現実世界〜回復〜
俺は自宅のベッドに横になっていた。
頭の包帯は既にとれている。痛みももうほとんど残っていなかった。
俺が襲撃されたあの夜から、既に一週間が経っていた。
あの日、救急車で病院に運ばれた俺は色々と検査をされたが骨や脳に異常は見つからなかった。
自分の頭蓋骨の頑丈さに感謝する。ただ、俺の頭は石のようなもので殴られたらしく、砂利を取るための消毒で更に痛い思いを味わうことになった。
結局、かち割られた頭は4針程縫う羽目になったし、締められた首は内出血の跡が青い筋になって残ってしまった。
その後、精密検査と経過観察のために一晩入院することになった。
それから警察に事情を聞かれたり、現場検証に同席したりと忙しくしていた。
だが、俺は犯人の顔を見ていないのであまり参考にはならなかったようだ。
相手の鼻をへし折った感触はあったが、俺がつけたそんな目印程度では犯人の特定には至らないだろう。
付近の監視カメラの映像解析だとかもやっているのかもしれないが、捜査の進行具合は教えてもらえない。
医者に安静を言い渡されたのもあって、俺は学校を休んで自宅でのんびりと過ごしていた。
不意に手に入れた長期休暇。結構満喫させてもらえたが、いい加減眠り過ぎで逆に身体が疲れてきていた。
道場にも行きたいが、それは母に泣きながら止められてしまった。
「・・・・ふぅ」
文庫本を読みきってしまった俺は携帯に手を伸ばした。
猿や蜂巣、後輩君や友人達から心配するメールが届いていたが、千代からはなんの連絡も届いてなかった。
「どうしてんのかな・・・」
千代とは俺が襲われてから一度も連絡が取れていない。蜂巣経由で千代も警察に事情を聞かれたという話は聞いている。あの辺りは警察がウロウロするようになったので、ストーカーも無茶はしてこないだろう。
ただ、随分と落ち込んでいるらしい。“Garden of Heros “にもログインしている様子はないし、学校でも元気がないとのことだった。
時計を確認すればもう授業は終わっている時間だ。
俺は千代に何度目かわからない電話をかける。だが、やはり出ない。
「これじゃあ俺がストーカーみたいだよな・・・」
そんな独り言を呟いた。
そんな時、携帯に着信が入った。
千代かとも思ったが、相手は蜂巣だった。
「もしもし」
「久しぶりね」
蜂巣は見舞いには来てくれなかったが、頻繁に電話を入れてくれる。
千代の現状報告と愚痴が主な内容だった。
「どう、調子は?」
「包帯も取れたよ、月曜には学校も出るさ」
「そう。まぁ、とりあえずおめでとうと言っておく」
「そいつはどうも。それで、何の用だ?」
とはいえ、内容はだいたい予想はできていた。
「千代がもうどうしようもなく落ち込んできてる」
「だろうな・・・」
「もう自殺でも企てそうな勢いよ。正直、もう見てらんない」
こいつがここまで根を上げるのも珍しい。
よっぽど酷い状態らしい。
「あなたにわかる?この、見てられない相手から目が離せない状況。千代の足が自由だったら間違いなく屋上から飛び降りてる」
「難儀だな・・・」
「他人事みたいに言わないでよ。あなたが襲われたのがいけないんだからね」
「俺のせいかよ」
それはあまりに理不尽だろう。
誰が悪いかといえば、ストーカー野郎に他ならない。
「何のために道場通ってたの?護身もできてない程度の実力なら剣士を名乗るべきではないんじゃない?」
「ぐぅの音も出ねぇ・・・」
「悪漢を返り討ちにして御用にできればそれで話は終わってたのよ、役立たず」
「なぁ、俺、被害者なんだけど」
あまりにも酷い言い草だが、蜂巣もストレスが溜まっているのだろう。
この程度の毒舌ならいつものことなので俺は話半分に聞き流す。
「それで、本題。タケはもう動ける?」
「ああ、母親のヒステリーも大分収まってきたしな」
「ヒステリー?」
「『あの日、おつかいなんか頼まなければ』って永遠泣いてたんだよ。もういい加減鬱陶しくてな」
「いいお母さんじゃない」
「・・・まぁな」
こういう時に母親の愛ってのは深いもんなんだな、としみじみと実感する。
「でも、それもようやく収まってきたからな。そろそろ外出許可も出た」
「千代に関わるな、とか言われなかった?」
「さすがにそこ履き違えるようなことはしねぇよ。千代の両親が見舞いに来た時も普通に対応してたし・・・まぁ、そこはむしろ親父の方が色々言ってたけどな」
