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明日への撤退作戦

作者: S-in



 高度1000メートル。気温は氷点下。

 空気は澄んでいて見晴らしはいい。

 だが、視覚よりも先に、レーダーが飛行物体を捉えた。

 その数、40。低空を飛んでいる。

 見下ろして、視覚でも確認する。

 眼下に広がっているのは、うっすらと雪を被った白樺の森。その梢をかすめるよう、ハチとトンボの群が音速に近い速度で移動している。

 だが、ハチ型(ホーネット)でも全長5メートル、トンボ型(ドラゴンフライ)なら20メートルを越えるような、そんな昆虫などいるはずがない。

「ピクシー01から司令部(CP)

 霧香(きりか)はCPを音声回線で呼び出す。実際に声を出す必要はない。スイッチを入れる必要も、声帯を震わせる必要もない。

 霧香は話しをしているとイメージするだけだ。その霧香の脳内の反応を読み取って、脊椎に直結されたプロセッサーが電気信号に変え、周波数の選択から音声の再現まですべてを処理してくれる。

 霧香は、伝えたいことを思うだけでいい。

(バグ)と遭遇。ハチが32。トンボが8。南下している」

 霧香の声は、CPにいる通信士のヘッドフォンで再生されているはずだ。

 そして、声が伝えられるよりも先に、霧香がレーダーや視覚から得ている情報が専用のデータリンク回線で送られている。

 リアルタイムで情報を得ているCPの判断は、それだけに速い。

「CPからピクシー01。交戦せよ」

「了解」

 CPとの無駄のない通信が切れると、代わりに溜息まじりのぼやき声が入る。

「2対40だぞ」

 霧香の左斜め後方、20メートルほど離れて飛んでいる、カティの声だ。

 彼女も、本当の声でしゃべっているわけではないが、本当に面倒くさそうな微妙なイントネーションまで再現されている。

 霧香は苦笑いする。その、苦笑いというイメージが、カティの聴覚の中で再生されることを期待して。

「できるわ、わたしと、あなたならね」

 霧香は、白い翼をひるがえす。

 バグを昆虫に例えるなら、霧香の姿は童話に登場する妖精に似ている。ただし、似ているのはシルエットだけだ。

 霧香の体のサイズは、人間の女性と変わらない。背中から4枚の翼を生やしているが、それは細長い三角形をした金属製で、一枚で2メートル近い大きさだ。全身を純白の鎧のような装甲で覆い、頭に防護ヘルメットを被っている。

 ヘルメットには、外を見るための隙間はない。眉間にあたる部分に高感度のカメラがあり、その映像が脳へ直接送られるようになっている。

 作業用ロボットとしか言いようのない両手で、狩猟用のライフルに似た、だが角張っていて精密機械を思わせる武器を手にしている。電磁気力で弾丸を放つ、レールガンだ。それは霧香の身長と変わらないほど大きい。

 両足の膝から下は歩くためではなく、空を飛ぶためのラムジェットエンジンで、膝小僧あたりから空気を吸い込み、足の裏から高温のジェットを噴射する、太股よりも倍以上太いパイプが通った箱だ。

 霧香は足首をひねって爪先の向きを変えるイメージで、ジェット噴射の方向を変える。

 背中を空に、腹を地上に向けて飛んでいた姿勢から、くるっと裏返しになり、空へ急上昇するのと同じ方法を逆さまにして、地上に向かって急降下に入る。

 ためらいの一切無い霧香の行動に、カティが声を上げる。

「ちょっと、待てよ!」

「わたしが先行してハチ型を引き付ける。カティはトンボ型を落として」

 霧香は翼を体に沿わせるように傾けて空気抵抗を減らし、さらに加速する。

「了解」

 カティは霧香と距離を取りながら、降下を始めた。

 カティの外観は霧香と同じだが、持っている武装が違う。手にしているのは霧香のような大きなレールガンではなく、片手で楽に扱えるマシンガンだ。

 彼女の本命の武装は別にある。

 翼は広げて降下速度を抑えながら、カティはミサイルの発射態勢にはいる。腰から生えた無骨なアームで支えられたミサイル・ランチャーが、翼に干渉しないように背中から離れた位置で、発射口をバグに向けて固定する。

 霧香は、真っ逆さまになって急降下を続ける。

 接近する霧香にようやく気づいたハチ型が、8匹のトンボ型を守る傘になるように密集する。

 霧香は集団の先頭にいるハチ型に狙いを定める。音よりも速い速度を維持したまま接近する。

 撃つ、とイメージしただけで、霧香の体は射撃体勢をとる。

 ターゲットは、逆さまになって降下する霧香の先にいる。霧香にとっては頭上を狙うようなものだ。

 レールガンのグリップをつかむ右腕の肘はいっぱいに折り曲げられ、銃口のブレを抑えるために、限界まで伸ばされた左腕が本体から垂直に突き出たサブグリップを掴む。

 普通の人が撃つライフルのように、ストックを肩にあてる必要はない。レールガンの初速は、火薬で弾丸を発射する銃器の5倍以上、反動もそれに比例するが、霧香の両腕は十分にそれを支えられる。

 翼の中に内蔵されたレーダーが、狙ったハチ型の位置と速度を教えてくれる。防護ヘルメットに一つ目のように備わった光学センサーが、銅褐色の巨大なハチの姿を霧香の視覚野に描く。

 そこに射撃に必要なデータと、狙いを定めるためのオレンジ色のリングが重ねられる。

 どれを撃つかを考えただけで、リングは思った通りのハチの上に移動し、オレンジから赤に変わる。

 撃つ。

 強くイメージする。

 レールガンから2発の弾丸が放たれる。

 霧香の意識は、次のハチ型へ向かう。

 そして、撃つ。

 また2発放たれる。

 それは1秒に満たない間に行われた動作。脊椎に直付けされたニューロ・プロセッサーが行う、人の脊髄反射を越えた超高速、超高精度の射撃だ。

 地表が近いという警告が頭の中で瞬き、霧香は急降下から水平飛行へ移るため、翼の角度を変える。

 霧香の放った弾丸は、音速の10倍以上の速度で進み、ようやくハチ型の胴体に突き刺さった。摩擦熱で半分溶けかかった弾丸は、その中に封じられていた強烈な電磁気力によって弾ける。人の親指くらいの弾丸が、気体となった金属の爆風に変わり、内部からバグを破裂させる。

