2話
最初に婚約者としてエレーナと対面した時、とても可愛らしく、そして真面目な少女だと感じた。挨拶の時も慌てて喋ったため所々噛んだりと、少しおっちょこちょいの部分もあったが出会ってから1週間もしない内に良好な関係を築くことができた。
下に年の近い妹がいるらしくとても仲良しだそうだ。大体エレーナとの会話では自分のことよりも妹のことを話すことが多い。それだけ大事であり仲の良い姉妹なのだろう。話の節々からも妹に対する深い愛情が伝わってくる。
そんなエレーナが少し羨ましくもあったりする。俺にも下に弟が1人いるがあまり仲が良くない。と言っても一方的に嫌われているだけだ。嫌われる原因は弟が俺に対して劣等感を覚えているためらしい。そしてその張本人とはあまり仲良くしたくないと、噂で騎士たちの話が聞こえたことがある。
結果、顔を合わせてこちらが挨拶をしても返ってくることはほとんどない。近くに父や母がいれば嫌々ながらも挨拶を返してくれるが……。
そんな状態がここ数年前からずっと続いてる。いつか今の関係を改善できればと思うが会話がままならないと改善の余地がない。
そのため兄弟の話になりやすいエレーナとの会話では、弟のことについて話を振られてもあまり弟のことについて知らない俺はほとんど答えることができなかった。今思えば知ろうとしなかった俺自身も悪かったのかもしれない。
そして毎度のように「仲良くしないとダメですよ、ノア殿下」と散々エレーナに言われてきた。
こうして他愛のない会話で仲を深めたり、時折王子らしからぬ行動でエレーナを驚かしたりと平和な日々が続いていた。
そして、とある日を境にエレーナはノア殿下ではなくノア様と呼び方に変化があった。
あれはエレーナが冒険者ギルドに足を運んだ時に起きた事件のことだ。
冒険者ギルドの外で少年少女たちが、複数の冒険者に囲まれているところを見て心配になり声をかけたことから事件は起きた。
囲んでいた冒険者たちの顔は真っ赤になっておりそれがお酒によるものなのか、それとも怒りによるものなのか、はたまた両方か分からないが、エレーナの介入に対していきなり剣を振りかぶってきた。
いきなりのこともあり、また荒事の対処に慣れておらず剣を握った経験がほとんどないエレーナでは、自身に迫ってくる剣に対して目を瞑るのが精一杯だった。
傍観を決め込んでいた周囲の人たちも次に起こるであろう事実にいくつもの悲鳴が上がる。
けれど、いつまで経ってもあるはずの衝撃と痛みをエレーナを襲うことはなかった。
それもそのはず、俺は偶然にも間に合うことができた。あと一歩で遅れていれば怪我どころか死んでしまっていたかもしれない。守れたことにホッとしつつ後ろを見やるとエレーナが驚いた表情を見せる。
次の瞬間、緊張の糸が緩んだのかその場に座り込んでしまう。目元には僅かだが涙が溜まっている。
相手はというと、まさか王子がこの場に出てくるなど思ってもいなかったのだろう、一瞬にして顔を青ざめさせてしまいその場から仲間共々逃げ出してしまった。
周囲の人たちも王子の登場によりざわざわと騒がしくなってきた。
俺は逃げた冒険者を従者の2人に任せると、エレーナを安心させるため気持ち優しめに声をかける。
「もう大丈夫だよ」
その言葉を聞いた瞬間エレーナは泣きながら俺の胸に飛び込んできた。なんとなくこの展開を予想できたため、しっかりと受け止めることができた。
「ぐすっ……ノア様……ありがとうございます」
「今日はノア殿下じゃないんだね」
「ダメでしょうか? やはり今まで通りの方が……」
「いや、好きに呼んでくれていいよ。俺とエレーナは婚約者だから呼びたいように呼んでくれればいい」
この日を境にエレーナと俺の距離がぐっと縮まった気がした。
エレーナと出会ってから1年が経った頃だろうか、その日、会う約束をしていたが予定の時刻を大きく過ぎてもエレーナが王城に姿を見せることはなかった。
流石に心配になった俺は、側近の2名を連れてエレーナの実家であるバリヤー地方に向かうことにした。
王都から東に進むとバリヤー地方に着き、馬で大体1日ほどかかる距離にある。途中村で一休みを挟み、可能な限り最短で向かう。
