3 諦めかけてた
どんだけトキメこうが行動できないのが私だ。
もとより凡人。爬虫類やラットからは日々求愛されているが、同じ学部の女性との距離感を鑑みると、恐らく学内の私は自覚なく透明化している。隠れているつもりはないのだが存在を知られていない。ゆえにイロコイ?なんてのは私にとってファンタジーにすぎない。
動物全般から殺意レベルで嫌われているが、女性からはやたらとモテる同学部の友人に相談してみたところ、彼は迫力のある鋭い眼で発破をかけてくれた。
「おまそれ嘘だろ何を怯む必要がある聞けよ。おせよ。口説けよ。てかまず連絡先を聞くんだよ。こっちから、…はにかむな! カワイイか! 大丈夫だよ、変じゃない、連絡先くらい友達でも交換するだろが。
…いや空気で言い訳すんな。いいからやれ。とっととやれ。なんでだよ、ウブかよ、まるで初恋みたいな反応しやが…は?
わぁ。
そうかぁ。
なるほど…うん。おめでと。
いやこれ凄ぇな。祝いたい。めっちゃ祝いたい。なんか持ってたかな…飴しかねぇな。これ。せめて。良ければ。のど飴。乾燥ツラくて昨日買ったやつ。やる。うん。おめでとう。マジで。
ただの好奇心なんだけど、どんな感じか聞いていい?
…ぅぁあ…甘酸っぱぁうぃい…いやお前の空気がな。飴の味じゃねぇよ。てかその娘の前でもその調子か? だったらバレてるだろコレ…あー…うん。そうだな。お前はそのままでいろ…そのうちなんとかなるよ…」
もとより私に他の道はない。現状維持のみ。それしか無理。
(勘違いだった場合、おれの心は死ぬ。立ち直れない。仮に付き合えたとしても、講義観察研究講習研修論文勉強の合間に稼がなきゃいけないおれじゃ確実にフラれる。
フラれたら…おれは間違いなく絶望する。高木さんに執着しちゃったらどうしよう。勘違い男にもストーカーにもなりたくない。それくらいなら無害な男でいたい)
会えるだけで、一緒に働けるだけで、たまに絡む視線の甘やかさだけで、私は十分に幸せだった。それ以上を望むつもりはなかった。
あの日までは。
バイト代が入ると、伯父の家へ行く。渡して、一応サインをもらって、ついでに風呂とトイレと換気扇の掃除をしてから帰る。
月に一度のお約束だった。伯父には奨学金の恩がある。
入学直前に両親が死者の国へ旅立った。私ひとりが取り残され、それまで勉強しかしてこなかった私は、己がいかに役立たずかを知った。
もたもたと目の前の生活や片付けをするだけで手一杯。何をすべきかどうしたらいいのかも分からない。
そのうちに、あんなに待ち望んだ獣医学部についての一切がどうでもよくなり、一時は入学そのものを諦めかけた。
しかしその時、すでに成人していた従姉が助けてくれた。難しいよく分からない様々な手続きを、一緒にやってくれた。おかげで入学できた。
伯父も助けてくれた。彼が私の保護者として名乗り出てくれたからこそ奨学金を借りることが叶ったのだそうだ。それだけでもありがたいのに、伯父は私の将来まで考えてくれていた。
「卒業しても修行中は給料が少ない。開業したいなら安心して貯めたいだろう。お前の奨学金は既にこちらで一括返済しておいたから安心しろ」
そう言われた時はさすがに驚いた。とんでもない大金なのに。両親が亡くなるまでまったく交流のなかった見ず知らずの甥に、まさかそこまでしてくれるとは。
しかも「返済は出来る範囲の分割でいい」とも言ってくれた。「獣医になったら儲かるだろ、老後に困ったら金貸してくれな」と、豪快な冗談で私の感謝を笑い飛ばしていた。
獣医が儲からないのは有名な話だと思う。
仕事を取りに行けば食いっぱぐれないというだけで、勤めれば安月給、フリーランスは人脈が物を言う。開業するには経営を学ぶ必要がある。
獣医になれば自動的に億万長者になるわけではないのに、まるでそうなって当然とばかりによくからかってくる、伯父はお茶目な人だった。
伯父は経済や社会について誰より詳しいのだそうだ。不労所得があるから、お金には一生困らないのだとも。
「だが金銭感覚は大事だからな。金についてはしっかりやるべきだ。お前の将来のためにも」
正論だ。借りたものは返す。人間として当然。でも大変。それでも私なら返せると信じ、目に涙を浮かべて真剣に苦言をくれた彼には、本当に頭が上がらない。
(今の稼ぎでも、あとざっと8年がんばれば伯父に返しきれる。
いつかは、父さんや母さんが遺してくれた貯金に頼らず、おれ自身の稼ぎだけで暮らしていけるようになりたい。がんばろう)
今月はまとまった金額を手にできた。浮かれた私はうっかり日付を読み間違えた。うっかり約束した日の前日に、叔父の家へ向かってしまった。
その途中、従姉からの電話がきた。
なにやら誰かに苛立っており、なだめるも、話が噛み合わない。そこでようやく日付を間違えていることに気付いた。思わずうろたえると、従姉の怒りは急に落ち着いた。何故か笑われた。
「ケイは相変わらずかぁ。どうせあんまり寝てないんでしょ? 最近どうよ? …何か面白いことなってるわね。癒されるぅ…。ああ、こっちの話。丁度良いわ、一緒に行こう。んで終わったら一緒にゴハン行こう。あたしもあの男モドキに用ができたの。うん、ちょっとね」
私たちは駅で待ち合わせ、連れ立って家に行った。
従姉の姿を見た伯父は、とたんにうろたえだした。「何故、連れてきた」「とっとと帰れ」「連れて帰れ」と私は叱られ、理由が分からず困惑する。
とりあえず謝ってなだめていると、それまで無言だった従姉がいきなり家の中へ乗り込んでいった。
ズカズカと遠慮なく足を進めるが、彼女にとってはここも実家だ。何も問題ない…はずだが、伯父はさらに動揺をあらわにした。制止を叫びながら後を追っていく。
お茶目だが、穏やかな人柄とは言い難い伯父、あまりの剣幕に少し危機感を覚え、私も「お邪魔します」と軽い挨拶を呟いて家へ上がらせてもらった。
リビングに高木さんがいた。
従姉と抱き合って、泣いていた。
同学部の友人…草間勝朗(21)。獣医志望。ノンデリ傾向があるが、とてもイケメン。仲の良い兄と弟がいる。家族ダイスキ。仲良い友人の恵を気にかけている。世話好きで、さりげないフォローが得意。しれっと助けて知らんぷり。恵は気づいていない。