 爆発の光が先に霧香の視覚に飛び込んで来て、その後、黒く濁った衝撃波がハチ型の胴体を卵の殻のように割って吹き上がる。

 霧香はゆるやかな曲線を描いて、その上をかすめるように飛び、白樺の高い枝にかかるギリギリのところで水平飛行へと移った。

 霧香が巻き起こす超音速にともなう衝撃波で白樺の樹木がなぎ倒され、積もっていた雪が煙のように舞い上がる。

 レーダーに意識を向けると、残っているハチ型が30匹が、トンボ型を守ることをやめて、一斉に自分を追い始めたのが解った。

 バグの行動パターンは単純だ。

 決められた優先順位に従って目標を定め、追い、攻撃し、破壊する。

 優先順位の第一位は、自分たちを攻撃してきた者だ。

 霧香は肌の上を無数の虫が這い回るようなむず痒さを感じる。それはバグが放つ照準用の電波に晒されているという警告だ。

 霧香は身を翻す。

 次の瞬間、爆ぜるように森が燃え上がり、水蒸気をまとった爆風が巻き起こる。ハチ型が放った、高出力のレーザービームだ。

 白樺の森に、続けざまに幾筋もの炎の線が引かれ、それは回避運動をする霧香を追ってくる。

 霧香は背面になり、腹の上に抱きかかえるようにレールガンを持ち、自分のつま先の方へ銃口を向けた。

 射程内にハチ型、5匹。

 頭を進行方向にして音速の二倍の速度で飛びながら、霧香はイメージの中でトリガーを引く。

 1秒間の射撃で、放たれた弾丸10発。それは1匹に対して確実に2発ずつ命中させ、ハチ型を墜とす。

 残り、ハチ型25、トンボ型8。

 上空に残ったカティが、トンボ型に向けて、合計16発のミサイルを放った。1匹につき2発。1発でもあたれば、トンボ型を墜とすには十分な威力がある。

 ミサイルを察知したトンボ型は、各々、回避しようと逃げ惑うが、ハチ型より図体が大きいこともあって動きは鈍い。ミサイルに追いつかれ、一匹、また一匹と落ちていく。ハチ型の赤銅色とは違う、金色の破片が空に舞う。

 だが、いちばん低空を飛んでいたトンボ型が、ミサイルが巻き起こした爆炎の中から飛び出して来た。目標が低空過ぎて、ミサイルは地表と接触して爆発してしまったらしい。

「ああ! ごめん! 撃ち漏らした!」

「ちょっとお!」

 非難の声を上げながら、霧香は地表をジェット噴射で蹴るように急角度で上昇する。

 次の瞬間、足下で森が燃え上がる。

 ハチ型の数十倍の威力をもったビームになぎ払われ、樹木は一瞬で消し炭に変わり、雪は爆発と変わらない衝撃波をともなって水蒸気となる。

 霧香は荒れ狂う爆風に身を任せて、木の葉のようにクルクルと回りながら上昇する。

 ハチ型も霧香を追って上昇してくる。

 同士討ちを躊躇わないトンボ型のビームに巻き込まれたらしく、その数は25から18に減っている。

 それでも、まとめて相手をするには数が多すぎる。

「霧香! 取り囲まれるとマズいぞ!」

「カティ! 最後のトンボを墜として!」

 ラムジェットを吹かして上昇してハチ型を振り切ってから、地上を振り返る。

 追ってくるハチ型。

 カティが最後に残ったトンボ型を追い詰めている。

 燃え盛る白樺の森を、一本の筋が通っているのが見えた。

 鉄道だ。線路の先はなだらかに隆起した山を貫くトンネルへ続いている。

「トンボ型、全滅!」

 カティの報告を聞きながら、霧香は上昇から転じて、急降下に入った。

「カティ、ミサイルの残弾は!?」

「5!」

「これからハチ型を全部引き連れてトンネルに飛び込むから、タイミング合わせて撃ち込んで!」

 霧香がトンネルの位置を強く意識すると、カティの視覚に矢印が浮かび上がる。

「ナンダッテー!!」

 霧香は線路をなぞるように低空飛行に入る。白樺の谷間を突き抜けるような飛行だ。

 ハチ型が後を追ってくる。律儀に一列に並んでいる姿が、ちょっと微笑ましく思える。

 ただ、ビーム攻撃は容赦なく降り注ぎ、霧香はクルクルと回避運動を続ける。ハチ型のビームは極細なので、わずかな動きで回避が可能だ。

 トンネルが近付く。単線のトンネルは列車一両が通る幅しかない。

「いま撃ったぞ! 着弾まで3秒!」

 カティが告げる。

 霧香は翼をたたみ、ためらうことなく突っ込んだ。

 恐怖心など持ち合わせていないバグが、平然と付いてくる。

 だが、先頭の一匹がトンネルの壁に接触すると、玉突き事故よろしく、次々にもつれ合っていく。

 ここまでは計画通り、後は。

「霧香ぁ!」

 カティの声に、着弾したミサイルが爆ぜる音が被さる。背後から鋼鉄を瞬間で蒸発させる高温が追ってくる。

 狭いトンネル内で、霧香は音速を超える。空気が壁となって行く手を阻むような錯覚を押しのけて、霧香が暗闇の中から飛び出す。

 すぐさま上昇。

 足下を、灼熱の風が吹き抜けていった。



 霧香が高度1000メートルの巡航高度に戻ると、その斜め左後方の定位置に追いついてきたカティが加わり、戦闘開始前と同じ2機編隊の形に戻った。

「カティ、ケガは?」

「無傷。そっちは?」

「少し焦げたくらい。絶好のタイミングだったわ。さすが、私の相棒」

「いや、さっきのは結構あぶなかったぞ」

 カティがチラリと後方を振り返る。

 霧香もつられて目をやると、戦場となった森の上空は黒煙で覆われ、その下では赤く濁った炎が逆巻いていた。

 霧香が音速で通り抜けたトンネルの出口も、灼熱したまま冷め切っていない。

「一瞬で、焼け野原ね」

 霧香は呟く。

 戦闘開始から3分と経たずに、森が一つ燃えて無くなった。

 バグの攻撃による被害、と言えばそうなのだろうが、霧香には自分が巻き起こした失態のように思えてならない。

「でも、みんな避難した後だからな。死傷者はゼロだ」

 カティが軽い口調で言う。

 気を遣われてしまったことを察して、霧香は感傷を振り払い、編隊リーダーの役目を思い起こす。

「カティ、残弾は?」

「ミサイルは撃ちきった。あとはこれだけ」

 カティは手にしているマシンガンを見せびらかすように振る。

 霧香もレールガンを揺らしてみせる。

「私も残弾、10発よ」

「わお! 和やかに飛んでるけど、ヨーロッパ撤退戦の時より、ギリギリな状況じゃないか」

「ランチタイムにしましょ」

 CPを呼び出そう、そう霧香が思ったのと同時に回線は繋がった。

「ピクシー01からCPへ。遭遇したバグをすべて排除した」

「CP、了解した」

「ピクシー01、02は、残弾が残り少ない。補給を請う」

「すぐにランチを発射しよう。指定座標で待て」

「了解」

 霧香とCPの会話が終わったのを見計らって、カティは溜息を吐いてぼやき出す。

「あーあ、素っ気ないなぁCPは~」

「CPになに期待してるの?」

 カティと話していると苦笑いばかりになってしまうと思いながら、霧香は言い返す。

「いやぁ、ギリとか、ニンジョーとか、いろいろあるだろぉ」

「憶えばかりの日本語を無理に使わなくてもいいのよ」

「オッサンのほうが、はるかにマシだったよなぁ。どこいっちゃったんだぁ、まったく」

「オッサンじゃなくて、東郷(とうごう)少佐」

「オッサンでいいよ、こんな肝心な時にいない戦隊司令なんて、ヨーロッパだったらクビになってるよ」

「おかしいわよね……」

「なにが?」

「現場にかじり付いて離れない人が、こんな時にどこかに行くなんて……」

「オッサンも軍人なんだから、命令されたらどこへでも行くだろ?」

「行かないのよ、あの人は……」

 CPから送られてきた座標の指定は緯度と経度だけのシンプルなものだった。霧香たちは個人で内蔵しているメモリに地図情報を持っているので、それで十分だ。

 指定された場所は、音速以下の巡航速度で一分と少し飛んだところだ。

「あの町ね……」

「あの町かぁ……」

 地図のイメージを呼び起こして、霧香とカティは溜息まじりに一緒に呟いてしまった。

 バグは、とても単純明快な行動パターンに則って行動する。



 1.攻撃してきた対象を、最優先で攻撃する。

 2.人工的な建造物、その中でも高い熱量を発するものを優先して攻撃する。

 3.攻撃する対象が発見できない場合、南下する。



 22年前に、バグは北極に姿をあらわした。宇宙から降ってきたのか、海底から湧いて出たのか、それすら今でも不明なままだ。

 だが、バグが人類を排除することを目的としていることは明瞭だった。人が作ったものすべてを破壊しながら、バグは南下を始める。北極点から広がる波紋のように、バグの支配する領域は、地球儀の緯度線を目安にでもしているように、じわじわと下がってきている。

