11日目~12日目
11日目?
誰かのすすり泣きで目が覚めた。
誰かと言っても、この白い部屋には私とその監視者しかいないはずなのだが。
閉じられたカーテンの前、椅子に腰掛けたウサギの後ろ姿は、長い耳の生えた鏡餅のようだ。驚かせないよう、そっと声をかけることにした。
「ウサギさん……泣いてるの?」
すると白い身体がビクリと跳ね、大きな頭と身体がこちらへ向けられる。
『……起きたんですね、有朱。さて、ご飯にしましょう』
全くいつも通りの機械音が返ってきた。
まるで何事もなかったかのように振る舞ってはいるが、明らかな動揺が伝わってくる。
あのすすり泣きは、男かそれとも女かはっきりとしない本当にか細いものだった。それでも聞こえたことは事実だ。
「何か辛いことでもあったの……?」
口をついて出た言葉に自分で驚いた。本当に聞きたかったのは、なぜ私の前で弱みを見せたのか、ということだったのだ。ウサギの中の人は、私に心を開いているのだろうか。それとも私の前で泣かなければ気が済まない、余程辛いことでもあったのだろうか。
いくら待ってもウサギが答えるはずはない。次の言葉をじっと待ってはいられず、拘束された腕を使って必死にベッドの端へ寄った。
『なに、してるんですか?』
「くっついてる…………」
ウサギの柔らかい腹に身体を預けたまま、赤い瞳を見上げた。時折、頬に硬い角がぶつかる気がする。やはり腹の中にはパソコンが入っているのだろうか。
『なぜこんなことを……するんです?』
最初に声をかけた時よりも、ウサギは困惑しているようだった。それでも大分落ち着いている。無機質な音声からは分からないことが、なぜかウサギに触れているだけで伝わってくる気がした。
「小さい頃、嫌なことがあった時によくこうしてもらってたの……すごく落ち着くから、ウサギさんにもしてあげるね」
私の自由を奪い閉じ込める監禁犯に抱くのは、得体の知れない恐怖だった。しかし今この瞬間抱いたのは、それとは真逆の口にしてはいけない感情だ。それは状況と矛盾した感情だと、頭の中では理解していた。
「腕が使えたら……」
その先は言ってはいけない気がする。
ただ、手足を拘束する丈夫なタオルを恨めしく思った。
12日目?
とうとう手足の拘束が外された。
出かける前のウサギに外した理由を問うと、少しの間を置いて返事が来た。
『もう十分かと思いまして』
何が十分なのかは分からなかったが、手足が自由に動かせるのは嬉しい。もう自分で食事ができる上に移動もできるのだ。
一人になり意味もなくベッドの上で手足を振っていると、すぐに疲れが襲ってきた。ずっと使っていなかったせいか、もう筋肉痛が始まったようだ。
「やば……ねむ……」
意識を保つために声に出してみたが、食事と運動の直後に襲い来る眠気には勝てなかった。
気がつくと、空を見上げていた。鉄格子と緑色のネットで幾つにも区切られた青が目の前に並んでいる。
どこかで見たことのあるそれは、四方にも張り巡らされていた。
ここは檻の中なのだろうか。
そうだ、確か今週はウサギ当番だった。
摘んできたばかりの草花を握っていたことも思い出し、それを近くの穴の前に置いた。やがて穴の奥からそっと小さな影が出てくる。パンダ模様の子ウサギだ。
「有朱ちゃん! やっほー!」
突然の大声に、折角寄ってきた子ウサギは穴の中へ戻っていった。少しムッとして声の方を振り返ると、檻の外で学ラン姿の男の子が元気よく手を振っている。
「オレ覚えてる? ほら、アイツとよくここに遊び来てた檜山淳!」
「え、淳くん!? 覚えてるよ」
明るい茶髪と眩しい笑顔、それに頬のソバカスが印象的だった彼の様子はほとんど変わっていなかった。大分背が伸びてはいたが。
「あー良かったぁ! さっき職員室行ったら、最初不審な目で見られてさー……」
「淳くんが卒業してからだいぶ先生も変わっちゃったしね」
「まぁそうだよなぁー、卒業してからもう6年だもんな。有朱ちゃんは今年小5になったのか?」
「うん、よく覚えてるね」
淳くんはいつの間にか檻の中へ入ってきていた。近寄ってきた人懐こいウサギを抱え、とろけた笑顔を浮かべている。
「……淳くん、本当に動物好きだよね」
「ああ、大好きだぜ! 今日実はこいつらに会いに来たんだ。大学も東京に決まったし、また当分こっちには戻らなくなるからな。どうせ卒業したら地元に帰ってきて沢山診ることになるんだろうけど……やっぱ自分で世話したヤツらの孫が一番可愛いからなぁ」
灰一色のウサギは、学ランについている金のボタンを鼻で動かしていた。どうやら匂いを気に入ったらしい。
「そうだ、有朱ちゃん元気か? おばさんと上手くやれてるのか、アイツが心配してたぞ」
黒い染みが、じわりと胸を蝕む音がした。ダメだ、間を置いては……。痛いほど脈打つ心臓辺りを押さえ、何とか予め用意されていた答えを口にした。
「うん、私は大丈夫」
作り物の笑顔に対し、淳くんはとびきりの笑顔で応えてくれた。
「そっかー、なら良かった!」
その屈託のない笑顔を見ていられなくなり、視線をそっと下に逸らす。
「あ……」
先程穴に逃げたパンダ模様の子ウサギが、いつの間にかスニーカーの横に座っていた。穴の前に置いた草花の塊を一生懸命食んでいる。
しばらくその愛らしい様子を観察していると、ウサギが突然横たわった。
眠るのだろうか。
耳の薄く透けた静脈にそっと手を這わせてみると、微かに痙攣しているのが分かった。
「淳くん……! ウサギさんが!!」
「どうした!?」
頭が真っ白になった。
何も言えずにいる間、淳くんはウサギを診てくれていた。
「食べたものを戻してるな……何か毒になるものを食べたか……? この、葉っぱは……」
『有朱』
誰かに呼ばれて目が覚めたような気がした。しかし、今回は気のせいだったようだ。まだカーテンの向こうは明るい。ウサギは帰ってきていないようだ。




