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現実世界〜リハビリ〜

ホームルームが終わり、今日一日の学業が終わりを告げる。


「タケ、今日の夜は潜るか?」


関西訛りのイントネーションで猿が声をかけてきた。

『潜る』というのはオンラインゲームをやる時の俗語だ。

語源としては『ネットダイブ』という言葉の和訳らしいが、詳しいことはよく知らない。

俺と猿の間で一緒にやるオンラインゲームといえば、”Garden of Heros “のことしかない。


「どうだかな、ちょっと用事で遅くなりそうなんだよな」


俺には千代のリハビリに付き合う約束がある。

リハビリ自体は1時間ぐらいで済むのだが、病院の混み具合によってはなかなか帰れないことがあるのだ。

しかし、千代のリハビリに付き合うのも久しぶりだ。

最後に一緒に行ったのは2年前だっただろうか。


「なんやねん、せっかく俺が今日やる気やってのに」

「お前、今日部活だろ。遅くなるんじゃないのか?」

「今日は筋トレの日やねん。パパッと終わらせてササッと帰るわ」


こいつの所属するラグビー部は筋トレ後の練習は自主練という名の自由参加型になるらしい。


「まぁ、そういうわけだ。出来そうなら俺から連絡するよ」

「しゃあないな。蜂巣でも誘うか」


あいつは素で断りそうだけどな。


俺は猿に「じゃあな」と言って別れた。

千代の奴には俺は先に病院に行っておくと言ってあった。

あいつは下駄箱で待ち合わせて一緒に行くつもりだったらしいが、俺はそれを全力で断った。

昨日の今日なのだ。変に噂になって金城に目をつけられるのだけは勘弁願いたい。


ストーカー被害にあっている最中の千代を一人で行かせるのは思うところがあったが、千代には出来るだけ人通りの多い場所を行くように念を押してある。

昨日は金城がいて話題にできなかったが、今日こそはあいつにストーカーについて問い詰めてやるつもりだった。


あいつのメールとか電話履歴とか見せてもらって、イタ電とか来てるかどうかを確かめねぇと。

もし来てるようならそれを証拠に警察に相談する。

あいつは変に自分で抱えるところがあるから、どうせ警察に行くのも渋るだろうし、そん時は付き添ってでも無理やり連れていって・・・


俺は病院への道を歩きながら、昼間に調べたストーカー対策について頭の中で具体的な案を練り上げる。


後はあいつの両親に直談判して防犯グッズを買わせるか・・・いや、でも車椅子のあいつにスプレーとかスタンガンとかは扱えねぇだろうし・・・やっぱり、ブザーが1番か。

となると、安くて使いやすい奴はどれになるのか・・・


歩きスマホは別に条例で禁止されたりしていない。俺は道中で携帯をいじって防犯グッズを検索する。

まぁ、歩きスマホが禁止されてたとしても俺は構わず続行しただろう。

ここは歩き慣れた道である。


俺が向かったのはここら一帯では1番大きな病院だった。

自動ドアを通ると、病院特有の過度に空調の効いた空気が出迎えてくれる。

この時間帯でもロビーは人でごった返していた。この病院が大病院だからこその光景だろう。


俺は近くのエスカレーターに乗り、2階へ向かう。


リハビリステーションと大きく書かれた自動ドアの前には順番待ちをしている人達がソファに座っていた。

俺は特にリハビリを受けるわけでもない。そこに座るのはなんだか悪いような気がして、俺は立ったまま千代を待った。

携帯を取り出そうかとも思ったが、病院なので控えておくことにした。

最近の医療器具は携帯の電波程度で狂うような作りはしていないらしいが、なんとなくタブーな雰囲気は残っていた。

とりあえず、持て余した時間を文庫本を読んで過ごす。


本の内容は海外のファンタジーだ。1人の少年と黒い犬が人々を動物に変える呪いを解くために世界を冒険する話だった。童話のような内容だが、世界観が重厚で読み応えがある。


