現実世界〜夜道〜
「それじゃあ、ご馳走様でした」
そろそろ9時を回ろうという頃に俺はようやくお暇させてもらった。
これ以上長居すると「泊まって行きなさい」の一言まで出てきそうな勢いだった。
「タケル君、また来てね。今度はもうちょっと凝った料理にするから」
「はい・・・」
食事にお呼ばれするならまだしも、知寿のトイレ介助とかさせるなら二度と来ねぇからな、と心の中で毒づく。
「今度は与一もいる時に来るといい。そのうち、お酒でも飲み交わそうじゃないか」
「それはあと数年待ってくださいね」
与一さんと飲むとか気疲れして酔えなさそうだな、と思ったが口には出さない。
「また明日ね」
「明日は学校休みだろ」
「どうせゲームするでしょ?明日は華美達も部活無いらしいし、みんなでランク戦行こうよ」
「・・・・・・・」
本当は警察に千代を連れて行きたいところだったが、休日じゃあんまり取り合ってくれないだろうしな・・・
「ま、連絡してこいよ」
「うん」
俺はもう一度千代田家に向かって会釈をする。
「ご馳走様でした。それじゃあ、お邪魔しました」
「はい、また来てね」
千代田家に見送られ、俺は外にでた。
春先とはいえ少し肌寒い空気が俺を包んでいた。
――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
タケルを見送った私は部屋に戻ってきた。
「さすがにトイレはやりすぎだったかな・・・」
タケルが本気で参っていそうだった。昔はなんの躊躇いもなくやっていたのに、タケルも男の子になったということだろう。
私の羞恥心はこの際置いといおく。正直、タケル相手に何を今更という話だった。
もちろん、タケルを男として見てないわけではない。最低限の部分はちゃんと隠している。
私はただ甘えたかったのだ。
現実世界でタケルとこうして長い時間一緒にいたのは本当に久しぶりだった。
高校に入ってからタケルは極端に私に会う時間を減らしていた。
多分、距離をとってお互いの距離感を戻したかったんじゃないかと私は思っていた。
実際、中学に入るまでは距離が近すぎてほとんど兄妹みたいな状態だった。
それを男女の関係に戻したかったのはわかるし、私としてもそれは望むところだった。
でも、やっぱり会えないのは寂しかった。
それまではほとんど同じ時間を過ごしていたのだからその気持ちは余計に強い。
今日の駄々はその反動だ。自分でも「ちょっと、やりすぎたな」とは思うが、あまり後悔はない。
ああやって、自分自身を信頼できる人に委ねるのは結構心地の良い時間だった。
それに、タケルにあの程度で嫌われることがないという確信もあった上での計算だ。
なにせ、闘病中は今日とは比較にならない程に迷惑をかけている。
今更あの程度で根をあげる男なら私は好きになったりしないし、私を好きになってもくれないだろう。
でも・・・タケルの気持ちが私から離れたら・・・
私がタケルの気持ちを勘違いしていたとしたら・・・
会えない時間が長くなり、タケルが他の人をすきになったら・・・
最近、そんなことを考える。
そのことを考えると、私の胸は押し潰されそうな苦しさを覚える。
でも、頭の片隅では「そうなったら仕方ない」と常に訴えていた。
私は強制できる立場ではない。
そのことは私が1番わかっていた。
「やめよ!」
私はそう声に出して気持ちを切り替える。
今日の一連でタケルが私をしっかり意識していることは確認できた。
だったら今は余計なことを考えずに今を全力で楽しむことにする。
タケルとの関係で後悔だけはしたくなかった。
それに、今は別の問題もあるのだ。
私は鞄の中から携帯を取り出した。
携帯のLEDが着信があったことを知らせてくれる。
「履歴は消しちゃダメなんだよね、メールも別フォルダに保存か・・・」
今日の帰り道でタケルに言われた助言を思い出す。
嫌悪感が先に立つ反面、自分が今までのように強い恐怖を感じていないことに私は驚いた。
「やっぱり、もっと早くに相談すべきだったかな・・・」
私はそう呟いて携帯のスリープを解除した。
「・・・・・・・・・え?」
目を疑う光景が映し出されていた。携帯に表示されている情報が信じられず、私は瞬きを繰り返す。
「なに・・・・・・これ・・・・・」
着信が62件も入っていた。
新着メールが31件も入っていた。
背中に氷でも滑り込んできあたかのような怖気が走る。