 ロシア、ヨーロッパ、カナダ、グリーンランドが戦場となり、カティの故郷であったフィンランドはもう人が立ち入れぬ場所になってしまった。

 そして、今、日本の北海道もそうなろうとしている。

 霧香たちが眼下に見る景色は、粉雪に覆われて白く美しかったが、動くものはない。道路も鉄道も、雪に埋もれるままに放置されている。

 住民たちは南へ、本州よりもさらに南方の海外へと移住して行き、ここを防衛していた国際防衛軍は本州へと撤退して反攻作戦の用意を始めている。

 霧香たちの役目は、北海道に残っている防衛軍が撤退を完了するまで、部隊の集結地にバグを接近させないことだ。



 雲が増えてきた。

 霧香は高度は200メートルほど下げて、雲の下を飛ぶことにした。カティがその後に続く。

 雲は粉雪を落としはじめたが、霧香もカティも、その冷たさを感じることはない。どの刺激を感知して、どれを無視するか、霧香たちは自分で選択することができる。脳を残して、完全な機械の体になっているからだ。

「見えてきた」

 地平線の向こうにあった町が、足下へとゆっくり滑ってくる。

「ああ……」

 カティが生返事で応える。

 そこに町があったことなど、誰かに言われなければ気づかないだろう。建物も無く、平らにならされ、うっすらと雪に覆われてしまっては、町の面影などない。

 ここが確かに町だったことを、霧香とカティは知っている。北海道に来て、霧香とカティが最初にバグと交戦したのは、ここだったからだ。

 その時まで、町はあった。戦闘が終わったときには、無くなっていた。住民の避難は完了しておらず、戦闘に巻き込まれた人も多かったらしい。正確な数は、不明なままだ。行方不明者を捜す時間も、死体を数える時間も、もう残っていないのだ。

「カティ、上空で待機して」

「え? おい!」

「ランチが届いたら呼んで」

 体をひねって大きく円を描きながら降下に入った霧香を、カティは溜息を吐きながら見送った。

「……おまえのせいじゃないだろ、わたしらが着いた時には、もう遅かったんだ……」

「わかってる……けどね」

「はいはい、好きにすればいいよ」

 わかってるよ、おまえがそういう奴だってことは。

 音声に変換されて霧香に聞かれないように心の奥だけ呟きながら、カティは町の上空で周囲に気を配りながら旋回飛行を始めた。

 カティが霧香と出会ったのは、ヨーロッパでの撤退戦の最中だった。カティはまだ訓練生だったし、霧香も実戦経験者の多いヨーロッパ防衛軍に研修に来ていた訓練生だった。

 それが突然、ペアを組まされるわ、実戦に放り込まれるわと、エライ目にあった。

 その時、自分はまだいい、とカティは思った。自分の故郷、家族、仲間を守る戦いなのだから、最初から命を賭けるつもりでいた。

 けれど、霧香はどうだ。自分とはなんの関係も無い国で、実戦経験もないまま、あのバグのビームの前に立てと言われたら、普通なら拒むだろう。

 カティの視野の中を、雪の粒子が高速で通過していく。

 あの日も雪が降っていた。

 あの日も、二人で同じ兵装を抱えていた。霧香がレールガンで、カティがミサイル・ランチャーだ。

 霧香がリーダーで、カティが僚機(ウイングマン)を務めることになった。

 なぜ、自分ではなく霧香がリーダーに選ばれたのか、最初はわからなかったが、二人で最初に出撃した時に、すぐに納得した。

 最後まで、最善を尽くす。

 そんな口では簡単に言えてしまうことを、自分の命を危険に晒してまで実行できる奴が、この世界に何人いるだろう。

 吹雪のせいで視界は最悪、気流はもっと最悪で、フィヨルドの入り組んだ地形を飛べば、地面に激突するのは確実だと、誰もがそう考えて出撃を渋る中で、霧香だけが手を上げて志願した。

 小さな集落に取り残された見ず知らず老人たちを助けるために、天候が回復して輸送機が離陸できるようになるまで、バグの侵攻を食い止める。

 バグの数も不明なら、天候回復の見通しも不明、援軍が来ることだけは絶対にないという状況で、霧香は言った。

「レールガンと予備弾薬を満載にした軽装備が1人、ミサイルを満載にした重装備が1人、後方から情報支援をしてくれる専属の通信オペレーターが1人。3人いれば可能だと思います」

 その発案を詳しく聞きもせずに了承しやがったのが、あのオッサンだった。しかも、重装備のミサイル係にカティを、軽装備のレールガン係に言い出した本人である霧香を指名して隊長を命じた。

 作戦の発案者だから隊長に選ばれたのだろうと、カティも最初は思っていた。

 しかし、そうではなかった。オッサンは最初から霧香ならやり遂げるだろうと確信していたから命じたのだ。

 殴りつけるような吹雪の中、霧香は飛ぶことを躊躇わないどころか、一緒に飛ぶカティに声をかけて気づかうことを忘れなかった。数十時間も継続されたバグとの戦闘中、一度も弱音を吐かず、パニックに陥ることもなく、助けを待つ老人たちを励まし続けた。

 結果は、うまくいったとは言い難かったが、それは霧香のせいじゃない。あれ以上のことなんて、誰にもできなかった。

 それは、その場に一緒にいたカティも、命令を下して最後まで前線基地で指揮を執っていたオッサンも、同じ部隊にいた仲間も、みんな解っていた。

 霧香は、最後まで最善を尽くした。

「なんでもかんでも守ろうとしたって無理だよ、霧香……」

 地表すれすれを飛ぶ霧香の姿は、上空から見ると小さく、白い翼は白い雪に紛れてしまいそうだ。

「わかってる」

「あ? あれ?」

 霧香から返事が返ってきたことに、カティは慌てる。

「繋がってる?」

「繋がってるわよ。回線のオンオフを無意識でちゃんと制御できるようにならないと、編隊長になれないよ」

「わたしじゃ無理だって。霧香みたいにはなれないよ」

「カティはカティらしい隊長になればいいのよ。わたしより向いてると思うよ?」

「いやいや、霧香さん、それはないって」

「向いてるってば」

 霧香は、そこで回線を切り替えて、心の中だけで独白する。

 なんでもかんでも自分でやらないと気が済まないわたしより、他人を信じて任せることができるあなたの方が。

 霧香の眼前に広がっている光景は、白と黒だけのモノトーンに近い。自分の光学センサーが壊れたのかと疑いたくなるほどだ。

 すべての建物は焼け落ち、崩れ、炎と煙に黒く燻され、そこに白い雪が降り積もっている。すべてが白く覆われてしまったら、ただの雪原と変わらなくなってしまうだろう。

 傾いた信号機や、半分ほどの高さで折れてしまった電信柱などが、ここに町があったことを主張している。

 霧香がここに到着したとき、町はすでに燃えていた。トンボ型のビーム攻撃のあと、ハチ型が町に入り込んみ、その巨体に見合った巨大なアゴで鉄筋コンクリートの建物までも砕いて壊し回っていた。

