現実世界〜病院〜
「うん・・・うん・・・わかんない・・・今は救急室も前で待たされてる・・・・今、MRIとって・・・その後、脳波検査だってさ・・・心臓とか呼吸とかは大丈夫らしい・・・うん・・・今すぐどうこうってことはないらしい」
俺は病院の廊下で母に電話をしていた。ここは知寿が通っている病院の救急室の前だった。救急車に千代のお母さんと一緒に乗り込み、そのまま病院に同行していた。俺の手元には知寿が直前まで使っていたヘッドセットが握られていた。その内側には今も【Error】の文字が点滅している。
「・・・・だから・・・もう少し・・・・こっちにいたい・・・ありがと、あと、ごめん・・・・いや、迎えはいいよ・・・うん・・・じゃあ、なんかあったら連絡する」
俺は携帯を切った。
「・・・・・・・・・・」
隣では千代のお母さんが家族に現状を伝えている。俺は自分の携帯のホーム画面を見ながら、酷い脱力感に襲われていた。
「・・・・はぁ・・・」
俺は沈み込むように待合室のベンチに腰をおろした。
何が起きたのだろう。俺は両手で頭を抱えた。
救急隊の人にも医者にも、彼女が倒れた時の様子を説明してくれと頼まれたが、俺にまともな説明ができるはずもなかった。
ゲームが終わって、隣を見たら知寿が倒れていた。声をかけても揺すっても全く反応がなく、救急車を呼んだ。
俺が説明できるのはそれだけだった。何が起きたのか全くわからない。
それがたまらなく俺の胸を締め付けていた。
渦巻いていたのはこの身を押し潰さんばかりの後悔だった。
俺は隣にいた。すぐそばにいた。直前まで知寿に殴りかかられていた。
なのに何も気づかなかった。なにもしてやれなかった。
頭の中に知寿の浮かべていた恐怖の表情が浮かんでは消える。
「・・・助けて・・・助けて・・・」
耳の奥で知寿の声が響いてきていた。
「助けて・・・助けてよ!」
暗闇の中で知寿がこちらに這い寄るようにして見上げてくる。知寿が俺の服の裾を掴んだ。
俺はその幻覚を無視する。聞こえてくる幻聴に聞こえないふりをする。
「ねぇ・・・」
知寿の顔が俺を覗き込んできた。
「助けてよぉぉぉおおおおお!」
知寿の顔が憎悪のものに変わっていた。
次の瞬間、俺は自分を呼ぶ声に我に帰った。
「タケル!タケル君!」
俺は小さく身震いして顔をあげた。
そこには、病院の白い明かりに照らされて与一さんが立っていた。自分が夢を見ていたことに気づくのに随分と時間がかかった。
与一さんは僅かに息を切らしながら、俺を見下ろしていた。
「与一さん・・・与一さん、俺・・・」
俺は腹の奥が底冷えしていくのを感じていた。与一さんの目が俺を責めているように見えていた。
俺は与一さんに事情を説明しようと立ち上がろうとした。だが、動揺で身も心も固まっていた俺の身体は自分の意志通りには全く動かず、足が自分の体重を支えきれなかった。
「俺・・・」
「タケル、落ち着け」
与一さんに縋りつくような立ち方になった俺の肩を優しく押し戻した。再びベンチに沈み込んだ俺に与一さんはしゃがんで俺に視線を合わせた。
「話は聞いてる。タケルが最初に見つけて救急車を呼んでくれたんだろ?」
「で、でも・・・」
「いいから落ち着けって、お前が悪いことをしたわけじゃない」
与一さんに真っ直ぐ見つめられる。与一さんの顔には怒りも悲しみも浮かんではいない。ただ、現状を理解することに努めている冷静な顔があった。それを目の前にして俺は自分の心が凪いでいくのを感じていた。
「とにかく、今は焦っても仕方ない。検査を待とう」
「・・・・はい」
与一さんは俺が落ち着いたのを確認し、隣へと視線を向けた。
そこには俺が持ってきた知寿のヘッドセットが転がっていた。
「それは?」
「あ、これは・・・知寿が買ったヘッドセットで・・・」
与一さんはヘッドセットを手に取り、その内側に視線を這わせていた。
「今日届いたって言ってました・・・『密林』で届いて・・・」
「タケルは箱を開けるのを見たかい?」
「え・・・はい・・・見ました・・・けど」
それが、なにか?
そう続けようとした俺は自分の手が震えだした感覚に気をとられた。手の中で携帯のバイブレーションが着信を伝えてくる。与一さんに視線で問うと「構わない」と返事があった。
電話の相手は猿だった。
「もしもし」
「おい、タケ、まだ帰っとらんのか?いつまで待たせんねん」
向こうはまだ俺がゲームに戻ってくると思っているようだった。そういえば連絡を入れていなかった。
「もう2試合もやってしもうたで。なんや?晩飯とか風呂か?だったら一言ぐらいゆうてくれや。蜂巣のやつがこっわーい顔になってきとっで」
「わり・・・実は・・・」
「ああ、それと。千代はどないしたん?なんか、まだオンラインになったままなんやけど部屋こんねん。ソロでも潜っとる様子ないし、買い物かなんかか?」
「あいつは・・・・・・・え?」
「どないしたん?」
「知寿の奴が・・・・・・オンライン?今もか?」
「せやけど・・・・なんかあったんか?」
俺は携帯から耳を離した。スピーカーからは猿の関西弁が流れてきていたが、俺はそれを気にすることができなかった。
オンライン?