思わず全削除したい衝動を抑え、私はとりあえずメールを1件開いた。
「あの男は誰だ。君は今何をしている。これは浮気だ、私に対する裏切りだ。君は騙されている。僕は君を守る義務がある。直ちにあの男を家から叩き出せ。そのあとは僕が対処してやる。必ず君を守って・・・」
「いつまであの男を家に置いておく気だ君は大丈夫なのか僕は心配で心配で気がどうにかなりそうだ早く君に会いたい君に会いたい君に会いたい・・・・」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・・」
なんだ、これは・・・
なんなのだ・・・
「タケル・・・」
タケルは剣術を習っている。木刀も持っていた。
そうそう大事にはならない。
それがわかっていても、この胸を押し潰さんばかりの不安感は消えはしなかった。
私は心配になって、タケルに電話をかけた。
呼び出し音が鳴り続ける。
「出て・・・・出て・・・出てよ・・・・・」
私は滑り落ちそうになる携帯を両手で掴み、耳に押し当てる。
「出て・・・・・・出て・・・・・」
長い呼び出しの時間が過ぎたあと、電話が繋がった。
「もしもし」
電話の向こうから聴こえてきた声はタケルのものではなかった。
――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
千代の家から出た俺は帰り道で携帯を開いた。
母に連絡をいれると、帰りにおつかいを頼まれてしまった。
牛乳を切らしていたのを忘れていたとのこと。もし買いにいかなければ明日の朝食にミルクコーヒーが出なくなるらしい。
「どうするかな・・・公園突っ切った方が早いよな・・・」
公園の向こう側にスーパーがあったはずだ。学校の近くということもあって、昼休みに買い食いに出る生徒もいるようなスーパーだ。
俺は公園の石段に足をかけ、公園へと入っていく。
夜の公園には人気がなく、小さな電灯が白い光を放っていた。
それでもある程度の明るさがあるのは、月明かりのおかげだろうか。空を見上げてると、大きな満月が俺を見下ろしていた。足元を見ると月影をみつけて少し得をした気分になる。
公園の中は妙に静かだった。公園の近くには国道も走っているはずだが、車のエンジン音は木々の中に吸い込まれているのか、ここには届かない。
ふと、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。普段ならそんなに気にしない類のものだ。
だが、その時ばかりはその足運びに強烈な違和感を感じた。足音をなるべく隠そうとして、隠しきれないような独特な足運び。
俺は咄嗟に後ろを振り返ろうとした。
その直後だった。後頭部に強烈な衝撃が走り抜けた。
何が起きた!?
頭をかち割られたような激痛。視界の中に白い光が瞬いた。頭部から首筋にかけてぬるりとした感触が伝う。咄嗟にそこに手をやる。手のひらが真っ赤に染まっていた。
殴られた。頭を割られた。
そのことを脳が認識したのと、首に何かが巻きついたのはほぼ同時だった。紐状の何かが首に食い込んだ。
それは喉仏の上の辺りを締め上げ、俺の気道を完全に潰してきた。呼吸が完全に止まる。血のめぐりも止まる。急激に頭が重くなっていった。耳の奥で甲高い耳鳴りが警鐘のように響く。視界が黒く染まっていく。
これが完全な闇になった時、もう二度と光を拝めないという確信があった。
殺される、間違いなく殺される。
俺は首に巻きついた何かを必死に引き剥がそうとした。
だが、それは俺の首に酷く食い込んで指一本入れる隙間すらない。爪で引っ掻く程度ではわずかな緩みも作ることができない。
後ろにいる誰かの吐息が耳元にかかった。
肌にまとわりつくような生温く、濃厚な風。
これが殺気というやつか。
口が酸素を求めて開く。舌が犬のように飛び出した。
息ができない。人は首を絞められてどれぐらいで死ぬ?俺はあと何秒で死ぬ?
首を爪で引っ掻く。外れない。
背後へと腕を振り回す。当たらない。
後ろの誰かは俺の背中に肘を当て、そこを支点に首を絞めている。
「・・・・・・・・死ね」
たった一言。そいつが呟いた。本気の殺意が込められたその言葉は酷く耳障りだった。
これが俺の聞く最期の言葉になるだと!ふざけんな!
こんなとこで俺の人生が終わんのか!まだ、なにもしてねぇのに!
あいつにも、まだ何も言えていないのに俺は死ぬってのか!