 霧香たちはバグを追い払うことには成功したが、町はこの有様だ。助かった人がいたということだけが、慰めだった。

 爪先が瓦礫に触れそうなほど低空を、歩くほどの速度で飛びながら、霧香は外部スピーカーのスイッチは入れる。

「誰か! 逃げ遅れている人はいませんか!?」

 霧香の左肩のあたりから、大音量が響く。

 答えるものも、動くものもなく、雪だけが降り続く。

「まあ、いないでしょうけど」

 この町が戦場になってから、もう半月も経っているのだから。

「もしいたらどうする気なんだよ? 救援なんて呼んでもこないぞ」

「その時は、わたしが抱えて飛ぶわよ」

「この気温の中で飛んだら、抱えられた人が凍えて死ぬだろ」

「風に当たらないように、後ろ向きに飛べば……」

 バカ話に脱線しかけた霧香とカティの聴覚に、ランチの接近を告げる信号音が割り込んできた。

 ランチという俗称で呼ばれているが、それは霧香たちの武器弾薬を載せた小型の弾道ミサイルだ。昼食という意味と、小型のボートを指す意味をかけ合わせて、そう呼ばれるようになったらしい。

「霧香ぁ! ランチぃ!」

「うん、聞こえてる。受け取って」

「もう受け取った」

 本当に受け止めるわけではなく、こちらから信号を発して、正確な位置を伝えるだけだ。

 弾頭は音速の7倍近い速度で落下してくる。地表が近づくと減速用のロケット噴射が行われ、最後はパラシュートで落ちる。

 人の背丈の倍くらいある銀色の三角錐が、町のど真ん中にに着地すると、空気との摩擦熱で数百度に加熱された外板が、雪をとかして水蒸気を巻き上げる。

 CPがここを指定したのは、バグに壊滅させられた町だからだろう。もう一度バグがやってくる可能性は低い。

 それでも、警戒は怠れない。

「わたしから補給するわね」

「あいよ、上で見張ってる」

 霧香は低空飛行のまま町を横切って、ランチが落ちた場所へと向かう。

 そこは、公園だったらしい。

 ブランコだったらしい鉄柱や、ジャングルジムだったらしい鉄くずが、雪をまとっていびつな姿を晒している。トンネルのある山は砕かれて崩れていた。

 霧香は雪の上に着地し、砂場の上で水蒸気を上げているランチに歩み寄る。こちらから信号を発すると、耐熱カバーがケーキを切り分けるように4つに割れて、外側へ開くように転がった。そこに姿を現したのは、霧香の背丈ほどの銀色の箱だ。

 ここから先は手作業だ。耐熱カバーに守られていたこの箱でさえ、百度を超える温度をもっている。人の手では触れられないが、今の霧香ならまったく問題にならない。

 霧香の大きな作業用の手に合わせて作られたレバーをひねって引けば、箱の一面がそっくり扉となって開く。

 これをやるたびに霧香は、冷蔵庫みたいだと思ってしまうのだが、中に明かりが点いたり、冷気が流れ出したりはしない。

 中に入っているのは、冷たい輝きを放つ、弾丸とミサイルだ。霧香たちが自分で補給をすることを考えてあるので、梱包などせずに、むき出しで固定されている。

 レールガンの銃弾へ手を伸ばしたところで、霧香は弾薬に囲まれた中にひっそりと固定されている、小さめな箱に気づいた。

「わ、ホントにランチがある」

「ナンダッテー! それは個体か? 液体か? ゼリーか?」

「ちょっと待って、弾薬の補給が先だから」

「いいよ、そんなの後で」

「いいわけないでしょ!」

 ランチと聞いてテンションが上がったらしく、上空を周回飛行しているカティの旋回速度が速くなっていく。

 こいつが隊長になるのは危険かもなー、とか思いながら、霧香は戦友の期待に早く応えるために手際よく補給の準備をする。

 そして、それが終われば、文字通りのランチボックスを開けることになる。

「あんまり期待しないほうがいいと思うよ?」

「いいから開けろ!」

 カティに一言、警告をしてから霧香はランチボックスの留め金を指で弾いて外し、フタを軽くつつくようにして開ける。

「ほら見なさい」

「中身はなんだ!?」

「栄養満点のカートリッジ」

「ああ~……」

 箱の中に入っていたのは、歩兵用ライフルの弾倉に似たサイズの、栄養剤が充填された容器だ。    

「この一週間、形のあるもの食べてないぞ!」

「昨日の夜、ゼリー啜ったじゃない」

「わたしが言ってるのは、噛んだり囓ったりできるやつのことだ!」

「これ、そんなに嫌い?」

「そいつにどうやったら、好き嫌いの感想が言えるんだ~」

 カティの呟きを適当に聞き流しながら、霧香は胸部の装甲を開いて内部にあるスロットにカートリッジを差し込む。栄養剤が人工臓器に流れ込み、脳内を循環する血流に糖分が行き渡ると、数値として霧香の視野に表示される。

「あー、糖分が来た。脳が、おいしいって言ってる」

「嘘言うなー!」

 食事は数秒で済み、弾薬の装填も一分とかからずに終了、さらに両足のスクラムジェットに推進剤を補充して、2分と数秒ですべてが完了する。

 霧香は自分の体を管理しているモニター・プログラムを呼び出して、コンディションを確認する。

 弾薬、推進剤、血流、脳の活性度、すべて異常無し(オールグリーン)

