46日目〜46日目加筆
46日目?
彩人へ
まだ、全部が夢のような気がするの。
彼女のことも、ウサギさんとのあの部屋での生活も、彩人と結ばれたことも。不幸で、幸せな夢だったと思いたいけど、実際は違う。何もかも現実で、私はそれを忘れることができないかもしれない。
彩人が私と2人で生きていきたいって言ってくれたこと、本当に嬉しかった。だからそのために、私は謝りに行くね。許してもらえるか分からないけど。
有朱
46日目 加筆
まだ部屋が薄暗い頃。彩人が起きないようそっとベッドから抜け出した。
振り返ると少し幼い綺麗な寝顔がそこにある。艶のある黒髪の間から覗く長いまつ毛にドキッとするが、今はそれどころではない。
丁寧に畳まれて机に置いてあった下着とワンピースを身につけ、音を立てないようにドアノブを回す。
部屋を出たのは私だけではない。先日春生と花屋へ寄った時に買った××××の花瓶も一緒だった。たっぷりと水の入ったそれを慎重に抱えながら、私は2人の家から出ていった。
そろそろ動き出すであろう始発電車の時間を調べながら、人の少ない通りを歩いていく。
「あった」
ケータイの地図を見ながら、どうにか最寄り駅に辿り着くことができた。流石、都市に近い場所だけあってこんな時間でも人はそこそこいる。ホームのベンチには、スーツを着たまま眠っている人もいた。
昨晩お酒を飲んで、そのまま眠ってしまったのだろうか。それとも終電を逃して仕方なくそこで時間を潰していたのだろうか……。
電車が来るまで、向かいのホームで眠るその男の人について考察していた。やがて電車が来ると興味もなくなり、さっさと乗り込み席に座る。
彩人にはいつものノートの最後のページに書き置きを残していった。行き先は書いていない。追いかけてこられたら困るからだ。
あまり見覚えのない景色が、次第に見たことのあるものへと変わっていく。ここが彩人のマンションから意外と近いということに今更ながら気づいた。
もう次の駅だ。
花瓶の水を零さないよう、細心の注意を払いながら改札を抜ける。
そこはよく見慣れた駅前だった。通学時に毎日見たバスターミナル、花壇、銅像……。
薄緑の茎にぶら下がる可愛らしい花弁が、朝の風に吹かれて揺れている。花弁が飛ばされないように気をつけながら慣れた道を辿った。
閑散とした住宅街に鳩の声が響く。そういえば、憂鬱な朝にあの鳥たちはいつも鳴いていた。今日もやはりそうだ。
やがて、少しくたびれた木造の一軒家に辿り着いた。見た目は少し古いが、この辺りの家々から浮いているわけでもない。ごく普通の家だ。
かつて4人で暮らしたことのある家。
誰もいなくなったその家は少しだけ寂しそうに見えた。
鉄格子の門には特に鍵もかかっていない。相変わらず耳障りの悪い金属音を立てて開くその門に、なんだか懐かしさを感じる。
玄関の鍵は流石にかけられていた。片手で鞄を漁り、恐る恐る鍵を開ける。
「……っ」
中は何も変わっていない。玄関の薄汚れたマットも、居間の簡易机も……。ただ、あの花瓶はもうなかった。きっと調べるために警察関係の人が持っていったのだろう。
あの日の花瓶とは違う、細い筒状の、ガラス製の花瓶を机の上に置く。途端に大きく心臓が跳ねる。
「っ……!」
激しい動悸に胸を押さえつけた。心臓の鼓動が速すぎて、息が苦しい。
突然目の前が青く染まったかと思うと、今度は黒い影が目の前に現れる。
その影が誰を模しているのか、すぐに分かった。
「これでどちらかが死ねば、お互いが救われる……アンタはそう言ったわ」
その声は恐ろしいほどに冷静だった。
霞む視線の先に、××××の花瓶がある。
「でも、アンタには飲む覚悟なんてなかったんでしょう!? ねぇ……」
そうだ。
彼女が憎くて、助けが欲しくて、自分が嫌になった。
解放されたかった。
どちらかが死ねば、とあの日私は言ったが、結局死んで欲しかったのは……。
××××の花弁を握り天井に向けて放った。白と緑の残骸が目の前で散りゆくのを見届け、両手で花瓶を包み込む。
「あなたに……欲しかった」
枯れていた涙が戻ってきたような気がして、慌てて花瓶の中身を飲み干した。