「ごめーん、待った?」


そう声をかけられたのは物語が程よく展開している真っ最中だった。


「もう少し遅くても良かったぞ。今いいところなんだ」

「・・・・えー」

「ほら、列に並べ。俺は終わるまでここにいるから」


車椅子が俺に突撃してきた。

慌てて横に回避する。


「おい、こら!危ないだろ!」

「うるさい、この!この!大人しく轢かれろ!」

「バカ!電動車椅子に踏まれるとマジで痛いんだぞ!」


千代は右に左に車椅子を振り回し、俺の足をふみつけようとモーターを駆動させた。

だが、俺もそう簡単に踏まれるわけにはいかない。俺は奇妙なダンスを踊るかのように、車椅子の車輪を避け続けた。


「わかった!悪かった、俺が悪かったから!」

「逃がさん!」


千代はニヒルな笑みを浮かべて俺に突撃してきた。

壁と柱に追い詰められた俺に逃げ場はない。


「おっと!っと!っと!!」


車椅子の突進を受けて、俺は足の置き場をなくしてしまった。

バランスを崩し、倒れる先は前しかなかった。


「っと!!」


電動車椅子の背もたれにつかまった。

自然と千代に覆いかぶさるような姿勢になる。


「・・・・」


見上げる千代と俺の顔が至近距離にまで迫っていた。


「どうだ、参ったか?」


これまでに見たことがない程のドヤ顔が目の前にあった。

衝動的に頭突きをかましたくなった。


「・・・はいはい、参りましたよ」


とりあえず、ため息を吐きかけるだけにとどめて、俺は勢いをつけて身体を起こした。


「幼稚園児かお前は」

「へへへ、タケルが一緒にリハビリしてくれるのなんて中学以来だからね。ちょっと、うれしくてね」

「一緒になんかやらんぞ、俺は終わるまでここで待ってる」

「えぇ~!それじゃあなんでタケル連れてきたのかわかんないじゃん!」


千代が車椅子を引いてくれたので、壁と柱の間の牢獄から解放される。

俺は鞄の中に文庫本を放り込んだ。


「昨日、私を放置したのはだれでしたっけ?」

「・・・あぁ、もう・・・」


昨日、罪悪感に任せて電話などしなければよかった。


「リハビリ担当の人がOK出したら付き合ってやるから。さっさと、行ってこい」

「言ったね!約束したからね!!」


千代は車椅子を動かして、リハビリの受付に病院の受信票を渡して戻ってきた。


「それで、何読んでたの?」

「『コルトとマーフィー』」

「ああ、華美が読んでた奴だ」

「あいつから勧められたからな」

「どんな話?」


俺は本のあらすじを説明する。千代も結構本を読む奴だが、電子書籍が中心だ。

本屋に行って本棚を物色するのは難しいし、読み終えた本を一々棚に戻すのが億劫な彼女にとってタブレット一つで永遠に読書できる電子書籍は優秀なアイテムだそうだ。


「お前はなんか最近面白い本読んだか?」

「最近、陰陽師が熱い」

「お前、本当に定期的に変なのにハマってくな。この前は剣豪小説とか言ってなかったか?」

「江戸から鎌倉時代の小説読んでたらいつの間にか平安まで遡ってた。でも、陰陽師と平安貴族の姫君との恋って切なくて、愛しくて・・・萌える!」

「さいですか・・・」


そんな話をしているうちに千代が呼ばれる。


「それじゃあ、OKが出たら呼ぶからね」

「はいはい・・・」


車椅子に乗ってリハビリ室へ消えていく千代。


「ったく・・・」


俺は壁に寄り掛かって鼻の頭をこすった。

さっき、至近距離に寄った時に千代の吐息がかかった場所だった。


こっちは心臓が変に高鳴ってるってのに、いい気なもんだ。


「タケル~」

「嘘だろ・・・」


千代に手招きされて、俺はもう一度ため息を吐かざるおえなかった。


――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――


「いや~岳垣君だったよね。久しぶり」

「どうもです」


リハビリステーションで出迎えてくれたのは顔見知りの理学療法士さんだ。


「あれ?なんか嫌そうだね」