 しかし、フレーム強度にイエローサインが点っている。早急に精密な点検を受けろというサインだ。

「わたしの体が、疲れたと言ってる……」

「そりゃそうだ、撤退作戦が始まってから無茶の連続だぞ。この三日間だけで、筋肉1セット、エンジン2セットも交換してるんだからな」

「この作戦が終わったら、体、丸ごと交換かもね」

「今日はバグの数が少ないからいいけど、昨日みたいな数で来られたら、交換する前に壊れちゃうよ」

「今日をのり切れば作戦終了よ。がんばりましょう」

 脳にさえダメージを受けなければ、体はいくらでも替えが利く。バグと戦うために作られた、合理的な体とシステムだ。

 なにも不自由はない。武装を下ろして手足を付け替えれば、普通の女性らしい服を着て、町に出かけて、食事だってできる。

 防護ヘルメットを取れば、ちゃんと自分の顔が再現されているので、昔の友人に会っても自分だと気づいてもらえる。

 戦闘中は邪魔になるので髪の毛は外してあるが、好きな髪を複数用意して置いて気分で変えたりも出来る。

「どうせなら、生身の体に戻りたいなぁ。ちゃんとした体なら、美味しい物がさらに美味しいだろうなぁ」

「カティは食べ物のことばかりにね」

「霧香は戻りたくないのか? 生身に」

「もちろん、戻りたいけど……」

「だよなー!」

 なぜだろう、霧香には上空のカティがニヤニヤ笑っている顔が鮮明に見えた。いや、イメージが勝手に想起された。

「やっぱ、機械の体じゃ、ケッコンしてー! とか言いづらいもんな!」

「ちょっと、それ、誰が誰に言うのよ……。ああ、なにも答えなくいい。なにも聞きたくないから」

「あんなオッサンのどこがいいんだかー」

 上空で輪を描いてギュンギュン飛んでいるカティに、霧香はレールガンの銃口を向ける。

「うるさい。さっさと補給しなさい。撃ち落とすわよ」

「はは、リョーカイ、リョーカイ!」

「まったく、もう……」

 霧香は翼を広げ、舞い上がる。傷つき、焦げ痕までついた体だが、機敏さは損なわれていない。

 入れ替わりにカティが降下し、ランチのそばに着地して補給作業に取りかかる。ミサイルの補給は一発ずつ手作業で行うので、霧香よりも時間がかかる。

 霧香は少し意地悪く言う。

「カートリッジ、美味しいでしょう? ゆっくり味わったら?」

「差し込んだ瞬間に充填されるのに、ゆっくり味わえるかー! この血糖値のメーター、腹立つなぁ。心は満足してないのに、体だけ満足させられてるみたいで、いやだー!」

「はいはい、今度、町に出ることがあったら、美味しいお店でも探しに行きましょ。奢ってあげるわ」

「おお! どうしたんだ、いきなり?」

「いつも、わたしの無茶に付き合わせちゃってるから、お詫びとお礼を兼ねて……」

「安いよ! お詫びとお礼、せめて別々に奢ってくれよ!」

「はいはい、考えとく。それより、補給、終わった?」

「いま、終わったところ。コンディション、チェック中……。わたしの体も疲れ果ててるぞー……」

「がんばって」

「え~……」

「和菓子とケーキを食べ放題で……」

「よっしゃ~!」

 カティが弾かれたように急上昇してくる。

 苦笑をこらえながら、霧香はCPを呼び出す。

「ピクシー01からCPへ。補給を完了した」

「CPからピクシー01。既定の哨戒ルートに復帰しろ」

「ピクシー01、了解」

 CPとの回線を切ろうとしたところで、カティの声が割り込んでくる。

「霧香、あれ……」

 カティが霧香に注意を促そうと意識すると、霧香の視覚野に矢印が浮かび上がる。それが指す方向、南南東の方角へ目をやる。

 薄い雲がかかっていて、光学センサーでは遠くまで見通せない。レーダーに切り替えると、30キロ先に東へと移動していく集団が見えた。

「ピクシー01からCP。バグの集団らしき影を発見した。そちらでは捉えていないのか?」

 霧香たちの体に内蔵されているレーダーは小型で出力も弱い。ここからではバグの正確な数まではわからない。ただ経験から100匹以上の集団だと予想できる。

「CPからピクシー01。哨戒ルートへ戻れ」

 CPは霧香の問いには答えず、同じ命令を繰り返す。

 バグは、目標も目的もなしに移動しない。

行く先には、なにかがある。東に向かえば、すぐに太平洋に出てしまう。

 ならば、海上に何かがあるはずだ。

「ピクシー01。これよりバグを追跡する」

「おい! 霧香!?」

 スクラムジェットを吹かして急加速に入った霧香を、カティが慌てて追う。

 数秒で、二人は音速を超える。

「なに考えてんだー!?」

「あなたこそ、命令違反に付き合ったって、良いことないわよ!」

 霧香は高度を上げ、雲の上に出る。

 下は雪の舞う薄暗い世界だと言うのに、上は眩しい太陽と深く澄んだ青の世界だ。

「隊長を放って行けるわけないだろ!」

「さすが、わたしの相棒(ウイングマン)

「絶対、奢れよ! 絶対だからな!」

「はいはい」

 高い空に昇った理由は二つある。

 一つは、バグの集団と交戦しないで済むように、上空から追い抜くため。

 もう一つは、空気の密度が薄い高空の方が、速度を出すのに有利だからだ。

「リミッターをカットして、一気に行くわ!」

「せっかく補給した推進剤を使い切るつもりか!?」

「出し惜しみして間に合わなかったら、意味ないじゃない!」

 視覚野に警告の文字が表示されるのを無視して、霧香は両足で空を蹴り飛ばす。頑強な機械の体が軋むほどの加速が始まる。

 両足が、燃えるように熱く感じられるが、それはエンジンが異常加熱していることへの警告で、本当に火傷するわけではない。下手をすると爆発するかもしれないが。

「バッカヤロー!」

 雄叫びを上げながら、カティもリミッターを解除して霧香に付いて行く。霧香のジェット噴射と衝撃波に巻き込まれないように、斜め後方の定位置に付く。

「さては、オッサンだな! あのオッサンがいるんだな!?」

「オッサンじゃなくて、東郷少佐ぁ!」

「こんな時まで、細かいこと言うなぁ!」

 わずかな言葉を交わしている間に、2人はバグの集団に追いついた。

 交戦を避けて追い抜くことが目的なので、相手を刺激しないように、二人はレーダーを切って、光学センサーを含む受動的(パッシブ)なセンサーだけにする。

 こちらは高度1万メートル。バグは1000メートルから2000メートルの間で編隊を組んでいるようだ。これだけ離れていれば、攻撃しない限り、攻撃されない。

 そのバグが向かう先、一万メートルという高度にまで昇ったからこそ見通せるようになった遠方に、ブーメランに似た横長な三角形をした飛行物体がいた。

 メインカメラで望遠すれば、それがなにかはすぐに明らかになった。

 翼の端から端まで400メートル、全長150メートル、厚さ30メートルの分厚い二枚の翼を積み重ねて、間を無数の支柱で繋いだ独特のフォルム。

 ライブラリを参照するまでもなく、霧香はその巨大な航空機の名前を知っている。

 極東防衛軍所属、空中母艦「赤城」。

 本州での訓練中に、何度か乗り込んだこと

があるので間違いない。

 人が乗り込んで操縦する航空機ではバグの機動力に対抗できないと判断されたときに、それを搭載する空中母艦もバグの標的にしかならないと、後方での輸送任務に回されてしまったはずだ。

 高エネルギー源を優先して攻撃するバグにとって、核融合炉を積んだ赤城は、最優先にちかい目標になる。だから、今回の北海道撤退作戦には、参加していないはずだ。

 それが、なぜか、ここにいる。

 赤城にまとわりつくように、雷光が閃く。 数秒遅れて、雷鳴が来た。

「交戦中だ!」

 カティが叫ぶ。

 赤城はすでに、100匹ちかいバグに取り囲まれ、トンボ型のビームでなぶられ、ハチ型に取り付かれていた。

 霧香たちが追い抜いたバグの集団がさらに加われば、勝敗は一瞬で決まるだろう。もとから赤城の性能では、バグに勝つ術はないのだから。

「……姿が見えないと思ったら、そんなところにいたのね……」

 霧香が胸の中だけで呟いたはずの声は、怒りと悔しさと、それに焦りも加わって、無意識に電波となってこぼれ出た。

「おい、霧香!?」

 カティの声に構うことなく、霧香は両足が溶け落ちそうなほどにスクラムジェットの推力を上げる。

「回線を開きなさい、赤城!」

 赤城のいる低空まで坂を下るように降下する。音速の3倍を超える速度ならば、数秒しかかからない。

「そこにいるのは解ってるんですからね! 龍二(りゅうじ)さん!」

「おい! |東郷少佐《トォウゴゥ、ショウサァ》って呼べって、自分で言ってなかったか!?」

 霧香の無謀な加速に付いて行くのを諦めたカティから声だけは届いたが、返事をする余裕なんてない。

 霧香の眼前に、赤城の巨体が迫る。周囲を飛び回る無数のハチ型を、こちらも無数に装備された近接防御用の単装砲で迎撃しているが、間に合っていない。赤城の機体に取り付いたハチ型によって砲塔は壊され、赤城の迎撃能力は徐々に落ちていく。

