現実世界~岳垣 タケルの場合~
栞作りとは単調な作業である。印刷された紙を順序通りに重ねてホッチキスで止めるだけの仕事である。
千代は動きの少ないホッチキス止め、俺と金城は紙を重ねる作業を担当した。
「千代田さん、仕事丁寧だね」
「あ、ありがと」
千代に近づくたびに一声かけ続ける金城。
口を動かさずに手を動かせと喉まで出かかっていたがなんとか耐え続けた。
ちなみに、金城は俺にはまったく声をかけてこなかった。
言外に「空気読めよ。てめぇは邪魔なんだよ」と訴えていたが、そんなものは無視である。
そもそも、俺は金城が千代を口説こうとすることに対して止めるつもりはない。
千代にも選ぶ権利はあるだろうから、上手くはいかないだろうし。
俺は無言で作業を続ける。
「・・・・タケル、助けて・・・」
「知らん」
小声でそんな会話をしたっきり、千代とも会話せずであった。
作業は下校時間までかかり、栞作りはようやく終わった。
この学校、生徒数だけはやたら多いのが問題である。必要な栞が多すぎる。
あと、金城の作業が予想以上に遅すぎた。
「よし、終わった・・・」
栞をまとめて積み上げ、二つの塔にする。
「ありがとう、助かったよタケ君、金城君」
「別に、これぐらいお安い御用だよ。また何かあったら手伝うからね」
ん?
「あれ、金城は当番じゃなかったのか?」
「・・・ああ、千代田さんが一人で大変って聞いて応援に来たんだ。別にたいしたことじゃないよ」
「ふぅん・・・」
金城がいなかった方が作業がはかどったような気もしなくはない。
印刷が終わっても3人で"Garden of Heros"の試合にかじりついていなければ、もっと早く終わってたはずだ。
「ま、いいや。この栞どこに持ってけばいいんだ?」
「職員室。半分は私が持つね」
千代はそう言って栞の半分をさっさと自分の膝の上に乗せた。
「あっ、いいよいいよ。僕が持ってくから」
「あ・・・」
金城の手が千代に向かって伸びる。
一瞬、千代が身体を引いた。だが、車椅子の上では簡単に逃げることはできない。
金城はそんなことに気づきもせずに、栞を千代の膝の上から持ち上げた。
千代の顔が強張っていた。笑顔を取り繕うこともできていない。
多分、太ももにでも触られたのだろう。
あいつは自分の足に触れられるのを極端に嫌う。
人に触られると、自分の足の細さが際立つからだと言っていた。
「・・・・・・ご愁傷さまだ」
俺は残りの半分を千代の膝の上にどさりと置いた。
「んじゃ、残りは頼むぞ」
「えぇ・・・・・・」
凄まじく嫌そうな顔をされた。
「普通、この流れだったらタケ君も持ってってくれるんじゃないの?」
「車輪付きのお前の方が楽でいいだろ。戸締りはやってやっから、さっさと持ってけ」
千代は口をぱくぱくと動かして無言で何かを訴えていた。
「いいから、さっさと行け。下校時刻過ぎちまうぞ」
「・・・やっぱり、埋め合わせの件はなしでいい?」
「いいよ、別に。いいから鍵よこせ」
千代は渋々といった感じでパソコン教室の鍵を差し出した。
そんな千代の後ろで金城が「よくやった」という顔をしていた。
確かに見ようによっては、金城と千代が二人になれるように気を遣ったように見えるかもしれない。
その勘違いは非常に腹が立つが、その方がなにかと都合がよさそうである。
「千代田さん、早くいこうよ」
「う、うん・・・」
電動車椅子を回転させながら、千代は最後の最後まで俺を睨みつけていた。
ドアを金城があけ、千代と二人で出ていく。
車椅子がドアの段差で弾む音が放課後の校舎に大きく響いた。
「さて・・・」
戸締りをするとしよう。
窓の鍵が閉まっているのを確認し、ブラインドを下ろし、奥の準備室に誰もいないことを確認する。
ホッチキスのカスをかき集めて軽く掃除して、忘れ物が無いかチェック。
最後に電気と空調を消し俺はパソコン準備室を出た。
鍵を閉め、職員室に向かうと栞を運んだ二人がちょうど出てくるところだった。
千代はすぐに俺に気づいて、睨みをきかせてきた。
だが、金城に声をかけられて笑顔を取り繕う。
頑張ってる、頑張ってる。
二人は1階に降りるためにエレベーターへと向かった。
俺は職員室で鍵を返して、階段で下駄箱に向かう。
「だからさ、プロって言われてもそれで食べていけるわけがないんだよ。まったく困ったもんでさ、先月もスカウトの人が来て日曜丸々潰されちゃってさ。でも、僕は大学に進学してもっと安定した職業につきたいって言ってやったら『副業でもいいですから』って」