千代がもっと早く警察に訴え出てないから悪いんだとか、自分が千代の親ならもっと早く気づいてたとか。
こういう時に人を責めるしかできないと狭量に見えるといういい見本だった。
そもそも、親父がおつかいを渋って俺に投げたのもこの事件の一因のはずなのに、完全に棚上げだった。
「それなら、お願い。千代に会いに行ってあげて」
「・・・まぁ、そうだな」
「というか、あのバカをこのままにしてたら土日の間に首括りかねない」
「・・・・・・」
なんか、準備している様子がありありと浮かんできた。
途端に胸騒ぎがしてくる。
「わかった。でも、突然行って大丈夫か?」
「千代の母さんから落として家にあげてもらいなさい。あなたならできるでしょ」
その言い方、なんかヤラシイな。
口から出かけた言葉を飲み込む。冗談じゃすまなさそうな雰囲気だった。
蜂巣も結構参っているらしい。
「そうだな、今から電話してみる。早い方がいいだろ」
「お願いね。私じゃもう限界だから」
「はいよ・・・」
俺は蜂巣との電話を切る。
自殺を企てそうな勢いともなればもう鬱一歩手前だ。善は急げである。
俺はそのまま千代田家の固定電話に電話をかけた。
こっちにかけるのも久しぶりだった。
「はい、もしもし」
千代の母さんの声だった。
「岳垣です。今いいですか?」
「あら、タケル君!怪我はもういいの!?」
「ええ、月曜日には登校するつもりです」
「この前は本当に申し訳なかったね・・・」
そして、しばらく謝罪タイムが続き、20分程でようやく本題を切り出せた。
「友人から、知寿が随分塞ぎ込んでるって聞いたんですけど」
「ええ、そうなの・・・あんまり食事も喉を通らないみたいで・・・ずっと部屋にこもってるの」
「会いに行ってもいいですか?」
「ええ・・・ええ!全然来てちょうだい!大歓迎よ!」
俺は今から伺う約束を取り付け、最後に10分程の謝罪タイムを過ごして電話を切った。
「うしっ!」
ベッドからゆっくりと立ち上がる。急に立ち上がると一時的に頭がズキズキと痛むので難儀していた。
「さてと・・・」
動きやすい服に着替え、俺は一階へと降りていった。
寝癖だらけの髪を水で整え、母に一声かける。
「母さん、ちょっと出かけてくる」
「えっ!いまから!」
多少の過剰反応は覚悟していたので、用意していた台詞で母をなんとか宥めつける。
母はかなり渋っている様子だったが、千代の状況を伝えたらなんとか首を縦に振ってくれた。
暗くなる前に帰ることと、人通りのある道を行くこと、木刀を持参すること約束し、なんとか外出許可を勝ち取る。
それだけで30分もかかってしまった。
俺は少し駆け足で千代田家に向かった。
まだ、日が沈むには早い。道には学校を終えた小学生がふざけながら下校していた。
千代田家の前の公園に差し掛かる。公園へと続く階段をみると、どうにも胸が落ち着かなかった。
ほとんど治っている頭の怪我が軋むような痛みを訴えてる。
だが、俺の心を満たしていたのは恐怖ではない。
次に俺の前にきたら必ずブチのめしてやるという、強い衝動だった。
相手は不意打ちでしか人を攻撃できないクソ野郎だ。しかも、千代をここまで追い詰めて、自殺願望まで抱かせている。
本当は自分の足で探し出して、自分の手でケリをつけてやりたかった。
次は鼻の骨だけじゃない、全身の骨という骨を叩き折ってやる
人間には216本も骨があるらしい。だったら数本砕けてても問題ねぇだろう。
「まぁ・・・無理だよな」
そういうのは警察のお仕事だ。俺にはここら一帯の人間を見張る力もないし、逃げる犯人を追い詰める手段もない。
一介の高校生にできるのは護身用の木刀を持ち歩き、襲撃に備えることぐらいだ。
俺は公園の前を素通りし、千代田家のインターホンを押した。
すぐに玄関の鍵が開けられ、俺は千代田家に招き入れられた。
「お邪魔します」
「さぁさぁ、あがってちょうだい」
「すみません、手土産もなしに」
「いいのよ。それより、知寿に会ってあげて」
俺は千代の母さんに連れられて、知寿の部屋の前に案内された。
珍しくドアが閉まっていた。車椅子の知寿はドアを開けるのも難儀するのでいつも開けっ放しにしているのだ。
「鍵はかかってないから」
「はい」
俺はノックをしようかと思ったが、やめた。
返事があろうとなかろうとやることは変わらない。
