現実世界~千代田 知寿の場合~
「はぁ・・・ひどい目にあった・・・」
お風呂からあがり、私は今日という一日を思い出してため息を吐いた。
短い髪をドライアーにあてる。鏡の中から疲れた表情の自分が見つめ返していた。
「タケルも全然助けてくれないし。引き離すぐらいしてくれてもいいじゃん・・・そりゃ、金城に逆らいたくないのはわかるけど・・・でも、もう少しさっ!」
後で文句の一つでもメールしてやろうと心に誓う。
髪を乾かし終え、私はリビングへと向かった。
「あ、ちーちゃん、あなたがお風呂に入っている間に届け物があったよ」
母さんが晩御飯を並べながらそう言った。
「届け物?」
「うん、『密林』から」
ネット通販の最大手。そういえば、注文していたんだった。
「お部屋に置いといたからね」
「うん、ありがと。お腹すいたー」
今日のメニューはハンバーグにコーンスープ。見てくれはいいが、昨日の残り物であった。
「パパは?」
「残業だって」
「ふぅん、大変だ」
サービス残業ではないらしいが、残業代など雀の涙程度しか出ないそうだ。
サラリーマンは大変だ。
「兄ちゃんは?」
「よっちゃんも残業だって、なんでも、新キャラが大詰めだとか」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたね」
私と歳が少し離れた兄はもう会社で働く年齢だ。
兄ちゃんはゲームのシステム調整をする仕事をしている。
その時、携帯電話が鳴る音がした。メールの音だ。
息が止まった。
「ちーちゃんの電話じゃない?」
「う、うん・・・」
車椅子の背もたれの後ろにあるポケットに手を伸ばす。
携帯電話にはメールが一件入っていた。
見知らぬメールアドレス。
震えそうになる指を抑え込み、開く。
「拝啓、千代田 知寿様へ
本日は男子生徒2名と帰宅されていたようで。彼らはあなたの友達でしょうか?車椅子を押していた男子とは随分と親しげに見えましたが、一体どういうご関係でしょう、私は彼氏としてあなたの友好関係は・・・・
私は全身の嫌悪感を抑え込み切れずに携帯をスリープモードにした。
「ちーちゃん、メールだれから?」
「友達がバカなメールを送ってきてて。後で文句返してやる」
「友達って、猿くん?」
「あははは、猿が常にバカやってるわけじゃないんだから」
私は携帯をポケットに放り込んだ。
足が震えていた。
普段はろくに動かないくせに、こういう時だけ過敏に反応するな。
私はほとんど肉の無い太ももを指で抓った。
そこはあの金城に触られた場所だった。その感触がまだ残っているような気がする。
あの人はどうしても生理的に受け付けなかった。
私を特別視しているところも、少しナルシスト入っているところも、話題が苦労自慢ばかりなところもどれもこれも受け付けない。
なるべく避けるようにしたいが、上手くいくだろうか・・・
「そうそう、今日、久々にタケルに会ったよ」
「あら。最近、話を聞かないからあなたたち喧嘩したものと思ってた」
「なんでそうなるの。高校生になってクラスが分かれただけだよ」
「えー、でも中学の時は二人ともいつもべったりだったのに」
「タケルが距離とってるんだもん。っていうか、ゲーム世界でほとんど毎日会ってるし」
話題をタケルのものにすると、話は連鎖して昔話までさかのぼる。
会話に花を咲かせて、私はいろいろなことを忘れようとした。
夕食を食べ終え、私は自分の部屋へと戻ってきた。
年頃の女子としては部屋の扉は開けっ放しにするのは憚られるのだが、車椅子だとドアの開け閉めが結構大変なのだ。
引き戸はもちろん、押戸も結構労力を使う。一番楽なのは横にスライドさせるタイプのドアだが、結局開けっ放しが一番楽である。
私の机の上には『密林』の箱が乗っていた。
買ったのは没入型VRゲームのヘッドセットだった。ただ、"Garden of Heros"のゲーム性に最適化された品だ。私の反射速度のデータからもっと良いものを買った方がいいと華美に勧められたので、お小遣いを貯めて奮発したのだ。
「なかなか、高い買い物だったなぁ・・・」
お年玉の残りをつぎ込んでしまったが、後悔は特にない。
どうせ、没入型VRゲーム以外に私はゲームをしない。損になることはほとんどないだろう。
「でも、やけに大きい箱だな・・・」
まぁ、『密林』は時々内容物に比べてかなり大きな箱を使うこともあるので特に気にはしなかった。
私は箱を開いた。
「あれ?」
