現実世界〜帰り道~
「はぁっ、終わった~~」
「お疲れさん」
千代と一緒に病院を出る。
彼女の肩にはスポーツタオルがかかり、手元にはスポーツドリンクがあった。
ちなみに、そのタオルは俺が朝道場に持っていたスポーツタオルの予備で、スポーツドリンクは俺が奢らされた。
「ねぇ、タケル。車椅子押してよ」
「はぁっ?なんでだよ」
「私、リハビリで疲れてます。車椅子、押したくないです」
「電動車椅子に乗って疲れたもなにもないだろ」
「いいじゃん、いいじゃ~ん!押してよ~」
だから、こいつのリハビリに付き合うのは嫌だったんだ。
『リハビリで疲れた』それを言われると俺は抵抗できない。
俺はため息を吐いて、自分の鞄を千代の膝の上に放り投げた。
「だったら、これ持ってろ」
「はーい」
「中見るなよ・・・」
「・・・・・・」
千代は既にチャックに手をかけていた指を止めた。
「なに?変なもの入ってるの?」
「もし開けたら、お前のこと置いてくからな」
「ちぇっ・・・」
千代はそう言って鞄から手を離した。
別に変な雑誌が入っているわけではないのだが、千代は放っておけば鞄の中身を全部ひっくり返す。
こいつは俺に対して遠慮会釈が無さすぎる。お前は幼稚園児か、と何度言ったことか。
俺は車椅子の持ち手を押して、帰路についた。
日も傾きはじめ、世界が赤く染まるはじめる時分。
帰り道は子供の声や行きかう車のエンジン音で賑やかだった。
「なぁ、千代」
「なに?」
「電動車椅子、重い」
「金城は文句1つ言わずに押してたよ。タケルも頑張ってよ」
あれと一緒にしてほしくない。
「・・・千代」
「今度はなに?」
「・・・ストーカー被害にあってるんだってな」
千代の身体が固まった。
今は彼女の頭の旋毛しか見えないが、千代の表情が凍り付いているのはわかっていた。
「華美でしょ・・・大袈裟に伝えただけだよ。特に何もされてないし」
「何かあってからじゃ遅いだろ」
「大丈夫だって・・・」
「携帯見せろ」
「・・・え・・・」
「イタ電とか変なメールとか届いてるんじゃないのか?」
「・・・そんなことないよ、なんなら見せようか?」
千代はそう言って自分の鞄から携帯を取り出そうとした。
だが、その手はやけに覚束ない。
携帯を取り出そうとして、鞄のふちに引っ掛けて取り落としてしまう。
「あっと・・・」
もう一度取り出そうとして同じことを繰り返す。
「はははは、リハビリで・・・」
「そんなわけねぇだろ」
俺は自分の眉間に皺が寄っていくのを自覚した。
「怖い声出さないでよ。はい、携帯」
千代は笑顔を取り繕おうとして失敗していた。
俺は差し出された携帯と彼女の表情を見比べる。
「メールとか来てないよ」
「・・・お前、全部消してんのか!?」
「え・・・・」
彼女の目が見開かれる。図星を刺されたのだろう。
「メールとか携帯とかの履歴とかは後々証拠になる。絶対に消すな!」
「だ、だから・・・私は別に・・・」
「知寿っ!」
大きな声が出た。知寿は肩を震えさせて黙りこくった。
俺はその場で足を止める。すれ違った買い物帰りの親子が「何事か?」という様子で見てきた。
「昨日、俺が電話した時もなんかあったんだろ?」
「・・・・・・」
「さっきも言ったが、何かあってからじゃ遅いんだ。ストーカー被害にあったって、別に恥ずかしいことじゃねぇだろ。お前が悪いわけでもあるまいし。隠そうとなんかするな!」
「・・・・・・」
知寿は俯いたまま何も言わない。
それどころか、目を背けるように前を向いてしまった。
俺は舌打ちをして、知寿の前に回り込んだ。
「知寿っ」
「・・・・・・ストーカーなんて、無視しとけば・・・誰にも迷惑かけないし」
「エスカレートしてきたらどうすんだよ。頼むから、警察にだけは行け!」
「・・・・・・」
知寿はそれでも首を縦に振ろうとしなかった。
こいつの強情は今に始まったことではない。
出来ないことが多い知寿は誰かに頼らなければならない時間が他の人に比べて極端に多い。
だが、それで他人に甘え通しの人生を歩める程に知寿は弱くなかった。
自分でできることは自分で。
そんな意識が根付いたのは何時からなのかは俺もわからない。
「知寿、頼むから」
「・・・ごめん・・・」
「謝るぐらいならな・・・」
「うん、わかってる・・・」
知寿は顔をあげた。
だが、その顔には俺は驚いた。彼女の顔には酷い憔悴が浮かんでいたのだ。
「心配してくれてる人がいるんだもんね・・・これ以上私1人で抱えてたら、タケルや華美にも迷惑だもんね・・・」
目は落ち込んで、クマがはっきりと見える。それに、頰が随分と痩せている。
知寿が急に老けたような気がした。
さっきリハビリで顔を近づけた時はまるで気づかなかった。
