現実世界〜特定〜
知寿が倒れた翌日。土曜日にも関わらず俺は朝日が昇る前にベッドから起き出していた。
結局、ほとんど眠ることができなかった。病院から帰ってきてから疲れた身体をベッドに横たえたものの、脳裏に知寿の姿が浮かんでは身体の奥底に後悔が渦巻いていた。
それが、喉奥から湧き上がるたびに嘔吐してしまいたい程の不快感がこみ上げる。
身体を休めた方がいいと頭ではわかっていても、心がそれを拒否していた。
4時を回ったあたりでようやく体力の方が先に底をつき、うとうとし始めていたが、浅い眠りにつくたびに首を絞められる夢がぶり返す。
5時に3度目の悪夢を経験して、俺はもう眠ることを諦めた。
カーテンを開くと、東の空が少し青く染まり始めている。
俺は動きやすい服装に着替え、木刀を手に取った。
静かに廊下に出て、耳をそばだてる。両親が起きてくる気配はなかった。
頭部の怪我を心配している母親に見つかると少し面倒なので、胸を撫で下ろす。
家を出て、左右の道路を見渡す。
こんな早朝に表を歩いている人はいない。郵便受けには既に新聞が入っている。配達員が来ることもなさそうだった。
俺は一度深呼吸をする。
胸の奥に朝の冷たい空気が吸い込まれた。静かに息を吐く。身体の内側にわだかまっている感情を吐き出したかった。
俺は木刀を持ち、八相の構えをとる。
目を閉じて、道場をイメージする。土間の稽古場、汗の染み付いた木材の匂い、擦り切れた立木。
「ふぅ・・・・」
声をあげては近所迷惑だ。
俺は無言で剣を振り下ろした。剣を持ち上げ、もう一度振り切る。
「・・・・・・・っ!」
没入型VRをやっている時のイメージで身体の内側だけで叫ぶ。
聴こえないはずの俺の掛け声が耳鳴りのように響いていた。
久々に動かす身体は自分が思っている以上に衰えていた。自分の中の速度と、実際の身体の速度が一致しない。俺はさらに剣速をあげる。振られる木刀が空を裂く音が朝焼けの中に響く。額から汗が溢れ、腕に玉の雫が浮かんでいた。剣を振るごとに水滴が飛び散り、コンクリートを湿らせていく。
腕を振る。木刀を振る。
身体を休めることなく動かし続け、俺は自分をとにかく追い込んでいった。
自らに休息を与えてはならないとでも言わんばかりだ。
次第に剣速が落ちていく。木刀を振る手に力が入らなくなっていく。
それでも俺は木刀を振る手を止めない。木刀を振る音は消え、振り上げる力も落ち、一太刀一太刀の間隔が伸びていく。
だが、俺は剣を振り続けた。
朝起きた母が止めに来たのはそれから30分も後のことだった。
――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
朝食を食べた俺は準備もそこそこに病院に出かけていった。
表玄関は閉まっていたので夜間出入り口から病院に入る。勝手は知り尽くしていた。
俺は知寿の病室へと向かった。
ナースステーションに一声かけ、知寿の病室の扉をノックする。
中から返事があった。知寿の母親の声だ。
「失礼します・・・」
俺は軽く会釈をして椅子を持ってくる。何をするわけでもない。隣に座っただけだ。
ベッドに眠る知寿は昨日と変わらない姿勢でそこに眠っていた。身動きをとることも、寝言を言うこともなくそこにいた。痩せている頰と白い肌が妙に痛々しく見えた。
時間が経つにつれ、病室の外が少し騒がしくなっていく。
廊下を歩く患者、看護師達の話声、人々の笑い。
そのどれもが遠い世界の出来事のように頭の中を抜けていく。静かなこの病室が世界から切り離されたよう気分だった。
「どうも・・・猿和田です」
その後も蜂巣と後輩が順にやってきて病室の中に座っていく。
その間に会話はない。側から見ればまるで通夜の席だったろう。
何も喋ることなく時間が過ぎていった。
そして、俺が待ち望んでいた人物が姿を見せた。
「母さん、いる?」
与一さんが病室を訪れたのはおよそ12時前だった。
「母さん、俺が代わるよ。母さんは家で休んで」
「でも・・・」
「大丈夫、知寿は僕が見てるから。これ、車の鍵」
