VRMOBA〜英雄達の箱庭へようこそ〜
「ハァ、ハァ、ハァ」
一人の男が森の中を走っていた。服装はローブ、右手には長い杖。魔術師風の男だが、今の彼には冷静に呪文を唱えようとする様子は微塵もない。彼は手にした杖で枝を振り払いながら走っていた。もつれそうになる足を必死に動かし、一歩でも前に進もうと足掻いている。顔面は蒼白、目は恐怖で血走り、何度も後ろを振り返る。それは何かに追われているようだった。
「クソっ、クソが!」
彼は悪態を吐く。
勝っていた。我々は勝っていたのだ。敵の守護樹の大半を焼き払い、城壁を破壊し、敵陣の最奥部まであと少しというところにまで迫っていたのだ。個人個人の質は優っていた、局地的ではあったが数の有利もあった。詰めさえ誤らなければ勝利は目前だったはずだった。
『あいつ』が現れるまでは。
戦いが始まってもまるで姿を見せず、仲間がいくら犠牲になっても飄々と逃まわり、戦場の隅で小金を稼いでいただけの『あいつ』がこの最後の局面に現れるまで、我々は勝っていたのだ。
『あいつ』は唯一残されていた守護樹が守っていた森から姿を表した。
そして、唐突な虐殺が始まったのだ。仲間が一人、また一人と打ち倒され、気がつけば私はたった一人になっていた。
あんなのデタラメだ。聞いていない。あんな武器を持った奴が本来強いわけがない。
だが、いくら怨嗟を吐き出しても現実は変わらない。
我々は敗北し、私はこうして敵に追い回されている。
魔術師は何度も後ろを振り返り、牽制のための魔法を放つ。
ここまで必死に足を動かし続けた甲斐もあり、その男は森を抜けようとしていた。既に頭上を覆う木々の向こうに城壁が見えている。その中に逃げ込むことことさえできれば、彼にも再起を図る機会は残されていた。
既に敵の拠点の城壁は破壊している。もう一度戦力さえ万全に整えれば確実に勝てる。その確信が彼にはあった。
「次だ、次こそは・・・」
森の出口が見える。天から降り注ぐ光がその先の道を照らしていた。城壁の門は目と鼻の先。
逃げ延びた。
彼がそう確信した瞬間だった。
光の中から絶望が現れた。
「よっと」
不意に森の出口に細身の長剣を持った男が姿を見せた。
体躯は170程でやや細身。服装は極めて軽装で、黒いハーフコートと革のパンツ以外防具らしい防具はない。
その男を前に魔術師の足が止まる。
「やっぱりこのルートだったか」
その男は穏やかな笑みを浮かべながら、魔術師の前に立ち塞がる。光が差していた城壁への道が見えなくなった。
「ば、バカな・・・なんで、なんでお前が前にいるんだ!!」
魔術師は狼狽を隠せなかった。その男は後ろから追って来ていたはずだった。途中で川を渡った時にその姿を確かに見ていた。それがこの短時間で先回りされるなど、絶対にありえない。
「お、お前は確か後ろにいたはずだろ!」
「あぁ、俺、【テレポート】持ちなんだよ」
魔術師の喉の奥からカエルが潰れたような音がした。
それが、悲鳴だったのか、喘ぎ声だったのかはもはや本人にもわからない。
ただ、目の前の相手が正真正銘『あいつ』である事実だけが、ゆっくりとその身に浸透していった。
「別にここまで追っかけて、お前を仕留める必要はなかったんだけどさ。まぁ、仲間の資金のためにも取れる首はとっておかないとな」
その男は淡々とした口調で続ける。
「ってなわけで・・・」
男は魔術師を真正面に捉え、剣を大上段に構えた。
西洋に見られる、折れないことのみに主眼を置かれた両刃の長剣。『切る』よりも『叩き割る』為にその剣幅は広く、そして分厚い。名を『デュエルソード』と言う。
男は腰を落とし、そして跳んだ。
「ひっ・・・」
瞬間移動でもしたのかと疑う程に一瞬で両者の間合いが詰まる。
懐に飛び込まれた魔術師が最後に見たのは、その男の悪鬼のような歪な笑みであった。
「クビ、おいてけ」
魔術師は死を覚悟する。一矢報いるつもりで杖を握りしめていた手を動かすこともできず、口から呪文の言葉を放つ暇すらない。それほどまでに高速の一撃が既に振り下ろされようとしていた。
「チェストォォォォォォオオオオオ!」
鋭い一撃が身体に突き刺さる。鈍い衝撃が脳に達した。
そして、ようやく魔術師がようやく対応しようとした時には既に二の太刀が振り上げられていた。
「キェェラァァァァアァアア!」
猿の叫びのような奇声をあげ、男はさらに剣を振り下ろす。
二度、三度、四度と何度も打ちおろす。
そして、六度目の一撃を振り下ろそうとして、男は既に魔術師が事切れていることに気がついた。
「なんだ、もう終わりか。さすがに柔らかいな」
感慨も、感傷もなく。男は先程まで魔術師が立っていた場所を見下ろした。
不意に、天高い場所から女性の声が響いた。
『味方チームが敵ヒーローを倒しました』
『グランド・エースを獲得しました』
チャリン、と音がして自分の所持金に幾らかのプラスがあったことを教えてくれる。
彼は『デュエルソード』を肩に担ぎ直し、宙に浮いたタッチパネルに触れた。
「おっけ、全滅させた」
VCがオンになり、彼の声がチームメイトへと送られる。
すると、すぐに女性の声で返事がきた。
「早く来てドラゴン手伝ってよ!ここで決めなきゃ負けるんだから!!」
耳を劈くような声は殺気と鬱憤の集合体であった。
先程まで試合に負けそうだった中で、今はようやく見えた好機。
興奮で攻撃的になるのも仕方ないと言えた。
「はいはい、今いくよ」
彼は剣を担ぎ直し、森の中を走る。
データで作られただけの森の中には生命の息吹はなく、ところどころに意思を持たない『モンスター』が巣を作って佇んでいた。木々と岩で囲まれたわかりやすい道があり、平坦すぎる大地をアバターの足で踏みしめる。
森を抜け、川に出る。その上流に目を向けると、見上げんばかりの巨大なドラゴンを相手に4人のアバターがそれぞれ武器を手に戦っていた。
仲間達が奮闘している戦場に参加せんと、彼も剣を構えドラゴンに真正面から挑み掛かる。
彼はスキル【突撃LV5】を発動した。目にも止まらぬ速度でドラゴンの目前に突っ込み、剣を振り上げる。さらに【処刑LV5】を発動、彼の剣が紅色の光を放った。
「チェリャァァァアァアアアアア!」
気合の裂帛と共に剣を振り下ろす。
ドラゴンの最期の咆哮が響き渡った。
”Garden of Heros“
ここは英雄達の箱庭。
没入型VRMOBAと呼ばれるゲームの中の世界だ。