現実世界〜MOBA へ
泣き止んだ知寿が「着替える」と言ったので、俺は一度部屋から出た。
そこにお茶とお菓子を持ってきてくれた千代の母さんが現れ、俺にお盆を手渡した。
「来てくれて、ありがとうね」
「いえ、俺も心配でしたから。あいつ、いつも抱え込みすぎなんですよ」
猿みたいに飄々と生きることも少しは覚えて欲しいもんだ。
もしくは蜂巣みたいに体内の毒をきちんと吐き出せるようになってもいい。
「どうして、あの子ばっかり、こんなことになるのかしら・・・」
俺は千代の母さんに何も返事ができなかった。
「・・・タケル、入っていいよ」
まだ少し鼻声の知寿。俺はドアを開けて中に入った。
知寿は今日はパーカーにスカートというラフな格好だった。
ベッドに腰かけた知寿の隣にお盆を乗せる。
俺はその足元に胡座をかいて座った。
そして、失敗だったと気づく。
視線の高さがちょうど知寿のスカートの中を覗ける高さになってしまった。
「・・・・えっち」
冗談が出てくるようならもう大丈夫だろう。
俺は何事もなかったかのように立ち上がり、知寿の車椅子に腰をおろした。
「もう、平気か?」
「・・・うん」
「蜂巣にも詫び入れとけよ、すっげぇ心配してたぞ」
「うん、そうだね・・・」
俺は出してもらったお茶に手を伸ばした。
紅茶を淹れてくれたらしく、苦味と香りが口の中に広がった。
「・・・・・もう、怪我はいいの?」
「ああ、まだ抜糸はできてないけどな」
髪で隠してはいるが、怪我の周囲は毛を剃られて10円禿げになっていた。
指で触れると怪我の痕がゴツゴツとした膨らみになっている。
「・・・首は?」
「痛みはないよ。でも、鏡で見るたびにな。ここを締められたんだって実感して・・・鳥肌が立つ」
「・・・・・・・」
「次は絶対にブチのめすってな」
「え、あれ?そっちなんだ」
「お前、俺を誰だと思ってる。日本随一の殺戮マシーンを生み出した示現流の門下生だぞ。この借りは必ず返す」
「・・・タケル、でも・・・」
「冗談だ。間に受けんな」
俺はそう言って笑った。知寿も控え目ながら笑ってくれる。
無茶をするつもりはない。自分があのストーカーの手にかかってまた怪我を負うことになれば、大勢の人に迷惑をかけることになる。
なによりも・・・
「・・・・ん?」
「いや・・・」
知寿をこれ以上追いつめたくはなかった。
今度こそ本当に自殺未遂をやらかしそうだ。
「ちゃんと飯食えよ。少し痩せすぎだ」
「そう・・・だね・・・」
「食欲はあるか?」
「ちょっと・・・戻ってきたかも」
胸に気持ちが詰まると、腹の中も一杯になったように人は錯覚するものだ。
逆に吐き出してしまえば、腹に何か入れたくなる。
人間の心と体というものは案外繋がっているものである。
携帯の着信音が鳴った。俺の携帯だ。
見ると、猿からだった。
どこから聞きつけたのか、俺が知寿と一緒にいることを知っていた。
ついでに知寿の気持ちが持ち直した前提の文面だった。
あいつ、どこかに盗聴器かなんか仕掛けてないだろうな。
「誰から?」
「猿、お前が元気になったんなら、潜ろうってお誘いだよ」
知寿は少し困ったような顔をしていた。
気分が乗らない気持ちもわかるが、その気分を変えるにはゲームが1番手取り早い気もする。
猿は既に蜂巣と後輩も誘ったと言っていた。
いつもの面子なら気兼ねもないし、いいんじゃないだろうか。
「・・・なぁ、知寿。携帯で思い出したんだが、イタ電とかは今はどうなってる?」
そう聞くと、知寿は首を小さく横に振った。
「あの日から、無くなったの」
「本当に?」
「も、もう隠したりしないよ」
そりゃそうか。ここまで来て自分で抱え込んでたら本物の馬鹿だ。
「ストーカーは諦めたのかな?」
「だと、いいんだが」
ストーカーが一度の失敗で諦めるだろうか。
ネットにはストーカーの心理は過度な独占欲が根底にあると言っていた。
