6日目〜8日目
6日目?
眩しいほどの光で目が覚めた。最初は何が起こったのか分からなかったが、真っ白な天井を数秒見つめてようやく気がつく。
視界が解放されている。
久しぶりに見た自分の手足はタオルでしっかりと縛られていた。肌触りの良い白のワンピースから露出した膝頭は、以前より心なしか健康的になった気がする。
頭を起こし、首をぐるぐると回してみた。正面には朝日を浴びる半透明のカーテン、真下にはシワの寄った薄手のシーツ、塵ひとつ落ちていないフローリングの床、私が寝ているベッド横には白い丸みのある机と椅子がひと組ずつある。この部屋は全てが白い。
両肘を使って何とか上体を起こし後ろを向くと、木のドアが目に入った。この部屋で唯一、私以外に色を持っている。ここからいつも彼、彼女はやって来ていたのだ……あれ?
目が見える、ということは。これはもしや、彼、彼女の正体が分かるのではないか。じっとしていられないほどの期待感が突如胸を襲う。それと同時に、不安と隠れていた恐怖が顔を出す。
どんな顔をして監禁犯を見れば良いのだろうか。じっと扉を見つめていると、隣からアラーム音が微かに聞こえた。ああ、彼、彼女が起きる時間になってしまった。
床が軋んだ音がする。いつもならすぐにこちらへやって来るところだが、今日はなかなか来ない。どうしたのだろう。
やっと、遠くでドアの開く音がした。何だか顔を見るのが恐くなり、起きた格好と同じになるよう横たわる。しかしおかしな事に足音がしない。何をしているのだろうか。
『おはようございます、有朱』
不意をつかれた。平常を装うつもりが、肩が大きく跳ねてしまった。
『それ、痛くないですか?』
いつドアを開けたのだろう。全くいつも通りの様子にかえって拍子抜けする。しかしいつまでも無視を決め込むわけにもいかず、恐る恐る振り返る。
『有朱?』
そう呼ぶ顔には真っ赤な目が二つ。
『どうしました?』
どうしたも何も、天井に向かって伸びる白く長い二本の耳は何なのか。ほんのりとピンクに色づいた妙にリアルな鼻と口も。
「ウサギ……?」
正確に言うと、ウサギの着ぐるみ、だ。
『はい?』
「え……あ、それ……」
『さぁ、朝ご飯にしましょう』
ウサギの丸い腹の中から聞こえてくる音声に遮られた。そしてすぐ、ウサギは逃げるように部屋を出ていく。
一人になってやっと息が吸えた。すると頭が一気に疑問を吐き出し始める。あれは何だったのか。なぜウサギなのか。そうまでして姿を隠すということは、私の知っている人なのだろうか。それとも、見られたらまずいから素顔を隠しているのだろうか。
まだ疑問が処理しきれない内にウサギは戻ってきた。
『今日のメニューはベーグルと温野菜スープ、ヨーグルトです』
器用にも着ぐるみの手でウサギはトレーを持っていた。これから胃に入る物が目視できると、昨日までとは比べ物にならないほどの空腹を感じる。
いつも通り、ウサギから差し出されるままに食べ物を口で受け取った。この光景は実に奇妙だ。監禁もウサギも全てが夢ではないかと疑おうにも、温かいコンソメスープにじわりと痛くなる頬が現実であることを教えてくれる。
一口、また一口と食べさせられるうちに皿が空になった。
「ごちそうさま……」
『お粗末さまでした』
最近、少しずつだが言葉を交わすようになった。勿論腕を締めつけられたことを忘れたわけではないが、このまま何も話さないで過ごすのも辛かった。
『今、トイレに行きますか? それとも、もう少ししてから行きますか?』
そして不思議なことに、会話の数に比例してウサギからの気遣いも増えていった。
「うん……今行きたい」
部屋の外が見られるという期待は見事に打ち砕かれた。ウサギはどこからか取り出した黒い布で私の目を覆う。
『では、行きましょう』
抱えられると、爽やかな洗剤の香りがした。腰に固い角のようなものが当たっている。もしや腹の中のパソコンだろうか。そんなことを考えているうちに部屋の外へ連れ出された。
これがもし監禁という状況下ではなかったら、献身的に世話をされる要介護者みたいだ。
ウサギは一通り私の世話を済ませると、今日もまたいつものように出掛けていった。
8日目?
