MOBA
MOBA とはマルチプレイヤーオンラインバトルアリーナの略称である。
5対5の対戦ゲームで、プレイヤーは対戦相手を倒しながら敵の本拠地の破壊を目指す。
MOBAはオンラインRPGのPvP、つまり対人戦と似ていると言われることがある。
オンラインRPGでは長い時間をかけて育てたキャラクターでPvPをするのが一般的だが、MOBAにおいてはプレイヤーは1試合ごとにレベル1から始まり、次の試合にレベルアップや装備アイテムを持ち越さない。
簡単に言えば、全員が「ヨーイ、ドン」で一斉に始めるRPGともいえるだろう。
MOBAでは1試合ごとに敵プレイヤーや敵軍の魔物、森の中に潜むモンスターやドラゴンなどを倒してレベルを上げ、稼いだお金でアイテムを買い、キャラクターを成長させていく。そして、敵よりも早く成長すれば当然有利になり、潤沢な装備が整えば一人で敵チームを壊滅に追い込むこともできる。
そして、試合を有利に進め、最終的に相手の本拠地にあるクリスタルを破壊すれば勝利になる。
昔はそれがパソコンの画面上で行われていた時代があった。ただ、そんなものは既に過去のもの。
今や俺達はその世界の中に飛び込み、実際に武器を振るい、その手からスキルを放ち、箱庭の中を飛び回る。
『没入型VR』と称されるそれは、俺たちの世界に素晴らしい仮想空間を生み出した。首から頭部を覆うヘッドセットを装着すれば、俺達はゲームの世界にもう一つの肉体を得ることができる。
重力の枷から解き放たれ、物理法則の網を突き破ったその先の世界は一度味わえば誰もが病みつきになる。
そんな電子の世界で俺は気の合う仲間たちと今日もMOBAゲーム"Garden of Heros"にアクセスしていた。
「ふぅ、勝てた勝てた・・・ひっさびさの勝利だ」
松明に照らされた石の部屋で俺は武器を放り出してその場にへたり込んだ。
疲れた。現実世界の体を動かして脇の下に触れる。汗だくで酷い状態になっていた。正直、一度抜けて風呂に入りたいぐらいだ。
アバターである電子の目線を通して試合結果を眺める。そこには確かに『Victory』の文字があった。
しかし、その隣に表示された試合時間は60分をゆうに超えている。ここまで長い試合は久しぶりだった。早い試合なら15分、そうでなくても30分程度で勝負がつくのが普通だ。それが倍以上かかったというのは白熱したシーソーゲームであったからに他ならない。
俺は凝り固まった体を現実世界で伸ばす。
現実世界で軽く運動をしていると、アバターの肩が叩かれる感触があった。
「おつかれちゃん。おかげで助かったぞ『首ったけ』」
『首ったけ』は俺のハンドルネームだ。このゲーム内では『ヒーローネーム』と呼ばれている。
叩かれた肩の方を見ると、筋肉質なスキンヘッドの強面が関西の訛りでにこやかに手を伸ばしてきていた。
下手なホラー映画より、よっぽど迫力があった。
「今回は間違いなくお前のおかげや。ほーれほれほれ、俺がなでなでしてやろう」
「やめろ、よるな、手をワキワキさせるな、猿」
頭へと迫る友人の手を払いのける。彼の頭上に表示されているヒーローネームは『マントヒヒ』。仲間うちでは彼のことを『猿』と呼んでいた。
衝動的な言動が多いので彼にはよく似合っていた。
「しかし、疲れたなぁ〜」
『猿』もそう言ってアバターでストレッチする。
多分、現実世界でも同じように自分の身体を動かしているのだろう。
「お前はまだいいだろ。俺なんか後半ずっと戦いっぱなしだぞ。勝負の行方が両肩にかかってるときの圧力が半端なかった」
相手を次々と打ち倒していく快感は格別のものだったが、それは自分がスキルを一つ外しただけで勝敗が決するという緊張感と背中合わせだ。そんな状況が試合の後半は永遠と続いていた。電脳世界のおかげで肉体的疲労はないが、心理的疲労が既にピークに達していた。
「いや、今回は強敵やったもん。相手チームになんか見たことある名前あるなと思ってたら、あれ、プロやってんぞ。ちょっと、きびしいわ」
『猿』がそういうと、他のチームメイト達も「うんうん」と頷きあっている。
「プロって、どれぐらいの?」
「この前の日本大会で準々決勝まで行ったチームの控え選手」
「・・・・・・・」
なんというか、凄いのか凄く無いのかわかりずらいラインだ。
まぁ、プロチームに所属しているなら『凄い』には決まっている。俺たちのように学校と部活の合間にプレイするだけのプレイヤーよりはよっぽど強いのだろう。
けど、字面にしてしまうとどうにも間抜けに見えてしまっていた。
「まぁ、勝てたたからよかったけどな・・・」
例えプロが1人混じっていても常勝できるわけではないのがこのゲームの面白いところである。
「なんや、そんなに俺との勝利が嬉しいんか〜このこの〜」
「違う、イベントクリアしたかっただけだ」
「ああ、そういや今日までやったな」
俺は再度迫る『猿』の手を無言で払いのけ、自分の勝利数を表示した。
試合をする以上、勝利にこだわるのは当然だが、今日は特に負けられない理由があった。
今日はイベント最終日なのだ。それなのに、最高報酬をもらうための勝利数が微妙に足りていない。明日の午前4時までになんとしてでもあと1勝もぎ取っておかなければならなかった。
本当はチームメイトともう1試合したいところだが・・・
俺のパネル脇に表示されている時計に目をやった。時間は12時をまわっている。