ストーカー野郎が知寿を諦めるような出来事は起きていない、ストーカー野郎にとって憎悪対象である俺はここで生きている。
警察の警備など、恋の障害なんかに見えてしまうのがストーカーだ。
「お互い、気をつけようね」
「・・・ああ」
お互い、か
その言葉が出てくるだけ状況は改善したのだろうと思ってしまう。
「それで、どうする?潜るか?」
「あっ、そうだ。私、新しいヘッドセット買ったんだよ」
「へぇ、どれだ?」
「そこの机の上の。とって」
俺は手を伸ばして机の上にあった箱を手繰り寄せる。
まだ未開封だった。知寿がいかに塞ぎ込んでいたかの証明だろう。
知寿は箱を開け、中を取り出した。
「・・・じゃーん」
「へぇ、Ninnyが出してる専用ヘッドセットか」
「うん。奮発しちゃった」
知寿は早速袋から取り出して被ってみせる。
外から見ると、完全にX -MENのサイクロプスだ。
「一戦だけでも潜ってみるか?お前のお古貸してくれれば俺もここでできるしさ」
「・・・どうしようかな」
知寿はヘッドセットを外してそれを手元で弄ぶ。
気持ちは少しゲームに傾いていそうだった。
「蜂巣も来るみたいだし、皆に謝るいい機会だろ。一晩経つとまた謝るのきつくなるぞ」
「うん・・・そうだね・・・」
「よし、やるか」
「あっ、ちょっと待って、これセットアップするから」
「俺もアカウント変えねぇとな。知寿、お前のヘッドセットどこだ?」
「はい、これ」
「おう、サンキュー」
俺は猿に連絡を入れ、知寿のヘッドセットを被った。
彼女の濃い匂いが鼻をくすぐった。
こういう時、匂いフェチという人種の性癖をわずかばかり理解する。
俺は一度深呼吸をして気持ちを落ち着けようとした。
だが、ここは知寿の部屋で、彼女の車椅子に俺は今座っているのだ。
なんか、完全に逆効果だった。
「タケル、頭きつくない?」
「ああ、怪我の場所には当たってないから平気だ」
俺は自分の怪我に無理矢理ヘッドセットを押し当てて、痛みで気を紛らわすことにした。
そして、ある程度気分をフラットにして、ようやく没入型VRを起動した。
起動時の電子音がなり、俺の前に新たな世界が広がる。
自分のアカウントを設定し、ログインする。
没入型VRゲームのアバターは現実世界の肉体をそのまま投影したものが使われる。
身体をスキャンをするわけではなく、身体に走る神経の伝道時間から首から皮膚までの距離をヘッドセットが計算して肉体データとしてアップロードするのだ。感覚神経と運動神経を正確に測るので、その人の筋肉量、骨格、体重、肥満度まで正確に描写できる。
ただ、顔だけは一般には公開されず、デフォルメされた顔で統一されている。プライバシーの配慮というやつだ。ただ、フレンド登録している相手なら公開設定できるので、友人間ではあまり問題はない。
俺は登録してある自分の電脳体にアクセスした。
“Garden of Heros “を起動して飛び込む。
電子の海を通るようなロード画面を経て、俺はゲームロビーへと降り立った。
『首ったけ』のヒーローネームを頭上に浮かべ、白い服のアバターで石畳の上に立つ。
“Garden of Heros “のロビーは中世ヨーロッパの大広場をイメージした作りになっていた。
周囲にはゲーム内通貨で買い物ができる場所や、武器の使用感を試せる練習場が並んでいる。
中央には塔のような建物があり、そこに入るとゲームマッチングが開始される。
俺はメニューを空中に浮かべ、チームメイトのログイン状況を確認した。
『マントヒヒ』と『黒ハット』の名前を見つけた。『猿』と『後輩』はログインしているらしい。
『捨て鉢』と『チーターローション』はまだオフラインのままだ。
「知寿」
俺は現実世界で声をかけた。
「セットアップまでどれくらいかかる?」
「んーもうちょい」
俺はVCをオンにしてアバター内の声帯で声を出す。
現実世界で口を動かさず、アバターで声を出すのは初めは腹話術みたいな違和感があったが、今はもう慣れた。
