にいても、中の人の正体をばらすような言動は一切しない。

「ねぇ、ウサギさん」

 少しの間があって、音声が流れ出した。

『何ですか?』

「どうして今日は出掛けないの?」

『たまには休んでも良いでしょう?』

 社会人なのか学生なのかすら分からない。仮に社会人だとして、そんなに早く毎日帰宅出来るのだろうか? 自営業だとしたら可能性はあるが。

「休みの日もずっと私と一緒にいるけど、友達とか……いないの?」

 この監禁の核心に迫らなければ、ウサギは脅してくることもない。それが分かってきたせいで、最近はこんな事を平気で言うようになってしまった。

『……そろそろ昼食にしましょう』

 探るような質問を無視されることは珍しくない。立ち上がるウサギの丸い頭を横目に、そっとノートを閉じた。ウサギがドアから出ていくのを見送ると、フカフカのベッドに横たわる。

 あの声は誰だったのだろう?

 もしかして私をお風呂で洗ってくれていたのは、ずっと彼女だったのだろうか。そうだとしたら、何故あのタイミングで声を聞かせてきたのだろう。

 それとも、全てウサギの自演なのだろうか……?

 声の持ち主が、思い出せそうで思い出せない。考え続けると頭の中が霞がかり、これまで出会ってきた人達の顔がさっぱり思い出せなくなった。まるでセーブがかかっているみたいに。

 ウサギと声の主はどういう関係なのだろう。そもそもウサギとあの声は同一人物なのか。もし違うとしたら、私はその声の主に助けられてしまうのだろうか……?




18日目?


『髪を切りましょう』

 この日は随分早い帰りだった。まだ外が明るい。

 帰って早々ウサギは鋏を持ち出してきた。お風呂の時同様に目隠しをされ、いつもウサギが腰掛けている白い椅子に座らせられる。

「ウサギさんが切るの?」

 布の擦れる音がすると、首の周りに何かが触れた気がした。髪が服につかないよう、何かを巻いてくれているのだろう。

『ええ、当分動かないでください』

 前髪は既に顔全体を覆うほど伸びていて、後ろ髪も背中の更に下まで到達していた。寝転んでいると自分の身体や手で踏んでしまうため邪魔だとは思っていたが、ウサギも見ていて暑苦しいとでも思ったのだろう。

 金属の擦れる音はテンポが良く、頭が次第に軽くなっていくような気がした。何の躊躇もなく切っている気がするが、まさか丸坊主にされはしないだろうか。

「ウサギさん……どこまで切るの?」

 返事はなかった。流石に髪を切りながらパソコンのキーは打てないらしい。

 会話が無いと、得体の知れない彼、彼女に身を預けることが急に怖くなる。自分たちの関係が、ただの監禁犯とその被害者であることを思い出すからだ。ここに来ておそらく三週間近く経つが、その感覚は大分麻痺してきたとは思う。それでもこうして時々は現状がかなり異質であることを思い出す。

 この時突然、例の頭痛が始まった。何か嫌なことを思い出す時によく起こるものだ。髪の房が床に落ちる音、冷たい鋏の音、微かな吐息。それらに導かれて、ずっと小さい時の記憶がやってくる。


 私が何か気に入らないことでも言ったのか、それとも質問したのか。あの日もあの女は機嫌が悪かった。ただいつもと違って、手を出すだけでは済まなかった。だから鮮明に覚えているのかもしれない。

 アンタが生きてるだけでアタシが大変なのよ!

 造形の美しい顔を醜く歪ませた彼女は、私の背中から乱暴にランドセルを引き剥がした。

 こうやって学校にも行かせてるじゃない……アタシの何がいけないの?

 そしてテーブルに置いてあった裁ち鋏を振りかざす。

 生かしてもらってるだけ感謝しなさいよ!

 最初何が起きたのか分からなかった。痛みはない。どこも苦しくない。ただ、首元が涼しくなったと思った時に気づいた。頭が軽い。

 足元には、つい先ほどまで私の一部だった黒い束が散らばっていた。

 込み上げる恐怖と怒りに足元が震える。ただそれを目の前の憎い彼女にぶつけることもできなくて、目の奥から湧いた雫が頬を濡らした。

 そのまま叫び出したい気持ちを飲み込んで、家の外に飛び出して行った。裸足で、街灯の冷たい光で照らされたコンクリートの道を、ひたすら走る。前も見ずに走っていたせいで誰かにぶつかった気がするが、顔は良く覚えていない。黒い学生服の胸の辺りが丁度目の前にあった。

 どうしたの?

 そうやって、優しく尋ねられたことは覚えている。そしてその後、

 短い髪も似合ってるよ

 そう言って、温かい手で抱きしめてくれた。あれが誰だったのか思い出せない。


『終わりました』

 無機質な音声が頭に響き、意識が戻る。鈍い頭痛は弱まり、逆に気分が回復してきた。

『目隠し、取りますよ。ゆっくり目を開けてください』

 まだ目を開けていないのに、すでに少し眩しかった。そっと薄目を開けてみると、白い空間に赤い粒が二つ浮かんでいる。

「わぁっ!」

 仰け反り、椅子から転げ落ちそうになった。何とか背もたれに掴まり、落ちることは免れる。

『どうかしましたか? ほら、鏡で確認してみてください』

 ウサギがすぐ目の前にいた。不審な動きをしていた私を無視して、ウサギは大きめの手鏡を渡してくる。

 鏡を覗くと、病的に白い自分の顔が映った。それでもウサギが食事に気を遣ってくれているためか、肌の状態が良い。

 果たして私はこんな顔だっただろうか?

 伸び放題だった前髪は、眉の上でとても綺麗に切り揃えられていた。黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。腰の下まであった髪も、肩のすぐ上まで切られている。頭が軽い。

『有朱は短いのも良いですね』

「……ウサギさん、髪切るのとっても上手だね」

 本心で言ったのだが、ウサギは首を振って謙遜する。可愛い。

「ウサギさん、ありがとう」

 駄目だ。

『どういたしまして』

 不味い。

 この生活が……つまり、監禁生活が居心地よく感じ始めている気がする。相変わらず得体の知れないウサギは恐い。しかし嫌な頭痛はいつもウサギが忘れさせてくれる。

 それでも、駄目だ。やはり私はここから出ていかなければ。でも、どこへ行けばいいのだろうか。

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