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現実世界〜夕食〜

「お邪魔します」

「ただいまー」


俺はシュークリームを5つ買って千代田家を訪れていた。

何で5つかと言うと、俺が千代田家のために買ったお土産が4つと、千代が俺の分を買って合計5つである。


「タケル君、久しぶり。よく来たね」

「ご馳走になります。これ、コンビニのシュークリームですけど。よければ皆さんで召し上がってください」

「あぁ、そんなの買ってきてもらっちゃって。そんなに気にしなくていいのに。ありがとうね、ほら上がって上がって」

「はい、お邪魔します」


ただ、玄関から上がろうにも千代が電動車椅子の上から動く気がなさそうだった。


「千代、どいてくれないか?」

「車椅子に移させて」

「は?自分でできるだろ」

「たまには楽したいの。ほら、ほらほら!」


千代はリハビリの時と同じように両腕を前に突き出してこちらを振り返ってきた。


本当にこいつは・・・


久々に会った途端に全力で甘えてきやがる。

何のためにリハビリで筋力トレーニングしてきたのかわかったものじゃなかった。


だが、千代はその姿勢のまま動く気配はない。

この勝負は俺が折れない限り終わらないのだ。


「しょうがねぇな・・・」


俺は千代の前に回り、リハビリで立ち上がり訓練をした時と同じように千代の身体を持ち上げた。


「もうちょい、右!あっ、行き過ぎ。そこそこ、はーい下ろしてー」


車の駐車をしている気分だった。もしくはクレーンゲーム。


「ありがと。ついでに着替えも・・・」

「いい加減にしろ」


容赦なく千代のデコを平手ではたいた。

子気味の良い音がして、千代は額を抑えた。


「ぼーりょくはんたーい!」

「うっせ。さっさと着替えてこい」


千代の母さんはいつの間にか近くからいなくなっていた。

リビングに戻ったのだろうけど、なんか気を使われたようで気恥ずかしい。

まぁ、勝手知っている家である。俺は鞄と木刀の包みを玄関先に置き、千代と別れてリビングに向かった。


リビングにはカレーのいい匂いがしていた。


一気に腹の虫が鳴り出した。カレーの匂いはどうして人の空腹中枢を全力で刺激してくるのだろうか。

リビングでは千代の父さんもテレビを見て寛いでいた。


「おう、タケル君、久しぶりだな」

「お邪魔します」

「いやいや、邪魔なものか。君が来てくれると知寿も喜ぶ。私も嬉しい。もっと頻繁にうちに来ればいいのに」


長男である与一さんの仕事が忙しく、父親は家で男1人寂しくしていると千代が言っていたのを思い出した。


「はい、2人とも、ご飯を運んでくださいな」

「あっ、はい!」

「ああ、いい、タケル君は座ってなさい。私が運ぶ」

「でも・・・」

「いいからいいから」


俺は言われるがまま、食卓に座らされた。

隣の席は椅子がない。千代の場所だろう。

しばらくすると、着替えた千代がリビングにやってきた。小洒落たワンピースだ。


部屋着のくせにやけに気合の入った服に見えるのは俺の内心の願望だろうか。


「なに?」

「いや、別に」


咄嗟に素っ気ない態度を取ってしあう。

そこに、ちょうど千代の母さんがキッチンから現れた。


「タケル君、そういう時は口から出まかせでもいいから褒めてあげないとダメだよ」

「なっ・・・・」


それを聞き、千代は鬼の首でも取ったような顔をした。

そして、あからさまに俺に車椅子を寄せて食卓に並んだ。


「ん?ん?」

「くっ・・・くそ・・・」


褒めてもらおうと迫る千代に俺は口の中で言葉を探す。


「いい服着てんな・・・」

「それだけ?」

「そんだけだ!」


ここで「似合ってる」とか「可愛いいよ」とか歯の浮くようなセリフが言えれば良いのだが、そんな強靭な精神力は持ち合わせていなかった。

千代田家の人達はそんな俺の態度に笑いを堪えきれなかったようだった。

顔から火が出そうだった。


「はい、それじゃあいただきましょうか」


千代の母さんがそう言い、みんなが食卓につく。

いただきますの合唱の後、俺はさっそくカレーを一口。

濃厚な辛さと、深みのあるコクが溶け込んでいた。

カレールーを単純に溶かしただけではこの味わいは出せない。


「あぁ・・・美味しいです」

「ふふ、ありがとう。お口に合ってなにより」

「母さんは素直に褒めるんだ・・・私には随分素っ気なかったのに」

「その話はいいだろ!」


『構ってちゃん』モードの千代は本当に面倒くさい!


俺はそれから千代の両親にいろいろと質問された。

高校にあがってからどうだったのか?剣術はまだ続けているのか?部活には入ったのか?彼女はできたか?いないならうちの娘はどうだ?