「ごめんね・・・心配かけて」
知寿は疲れきった顔のまま、なんとか笑顔を絞り出していた。
ずっと、隠していたのか・・・
思い出した。こいつは元気のあるように見せる方法ぐらい熟知しているのだ。
俺はこの時ほど知寿と距離を置いていたのを後悔した時はなかった。
「タケル?」
握りしめた拳の爪が手のひらに食い込んでいた。
なんで、こいつはここまで耐えてしまうのか。
どうして、俺はこうなるまで知ろうとしなかったのか。
彼女の馬鹿馬鹿しいまでのタフさと、自分自身の鈍感さが憎たらしかった。
俺は自分の顔を隠すように立ち上がった。
「タケル・・・怒ってる?」
「まぁな・・・華美にも謝っとけよ。随分、迷惑かけたんだろ?」
「うん」
知寿の後ろに回り、車椅子を押す。
「とにかく、明日にでも警察に相談に行くぞ。護衛とかつくわけじゃねぇけど、被害が出ないようにパトロール強化とかしてくれるらしいし・・・後は証拠は取っとくことだ。イタ電の履歴とか、メールを別ファイルに保存しとくとか」
「うん、わかった」
「その様子だとイタ電に出たりとかはしてないんだろ?無視が基本だからな」
「うん」
「それと、変な荷物とか届いたりしてないか?」
「あ、うん。なんか女物の服がいっぱい届いた」
「捨ててないだろうな?ゴミ漁られて、捨ててあるのがバレたらそういうのはエスカレートしていくからな」
「うん」
知寿は俺の話を頷きながら聞いている。
その後ろ姿が心なしか小さく見えていた。
「タケル・・・ありがとう」
「何がだ?」
「いろいろ、調べてくれたんでしょ?」
「そりゃな・・・お前に感情論だけで勝てねぇのはわかってたしな。理論武装しねぇと」
「そんな理由?」
「お前な・・・今までの俺たちの喧嘩を思い出してみろよ。俺がまともに口で勝てた試しがあったか?」
「そういえばそうだね。うん、そうだったね・・・」
ふと、千代がどこか遠くを見るように顔を上げた。
その視線を追いかけると、遠くにこの街の高台にある公園が見えていた。
そこには展望台があり、割と遠くまで街を見渡せる。だが、階段が多くて千代は1人でそこに登ることは出来ない。
そんな時、千代の携帯がなった。
俺は咄嗟に身構えたが、千代は何の躊躇いもなく携帯を起動した。
「あっ、母さんから。タケル!今日、うちでご飯食べてって良いって!」
千代はそう言って嬉しそうに俺を振り返った。
だが、俺は千代が何を言っているのかわからなかった。
「何の話だ?」
「私が連絡しておいたの、タケル連れて帰っていいかって」
「聞いてねぇぞ!」
「言ったら絶対断るでしょ。だから事後承諾で」
「意味わかんねぇよ!ってか、晩飯?そんなの世話になれるか!」
「あぁあ、私疲れたなぁ〜リハビリで疲れたなぁ〜大勢で食事したらきっと元気になるな〜」
「何でもかんでも、それで通ると思ってんじゃねぇぞ!」
千代田家でご飯。中学の頃は度々そんなこともしていたが、高校に上がってからは一度も千代田家には行っていない。
「もぅ!なんで嫌がるのさ!女子高生と一緒にご飯が食べられるんだよ!」
「その言い方は誤解を招くからやめろ!っていうか、お前の家での飯は気まずくて喉入んないんだよ!」
「兄ちゃんなら、今日遅いから大丈夫だって」
「う・・・・・・」
兄弟子であり、俺が絶対に頭の上がらない千代の兄さん。彼がいるのが俺の1番のネックであった。
それが無ければ、千代の母さんはいい人だし、父さんも面白い人で楽しい食事ではある。
「だめ?」
そして極めつけに、千代のこの顔だった。
物寂びしそうに神に祈りを捧げる乙女のような上目遣いである。
こいつは自分の表情の意味をわかってて使っている。
それはわかっているのだが、わかっている上で逆らえないのが俺の弱いところであった。
「・・・コンビニ寄るぞ」
「え?」
「手ぶらで行くわけにはいかねぇだろ。なんかデザートになりそうなものでも買ってく」
「やったー!」
元気にはしゃぐ千代を見ながら道を曲がる。
「あれ?こっちから行くの?向こうの道なら帰り道にコンビニあるよ」
「向こうのコンビニは店舗が小さい。お前にも選んで欲しいんだから大きめのコンビニに行く」
千代はニコニコと笑いながら俺を見上げてきた。
「いつもありがと」
俺は少し気恥ずかしくなり、千代の視線を避けて前を向いたのだった。
この顔が熱いのは夕焼けでバレないはずだ、そうあってくれ。
今はそう思って、ひたすら車椅子を押すしかなかった。
だから、俺は千代が声を殺して笑っているのに気づかなかった。
「・・・・ばーか」
「なんだよ、突然」
「いいのいいの、ほら、早く押して!レッツゴー!」
「だったら自分で動かせってんだよ」