「あんまり気乗りしないんですよ・・・」


それに対して千代はリハビリの定位置に座っていた。


「タケル!はやくしてよ!立ち上がり訓練から!!」

「はいはい・・・」


低い椅子に座った千代は両腕を前に伸ばしていた。

俺は千代の前にしゃがみこむ。


これからやるのは筋力訓練の一つである立ち上がり訓練だ。


千代の脇の下から手を入れて、肩を彼女の胸骨に密着させ、腰のあたりに手を回す。

千代は腕を俺の肩から背中に乗せた。

自然とお互いの顔が肩口のあたりの位置になる。


「セクハラ~」

「帰るぞ、この野郎」


半ば本気で言うと、千代は声を抑えて笑った。


「ごめんごめん、体重のせるね」

「はいよ」


俺の肩に彼女の体重が乗る。

それを確認して俺は体を後ろに倒した。

千代の体は俺の動きに合わせて前傾の姿勢になる。

腕を前に突き出した状態で体を前傾させると、回転力で尻が持ち上がる。その姿勢から俺は彼女を担ぐようにゆっくりと立ち上がった。


「・・・・・ふぅ・・・」


立ち上がった千代は疲れ切ったように息を吐いた。

彼女の身体の震えが俺にまで伝わってくる。

足が身体を支えきれずに震えているのだろう。

俺はさっきと逆の手順で千代を椅子に座らせる。


「これで、1回目」


既に千代の息はあがっていた。ただ立ち上がるという作業でも千代にとっては十分な重労働なのだ。


「とりあえず、5回か?」

「うん」

「よし、頑張れ」

「うん!」


俺はもう一度彼女の寄り掛かる支えとなって、彼女を立たせる補助をする。

今度は少し彼女の体重を支える割合を減らしてみた。


「くっ!うぅ・・・くうう!」


やっぱり難しそうだった。

彼女の身体は椅子から尻が少し浮いたところで止まってしまった。

俺はゆっくりと彼女を持ち上げるように力を込める。


「ふぅ・・・タケル・・・スパルタ過ぎ」

「わるい、どこまで行けるか把握したかったんだ」


俺は千代を椅子におろした。

続いて3回目の規律訓練だ。


「タケル、もうちょっと任せてくれてもいいよ」

「了解」


今度は体重を支えすぎたらしい。

千代に体重を返して、彼女が起き上がる補助を続ける。


これでも、千代は大分動けるようになっていた。

昔は俺がほぼ全体重を支えて持ち上げなければ立てなかった。

リハビリの内容も足をその場で動かして関節が固まるのを防ぐ目的のものばかり。筋力トレーニングなど、ほとんどできなかった。


それが今はこうして半分ぐらいは自分で体を持ち上げることができるし、歩行訓練も始めていると聞いている。


「4回目~」


千代は頑張った。

頑張ってもなかなか上手くいかないことが多い千代が努力に向き合うというのは俺らが軽々と口にする『頑張る』とは意味が異なる。


「よし、最後だ」

「ありがと」


5回の立ち上がり訓練を終え、俺は彼女の身体から離れる。

彼女の胸骨に触れていた肩口にわずかに柔らかい感触が残っていた。


あんまり有難みがある大きさじゃないが、健全な高校生である自分にとっては正直大差ない。


その感触を忘れようと、俺は肩を手で払った。


そして、ちょっと休憩してからもう一セット。

中学の頃からこうしてリハビリを手伝ってきた俺には手慣れたものだった。

俺らが終わったのを見計らい、千代を担当している理学療法士さんが近づいてきた。


「ありがとうございますね、岳垣君」

「いえ、もう慣れたもんですよ」


理学療法士さんは優しげな笑顔を浮かべていた。


「それじゃあ千代田さん。次は歩行訓練ですね」

「はい!」

「俺は見てていいですか?歩行訓練の補助はやったことないんで」


俺がそう言うと、千代が不満そうに眉間に皺を寄せた。


「大丈夫だよ、私の横で倒れないように支えてるだけでいいから」

「やめとく。なんか事故ったら責任取れないからな」


千代はまだごねようとしていたが、俺は今回ばかりは動く気はなかった。