最後の質問は笑顔で誤魔化せざるおえなかった。

まぁ、向こうも冗談のつもりだったのだろうけど。

例え本気だったとしても、こんなところで告白など出来るわけがない。


夕食を食べ終え、そのまま紅茶までご馳走になってしまった。

千代が買ったシュークリームを食べながら、話は昔話にまで遡った。


「タケル君が初めて知寿に会ったのはいつ頃だったかな?」

「確か、小5の時だったと思います。与一さんが知寿を道場に連れてきたんですよね」

「そういえばそうだったね。あの時からタケルは素っ気なかったよね」

「その話はもういいだろ」


当時、与一さんは道場の中で面倒見のいい兄貴分的な立ち位置だった。

その与一さんが一時的に病院から帰ってきていた知寿を道場に連れてきたのが全ての始まりだった。

恥ずかしながら、俺はその時から知寿のことが気になってしまったのだ。

与一さんに頼んで病院に連れて行ってもらって見舞いに行ったり、家族ぐるみで付き合いが始まったのもその頃だ。


それからは知寿の闘病生活にずっと付き合っていた。

吐き気が酷くて洗面器から顔をあげられない日もあった。髪が抜けて八つ当たりされた時もあった。

泣き言と恨み言を聞かされ、枕を投げつけられたこともあった。

俺も心無いことを言って知寿を傷つけたこともあった。

それでも俺は病院に通い続けた。


知寿が退院できたのは中学2年の頃。

こいつの退院が決まった時は心の底から喜んだ。

小遣い貯めまくって、退院祝いなんか買ったものだ。


今思えば、あの時にはもう惚れていたのかも知れない。


最初は間違いなく同情だったはずだ。それがいつの間にか情が移り、恋愛感情に変わったのだろう。


「ねぇ、タケル」

「なんだ?」

「トイレ」


俺は怪訝な顔をせざるを得なかった。


「俺はトイレじゃないぞ」

「トイレ行きたいから介助して」

「お前!馬鹿じゃねぇの!」


紅茶を口に含んでなくて良かったと思う。絶対吹き出していた。


「ねぇ、久しぶりに手伝ってよ」

「いやいやいや、いい加減にしとけよ。酔ってるのかお前」

「飲んでるわけないじゃん」

「だったら余計にタチ悪いわ!」


千代の顔は本気だった。本気でトイレの介助を頼む気でいる。

いや、確かに千代がまだ1人で椅子から椅子に移ることもできなかった時は当たり前のようにやっていたことだが。

今更、そんなことできるわけがないだろう!

俺は助けを求めるように千代の両親を見たが、2人は「これは面白い展開になった」と顔に書いてある有様だ。

年頃の娘を男とトイレに送り込みたがる親の神経ってどうなってんだ。


「タケル〜」

「猫撫で声を出しても変わらねぇからな!」

「もう、限界なんですけど・・・」

「だったらさっさと行けよ!」


俺はなんとか抵抗を試みた。


だが、ここに俺の味方はいない。

しかも、千代は「膀胱の限界」というタイムリミットまである。


結局・・・


「お前な、乙女の恥じらいってのをいい加減学べよ・・・」

「そんなの今更じゃん。タケルにはオムツしてるとこまで見られてるんだし」

「今からでも遅くねぇから・・・頼むから、これっきりにしてくれ・・・」


押し切られてしまった。


トイレまで車椅子を押していく。


「・・・ん」

「はいはい」


抱っこをせがむ子供のように腕を突き出す千代。

その脇から手を入れて腰を持ち上げさせる。


「パンツ下ろして〜」

「・・・おい」


ドスの効いた声が出ていた。


「あははは、冗談だって」

「いい加減にしてくれよ、本当に・・・」


こっちは変な気分にならないようにするのに必死なのだ。

身体を密着させた状態ではおちおち興奮するわけにもいかない。


「んしょ・・・」


だからそうやって声を出しながら衣摺れの音なんかさせるな!

俺は素数を数えようとして諦め、結局自分の頭の中で『立木打ち』をする事でなんとか心の平穏を保った。

頭の中では俺の最速記録を塗り替えそうな勢いで木刀が振られていた。


「下ろしていいよ」

「・・・ああ」


千代を便座に下ろす。流石に最低限の恥じらいは残っているらしく、千代はワンピースで大事なところは隠していた。俺はもうほとんどトイレの天井のみを見つめていた。


何を言われても、これ以上下に視線をやるまいと心に誓う。


「タケル、ありがと」


もう居ても立ってもいられなかった。

俺は何も言わずにトイレから逃げ出した。

やや乱暴に扉を閉め、ため息を吐く。


「もう・・・勘弁しろよ・・・」


顔があまりにも熱くてリビングに戻れる気がしなかった。


「タケル〜終わったらまた介助よろしくね〜」


俺は壁に頭をぶつける。

そのまま精神統一を続けてなんとか気持ちを落ち着けた。

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