酷い頭痛が続いた夜。夢を見た。
黒と白の幕、白い菊に囲まれた遺影の顔はじっと私を睨んでいるようだった。外では美人ともてはやされたが、私の前では醜い姿をさらけ出していた彼女。
焼香が始まると、短い列が真ん中にできた。すり足で畳を進む親戚たちにゆっくりと礼を返していると、厳かな経に混じって雑音が聞こえた。
「ねぇ、義姉さん。今の子有朱ちゃんでしょ?」
親戚連中は焼香中も静かにできないのか。
「ああ、そうだよ。まったく可哀想にねぇ……」
煩い。
「去年の正月に会った時は線が細くてお人形さんみたいに綺麗な子だなぁって思ったのよ。でもあんなに痩せちゃって……」
「本当に、〇〇さんに似て美人な子だったよ……今回のことが相当ショックだったんだろうねぇ。まさか、自殺なんて……」
煩い……。
「あら義姉さん、○○さんとあの子は……」
煩いお喋りは鐘の音に掻き消された。もう、何も聞きたくない。何も見たくない。それでも最期にもう一度だけ、彼女の顔を見ておこうと思った。
誰もいなくなったホールを一人で何周かした。そうして覚悟を決め、白い棺に近づく。窓から顔を覗くと、急な動悸が胸を襲った。目の前が青く染まる。それでも棺を乗せた台にしがみつき、何とか体勢を持ち直す。
不自然に浮いたファンデーションや、青白い唇に馴染まない口紅が彼女の顔を滑稽に見せていた。そのおかげか、ほんの少し緊張が和らいだ気がする。
「……どうして」
明日の今頃は、灰になって石室の中で眠っているのだろう。
「どうしてなの? 」
もう二度と会うことはない。
「どうして私を……」
やっと、眠ってくれた。
『有朱』
無機質な声で呼ばれ、はっと目を開けた。橙の光に染まる床の上に、餅のような身体のウサギが腰を落としている。横になったまま深呼吸すると、夕陽を浴びて宝石のように煌めくプラスチックの目が顔を覗き込んできた。
「……帰ってきたの?」
『ええ、日が落ちる前に帰ってこられました。それより、何だかうなされていましたよ。夢を見ていたのですか?』
夢?
「見ていた気もするけど、何だったろう……覚えてないの」
この時は本当に忘れていた。
『そうですか……』
何だか機械の音声が遠く感じる。まだ夢現なのだろうか。頭の一部がモヤがかったようになって、自分の声や身体が自分のものではないような感覚がする。
「ねぇ、教えて」
口が勝手に動いた。
「あなたは誰?」
「どうして私を監禁するの?」
「これはいつまで続くの?」
ウサギはじっと固まって聞いていた。やがてゆっくりとキーを打つ音が響く。
『それを聞いてどうするんですか?』
どう、と聞かれても……なんとか脱出して、ウサギを警察に突き出して、それから……それから?
『有朱はどこへも逃げられない。もう他に帰る場所はないのだから』
脳に警鐘が鳴り響く。ウサギから離れようと少しずつ後ずさると、背中が壁にぶつかった。
『有朱』
ベッドが軋む音に身体が跳ねた。ウサギの肌触りの良い手が頬に触れ、そして首に滑る。
『アナタは何も悪くない』
「……何のこと?」
答えの代わりに、首にほんの少し力が加わった。首を絞める気だろうか。
恐い、でも。
フカフカの手から伝わる熱になぜか心が休まった。




