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四、

「きゃあああ」


 後宮に女官の悲鳴が響き渡った。


 気球が見つかったのかとひやりとしたが、そうではなかった。屋根の上からようすを伺っていると、女官や宦官がひとつの宮に集まっていくのがわかった。


 あの宮で何かが起こったのは間違いない。


「貴妃様が、貴妃様が……!」


 女官の叫びに愕然とした。姉は貴妃の一人ではなかったか。


「宦官と心中なさいました!」


 続く言葉を聞いて、姉ではないと安堵した。姉がそのような真似をするわけがない。

 しかし、嫌な予感が肌にべったりとまとわりつく。

 やがて、院子(にわ)に無造作に運び出された遺体に三娘は目を瞠った。

 骨の形がわかるほどやせ細った女。間違いなく芳香だった。

 手足はとくに小さくかじかんだように変形していた。四肢が麻痺していたというのは本当だったのだ。胸元に大きくて真っ赤な牡丹の花が咲いている。


「宦官が貴妃の胸を刺し、そのあと、みずから首を切ったようです」


 宦官の遺体が転がされた。首筋に創傷を持つその男は、一千だった。


 三娘は嗚咽をこらえきれなかった。だが屋根に潜んでいることを悟られてはならない。手で口をふさぐと、今度は涙が溢れてきた。顔を伏せると体中がわななき出した。

 一千は男の証しを捨てたのだ、姉のために。体が不自由になった姉のそばにいてやりたかったのか、あるいは哀れに思ったのか。姉に会いたくて体の一部を捧げた。

 そして姉を殺し、自ら命を絶った。そうさせたのはおのれだ。眩暈がした。


「この宦官は、あれだろう。たしか……」


「そうだ。科挙を諦めて珍宝を切り落とした変わり者だ。早く仕官して出世したかったんだろうが、やることは莫迦だな」


「物珍しさで陛下には気に入られてたのに、醜聞を起こすとは思わなかった」


 衛兵たちが勝手なことをしゃべっている。

 三娘はやがておかしなことに気がついた。

 一千の両手に細かい切り傷がついているが誰も気づいていないようだ。

 武術を習っている三娘にはわかる、攻撃を防ぐときに負う防御創というやつだ。

 よく見れば首の傷もおかしい。右利きの一千が刃物を当てるときは刃先は左を向く。平行、あるいは左側が上向きの傷になるはずだ。あの逆向きの創傷は、第三者に正面から斬られたものなのではないか。

 一千は誰と戦ったのか。動けない姉と揉みあいになるわけがない。


「もう一人いた……?」


 屋根を伝って別の宮に行ってみると、女官が数人集まって立ち話をしていた。聞き耳を立てる。


「うちの淑妃様が羨ましがっていたわ。いつか死ぬなら愛する者の手でって」


「陛下を裏切って心中したのよ。きっと死体は八つ裂きにされて城下に晒されるでしょうね。ちっとも羨ましくなんかないわよ」


「貴妃の位がひとつ空いたってことね」


「陛下は慈悲深くていらっしゃる。四肢麻痺した女を貴妃のままに留め置いたのだから。貴妃のほうが察して望楼から身投げすればよかったのに。ああ、四肢が動かないから無理なのね」


「後宮で毒を盛られるほうが迂闊よ。さて、次は誰かしら」


「表向きは病没になさるんじゃないかしら。陛下にとっても不名誉なことですもの」


 これが後宮か。芳香はこんな魔境に閉じ込められて死んだのか。こんな魔境に一千は挑んだのか。

 脳裏に閃くものがあった。

 何者かに命を狙われていた芳香を、一千は守ろうとしたのではないか。だが守りきれず、喉をえぐられて絶命した。姉は一千の死を見届けてから死んだのかもしれない。絶望で砕けた心を、さらに刺されて。


「おい、そこに誰かいるのか!?」


 見つかった。衛兵の足音が近づいてくる。


「望楼へ追い詰めろ」


 望楼は立ちくらむような高みにある。足を滑らせたら潰れた柘榴になるだろう。

 三娘はしかし躊躇うことなく、その天辺から宙に身を躍らせた。背に仕込んでいた師父の発明品が風をはらんで翼のように広がる。


「鴉の化け物だ」


 衛兵のおののく声が聞こえる。本物の化け物になりたいと三娘は心から願った。


 それから数日。三娘は皇都にほど近い河沿いの町に潜伏していた。

 小さな町にも不名誉な後宮の噂は流れてくる。死んだのち貴妃の位を剥奪された女は恰好の的だ。一緒に死んだはずの宦官についてはまるで最初からいなかったかのように存在を消されていた。


 師父から荷物が届いた。巻物のほか、近況を綴った文には、皇都の道場を畳むことにしたのでもう戻ってくるなと書かれてあった。

 ふと両親の姿が脳裏によみがえった。三娘が旅立つときにすでに老いの影があった。見て見ぬふりをして家を出たのだ。故郷の邑に戻って両親と静かに暮らすのが孝行というものだろう。


「おや」


 文が一通入っていた。師父気付で三娘にあてた慎からの文だ。わざわざ慎が書いて寄越すとしたら、両親の不幸しかありえない。案の定、風邪が悪化して相次いで死んだと、淡々と記されていた。

 これで三娘を地上につなぎとめるものは何一つ無くなってしまった。


「いや、ある」


 やり残したことが。

 姉に毒を盛った人間は誰だ。姉と一千を殺した人間は誰だ。かならず見つけ出し、復讐を果たす。そして二人の汚名を雪ぐ。

 師父が送って寄越した巻物には武術免状と書かれていた。だが中身は白紙だ。

 さて、火にあぶればよいのか水につければよいのか、水晶を通して見るのか鏡に映して見るのか、こちらも正解はわからない。正解に辿りつくまでは修行を続けろという意味だろう。

 町を出る前に市場に寄ったが、柿の実の季節にはまだ少しだけ早かった。


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