千代もそれを察したのか、理学療法士さんと一緒に歩行訓練のスペースへと移動していた。


「お久しぶりですね。岳垣君」

「あっ、どうもです」


以前から入り浸っていることもあって、顔見知りの多いリハビリステーションである。


「千代田さんの付き添いですか?」

「ええ、まぁ。ちょっと、あいつに貸しを作ったんで、埋め合わせですよ」


千代は車椅子から歩行器へと頑張って移動しようとしていた。

何か支えるものがあれば、ギリギリ立ち上がるところまではできるようになっているらしい。

ただ、産まれたての小鹿のように足が震えているのがやはり痛々しい。


そのまま、上半身で体を支えながら一歩前に出る。


「おお・・・」


思わず声が漏れていた。

あいつが現実世界で歩いている姿を見たのは初めてだった。

普段は電脳世界で走り回ったりしている姿を見てはいたが、こうして実際に一歩踏み出すところを見たのとは別の感動があった。


「千代田さんは歩き出せるの早かったんですよ」

「そうなんですか?」

「彼女、結構はやくから没入型VRゲーム初めたでしょ。それが結構いい影響だったらしいんですよ」

「え・・・」


ゲームでリハビリが早まったって、そんなことあるのか?

ゲームで動いているって言ってもそれは電脳空間での肉体の話だ。

現実世界で実際に身体を動かしているわけではない。


「意外ですか?でも、最近医療業界でも結構注目されているんですよ、あのタイプのゲーム」

「そうなんですか?」

「身体を動かすのってイメージが大事なんですよ。長いこと身体を動かしてない患者さんだと、本当に歩き方とか立ち上がり方とかわからなくなっている人が多いんです。それで、あのゲームで身体を動かしてもらって、そのイメージで身体を動かすとすごい効果的なんです。それでリハビリ期間が短くなったって報告もあるぐらいですからね」

「へぇ・・・」

「あれの開発者にはリハビリ関係者から感謝状送りたいぐらいですからね。あれ導入してから、リハビリの回転率が目に見えて上がりましたから。ほら、あそこでもやってますし」

「あ、本当だ」


リハビリ室の一角ではご年配の方々が見慣れたヘッドセットを付けていた。

プレイ内容はゲームではなく、リハビリ用のプログラムっぽかった。


でも、そういうことなら千代にあのゲームを勧めたのはやっぱり間違いではなかったようだ。


「千代田さんも少しずつ歩けるようになってきましたし、車椅子卒業も近いかもですよ」

「そうなってくれるといいですね。あいつのせいで、友達間で遊びに行けない場所が多すぎて。海も山もダメですし、遊園地も行けやしないんですから」

「そんなこと言ったら可哀そうですよ」

「いいんですよ、あいつにはそれぐらい発破かけとかないと、すぐ甘えるんですから」


そうして、俺に話しかけてきてくれた理学療法士さんは他の患者さんのところへと仕事をしに向かった。

1人でリハビリ室の隅に立っていた俺はすることもなく、千代の歩行訓練を眺めていた。


腕で身体を支え、足元を見つめ、一歩踏み出す。

だが、その足は頼りなく震え、腕も限界が近いのか彼女の額には玉の汗が浮かんでいた。


「はぁっ・・・んっ!!」


次の一歩を踏み出そうと、足を持ち上げようとしたところで、彼女の膝が砕けた。

ガクリと彼女の身体が沈み込む。


「大丈夫ですか」


千代は床に片膝立ちで座り込むようにしてなんとか倒れないように姿勢を保っていた。


「はぁっ、はぁっ・・・はい・・・」

「今日はこの辺にしときましょうか?」

「・・・・・・・」


千代は袖で額の汗をぬぐい、歩行器につかまって身体を持ち上げようとしていた。

理学療法士さんにも脇を支えてもらい、千代は立ち上がった。


「もう少しだけ・・・やります」


彼女の頬はリハビリで火照り、震える手足は紅潮し、肩で息をして呼吸が乱れていた。


綺麗だな。


と、俺はそんなことを思ったのだった。

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