 霧香は赤城の正面へと回り込む。そこに赤城の指揮と操縦の要であるブリッジが、そこにあるからだ。

 超音速から急減速をかける。瞬間、視界が暗くなって意識が遠退くが、人工心肺がすぐに血流をもとに戻す。

 青味を帯びた灰色をした赤城の外板に、赤錆色のハチ型がまさに害虫のように張り付き、ブリッジの硬化結晶ガラスを顎で食い破ろうとしていた。

 ここからレールガンを撃ったら、ブリッジまで壊してしまう。安全な射角を得られる位置へ移動しようかと考えるが、そうしている間にハチ型が顎を突き立てる方が速いに決まっている。

 霧香は体当たりをかけた。レールガンを右手だけで保持して、左腕で体を庇うようにしながらの左肩で突き飛ばすように突撃。重量差でも体格差から言っても、人の体で車を押しのけるような行為だ。

 だが、霧香の体にはスピードが乗っている。

 衝撃。

 フレームが軋み、視界がぶれて、意識が薄らぐ。警報で聴覚がいっぱいになり、異常数値を示した数字で視覚が真っ赤に染まる。

 水の中にいるように、体が重い。

 バグがいる。目の前に凶暴で鋭い顎がある。どういうわけか、両手が動かない。

 闇雲に足を振り回して、バグを蹴った。

 バグが離れて、霧香の視界が広がる。両腕の自由が戻る。

 目の前のバグの向こうには、白く煙った空。鉄クズの中に埋もれている自分。ここは赤城のブリッジの中だ。

 体当たりをして、バグと揉み合いになって、ブリッジの中に飛び込んでしまったらしい。

 無いはずの心臓が、恐怖に縮んだ。

 あの人は、無事か。

「龍二さん!?」

「バカヤロー! なにやってる!」

 通信回線を通じて聴覚に、怒号が返ってきた。霧香の右手側、10メートルも離れていない場所に、彼はいた。赤城の操縦席に座り、フライトジャケットを着てヘルメットを被っている彼は、顔も体つきもよく解らないが、声と仕草だけではっきりと認識できる。

「撃て! 霧香!」

 聴覚で再現される東郷の声は、有無を言わせぬ気迫が籠もっていた。



 怒鳴り散らして命令しておきながら、それでも霧香は撃たないだろうと、東郷龍二はわかっていた。

 ヨーロッパ撤退戦で、臨時編成の部隊の指揮を任されて、霧香の上官になったときに、それを思い知らされている。

 自分の命が危険に晒されても、誰かを犠牲にはしない。そういう奴だ。

 だから、東郷は誰よりも霧香にだけは知られないように原隊を離れた。生還を期さない囮作戦の話なんて、できるはずもない。

 崇高な自己犠牲精神なんてものは、東郷自信が軍隊生活の中でいちばん否定し続けてきたものだったが、この北海道からの撤退戦で最後に残る部隊が、全滅することもありうると知ってしまっては黙ってはいられなかった。

 横浜の司令本部に怒鳴り込み、殿(しんがり)となって残される100名近い機械化歩兵を失うことが、その後の作戦にどれほど損失になるかを説き、作戦の変更を求めた。

 撤退完了となる予定日から一週間前のことだ。準備に時間がかかる代案など実行不可能だし、参謀本部が損害を最小限にするように練った作戦に、大きな穴などなかった。

 東郷が提案した作戦は、無謀なものだった。

 だが、可能性はある。

 失われる予定の100名が、半分でも、一割でも、一人でも多く生存できるなら、実行する価値はあるのだ。

 バグを相手にするには時代遅れになってしまった自分一人の命など、そのためなら投げ捨ててもいい。

 ゆえに、東郷は怒鳴った。



「撃て! 霧香!」

 撃てるはずがない。

 霧香がブリッジの中でハチ型と格闘をしただけで、飛び散った破片を受けたらしい東郷の左腕は血で赤黒く濡れ、ヘルメットの砕けたバイザーの隙間から覗く無精髭の生えた顎から赤い雫が滴っている。

 ここでレールガンを撃って、ハチ型を四散させたら、この人を巻き込んでしまう。

 コンディションは最悪、全身からのレッドシグナルで、視覚野は赤い文字で埋め尽くされそうだ。

 けれど、まだ動ける。翼だってある。

 もう一度だ。今度は、確実に跳ね飛ばす。

 東郷がそばにいるので、両足のスクラムジェットは使えない。今度は、4枚の翼に内蔵された重力子ドライブを限界まで使うしかない。翼だけ千切れて飛んでいってしまうかもしれないが、ほかに方法も武器もない。

 6本の足をうごめかしてブリッジの床に爪を立てて留まろうしているハチ型に、霧香は

もう一度、左肩から突っ込んだ。

 さっきほどスピードが乗っていない分、衝撃は弱い。霧香の体は、ハチ型の顔面に張り付いた形で受け止められてしまう。

「このぉ!!」

 安全限界を超えて稼働する重力子ドライブに翼がねじ切れそうになる。翼を支えるアームと繋がっている背骨が、応力を受けて悲鳴をあげる。激痛という警告が、霧香の痛覚に突き刺さる。

 痛みに逆らい、霧香はハチ型の下に入り込むように体をねじって滑らせる。ハチ型の体が浮いて爪がわずかに抜けかかった隙を逃さず、一気に押し切ってブリッジの外へ突き飛ばす。

 ハチ型の爪が足がかりを得る間を与えず、霧香は翼を大きく広げて重力子の斥力で相手をさらに中空へと遠ざけながら、レールガンの射撃管制プログラムを呼び起こす。

 飛ぼうとするハチ型の片側の羽根だけを撃ち抜くと、バランスを崩してよろめき、前進を続ける赤城の後方へと流されていく。完全に視界から消える直前に、霧香はもう一撃を放って、完璧にとどめを刺した。

 視界内にバグの姿はなくなった。グシャグシャになったブリッジの中に、ボロボロになった霧香が残り、格闘の結果、押し広げられた破損部から氷点下の風が吹き込んで逆巻いた。

「……なんて様だ……」

 悪態というには物寂しい呟きを聞いて、霧香は振り返った。

 操縦席に座った東郷に、先ほど以上の怪我は見られなかった。

 霧香は安堵していることを東郷に悟られないように、わざと憎らしさを込めて通信を送った。東郷のヘルメットの中で、声は再生される。

「……龍二さんこそ、なんて様ですか?」

 霧香はヘルメットのバイザーを上げる。ひとつ目の怪物のような光学センサーがついた防護ヘルメットの奥から、10代の少女の白くほっそりした面差しが現れる。

 霧香は目を細め、口元に皮肉な笑みを浮かべた。

「生身の体で最前線やってくるなんて……。傷だらけじゃないですか?」

「俺のことはいい!」

 霧香は東郷がそう言うことを予想していた。だからと言って、腹が立たないということにはならない。

「いいわけないじゃないですか!」

 冷静になろうとちょっとだけ考えていたことはすっかり忘れて、霧香は真っ正面から言い返した。

「あなたが誰も置き去りしない人だって知ってますけど! そんなの、わたしだって同じ気持ちなんですよ!」

 東郷龍二がどんな人なのか、霧香はヨーロッパ撤退戦で思い知っている。誰かを残して立ち去らない人なのだ。今度の撤退戦でもきっと、最後までどこかに残っているだろうと思っていた。

