8 恋されてた
女性の声というのは、とてもよく通る。彼女たちが思っている以上に広範囲に声が届く。
パーテーションの向こうから聞こえてくる高木さんのアルトボイスの内容に、事務作業に勤しむ強面な警察官の方々が静かにざわつきはじめていた。
高木さんは一生懸命に伯父とのやりとりを説明している。ことあるごとに従姉の無事を喜びながら、従姉と私を褒めている。
褒めるというか途中から「…ん?」という内容になり、聞けば聞くほど疑問は確信に。そばで事務作業していた刑事さんたちが囁きだした。聞こえてしまった。
「めちゃくちゃ不器用に片思いしてるぅ…」
「いくつ? …22? 本当に? 中学生の間違いでなく?」
「浄化されそう。心だけ思春期に戻される。ドキドキしてきた…」
「事件についての認識や事実をありのままに喋って欲しいのであってプライベート赤裸々にしろなんて俺らは命じてなどいない…!」
「そりゃそうだよ? どうした」
「つまり幻聴だ。理解ある成人女性など存在しない。…してたら俺だって出会ってるはずだ! 俺だって真面目でストイックで優しくてしかも夢を叶えたおとなっぽい男! おかしいだろよ俺がまだ独身なの…!」
「ストイックだからじゃないかな」
「大人っぽいというより老けガ、いや? 飴食うか?って聞いただけ」
「いい…もうグミ食ってる…」
一生懸命な彼女のまっすぐな熱量は、恐らく場にいる全員の琴線に触れた。
男女問わずソワソワとパーテーションを気にし始め、耐えかねたひとりが立つと、またたく間に一角は包囲された。ロマンティックな恋バナを怒涛の如く語り合う強面刑事さん集団は、あまりに絵面が強い。
私はそっと俯いた。
だが、変わらず高木さんの声は聴こえてくる。
「…あなたも頑張ってる、偉い、って言ってくれたんです。優しい目で。わたし凄くびっくりして…褒められて嬉しかったんです。本当に。なのに、変な反応してしまったこと今も後悔しています。
変な反応っていうのは…その、わたし、うっかり好きですって言いかけてしまって。慌てて我慢したんです。だって困りますよね? 唐突にそんなこと言われても。たまたまバイト先が一緒になるだけなのに。たまたま駅まで一緒に歩いてるだけなのに、いきなり、そんな、こ、…こく…っ、告白、なんて…。
えっ。あ、そうですね? とても優しい方なので、もしかしたらそうしてくれるかも知れません。
立夏さんみたいな素敵な人なら、きっと言われ慣れてますもんね。
実はわたしもその時、そこにも気付いてしまって、そうしたら急に哀しくなってきて…多分、顔に出ちゃったんだと思います。
そもそも夢を叶えるために頑張っている方なので、邪魔にならない距離にいなくちゃいけないのに…でも何かあったら何か助けになりたくて…わたしでも出来ることあるかも知れないですし。
けど、他にもそう考える人いっぱいいるんだろうなって思ったら、つい気持ちがぐしゃぐしゃになっちゃって、顔までぐしゃぐしゃになってた、気が、します…思い出すたび恥ずかしい。
わたしはこんなんなのに、立夏さんは凄いんです。凄く優しい口調でフォローしてくれたんです。その時の声音とか、表情とか、アンニュイな雰囲気とか…凄くドキドキしました。余裕あるおとなって感じが凄く素敵で…あまりにかっこよくて心が持たなくて、わたし思わず逃げちゃって…最後までカッコ悪かったです。
でもその時に、わたしやっぱり立夏さんのこと大好きなんだって自覚して…、あ、あと」
おれは勘違い男などではなかった
控えめに言ってとても好かれていた。
率直に言うと愛されていた。
ものすごくいじらしい感じで恋されていて、純愛映画さながらに甘酸っぱく慕われていた。
向かいに座る壮年の警察官からの、生温かい視線を頭頂部に感じたが、どうしても顔をあげることができなかった。感情をこらえるので精一杯。
とうとうおれの口が本音をもらした。耐えきれなかった。
「…結婚したい。しかない。申し込まねば…。今、すぐに…っ」
「落ち着きなさい。分かるけど。
君、まだ学生だろ。しかも、ご両親を亡くされている。唯一生きている親戚がアレで、あ。女傑さんがいたな。関係も良好なようだし…いや待て。待て。GOとは言ってない。待て。待つ。はい。
まずは交際からだ。告白が先。プロポーズは後。こういうことは蒸し返されるモンだから、ちゃんと計画的にだな…いや余計なお世話か? だがゆくゆくを考えると実績を積む前では家庭を持てたとてどうせまともに帰れず…んぅむ。とにかく。早まるな。いったん持ち帰りなさい。悪い事は言わないから。