「『猿』今どこにいる?」
「もう部屋つくっとるで、はよこいや」
「了解。パスワードは?」
「いつものや」
俺はロビー中央の塔の出入り口に向かった。
塔の出入り口でパネルを開くと、フレンドが作っている部屋の一覧が表示される。
部屋に入るためのパスワードを打ち込み、俺は塔の中に入っていった。
「うーっす」
「その様子やと『チーター』は元気になったみたいやな」
「まぁ、どうだろうな・・・半ば元気にするためにログインさせたみたいなとこだけど」
『猿』は「まぁ、しゃあないか」と言って肩を竦めた。
俺も一回泣いただけであいつの気持ちがリセットできているとは思っていない。
今はとにかく時間が必要だった。そういう意味では、ストーカーからのイタ電が止まっている現状はありがたい。
「先輩の怪我はどうですか?」
「悪くはねぇかな。まだ、ズキズキ痛むことあるけど、週明けには学校に行けるさ。道場はまだしばらく無理そうだけど」
「喉のは消えましたか?」
「まだだよ。まったく忌々しい」
首の痣を見るたびに自分の喉から顎にかけて圧迫されるような幻を感じるのだ。
誰にも言っていないが、俺はあの日から首を絞められる悪夢を見るようになっていた。そのせいで夜中に何度も飛び起きる羽目になっている。俺の中でストーカー野郎に殺されるイメージが染み付いてしまっているのだ。
だが、幻覚のストーカー野郎なんかにいつまでも負ける気はない。必ずいつかねじ伏せてやると心に誓っていた。
「みんな、来てる?」
VCから千代こと『チーターローション』の声が聞こえてきた。
『猿』が俺の時と同じような返事をし、すぐに『チーター』も部屋にやってきた。
1週間ぶりに見る『チーター』の立ち姿。足の細さはいつ見ても心配になる。それに身体痩せ具合
だが、『チーター』が立っている姿は悪いものではない。
普段はあまり気づかないが、『チーター』は女子にしては意外と背が高い。実は160cmを越えている。
初めて電脳世界で会った時に驚いたものだ。
「よう、『チーター』久しぶりやな」
「・・・うん、『捨て鉢』は?」
「まだや。謝罪は全員そろってからでええで」
「はは・・・ありがと」
普段は全く何も考えてなさそうなくせに、こういう時はやけに気が回る。
『捨て鉢』を待っている間『チーター』はしきりに足を動かしてストレッチをしていた。
「どうかしたのか?」
「なんか久しぶりにログインしたら歩き方とか立ち方とかちょっと違和感があって」
「そっか」
『チーター』は屈伸運動をしたり、その場で飛び跳ねたりして身体を動かす。
いつの日か、現実世界でも彼女がそこまで動けるようになって欲しい。
電脳世界の『チーター』を見るたびにそう思う。
そうこうしているうちに、『捨て鉢』も部屋に合流してきた。
彼女は『チーター』の姿を見て、一瞬だけ安堵するような表情を見せた。
だが、それはすぐに不機嫌な顔に変わる。
「・・・ようやく持ちなおしたの?」
「・・・うん」
『捨て鉢』は腕を組み、『チーター』を睨みつける。全身全霊で「謝れ」と訴えていた。
多分、これが『捨て鉢』なりの優しさだ。
『チーター』にとってこれ以上謝りやすい状況もないだろう。
「みんな・・・心配かけて、ごめん」
「それだけ?」
「あと、いろいろと気をつかってもらったのに、応えられなくてごめん」
「あとは?」
「え、えと・・・最初に・・・相談しとけば、良かったのに、忠告を聞かなくてごめん?」
「なんで疑問形なの?本当に悪いと思ってるの?」
「ご、ごめんなさい!」
「だいたいあなたはね!!」
これも『捨て鉢』なりの優しさだろう。多分。
俺達は最初こそ『チーター』の謝罪に笑顔で応えていたが、次々と出てくる『捨て鉢』の説教に頬を引き攣らせていった。
「聞いてるの!!」
「は、はい!!す、すみません!」
俺はVRを外して、千代の現実の顔を盗み見る。
説教されながらも、千代の口元はどこか嬉しそうであった。