 誰かを見殺しにして、誰かが生き残る。そんなことを平気でやるようになったら、人類はバグに勝てなくなると言うのが、彼の口癖だった。

「優秀な兵士は必ず生還する兵士だと言ったのは誰です!?」

 そして、機械化された体を自在に操る次世代の戦士である霧香たちに、命を無駄にするなと、東郷はしつこいほどに言って聞かせて来た。

「当然、龍二さんも優秀な兵士なんでしょうから、生還しますよね!?」

「バカヤロー! 優秀な兵士なら、まず命令に従うもんだ!」

「はぁ!?」

 霧香は呆れ顔で、戦闘用のごつい肩を小さくすくめて見せた。

「くだらん命令には、クソッ食らえ! と言って逆らえって教えたのは誰です?」

「言ったか!? 俺、本当にそんなこと言ったか!?」

「言いました! 音声記録まであります!」

「いつ録音しやがった!?」

「ヨーロッパで言ってくれたじゃないですか! まだ戦えますって言ったわたしを信じて、司令部に逆らってくれたじゃないですか!」

「とんでもない手本を見せちまったな、俺……」

「本当にいいんですかって、私が訊いたら、「男に二言はない!」って言ってくれたじゃないですか! これも音声記録あります!」

「恥ずかしいもん録音してんじゃねぇよ!」

「なんと命令されても、私は龍二さんを連れて帰ります!」

「バカ言うな、赤城を放り出していけるか!」

 東郷は霧香から目を逸らし、操縦席の正面にある大型ディスプレイを睨んだ。

 表示された赤城のコンディションを示すグラフィックが、見る間に赤に変わっていく。

「俺がここを離れるのは、赤城が墜ちた時だ」

「それは嘘です……」

「なに!?」

「龍二さんは、バグを道連れにして、赤城を自爆させるつもりです。ここを離れるつもりなんてない……。そうでしょう?」

「……どうして、そう思うんだ?」

 東郷はディスプレイを見つめたまま問う。

「いつも人の目を見ながら話す龍二さんが目をそらすのは、嘘をつくときだからです」

 はっとして東郷が霧香の顔を見ると、イタズラを成功させた子供のように得意げに笑う霧香の顔があった。

「小さな子でも、もうちょっと上手に嘘をつきますよ」

 東郷は、今度は気恥ずかしげに、目をそらした。

「……俺がなにをするか解ったんなら、なおさら、ここから離れろ」

「いやです……」

「行くんだ、霧香。お前に託させてくれ。これからのバグとの戦いには、お前たちのような機械と同化し、コンピューターと同等の演算能力を持った、生まれるまえから調整された人間が必要なんだ」