ありえない。オンラインということは知寿はログイン中ということになる。だが、知寿の頭に今はヘッドセットはない。あれを頭から外せば強制的に通信は切れるようになっているはずだ。例えそこがエラーになっていて通信が継続していたとしてもやっぱりおかしい。あのヘッドセットは知寿の部屋からここまで持ってきているのだ。当然、Wi-Fiは届かない。通信は必ずどこかで切断されているに決まっているのだ。なによりも、買ったばかりでロクに設定も終わっていないヘッドセットがこの病院のパスワードを覚えているはずがない。今現在もログイン中というのは絶対にあり得ない話であった。
俺は与一さんの持つヘッドセットを見上げた。その時、与一さんと目が合う。与一さんの目元に険が宿っていた。そこには何かに確信したかのような光があった。
その時、病院の廊下に看護師の声が響いた。
「千代田さんのご家族の方、いらっしゃいますか?」
千代のお母さんが手を上げて立ち上がった。
「検査結果の説明がありますので、お入りください」
「は、はい」
「そちらの方々もご家族ですか?」
与一さんはすぐに「はい」と言っていたが、俺は言葉を濁したままベンチから立ち上がれずにいた。
「タケル、お前もこい」
「え、でも」
「一々、話を繰り返すのが面倒だ。聞いとけ」
「あ、はい・・・」
与一さんに言われ、俺は腰をあげた。
だが、一度力の抜けた足にはなかなか力が込められず、与一さんに寄りかかってしまった。
「しっかりしろ!」
さっきとは違い、激しい張り手を背中に受ける。
弱って許される時とそうでない時がある。医者から話を聞くのなら気を緩めていられいたら困るのだ。
向こうでは看護師さんと千代のお母さんが僕らのやりとりを心配そうに見つめていた。
「大丈夫か?」
「はい」
その背中の痛みが脳の最低限の力を動かしてくれた。俺の心はまだ固まったままであったが、少なくとも行動する気力と人の話を聞けるだけの体力が戻ってきていた。
「・・・大丈夫です」
踏み出した足はまだ震えていたが、自分の体重をしっかりと支えていた。
俺は猿に知寿が倒れたことを簡潔に告げて携帯を切った。
救急室のナースステーションの中に通された俺達は医者と電子カルテを前にして椅子に座った。
「千代田 知寿さんのご家族でいらっしゃいますね」
「はい、私が母でこっちが兄です。それでこっちが知寿の彼氏の岳垣君です」
「わかりました。私は今回担当させていただく板石といいます。よろしくお願いします」
千代のお母さんの発言はスルーした。今ここで言及すべきことではない。
「ゲーム中に意識を失ったということですが、検査したところ脳の中に出血があったり血管が詰まったりといったことはありませんでした。腫瘍が大きくなったりしている陰も見られません」
画像を見せられながらそう説明されても俺にはいまいちピンとこない。脳に深刻なダメージを負うことはないという話があり、ようやく納得する。他にも心臓やら肺やら血液の話もされたが、異常はみられない。
だが、脳波の話になった時、医者の声音が変わった。
「それでですね、脳波の検査をしたんですが・・・なんと説明したものか・・・」
「え?」
「これが、千代田さんの脳波なんですが」
医者は電子カルテを操作して、大量のグニャグニャとした線の書かれた画像を表示させた。それは地震計の線を何本も重ねたかのようなグラフだった。
「普通は目を閉じて意識のない方の脳波はもっと平坦であるはずなんですが」
見せられた脳波は激しく揺れ動き、映像の大部分を黒く染めてしまっていた。
「千代田さんの脳波はこのように激しく揺れています。これは、既に覚醒している方にみられる脳波です。3回ほど取り直しましたが、結果は変わりませんでした」
「えと、つまり、どういうことでしょう?」
「ちょっと、私どももわかりかねてまして。明日、業者を呼んで機械の故障を調べてからもう一度検査を・・・」
その時、俺は隣に座っていた与一さんから歯をくいしばる音が聞こえた。
「それで、知寿の意識はいつ戻るんですか?」
千代のお母さんがそう聞いた。1番大事なことはそれなのだ。どんな病気だろうと正直知ったことではない。
俺が気にしていたのはいつ知寿が目覚めてくれるのか、ということだった。
だが、医者は神妙な顔で口を開いた。
「はっきりと申し上げることができません」
俺は自分の呼吸を意図的に止めた。奥底から言葉が飛び出しかけていた。
なんでわかんねぇんだ!あんた医者なんだろ!?
そう言いたいのを口の中だけで留める。
医者が全知全能じゃないことぐらい、知寿と長いこと一緒にいた俺にはわかりすぎる程にわかっている。
「今の検査結果では脳波以外に特に異常が見られません。今は点滴を入れて意識の回復を待つ他ないのが現状です」
俺は拳を握りしめながら医者の話を聞いていた。
結局のところ、医者には知寿の状態がわからない。それが結論だった。
「それでですね、千代田さんは子供の頃にてんかん発作を起こしたことはありますか?」
「いいえ」
「麻疹とか、高熱とかで入院になったりとかは・・・」
知寿は入院になる。原因はわからない。話はそれで終わりらしい。
「何か質問はありませんか・・・何かありましたらいつでもおっしゃってください。今、千代田さんの主治医である花村先生に連絡を・・・・」
俺は目を閉じて口の中で歯を食いしばった。
腹の中に堪えていたのは怨嗟と悪態の集合体だ。
なんでこんなことになる。なんでこんな目に合う。なんで知寿ばかりがいつも不幸を背負い込む。
こいつが何をした。こいつがなんか悪いことでもしたのかよ。
神様はどこで何を見てやがるんだよ。
頭に血がのぼったせいか、頭の傷がひどく痛んでいた。