2人はそんなやりとりを経て、交代した。知寿の母さんは俺たちに会釈をして帰っていった。
病室のドアが閉まるのを見届け、俺は与一さんの顔を見上げた。
母を諌めていた柔和な顔は消え、目には強い力がこもっていた。
唇の隙間から噛み締めた歯が見え隠れする。吐息の中に混じるのは明確な殺意だった。
「与一さん・・・」
俺もまた同じ顔をしていた。
「何か・・・わかりましたか?」
猿と蜂巣が驚いたようにこちらを向いたのを目の端でとらえる。
与一さんと目が合う。そして与一さんは一度首を縦に振った。
「・・・・・ああ」
蜂巣と猿が息を飲んだ音がした。
与一さんは抱えていたバックからヘッドセットを取り出す。それは、昨日知寿がつけていたヘッドセットだ。その内側で今も【Error】の文字が点滅していた。
与一さんはゆっくりと僕ら1人1人の顔を見渡した。
「君たちに頼みがある」
俺の手に震えが走った。おそらくそれは武者震い。
「知寿を・・・」
素振りをしていた時のように身体が火照っていた。
「救って欲しい」
俺達の間に張り詰めた空気が流れた。
「・・・どういうことですか?」
最初にそう尋ねたのは蜂巣だった。その声には『この期に及んで何を言いだすんだ』という響きが含まれていた。
「千代は・・・意識を失っていて。私達は医者じゃありません。そんな私達に何をさせようというんですか?」
「そうだな・・・最初から話そう」
与一さんは椅子に座り、ノートパソコンを取り出した。
そして、幾度かカタカタとキーボードを叩き、パソコンを病室の上に置いた。パソコンはテレビ電話モードになっていた。会話の相手はくたびれたスーツを着た男の人。若い顔立ちであったが、眉間に刻まれた気難しそうな皺が迫力を醸し出していた。
「僕の知り合いの警察関係者。熊鷹 助六さんだ」
警察と聞き、俺達の背筋が伸びた。
「彼は主にネット情報の拾い上げをしている。ネット上の悪戯犯行予告から、クラッキングによるデータの盗み出しまで、ありとあらゆる電子情報の解析が彼の仕事だ。いわゆる、ホワイトハッカーというやつだ」
熊鷹さんは画面の向こう側で小さく頷いた。
テレビ電話に映っている風景はどうやら警察署のようだった。
「・・・それで、解析できたか?」
「ああ・・・お前の予想通りだ」
熊鷹さんの声は妙に掠れ気味で耳によく残った。
「君たちが千代田の言っていた友人か。私は熊鷹だ。今回の千代田の妹の事件について調査している」
『事件』
その言葉だけが脳裏に刻まれる。
「事件?事件ってどういうことですか」
「そのままの意味だ。千代田の妹が昏睡状態に陥ったのは病気ではない。明確な悪意を持った人間の仕業だ」
蜂巣が驚いた表情を見せた。他の皆も一緒だ。
だが、俺にとっては『やはり』といった感情が強い。昨日の与一さんの様子から俺はそのことを頭の片隅でずっと考えていた。
ならば、犯人は決まっている。ストーカー野郎だ。
俺は首に圧迫感を感じたような気がして、首をさすった。
「ここ2ヶ月で同様の事件が全国で6件起きている。千代田の妹の件は7件目だ。犯人達に共通点はないが、手口は全て同じだ。まず、奴らは違法改造した没入型VRゲームのヘッドセットを送りつける」
「どうやってですか?」
「今回の場合は『密林』の荷物に偽装したんだろう。多少のクラッキング技術があれば不可能なことではない。実際、彼女の部屋から似たような方法で送らりつけられたと思われる衣類も見つかっている」
熊鷹さんは一呼吸置き、話を戻した。
「そして送ったヘッドセットを通じて相手の脳信号の電気パターン・・・つまり、人の精神をデータ化して吸い出し、脳のアウトプット機能を遮断する」
「え、えと・・・どういうこっちゃ?わかるように説明してくれへんか?」
猿がそう言った。
「言うなれば、千代田の妹は意識だけを外に連れ出された。電気信号を介し、電脳世界へと。つまり、意識の誘拐だよ」
「・・・・まじかい・・・そんなん、可能なん?」
「可能、不可能で言えば可能だ。人の意識というのは思考力と判断力の集合体だ。そして、それを司るのはそれまで築き上げてきた記憶。全て昨今のAIに搭載されていることを考えればわかりやすいだろう」