 生まれたときから、霧香もそう教えられて来た。人の、人類のために戦えと、そう言われて育てられてきた。

 それなのに、と霧香は思う。東郷龍二という人に、怒りさえ覚える。

 あなたはどうして、わたしに優しくしたり、一緒に食事をしたり、出かけたり、馬鹿を言い合ったり、普通の仲間みたいに、上官と部下みたいに、娘の心配をする父親みたいに、

そんな風に接したりしたんだ。

 わたしは設計されて作られた人間だから、この気持ちが普通の女性の心に湧くものとは違うのかもしれないけれど、この気持ちが錯覚でも気の迷いでもないことは確かだ。

 霧香の機械の体は、胸の奥にある感情を無粋なほど正確に拾い上げる。

「……戦えませんよ……」

 東郷の耳に聞こえてきた霧香の声は、涙声だった。

 操縦席へと一歩づつ歩み寄る霧香の表情は、唇を硬く引き結んだまま、目も見開いたままだ。機械の体に、涙を流す機能はない。

「霧香……」

「カティの故郷を守れなかった。北海道も守れなかった。これで龍二さんまで置き去りにしたら、私、もう戦えません……」

 霧香の声をかき消すように、東郷のヘルメットの中に警告音が鳴り響く。ディスプレイの中の赤城がさらに赤く染まり、迎撃システムが制御不能になったことを伝える。

「クソ!」

 東郷は、制御パネルを叩き歯噛みする。

 赤城に取り付いたハチ型の何匹かが中枢コンピューターの存在に気づいて、乗っ取りを仕掛けてきたのだ。

 このバグの性質を考えて、東郷はたった一人、囮となる赤城に最後まで残ることを選んだのだ。

 操縦席の右側のコンソールにある透明なカバーの掛かったボタンを叩くように押し込み、操縦系統を非常回路に切り替える。

 だが、龍二が操縦桿とペダルを殴りつけるように操作しても、赤城はまったく動かない。

 バグの方が上手だったらしい。非常回路といっても、予備のコンピューターを使うだけで完全な手動ではないのだ。

 操縦を諦めた龍二は、体を伸ばすようにして、ぐてっと座席に体をあずける。視線だけを動かして、霧香を見上げる。

「俺はお前を、一人前の兵士に育てたつもりでいたんだがな……」

「残念でしたね……。そう期待に応えようって頑張ったつもりでしたけど、私、まだ、弱いままで、ごめんなさい……」

 霧香の声を振り払うように、東郷は血まみれの手を振る。

「いいから、泣くな! 悪いのは全部、俺だ!」

「そうだ、悪いのはお前だ!」

 霧香とは違う声が飛び込んで来た。

「なにぃ!?」

 唐突な断罪に東郷が声を上げるのを無視して、カティの声は早口で撃ち込まれてくる。

「霧香はなぁ! 退役したら生身の体に戻って、オッサンの子供を産むつもりなんだぞ!」

「はぁ!?」

 呆気にとられる東郷に対して、焦る霧香。

「カティ!? ちょっと……! わたし、まだそんなことまで言ってないでしょぉ!?」

「え? ああ、そうか……。霧香はなぁ! 休暇のたびに街に出て、オッサンへのプレゼントを買ってるんだぞ!」

「……そんなの、貰ったことはないぞ……」

「そうだよ! 一度も渡せてないから、私と霧香の部屋はプレゼントの箱で溢れそうだ!」

「それは、大げさ!」

「大げさじゃないぞ! 私のベッドの方まで箱が侵略してきてるじゃないか! 捨てたり壊したりできないぶん、バグより質が悪い!」

「ご、ごめんなさい……」

「オッサン! 責任もってちゃんと引き取れよな! そのかわり、外にいるバグは、わたしが引き受ける!」

「カティ!」

「オッサン抱えたまま、戦えないだろ? 大丈夫だって、なにしろ“優秀な兵士は生還する”のが当たり前だからな! じゃ、そっちは任せたぞ!」

 そう言うカティに東郷が警告する。

「赤城の防御システムはバグに乗っ取られている! 注意しろ!」

「えぇえ? りょうかーい」

 カティとの通信が切れる。

 それとほぼ同時に、赤城が左へ傾斜し、左旋回を始めた。操縦システムを乗っ取ったバグは、赤城を北海道へと戻すつもりらしい。

 東郷は霧香を睨んだ。

「霧香、これが最後だ。本当に俺を抱えて脱出する気か?」

「女に二言はありません」

 東郷は苦笑いを返す。

 そうだ、お前はそういう奴だった。だから、お前に知られないように行動したはずだったのにな。

 左手が無意識に動いて頭を掻こうとするが、手袋をした指先はヘルメットに拒まれ、ヌルッと血で滑る感触だけを返してきた。

「くっ……!」

 血が流れていることを知って、初めて左腕に激痛を感じた。

「困ったときに頭を掻くのも、龍二さんの癖ですね」

 本当におかしそうに霧香が言う。

 こいつに今さら隠し事も嘘も無意味か。

 元より、こいつの頑固者っぷりは、ヨーロッパ撤退戦で見せつけられている。

 東郷はひび割れたバイザー越しに、霧香を睨んだ。

「わかった、俺の方が前言撤回してやる。だが、このまま赤城を放っては行けない。核融合炉で飛んでいる赤城をバグの手に渡せば、核ミサイルをくれてやったようなもんだ。

本当なら、俺がバグを道連れに、核爆発させるはずだったんだがな」

「あてが外れましたね」

「うるさい、話しを聞け」

 嬉しそうな霧香を黙らせて、東郷は話しを続ける。

「バグに乗っ取られた時の最終手段として、満載の2000ポンド爆弾に直結の起爆システムを用意してある。メインシステムがダウンしようが、バグに乗っ取られようが、スイッチ一つで起爆できる」

 東郷がいかにも急ごしらえなスイッチを見せると、霧香は不満そうな顔をする。

「……起爆……システム?……」

「やかましい。導火線よりは近代的な、有線の電気式だ。こいつで赤城の二枚の翼を繋いでいる胴体中央の柱を吹き飛ばせば、赤城は墜ちる。落下の衝撃で核融合炉も壊れる」

「それ、核爆発とか……」

「核融合は、炉が壊れると止まってしまうものだ。座学の時間に習わなかったか?」

 こんな時なのに先生っぽい東郷を、霧香はさらっと受け流す。

「じゃあ、龍二さんがスイッチを押したら、脱出するってことで、いいんですね?」

「わかっているか? このブリッジは、爆破される胴体中央の柱の中にあるんだぞ? スイッチ入れた瞬間に、ここが吹っ飛んで無くなる可能性もある。いや、可能性は高い!」

「脅しても無駄ですよ?」

 にっこり笑う霧香に、東郷は溜息を吐いてお手上げのポーズをとって見せた。

 霧香はレールガンを投げ捨てる。

「龍二さんこそ覚悟を決めて下さい。耐Gスーツも酸素マスクも無しで飛ぶんですから」

「しかも、座席もシートベルトも無いときてる」

 愚痴っぽく言い、東郷は座席から身を起こし、起爆スイッチを握り直す。

 霧香は東郷の後ろに立ち、戦闘用の無骨な手をそっと東郷の肩にのせた。

「私の両手じゃ、不満ですか?」

 東郷、左手で、右肩にのっている霧香の金属の手に触れる。冷え切った、傷だらけの手だ。

「乗り心地は悪そうだな」

「我慢してください」

「いつか、柔らかい生身の手で触ってくれるんだろ?」

「え? ……ええ!?」

「身構えろ。いくぞ!」

「は、はい!」

 東郷がスイッチを押し投げるように手放すと、赤城が大きく震えた。

 轟音と区別できない振動から守るように東郷の体を掻き抱いて、霧香は赤城のブリッジから飛び出した。生身の人間が耐えられる限界の加速度で。

 爆発が赤城を内側から引き裂き、引き裂かれた金属片が超音速の衝撃波に加速され、霧香を追う。

 最高速を出せば、逃げ切れることは解っている。だが、そんなことをすれば、腕の中の東郷は内蔵破裂で死んでしまう。

 翼をたたみ、体を丸めて、祈ることしかできない霧香の体を、弾丸のような金属片が傷つける。

 背後で燃え盛る赤城が墜ちていく。巨大な機体が歪み、捻れ、砕けていく。バグはしつこく、それに群がろうとしていた。

 レーダーを使おうか迷ったが、赤城にたどり着く前に追い抜いて来たバグの集団が頭上にいることに気づき、やめた。

 海面ギリギリの低空を、可能な限りの速度で飛ぶことしかできない。

 武装もなく、コンディションも最悪(オールレッド)。そんな、わかりきったことはどうでもいいから、腕の中にいる人のコンディションを教えて欲しいと、霧香は切実に思う。

 赤城が水平線の彼方へ消えると、バグの影も見えなくなった。

 低い灰色の雲が上空を覆い、下の海も灰色で、荒ぶる波頭だけが白く砕けていた。

 そっと首を巡らし、背後を振り返ると、こちらに向かってくる影が一つ。

「霧香~!」

 超音速で追いかけてくるカティだった。

「ちょっと! その勢いのまま近付かないでよ!?」

 衝撃波で叩かれても霧香はよろめくだけだが、腕の中の人はそれでは済まない。

「ああ、そうか!」

 遠目に、カティが急減速するのが見えた。

 カティがここに来たということは、バグの追撃をとりあえず振り切ったということだろう。

 霧香は背面になり、腹の上に貝をのせるラッコのような姿勢をとり、東郷を抱きしめていた両腕を緩める。落とさないようにそっと、自分の体が風よけになるようにして。

 東郷は、霧香の胸部装甲に手を置いて顔を上げた。

「……内蔵が飛び出すかとおもったぜ……」

「手加減はしましたよ?」

「かつての教官に、そんな口が叩けるようなら、もう一人前だな」

「……まだです。まだまだ、龍二さんには教えてもらうことが、たくさんあるんですから……」

「いつまで甘ったれてる気だよ、まったく」 東郷は、霧香の胸部装甲を拳で叩いた。

「ちょっ……! いちおう、女の子の胸なんですけど!?」

「ただの装甲だろ」

「ひどい! セクハラです!」

「それは、やわらかい胸を揉まれてから言え!」

「……おい、司令と隊長、命令くれよ……」

 バカを言い合っているうちに、カティが霧香の斜め左後方の定位置についていた。

 背中のミサイルランチャーは捨ててきたらしく、手にマシンガンを持っているだけの身軽な格好で、霧香と同じくらいに傷だらけだった。

 東郷は、二人をこれ以上、戦場に置いておけないなと判断した。

「襟裳岬に向かって飛べ」

 赤城がここに来るまで護衛してくれた部隊がそこにまだいるはずだった。今なら、まだ合流できるかもしれない。

 命じられた霧香は、戸惑いながらおずおずと、東郷に告げる。

「実は、さっきからCPに呼び出されてるんですが……」

「バカヤロウ! 直属の上官は誰だ? CPにはクソッ食らえとでも言ってやれ!」

 氷点下の風に負けない東郷の怒声に、霧香とカティは防護ヘルメットに覆われた顔を見合わせた。

「はい! 了解です!」

 霧香は喜びに弾けそうな声で応えた。



     ―終―



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― 新着の感想 ―
[一言] 東郷さんのお子さん、産めるといいですね。 前半は戦闘系ですけど、後半になるにつれ、違和感なく恋愛に切り替わったので、好印象です。 投稿日だいぶ前ですけど、この作品に出会うことができて、今日は…
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