大抵なら道中は魔物の1体でも遭遇するのだが、何故か今回は魔物の姿すら見ることはなく、嵐の前の静けさなのだろうかと不安に駆られた。
そして、予定より少し早めにエレーナの実家に到着し、早速家を訪ね使用人にレーナをよんでもらう。その時の使用人の表情といったら凄かった。王子が何の予定もなく訪問してくるなど思ってもいなかったため驚くなというほうが酷だろう。
体感で数分経ったとき、出迎えてくれた使用人が再び戻ってくると自室にいるのは確からしいがエレーナからの返事がないそうだ。あの真面目で心優しい少女が何故こんなことになってしまったのか、何かしら事情を知っているだろうと思い使用人に問う。
そこで驚きの事実が判明する。
使用人も直接目で見たわけではないため詳細は分からないらしいが、どうやら両親とあれだけ可愛がっていた妹が突然亡くなったらしい。
エレーナの部屋の前に辿り着くと控えめにノックする。
反応がない。次は声をかけながらノックした。すると部屋の中から少しの間の後返事があった。
「…………ノア様……ですか?」
俺の顔を見たエレーナは再び泣き始めてしまう。
いつしかのように優しく抱きしめながら、何があったのか尋ねた。
エレーナの両親と可愛がっていた妹が突然亡くなったらしい。詳しく聞こうにもエレーナの今の状態では躊躇われ、このまま放っておくことは否だ。
一晩お世話になることにし、部屋に案内されるが心なしか以前来た時よりも使用人の数が減っているような気がする。
翌朝、朝食を終えた時に話を切り出すことにした。
「辛いことを思い出させるようで悪いけど、君の両親の身に何が起きたのか教えてくれないだろうか?」
その場にいたのは俺とエレーナを含めて4人。残り2人はとても信頼のできる側近たちだ。王子が城から出るにあたって護衛がたった2人は本来ありえないことなのだが、護衛される本人が王国でも3本の指に入る実力者であり、側近2名もそれに劣らない実力の持ち主であるためだ。お忍びに近い形で訪れている理由もそのひとつではある。
「安心してくれ、後ろで控えててくれる彼女たち――クロアとノイルは俺が信頼する従者だ。ここでの話は他言しないはずだ」
「恐れ入りますがノア殿下、私共は部屋の外で待機しても構いません」
従者の一人であるクロアが申し出るが、
「クロア、君たちにも話を聞いてもらいたいんだ。それに人が多い方がエレーナも気が紛れると思ってな。問題ないだろうか?」
「はい……問題ありません。ノア様のお気遣いありがとうございます。ですが私自身も知らないことが多いので答えれることがあまりないかもしれませんが……」
当の本人にも肯定されたため、クロアは失礼しました、と一礼して再び物置と化する。
◻︎
あの後、傷心中のエレーナには申し訳ないがいくつか質問した。
そこでわかったことだが、エレーナが王都から実家に戻った時には既に両親と妹が亡くなっていたそうだ。
それも何者かの手によって殺害されていたらしい。現場には両親と妹の遺体(死体)だけがあり犯人の姿はすでになかったそうだ。
一番の疑問は何度も殺す機会はあったはずのエレーナが無事だったことだ。いくつか疑問が残るが、とりあえずは当面の問題だ。今が安全だとしても、今後もそうだと楽観視することはできない。
もちろん領内を警備している兵士もいるがあまり期待はできそうにないだろう。
エレーナの両親はここの領地を収める領主であり、領民からも慕われていたため領内の人間が犯人の可能性は低い。となると外部犯となるわけだが誰が犯人かなど検討もつかない。
帝国や公国による仕業の可能性もあるかもしれないが、休戦協定を結んでいることもありその可能性は低い。
エレーナは大事な婚約者だ。こういったときこそ側に寄り添ってあげたい。けれど、お忍びできている以上一度早いうちに王都へ戻る必要もある。
悩んだ末出した案は俺が1人で王都へ戻り、側近たちをエレーナの護衛につかせることにした。
もちろんクロア達から反対の声が上がったが、万が一のことを考えて2人を側に置いておいた方が安全だろう。
俺の護衛よりも、襲われる可能性が高いエレーナの側にいてもらったほうが安心できる。王子としては失格かもしれないがこればかりは譲れない。
この判断が後で後悔することになるとはしらずに…………。