ドアノブに手をかけて開け放つ。
とりあえず、部屋の中で首は括ってなかったので一安心する。
そして、当の本人はというと。制服のまま、ベッドに移ることもせずに車椅子の上にいた。
こちらに向けられた背中が妙に細くなっている。この一週間で一段と痩せたようで、その姿が痛々しい。
「知寿、入るぞ」
返事はない、身動きをする気配もない。
俺は知寿の前に回り込む。
「・・・・・・・・」
知寿は俺の目から逃げるように視線を落とした。
それを更に下から覗き込んだ。
「ひっでぇ顔だな・・・」
目の下のクマが一段と際立っていた。
もともと肉付きのよくなかった顔が更にやせ細っている。
髪も手入れをしてないのか、方々に跳ね放題だ。
何より、その目に活力が無くなっていた。
いつだって元気に振る舞い、足のハンデなんか笑い飛ばしてやると豪語する力がまるでない。
薬の副作用が1番辛かった時期とどっこいどっこいの状態だった。
「知寿、俺を見ろ」
「・・・・・」
「知寿」
少しキツイ言葉でそう告げると、知寿は躊躇いながらも俺の方に視線を向けた。
だが、すぐに化け物でも見たかのように目を見開いて俯いてしまう。
「ああ、これか・・・」
彼女が何を見たのかを察し、俺は首筋に手をあてた。
俺の首筋には締められた跡が赤黒い色になって残っていた。
「気にすんな、って言っても無理だろうな」
俺がなにか言ったところで今の知寿には響かないだろう。
とにかく、今は罪悪感で凝り固まっている思考をほぐすのが先だった。
「まぁ、実際危なかった。でもな、とりあえずこれだけは言わせてくれ」
知寿の肩が震えていた。罪の意識と後悔の重圧で押しつぶされそうなのだろう。
俺はそんな知寿の肩に手を置いた。
「ありがとう。お前のお陰で助かった」
「え・・・」
意表を突かれたのだろう。知寿は驚いて顔をあげた。
「お前があの時俺の携帯に電話してくれなかったら、間違いなく殺されてた。あの電話で犯人の意識が逸れて、反撃のチャンスになったんだ。お前のお陰だ」
知寿は口をパクパクと閉じたり開いたりしていた。言葉が見つからないようだ。
「これだけは絶対に言っとかなきゃって思ってたんだ。なのに、お前全然電話に出ねぇんだもん。ここまで歩く羽目になったぞ」
「あ・・・あ・・・」
「俺が言いたかったのはそんだけだ。もっかい言うぞ。ありがと」
それが最後の引き金になった。
知寿は突然火がついたように泣き出してしまった。
辛くても泣けない時はある。自分にも非があるから泣くことが許さない気がするのだ。
謝りたくても謝れない時もある。謝って罪を認めることに耐えきれないからだ。
感情を出しきれない辛さは俺も知っていた。
知寿と喧嘩して、似たような立場になったことが何回あったことか。
「うっ・・・うっ・・・ううう・・・・」
俺を前にして、『ありとう』と言われ、知寿はようやく泣くことが出来たのだろう。
それでも、知寿は声を殺して、掌で涙を押し込め、決して泣き顔を見せないようにしてしまう。
声をあげて誰かの胸に縋ることができない。他人に頼らない習性がここまで出てきていた。
俺は小さくため息をつく。
だったら俺はその気持ちを尊重するしかなかった。
肩に手を置いてリズム良く叩く。それぐらいしかできることはない。
「ご、ごめんなさい・・・わ、わた、わたしの・・・せいで・・・」
しゃっくりを交えながら知寿がそう言ったのは泣き出して10分も経ったころだった。
「別にお前のせいじゃねぇさ。警戒しとけと念押しといて無防備だった俺も悪いんだ」
意識が知寿の安全の方向に向かってしまっていた。
知寿の周囲を俺がウロつくことがストーカーにどんな思考をさせるかなんて思いもよらなかった。
「で、でも・・・」
「まぁ、お前がもっと早く相談してれば防げたかもしれねぇのは確かだ」
知寿は鼻をすすり、何度も頷いた。
「これに懲りたら、頼れる時はちゃんと周りに相談しろよ」
「うん・・・うんっ・・・」
「ったく・・・」
俺は知寿の頭をぐしゃりと撫で、ティッシュ箱に手を伸ばした。
「泣くだけ泣け。泣き止むまで待ってやるから」
知寿にティッシュ箱を差し出すと、ようやく知寿は顔をあげた。
目も頰も真っ赤だ。泣き腫らしたせいで顔全体が膨れている。
「ひでぇ顔だな・・・」
なるほど、『ラフメイカー』の歌もまんざら嘘ではないらしかった。