私はその姿勢のまま固まってしまった。
「なにこれ?」
箱の中には帽子や服があふれんばかりに詰め込まれていた。
こんなものを注文した覚えはない。
慌てて、箱の宛先を確かめるが、そこには確かに私の名前とこの家の住所が印字だれていた。
携帯を取り出して、注文内容をチェックする。
注文履歴にこんなものは乗っていない。
それどころか、ヘッドセットはまだ『配達中』となっていた。
「なにこれ?なにこれ?」
押し売りか何かだろうか。もしかして、振り込み用紙とか入ってるんじゃ・・・
私は箱の中を探った。だが、そんなものは一枚も入っていない。
「クーリングオフとか・・・できる奴かな・・・」
不安がドっと押し寄せてきて、冷や汗が浮かんでくる。
「ああ、もう、せっかくお風呂入ったのに・・・」
詰め込まれていた服を取り出してみる。
「あっ、でもこれ欲しかった奴だ」
私はよくネットサーフィンで新しい洋服をチェックして、目星をつけてからお店に行く。
その方が手間が少なくていい。
届けられた洋服は私が以前『お気に入り』の欄に入れていた奴によく似ていた。
「んー・・・どうしよう。私のものにしちゃっていいかな・・・あっ、これも欲しかったのだ・・・」
買いたいな、と漠然と思っていた服が何着かありそうだ。
私は胸の中の罪悪感を少し押し殺して、物色を始めた。
私宛に届いたものだし・・・でもな・・・
「あっ、これこれ、この帽子気になってたんだよねぇ・・・これもだ・・・これもだ・・・・・・・あれ、これもだ・・・・」
身体に悪寒が走り抜けた。
「・・・・・・なに・・・これ・・・」
私がお気に入りに入れていたアイテムばかりだ。
欲しくて画面を何度も開いた上着、いつか履いてみたいなと思ったスカート、お気に入りの一番上に登録した帽子。
全部、私が欲しいと思って何度も見に行ったアイテムばかりだった。
興奮は戦慄に変わる。噴き出た冷や汗はさっきの比ではなかった。
震える指で携帯を調べる。
間違いなかった。
履歴、お気に入り、その欄に乗っているアイテムが全て目の前にあった。
なにこれ・・・どういうこと・・・
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」
激しく動機がしていた。息が苦しい。
沸きあがった恐怖が喉を締め付けていた。
「ぉぇっ・・・」
口元を抑える。さっき食べた夕食が喉奥まで迫ってきていた。
吐き気は入院していた頃に手慣れている。
私はなんとか胃袋の中にそれらを押し込んで深呼吸をした。
「・・・・・・・・」
私は外に引っ張りだしていた帽子や洋服をすぐに段ボールの中に詰め戻した。
怖い、気持ち悪い、一刻も早くこれを目の前から捨ててしまいたかった。
最後の洋服を段ボールの中に押し込む。
それを見計らったかのように
携帯が鳴りだした。
「きゃっ!!」
思わず携帯を投げ出してしまう。
「はっ、はっ、はっ・・・」
全身から血の気が引いていた。指先が恐怖で真っ白になっていた。冷や汗が滝のように背中を流れ、自分の心臓の音が異様なほどに大きく聞こえていた。
車椅子を無意識に引いていたのか、ベッドにぶつかってしまう。ベッドが揺れる大きな音がした。
「はぁっ・・・・はぁっ・・・・」
床に投げ出された携帯電話。
それは相も変わらずなり続いていた。
電話の相手を遠目からのぞき込む。
「はぁぁ・・・・」
大きなため息が出た。
私は震える指で携帯を拾い上げた。
「もしもし・・・」
「おう、俺だけど、今いいか?」
タケルの声だった。
「あ・・・・・・」
安堵のせいか涙が零れ落ちていた。
「うん、平気」
「どうした?泣いてんのか?」
「今、感動物の映画みてたの・・・」
「もしかして邪魔したか?」
「いいの、もうスタッフロールだから」
指で目元をぬぐう。いつの間にか指先に体温が戻ってきていた。
「千代・・・なんかあったか?」
「だから、映画見てただけだって・・・」
「本当か?」
「本当・・・本当だから・・・」
あれほど激しく胸を叩いていた心臓がゆっくりとリズムを刻んでいた。
冷え切った身体にぬくもりが戻ってくる。
本当に、なんてタイミングで電話してくれるのだろうか・・・
「本当に?」
「しつこい!本当だって・・・」
タケルはまだ何か言いたげな様子だったが、言葉を飲み込んだようだった。
「それで、何か用?」
「ああ・・・それが・・・」