あとおじさん一応ベテランの刑事さんだから。取調室で熱血プロポーズなんてさせないよ。管理職は野暮でないと務まらないの。ほら、深呼吸して。そしたら、はい、飴。舐めている間は僕の説教を聞こう。聞く。ね。はい。
あのね、自覚ないみたいだけど、今の君の生活はかなりハードだ。ストイックだ。警察学校でもやっていけるだろう。
獣医を目指しているとのことだから諦めるけど、正直、あわよくば警察官によろめいてくれないかなと期待してしまう自分がいる。僕は君に素質を見た。鍛えたらこれイケるぞと。
素早い通報。通話にしたまま状況を口頭で報告し続ける冷静さ。暴れだすような人間を根気よくなだめる胆力。とにかく喋らせ続けて、僕らが到着するまでひたすら穏便に対応してくれた。凄く、ありがたい。おかげで色々シンプル。やりやすい。助かる。
本っ当にかけらも興味ない? おまわりさん、安泰だよ? 刑事さん、かっこいいよ? たまには狸を職質するし、野鳥の交通誘導だってできるよ? 良くない場所に立てこもる凶悪猫に投降を呼びかけたり、隙あらば署内に住みたがるカラスに帰宅を促したり、爬虫類か両生類かよく分からん宇宙生物っぽい何かしらの迷子を保護することも稀になくはないよ? どう?」
「想像したら震えがきました。ちょっと興味もってしまった自分にも困惑しています。脳内でたくさんの危惧や疑問やツッコミが溢れていますが、私では到底手に負えない予感がするので黙秘を…、過酷ですね…尊敬します…。
それから通報は従姉の指示です。やり方も従姉に教わっていたので。私は従っただけです。
あと、獣医はこどもの頃からの夢でして」
「そうか。そうだろうな。僕もそうだ。君も叶えて欲しい。
正直、我々は常に人手不足なんだ。見所ありそうな人間はとりあえず勧誘してみる癖がついている。君については…やむを得ん。おまわりさんジョークとして聞き流してくれ。実に惜しいが。
それはそれとして、結婚うんぬんの前に、君はまず自分の生活を整えるべきだ。バイトせずとも生活に困りはしないんだろう? 貯金を崩すのは不安だろうが、まずは学業に専念したほうがいい。親御さんもそれを望んでいるはずだ」
そうかも知れない、という思いと、それでいいのだろうか? という疑問が脳裏を巡る。
落ち着こうとゆっくり息を吐く間、壮年の警察官は私のノートを眺めていた。予定表であり日記…というか行動記録であり出納帳として使っていたA4ノートだ。
私は人間さんとのやりとりを覚えるのが苦手だ。「言った」「聞いてない」などの難しい伝達トラブルが嫌すぎて、いつ誰と何をどんな会話をしたか、軽く記録していた。メモ書きみたいな走り書きで、時間は書いたり書かなかったり…会話記録と言うにはお粗末なそれだが、どうやら少しは役に立つらしい。
「君の記録はありがたい。詳細で分かりやすい。矛盾もない。証拠として文句なしだ。これは預からせてもらうが、恐らく君に関しては十分ご協力頂いたと判断できるかと思う。
これは独り言だが、民事についても調べてみると何か分かるかも知れない。専門家を雇うという手もある。
この事件についての担当は僕だから、必要があれば名前をだしてもらって構わない。何かあれば気軽に問い合わせて欲しい」
かなり優しくしてもらった気がする。
私が心を込めてお礼を口にすると、私の父親世代にみえる刑事さんはくしゃりと顔を歪めた。
(まさか今の笑顔か?)と戸惑う前に、警察官の顔に戻った刑事さんは平静に告げた。
「これで終了です。立夏さん。ロビーへどうぞ。
高木さんが終わりましたら、どうぞそのままお帰りください。お疲れ様でした」
壮年のベテラン刑事…奥さんはひとつ年上。告白前にかましたプロポーズは最寄りバス停のボロボロベンチ。「唐突で野暮で本気っぷりがヘンテコで可愛かった」と何十年経ってもイジられる。
お付き合い後のプロポーズは海の見えるきれいな旅館のオシャレな広縁で、夕陽とともにキメた。「謎スペースに突進して姿勢良く直立からの休めしたと思ったら、背中で殺気を放ちながら前置きを切り出すから何事かと思った」と結婚記念日のたびにイジられる。鉄板ネタ。
息子ひとり、娘がふたり。下の娘が真っ先に結婚相手を連れてきたと思ったら部下だった。一悶着あった。
自称・真面目でストイックで優しくてしかも夢を叶えたおとなっぽい男の刑事…プラス10歳くらい上に見える。凄く頑張っている。好きな飴の味は白桃とぶどう。レモンとミントは苦手。うっかり食べた時はションボリしながらガリガリ噛む。最近はグミが好き。噛まずにずっと口の中でコロコロしがち。