明日も普通の平日であり、学校があることを考えるとこれ以上試合を続けるのは少しきつい。特に長丁場の試合を乗り越えた後だ。みんなの顔にも多かれ少なかれ疲労の色が見えていた。本当はやめるには良い頃合いだった。
解散するか。みんなに付き合わせるのも悪いし。
あとはソロでやってれば1勝ぐらいどうにかなるだろう。
俺はそう思い、口を開きかけた。
「みんな勝利数はクリアできた?」
そう言ったのは頭上に『チーターローション』というヒーローネームを表示させている女子だった。少しウェーブのかかったショートヘアと、活発そうな大きな目が特徴的だ。体つきは少し痩せ気味。特に両足は蹴られたら折れてしまうんじゃないかと思うぐらい細い。現実世界でちゃんと食べているのかいつも心配になる。
彼女がそう尋ねると、チームメイト達も自分の勝利数を確認する。
「俺はもうとっくのとうにクリアしとるで」
「『猿』にはきいてないよ」
『猿』はチームメイトの中で一番のゲーマーだ。彼からしてみたらイベント報酬など取って当たり前の存在なのだろう。この"Garden of Heros"に最初に俺を誘ってくれたのも『猿』だった。
「俺はこれでクリアッス」
「私は昨日クリアしてました」
チームメイト二人もそう返事をした。
「俺は・・・」
「あちゃー・・・もしかしてクリアしてないの私だけ?」
「・・・・あ・・・・」
俺は現実世界で小さく舌打ちをした。
ついでにため息も1つ吐く。
「俺もクリアしてないよ」
俺はそう言わざるおえなかった。
『チーター』は宿題を忘れた仲間を見つけた小学生のように目を輝かせた。
「良かったー仲間がいた。みんな、もう1勝粘ってもらっていい?」
片目をつぶり、拝み倒す姿勢の『チーター』
それを見て、チームメイトは「しょうがないな」と言いたげな顔をしながら了承してくれた。
「よっしゃ、なら、もうちょい頑張ろか。ああ、でもちょい待って。次はいつもと違う武器使いたい。いろいろ変更するから待っとって!」
『猿』はそう言って、手早く次の試合の準備進めていく。
他のみんなもそれに合わせるように次の試合の準備をはじめていた。
「・・・・・・ったく」
俺は内心で悪態をついた。その対象は『チーターローション』だ。
俺は他のチームメイトと同じように次の準備を進めるふりをして、個人チャットを開いた。
『チーター、お前、昨日二人でやった時にクリアしたって言ってたろ。あれは嘘だったのか?』
昨日、俺は彼女と二人でチームを組んでプレイしていた。
その時に「やっとクリアした〜」という台詞を確かに聞いていた。
『そうだっけ?『首ったけ』の記憶違いじゃない?』
パネルからチーターに顔を向けると、彼女は指でVサインを作って、挑発するように指を折り曲げた。彼女はとぼける気満々のようだ。
『まぁまぁ、私を助けると思って。手伝ってよ、ね?』
『助けるって、何を助けるんだよ』
チャットパネルの向こう側を見ると、その答えを探しているのか『チーター』は眉間に皺をよせていた。
その後、何かを閃いたかのようにパネルに文字を打ち込みだした。
チャットに新しい書き込みが並ぶ。
『久しぶりに5人が集まったから。もっと、一緒にゲームしたいなー・・・なんて、私のワガママ』
俺は反論しようとパネルにかけた指を止めてしまった。
「わがまま・・・ねぇ・・・」
『チーター』の方を見ると、彼女と目が合った。彼女は俺にむけて両手を合わせ、バツの悪そうな顔をしてきた。それは、心底申し訳ないという表情を取り繕ってはいたが、目元には楽しんでいる様子が浮かんでいる。
俺は現実世界の体でため息を吐いた。
そして、アバターの体を動かし、パネルに文字を打ち込む。
『ありがとう』
『こちらこそ、ありがと』
「なにが『ありがとう』だ」
現実世界でそんな独り言が漏れた。
そろそろ試合の準備に戻ろうと、個人チャットを切った。
俺は現実世界の体の肩を軽くまわす。一日二日の夜更かしなどどうってことはない。
徹夜などこのゲームを始めて何度も経験している。
俺は再び『デュエルソード』を取り出した。
それを見て、『チーター』も得意とする武器を取り出す。
弓の端に槍の切っ先が付いた『槍弓』だ。弓での遠距離攻撃と、近接された時の槍術で柔軟な立ち回りのできる武器。現実世界では実用性に欠ける武器だったらしいが、ここは電脳世界。足りない部分はゲーム内に用意されているスキルで補える。
「よし、みんな準備ええか?いくで、この時間ならすぐマッチングするやろ」
『猿』の宣言通り、ものの数秒で対戦相手がみつかった。
イベントの勝利数に達していない人は世間では以外と多いようだ。
「って、ああっ、そういや宿題の英訳やっとらんかった!15分で終わらせんで!」
「『猿』が足引っ張って15分で降参とか本当にやめてくれよ。あれやられると、明日のテンションにまで響く。それに、あと1勝するまで続けるからな。覚悟決めろ」
「ええぇ!そんな~・・・」
俺らを取り囲んでいた石壁の一部が開き、光輝く世界が目の前に現れる。
巨大なクリスタル、高くそびえ立つ城壁、そして城壁に作られた門の向こう側にはモンスターが徘徊する森が広がっていた。
石壁が完全に開ききると、上空から女性のアナウンスが降ってきた。
『英雄達の箱庭にようこそ』
俺たちは一斉にその世界へと飛び出す。それと同時に無機質な白い服しか着ていなかった俺のアバターが変化した。俺の上半身はハーフコートに変わり、下半身に革のパンツが現れる。
デュエルソードを八相の構えに持ち、俺は『箱庭』を走り出す。
さぁ、試合開始だ。