タケルの電話はゲームのお誘いであった。今から"Garden of Hero"をやるけど、一緒にやらないかというものだ。猿や華美や後輩君は部活でまだ帰ってないとのことだった。
私は今日はちょっと気分が乗らないといって断ることにした。
「そっか、わかったよ。一人で潜るか」
「ごめんね。でも、そんなの、メールで良かったじゃないの?」
私はそんなことを言ってしまった。
本当は電話してもらってすごく嬉しかった。私はタケルの電話に救われたんだと断言してもよかった。
でも、ひょっとしたら、『嫌な予感がした』とか『虫の知らせがあった』とかそんなロマンチックな答えが返ってくるかもしれないと思ったのだ。
「ああ、そりゃ、パソコン教室でお前を助けられなかったろ。だから、埋め合わせ・・・とか、した方がいいかなとか思って」
「・・・・なにそれ」
私は笑ってしまった。その拍子にまた涙が一粒零れ落ちる。
もう助けてもらったよ、タケル
「いや、だから。なんか要望があったら聞いてもいいかなと。お前に金城押し付けたような感じになっちゃったからさ」
「・・・バカ」
「バカはないだろ」
「バカバカ、バカ。だったら最初からもっとフォローしてよ」
「あの状況なら仕方ないだろ。金城ににらまれたら面倒なんだぞ・・・」
私は自然と笑顔になっていた。
身体を揺らして車椅子を軋ませる。リズムを取りながら、タケルに何をしてもらおうか考えていた。
途中、物音に心配した母さんが見に来たけど、笑顔で応えておいた。
「電話だれから?」
「タケル。すっごい謝ってる」
母さんは「ほどほどにしてあげてね」と言って、リビングに戻っていった。
「それじゃあ、一つお願い聞いてもらおうかな~」
「パフェ奢れとかいうなよ。そこまでの案件じゃない」
「わかってるって」
何をしてもらおうか。
本当は答えなんか決まっていたが、ちょっともったいぶってみる。
電話の奥でタケルが気まずそうに言葉を濁している様をもう少し味わいたかった。
「な~にしてもらお~かな~」
「・・・・・あのな・・・・」
「それじゃあ・・・こうしよう」
私は車椅子の後輪だけでバランスを取った。
「明日、リハビリに付き合って」
「えっ・・・・」
「なに?それぐらいならいいでしょ」
「・・・・・・いいけど」
「はい、決まり!はい決定!」
電話の向こうで苦虫をかみつぶしたような音がした。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃん」
「お前、リハビリ終わったらめちゃくちゃ甘えてくるじゃねぇか・・・疲れただのなんだの言って」
「それも含めてリハビリの付き添いで~す」
タケルが電話の向こうでため息を吐いた。
「わかったよ。明日だな」
「うん!」
「それじゃあ・・・・」
「うん、また明日」
私は車椅子の前輪を床につけた。
「あっ、知寿・・・」
「ん?」
名前を呼ばれ、電話を切ろうとした指が止まる。
タケルに名前を呼ばれるのも久しぶりだった。
「本当に・・・何もなかったか?」
「うん・・・大丈夫だよ」
私は自信をもってそう言い切った。
大丈夫だ。大丈夫になったのだ。大丈夫にしてくれたのだ。
「そうか・・・なんかあったら言えよ」
「うん」
彼はきっと私がストーカーにあっていることを知っているのだろう。多分、華美あたりが言ったのだ。
今日、栞作りに来てくれたこともそれで説明がつく。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
タケルが電話を切った。
私は自分の携帯の着信履歴を眺めた。
一番上にあるタケルの名前に胸が暖かくなる。
私は机の上の段ボールを手に取った。
捨てようとは思う。でも、これが捨ててあるのをストーカーに見つかったら被害がエスカレートするかもしれない。
少し状況が落ち着くまでしまっておこうと思った。
私はクローゼットを開け、奥の奥に段ボールをしまい込んだ。
「んー・・・もう一回シャワー浴びようかな・・・」
背中や脇が汗だくであった。
携帯で時間を確認する。
そして、ついでにもう一回着信履歴を表示。
私は携帯を暗転させ、ベッドの上に放り込んだ。
「さてと・・・」
私はひとまずリビングに向かった。
喉が渇いていた。
電気を消して、部屋を出る。
「母さん・・・もう一回シャワー浴びていい?」
「あら、タケル君と電話して興奮したの?」
「ち、違う!!そんなんじゃない!」
彼女の部屋で電話が鳴っていた。
見知らぬ番号からの電話が鳴っていた。