「待ってください!」
後輩が声をあげた。
「もし、それが本当だとしたら。千代先輩の意識を取り戻すにはどうしたらいいんですか!?」
「・・・簡単な話だ。意識を保存されているサーバーを見つけ、奪い返せばいい」
蜂巣達がお互いの顔を見合わせる。そこには困惑が浮かんでいた。
ここにいる俺達はハッカーではない。サーバーだの、ハッキングだの言われても力にはなれない。
俺は与一さんを見上げた。与一さんもそのことはわかっているはずだ。その上で俺達を呼んだ。
ならば、そこには必ず理由があるはずだ。
「熊鷹、そろそろ本題に入ってくれ」
「ああ・・・」
熊鷹さんの眉間の皺が一層深くなった。
「千代田の妹が捕らえられたサーバーを発見した。だが、当然相手は相応のセキュリティを施している。外部アクセスでは相当の時間がかかる。その間に、電脳世界のストレスで攫われた彼女のデータがいつ損耗してしまうかもわからない・・・」
「損耗って、どういうことです・・・」
俺は聞き捨てならずにそう尋ねた。
「人の意識とはいえ、今の彼女はデータ化した存在だ。消去される可能性もなきにしもあらずだ。それに、人の意識のデータ化に関しては研究が進んでいる途中の段階。どんな副作用が出るかわかったものではない」
「じゃあ、どうすればいいんです?」
俺の声は自分でも不思議なくらい冷静であった。感情が表に出るのをやめているようだった。
「一刻も早くそのサーバーに入り込む方法は千代田が見つけてくれた。この事件ではゲームの最中にデータを吸い出された。なぜか?ゲームの通信回線を介してクラッキングを仕掛けたからと考えるのが自然だ。だったら、攫われた意識データもゲームデータに偽装できる形にしておくのが合理的だ」
「ゲーム・・・データ?」
「ヘッドセットのログを解析したところ、犯人が “Garden of Heros”の回線を使用してデータを運んだ証拠も見つけた・・・調べたところ “Garden of Heros”の回線に限定した裏口の存在がある」
俺達の間に『まさか』という思いが流れる。
「犯人のサーバー内のプロテクトを外部から突破するのは時間がかかりすぎる。だが、彼女の意識がゲームデータとして取り込まれているなら・・・同じ系統のデータで物理的な接触が可能なはずだ。当然、それを守るプロテクトも破壊が可能だ」
その続きは与一さんが引き継いだ。
「“Garden of Heros”の回線で運ばれたサーバー。中にあるのは当然“Garden of Heros”のデータがベースになっている。そして、解析の結果が出た。サーバーの中には“Garden of Heros”の世界を模したプロテクトが広がっている」
もう、俺は与一さんの意図を察していた。
「知寿の誘拐は“Garden of Heros”のゲーム中に行われた。そして、攫われた先にも“Garden of Heros”の世界がある。犯人はおそらく、このゲームに対して強い執着と自信があるのだろう」
「そして、その手法は割と効果的だ。我ら警察にゲームが得意な人間はいるが、ゲームで必ず勝利できる程の腕前があるなら、警察になんかなっていない」
熊鷹さんはそう言って唸り声をあげた。
与一さんが話を続ける。
「もうわかっただろう。君たちには “Garden of Heros” のアバターでサーバーに侵入し、プロテクトを破壊して欲しい・・・知寿の精神データの回収はこっちでやる」
俺は知らず知らずのうちに担いでいた木刀の柄を握りしめていた。
「・・・・君たちは “Garden of Heros” のゲームで犯人に勝利してくれ」
なるほど。俺達が頼りにされるはずだ。
熊鷹さんが表情を変えずに言った。
「チーム『DoR』・・・君たちの肩書きは聞いている。 “Garden of Heros” のチームは数あれど、『アマチュア最強』と語られるのは君たちだけなのだろう」
俺達はチームメイトの顔を見渡す。
猿が頷いた。蜂巣が頷いた。後輩が頷いた。
俺は頼れる3人に向かって頷き返した。




