一、
与三娘が武術を習い始めたのは十になるかならぬかのころだった。
三娘には六つ年上の姉がいる。名は芳香。二人姉妹である。
ある秋、柿の実を取りに一緒に山へのぼった。柿の実は市場で売れば金になる。
与家は貧しく、わずかな農産物と機織りで糊口をしのいでいた。家族総出で生計を立てないと飢えてしまうほどだ。
柿の木に近づいてみると、近所の幼馴染、慎が木登りをして遊んでいた。三娘に気づいてむっと口をとがらせ、続けて姉の存在に気づくと口元がだらしなくほどけた。
「あら慎ちゃん、ちょっと手伝ってもらえるかしら」
「芳香さんのためならなんだって」
慎だけではない。邑の男たちは姉の芳香を前にすると途端に従順になる。
「ねえ、もっと左に大きいのが、そう、それそれ。まあ、ありがとう」
姉の籠は見る間ににつやつやした美味しそうな実で埋まっていき、それにともなって慎の鼻の下は長く伸びていく。
「もういいんですかい。芳香さんのためならいくつだってもぎますよ」
「私にもちょうだい」
と三娘は言ってみたが、
「おまえは自分で取れ」
と意地悪を返された。これもいつものことだったので三娘は慎の足を掴んで木から引きずり下ろした。これもいつものことである。
「ああ、くそ。怪力女め。不細工なうえに乱暴だから、一生嫁の貰い手がねーだろうな」
腕力で三娘に叶わない慎は口喧嘩だけは達者だ。
「まあ、三娘の気をひきたいのね。微笑ましいこと」
姉は悪意を向けられたことがない。だからいつも見当違いのことを言う。ただ突っ立っていただけなのに、「疲れたわ」と言って倒木に座って休み出した。
慎は芳香の隣に腰かけて面白い小話を披露しているが、姉の意識はすでに遠く、邑で待つ恋人に向かっていることに気づいていない。いい気味だ。
三つほど柿をもいだところで、手が届く範囲の実はあらかた取り尽くされているとわかった。枝を揺らしてみたが、どの実もしっかりとしがみついて落ちない。
「ふん」
三娘は地面におりた。まだ諦めるわけにはいかない。なぜなら枝の先に大きな実がなっているのに気づいていたからだ。
つやぴかのそれは姉の恋人を思い起こさせた。役人になるための試験を受けるとかで、童生になった頭の良さにくわえて、筋骨隆々とした体躯を誇る。
慎など足元には及ばない。
三娘は地面から垂直に飛んで掴む。
「まあ」
「すげえ」
姉と慎が三娘の跳躍力に賛嘆の声をあげた。
「三娘は顔だけでなく体も猿みたいなんだな」
「うるせ」
「お淑やかな芳香さんと姉妹なんて信じられないよ」
邑の誰もがあきれるほど、二人は対照的な姉妹だった。
「姉さん、疲れたのなら家にまっすぐ帰っていいよ。籠は私が持つから」
「ありがとう、三娘」
そうして三娘はますます鍛えられていくのだった。
三娘の並外れた運動能力を見出して褒めてくれたのは芳香の恋人である鄭一千だった。
姉の恋人にふさわしく、一千も悪意とは無縁の人だった。童生として多忙なのにもかかわらず、勉学には体力も必要だと考えて街の道場にも通い、そこで習ってきたことを三娘に教えてくれる、親切で優しい人でもあった。一千が郷試に受かったら県の役人になり、芳香を娶うのだと聞いていた。三娘はひそかに憧れていた。
三娘は籠を二つ提げて街に向かった。市場に柿を売りに行くのは体力のある三娘の仕事だ。
「甘くて頬がとろけちまう柿、いらんかねー」
売り歩いていたら、通りがかった客が目を止めた。
「それは××集落の柿かね。大きくて甘そうだな」
「今日は特別に美味いのを選ってきた。うちの里の特産だよ。どうだい」
「買ってもいいが、集落はかなり鄙びた場所だと聞くが、本当かい」
失礼な客だと思った。こちらが子供だから見下してもいいと心得違いをしているようだ。
「鄙びてはいるがね、柿も人間も優れているよ。嘘だと思うなら確かめてくればいい。足腰が弱いと山を越せないけどね」
客は三娘の顔をじっと見つめたあと軽く首を振り、だが思い直したようすで再度訊ねてきた。
「その集落には、君よりも年上で二十歳未満の未婚の娘さんはいるかい」
「……姉さんがいるけど」
「君のお姉さんかあ」
客はため息をついて踵を返しかけた。
「ちょっと、失礼じゃないか。うちの姉貴はそんじょそこらの女と比べ物にならない美人なのに」
「でも君のお姉さんなんだろ? そんなに美人なら市場でも評判になってないとおかしいだろう」
信用できないと言わんばかりだ。
それもしょうがない。三娘の容姿から美人の姉など連想できないだろうと三娘本人でさえ思う。だが本当のことだ。妹が不細工なら姉も不細工に違いないと早合点されるのは癪だった。三娘にとって、唯一自慢できるのは姉だけなのだから。
「美人すぎて男どもが群がってくるから市場には来させないんだよ。姉を見たら、あんた、あまりの美貌に失禁するよ」
「ふうん、そうかい。ところで、この柿は本当に美味いかね」
「もちろん。私は嘘はつかない」
客は曖昧にうなずいて、後ろに立っていた男になにやら目配せをした。従者を連れていることにこのとき初めて気が付いた。
客はにこりと微笑むと「じゃあ君を信じようか」と言って一籠分も買ってくれた。相場の三倍の値を告げたが、値切ることなく支払っていった。いい商売をしたと三娘は喜んだ。
一刻ほど費やして残りもさばききった。
意気揚々と邑に戻ると、なんだかいつもと様子が異なる。父母は興奮の面持ちで心ここにあらず、姉はうつむいて目を袖で隠している。卓には金子が積まれている。三娘が稼いだ金の幾十倍はあろうか。
「これ、どうしたの」




