表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウサギ部屋   作者: 水経
10/19

27日目

27日目?


 彩人については、幼い頃の記憶しかなかった。そのため何が好きなのか嫌いなのか、得意なのか苦手なのか、あまり知らなかったことに気がついた。

 そのことを夕飯の準備中だった彩人に話すと、なぜか彩人の左頬を涙が伝った。

「え、どうしたの……!? 玉ねぎのせい?」

 丁度玉ねぎをみじん切りにしていたところだったのだ。しかし彩人は包丁をまな板の上に置いて首を横に振った。

「有朱が僕のことを知ろうとしてくれてるから……嬉しくて」

「え……?」

 涙脆いのだろうか。

 とにかく料理ができるような状態ではない。白いシンプルなエプロンの裾で涙を拭う彩人に代わり、まな板の上に並んでいた玉ねぎを刻むことにした。

「キッチン、入るね」

 カウンターからキッチンの方へ回り、よく磨かれたシンクで手を洗った。

「大丈夫、すぐに作るから……」

 いつも優しい声色が、今は少し震えていた。

「お願い、手伝わせて。私だってできるから。家でずっと作ってたし……」

 彩人の隣に立ち、包丁を握る。

「それ左利き用の片刃だから、切りにくいかも」

「え、彩人左利きなんだ……今まで気づかなかった」

 これまでウサギについて知ろうとはしていた。ただそれは純粋な興味ではなく、監禁犯の素性を探る目的でのことだった。

「有朱は絵を描くことが好きだったね。いつもクレヨンで空を描いて見せてくれたよ。青と橙のクレヨンだけいつも先になくなって……」

 振り返ると、驚いたような丸い目と視線が合った。

「だから、ウサギさんはクレヨンと画用紙をくれたの?」

「うん、そうだけど……有朱。そのウサギさんって呼び方はやめない?」

「どうして? だって、彩人がウサギさんだったんでしょ?」

「そうだけど……怖かった、よね。おかしな着ぐるみにずっと拘束されてたんだし……」

 彩人の白い頬に、ほんのり紅が灯っていた。昨日動物病院で久々に顔を合わせた時は冷静な印象だったのだが、こうして見ると色々と顔に出やすいタイプなのかもしれない。

「うーん……でも、彩人って分かったから。それに……」

 彩人と分からなくても、なぜかウサギに惹かれていた。この気持ちが、今ならばはっきりと分かる。

「何でもないよ」

 まな板の方に向き直り、続きの作業を始めた。すでに中の種をくり抜いてあるピーマンを細切りにし、ニンジンも薄く刻んでいく。最後は鶏もも肉だ。

 具を刻んでいる間、彩人は隣の電気コンロの前でフライパンに油を垂らしていた。

「もしかしてこの後、切った具材を炒めてそこにご飯とか入れる……?」

「そうそう、そしたらケチャップをあえるよ」

 これは、もしや。

「じゃあ、卵を割っておかないとだよね?」

「うん、チキンライスは作っておくから、有朱は卵を割ってくれる? 一人2つにしようか」

 間違いない。オムライスだ。

 頬の緩みを隠そうと彩人の背後に回り、冷蔵庫のドアを開けた。

「そういえば有朱はオムライスが一番好きだったけど、今も好き?」

 心臓がドキリと音を立てた。なぜ、覚えてくれているのだろう。

「今も一番好き……」

「そっか、良かった」

 好きな物も、好きなことも、彩人のことは覚えていない。

「どうして彩人はそんなに覚えてるの?」

 何だか悔しい気がして尋ねた。

「それは、有朱が好きだから。大切だったから覚えてるよ」

好き……?

 開きかけた冷蔵庫を閉め、咄嗟に彩人の方を振り返った。

 予想もしていなかった回答に、言葉が出てこない。火元を横目に見ながらこちらを振り返った彩人は、いつも通り微笑んでいた。

「ゆっくりでいいよ」

「え?」

「9年前は有朱だってまだ小さかったんだ。これからいくらでも時間はあるし、少しずつ僕のことも知ってくれたら嬉しいな」

 輝かんばかりの笑顔に、金色の泡が弾けた。彩人の細い眉から、柔らかい目の縁から、艶のある唇から、その泡は立ち上っている。

「うん……」

 その笑顔につい勘違いしそうになる。

 彩人の言う、好き、とは妹としてだ。異性としてではない。そう頭の中で冷静に対処しても、口からは微かなため息が漏れた。

「好き、とか言われ慣れてないし……」

 聞こえないようこっそりと呟いた。

 彩人は天然タラシに違いない。

「卵はここに入れてね」

 差し出された銀のボールを受け取り、片手で卵を割入れていった。

 無心に卵を割っていると、ふと実感する。

 こんなふうにウサギと……彩人と一緒に料理をするなんて、4日前までは考えられなかったことだ。

 ずっと居なかった彩人がいて、ずっと私を縛り続けてきたあの女がいない。それにこれからは一緒だと彩人が言ってくれた。

 夏休みが終わったら、ここから学校へ行って、帰ってくると彩人がいて、一緒にご飯を作って、寝て……。

 ただ理想の生活を想像しただけなのに、例の頭痛が襲ってきた。3週間前より徐々に強まっているこの頭痛は、いつも突然やってきてはいなくなる。

「有朱……? どうしたの!?」

 手が震え、せっかくボールに溶いた卵を零してしまった。

「ちょっと頭が痛くて……でも、大丈夫。時々あるだけだから……」

 目を閉じた一瞬。暗闇に細い光が走った。見た事のある景色が映った気がした。

「あ、れ……? これ……私……?」

 自分が何を呟いたのか、一瞬分からなかった。

 目を開けると、彩人がいた。両手の指と指が絡まり、熱が伝わってくる。

「有朱……キミは何も悪くない、大丈夫だから……」

 何のことだろう。

 どこかで聞いたことがあるような言葉だった。それは暗示のように、頭の中に入り込んでくる。

 そうだ、私は悪くない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