「へー・・・」
興味がありそうに返事をするのも大変そうである。
「鍵返してきたぞ」
「あ・・・ありがと」
「っち」
どうして舌打ちってのは人の神経を逆なでするのだろうか。
散々我慢してきた俺の努力が無に帰そうになっていた。
だが、なんとか深呼吸をして耐える。
「じゃ、じゃあ私、裏門からだから。またね・・・」
さて、どうするか・・・
俺は金城をちらりと見やる。
「あっ、千代田さんの家って近いんだよね。もう暗いし近くまで送っていくよ」
「えっ、いいよいいよ。すぐそこだし」
ナイスだ、金城。
俺はこの日で初めて彼を心の中で誉めた。俺はもとよりそのつもりだったのだ。
だが、ここで俺一人だけ送っていくわけにもいかない。場合によっては『出し抜きやがってあの糞が』となりかねない状況だった、
ここで金城も一緒ならば、その問題も解決する。
「俺も一緒に行くよ。男女二人だと、変に噂になっても困るだろ」
「あ・・・それなら・・・」
金城の視線にそろそろ本気で痛みを覚えそうだった。
さっき二人っきりにしてやったんだから、もう十分だろ。
「それじゃあ、帰ろうか千代田さん」
「あ、あの・・・」
「なに?」
金城は千代田の後ろに回り、車椅子を押そうとしていた。
「こ、これ電動だから押さなくてもいいよ」
「遠慮しないでいいよ、これぐらい軽いもんだから」
「で、でも・・・」
「裏門だったよね。帰ろうか」
俺も靴に履き替えてあとに続く。
帰り道は金城の独壇場であった。
さっきの話の続きなのだろうが、彼はプロ入りがいかに大変か、自分がどれだけ苦労して努力してきたかを事細かに聞かせてくれた。
俺は車椅子の隣を歩きながら、適当に相槌を打つ。
千代も相槌を返しているが、その視線はやけに落ち着きがない。
しょっちゅう後ろを振り返り、左右へと視線を張り巡らせていた。
緊張している。
金城はそんな千代の様子にご満悦のようだった。
まぁ、見ようによっては照れて緊張しているようにも見えなくもない。
だが、残念ながらそれは悲しい勘違いだった。
「・・・・・・・」
千代に本気で助けを求めるような目で見られる。
俺は仕方なく、俺は千代の車椅子から少し離れることにした。
歩道をおりて車道のギリギリを歩く。
車椅子を預ける。
それは乗っている側からすれば相当のストレスなのだ。
自分の動きが誰かに完全に握られている状況を快く思う人などそういない。
それに、足が不自由なせいで、もしもの時に即応ができない。
例えば、金城が突然殺意の波動に目覚めて車椅子を車道に押し倒したとしたら、千代には抗う術が全くない。彼女にとって車道の上というのは処刑台に等しい。
俺が少し彼女から離れたのは万が一の時、反応できる距離をとるためだった。
本来はそんなことをする必要はないのだが、千代が随分と切羽詰まっていた。
「・・・・・・・・」
俺は時折、後ろを振り返ったり、わき道をのぞき込む。
念のための安全確認。
問題はなさそうだった。
「あっ、そこ左」
「はい」
「ここでいいよ。私の家、もうすぐそこだから」
「えっ?玄関まで送るよ」
「いいっ、いいから。もうここでいい!」
千代にしては随分と突き放すような物言いだった。
電動車椅子を動かして、千代は金城の手から離れた。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日・・・ね・・・」
クラスが違う金城や俺は明日会える保証はない。
金城の哀愁漂う返事が俺の笑いを誘った。
「んじゃ、俺はこっちだから」
俺は千代と反対方向の道を指さした。
「タケ君もまた明日」
「へいへい、じゃあな」
俺は軽く手を振って二人と別れた。
後ろの声から金城も帰ったようだった。
俺はふと、足を止めた。
振り返ると、彼女がちょうど家の前で方向転換するところだった。
「・・・・べぇー」
遠目からでも舌を出しているのがわかる。
散々、助け船を蹴って沈めたのを腹に据えかねているのだろう。
「バカ野郎め、あの状況でどうしろってんだ」
俺は彼女が家の中に入っていくのを確認し、再び歩き出した。
「それにしても・・・」
周囲を見渡せば人通りの少ない閑静な住宅街。
丘の上に作られた公園のせいで見通しも悪い。
「確かに、ストーカーが出そうといえば、出そうな感じだよな・・・」
俺は念のため、周囲に怪しい人物がいないかどうか確かめてから帰り道についた。