必死にもがこうとするが、動けば動くほどに喉に紐が食い込む。
それでも、大人しく殺されることだけはできなかった。
抵抗し、暴れるが、その動きは徐々に緩慢になっていた。
視界が本格的に悪くなってきた。耳鳴りは遠ざかり、眠る直前のような脱力感が身体を包んでいく。
くそっ・・・たれ
それが俺の最期の言葉になりそうだった。
その時、携帯の着信音が公園に鳴り響いた。
聞き慣れた着信音。俺の携帯だ。それは地面から白い光を放って存在をアピールしていた。
殴られた拍子に地面に落ちていたらしい。
着信名は『千代田 知寿』
首を絞める力がわずかに緩んでいた。
その着信の光は希望の光だった。俺の身体には最後の抵抗を試みる気力が戻ってきていた。
最後の力を振り絞り、俺は身体全体で後方へと飛んだ。全力で後ろにいる奴にぶつかる。
ドンという衝撃があったが、後ろの相手は倒れずにそこに踏みとどまっていた。
だが、間合いは詰めた。
続けざまに俺は踵でそいつの足を踏み抜いた。
「っつあ!」
小さな悲鳴があがった。
さらに首を思いっきり後ろに跳ね上げる。
割られた俺の後頭部が柔らかいものを粉砕した。鼻を砕いた感触だった。
相手が後退する足音がする。
俺はようやく、首に巻きついた紐の隙間に指をねじ込んだ。
首から紐を外す。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・」
酸素が美味い。生きているってこういうことだ。
頭に血が巡る。その心地良さにも意識が飛びそうになる。
膝が折れ、その場に四つん這いになる。後ろに敵がいるのがわかっているのに、身動きが取れなかった。
戦え、戦わなきゃ死ぬ。
本当に死んじまう。
頭の中で何度も訴えているのに、背中にある木刀まで手が伸びない。
まだそこに敵がいるというのに、身体は敗北者のものになっていた。
背後からまた足音が迫る。
奴は逃した獲物に再び死を与えるつもりだろう。
戦え、戦え、戦え!
身体の中のアドレナリンを総動員して、背後の木刀に手を伸ばした。
「おいっ!そこでなにしとるんや!!」
第三者の声がした。
誰かが駆け寄ってくる足音と、誰かが遠ざかる足音。
だが、俺はそのどちらも確認することが出来なかった。
「クロ!追っかけんな!間違いなく危ないやつや!おい、あんた大丈夫かいな!?」
この時ほど、こいつの関西弁が頼もしく思ったことはなかった。
「よぅ、猿・・・」
「た、タケ!なにしとんねんこんなとこで!!」
後頭部がズキズキと痛む。まだ呼吸も苦しい。もう一歩も動けそうになかった。正直、なんでまだ意識があるのか不思議なくらいだった。多分、頭の痛みが強烈すぎるせいで意識が飛んでくれないのだ。
なんとか、首を動かすと猿と後輩君がそこにいた。
もう、安心できそうだ。
肘が折れ、地面に横たわる。
「救急車!救急車呼ぶで!」
「近所迷惑だから・・・サイレン消させろよ」
「お前、なに言うとんねんこの状況で!」
猿は自分の携帯で119番通報をする。
視界の隅では後輩君がスポーツタオルで手を包んで俺の携帯を拾おうとしていた。
現場の証拠品を扱う刑事のモノマネだろうか。
「タケ先輩、この携帯はなんですか!?犯人の落し物ですか!?」
そんなわけないだろう。
「・・・俺のだ」
「あっ・・・そうですよね。あの、千代先輩から着信入ってますけど」
携帯はずっと鳴りっぱなしだった。
知寿に助けられた。あいつの電話がなければ、反撃する隙もなく殺されていたはずだ。
礼の一つでも言いたかったが、本格的に話をする気力が無くなってきていた。
「出ましょうか?」
俺は頷いて返事をするしかなかった。
「もしもし・・・あっ、はい、俺です、黒原です・・・えっ、タケ先輩ですか?そ、そこで寝てます。いや、なんでって、そりゃ起きれませんよ!今のタケ先輩を動かせるわけないじゃないですか!」
後輩君の慌てふためき具合が面白い。
間違いなく、知寿には何も伝わってないだろうな。
「タケ、意識あるか!」
「あるよ・・・」
「お前何されたんや!?」
「首締められて・・・頭割られた・・・」
「吐き気とかないか!?」
「ない・・・」
猿は電話先に俺の話を告げて、最後に「住宅街なんせサイレン消してきてください」と言っていた。
「おい、クロ!救急車がわかりやすいように公園の表に立っとけ!」
「は、はい!千代先輩、そういうわけですんで!心配しないでください!」
お前、全く状況説明してねぇからな。
後輩君にツッコミを入れたかったがどうにも身体が動かない。
「犯人が戻ってくるとも限らん!木刀抜いとけや!」
「はい!わかりました!」
「って、お前どこいくねん!国道沿いで待っとかんと意味ないやろが!」
テキパキと指示を出す猿に感心する。
「タケ、この木刀借りとくで!」
猿は俺の木刀を構えて周囲を見渡していた。
犯人が戻ってくるのを警戒してくれてるんだろう。
「猿・・・」
「なんや!吐くか!?気持ち悪いんか!?死ぬんか!?」
死ぬか馬鹿。俺は面倒になり要件だけ伝えることにした。
「ありがとな・・・」
「死ぬんか!お前死ぬんか!?死んだらあかんぞ!まだ、お前千代に告白もしとらんやんけ!童貞のまま死ぬんやないぞぉ!」
ああ、こいつ殴りてぇ・・・
割と本気で俺はそう思った。




