第三章:信仰と裏切りの深淵
3.1 イスラム過激主義の真実
専門家は、講義のテーマをテロリズムへと移す。
「過去の歴史においてアルカイダというイスラム過激主義者集団がいた。アメリカのホワイトハウスは彼らの行動は理解できないと非難した。今ここにいる集団もそれと同じだ。そして今のアメリカもその当時と変わっていない。自分たちと違う価値観で動いている世界の人間は理解できないの一言で排除する。だが本当にそれでいいのだろうか。テロリスト集団といえでも、知能的におとった集団ではない。いやその中には多くのいわゆる知識人が混じっている。実は彼らは彼らの原理原則で合理的に行動しているのだ。そこをアメリカは今においてもあえて理解しようとはしない。アメリカ人はテロ集団というレッテルを貼った時点から彼らを偏見の色眼鏡でもってみる。そのメガネを通して狂信集団とみなされた集団は知的分析の対象からこぼれおち、武力をもってして排除すべき悪しき集団とみなされる。だが、実際は少なくとも善であるにせよ悪であるにせよあるビジョンを持った集団とみるなら、国際政治的に客観的分析の対象となり、かつ客観的操作の対処となりえるということは疑いようのない事実だ。」
この講義は、深見が経験した戦場の現実と、三国の記者としての葛藤、そして後述される「不沈艦」の建造という極秘プロジェクトの背景にある、国際政治の複雑な真実を浮き彫りにする。
「あなたはそうはいってもアメリカ人だ。アングロサクソンかアフリカンかアイルランドか、はたまたチャイニーズかは問わない。民族のるつぼであるアメリカをひとつの価値感に統一しているのは血ではなく、アメリカ国籍を有するという意味での帰属性によるものだ。あなたはすぐれた政治家としてさまざまな知見と合理的判断力で我が国との外交政策を決定してることは認めよう。だが産まれながらのアメリカ国籍をもった人間であるということは、すなわちアメリカの価値感をしらずしらずのうちに唯一無二のものとして尊重し、逆にイスラムやアジアの国々の価値感とは根本に異なるそのアメリカ特有の道徳的、倫理的動機が大統領としての職務判断にいやがうえでも密接に影響しているということは否定できないだろう」。
「そのとおりだと言っておこう。私はアメリカという国から浮遊して存在していない以上、アメリカの価値感を尊重するのは自然なことだ。そしてそれが私の判断、つまり大統領としての判断に密接に結びついている」。
3.2 日本の腐敗と政教一致の議論
「我が国の政治が腐敗にまみれてしまったのはなぜだかわかるか」。専門家は、問いかける。「民主主義、自由主義と浮かれていた結果、アメリカから戦後輸入されたそのようなイデオロギーに国民すべてが洗脳されてしまったからだ。すべてはアメリカの占領政策の一環であったことに端を発している。我が国には天皇制という古代日本の神々にまでさかのぼる古き政教一致の政治構造があった。多くの人は宗教が政治にからむことは誤りを犯す大きな一因となることは歴史が証明しているという。かつてビンラディンは政教一致のイスラム国家こそが、世界でもっともすぐれた政体だと信じていたがゆえ、反アメリカ、反民主主義を勢力を敵に回して戦うテロリスト集団を率いることとなった。テロ国家を引き合いに出して、政教一致の政治体制の危うさを説く。確かにテロ組織には一般的に宗教的基盤を持っているグループがある。そしてそれらのグループは自らの信ずる宗教教義を実現するためには政教一致の国家体制こそが世界で最もすぐれた政体だと信じている。しかしこのことは一国家として長い歴史をもつ日本という国家のもつ天皇制を論じるにおいてそれを否定する重要な根拠たり得るとは所詮いいがたい。」
「いや突き詰めればこの過激派グループの首領はイスラム国家こそが、世界でもっとも優れた政体だと信じている。まさにこれについてアメリカはばかげた妄信だと一笑に付していることだろうが、だが果たしてアメリカの価値観もまったく同様に自国の政体がもっとも優れていると考えている点では一緒のことだとは言えないだろうか。政教一致の政治体制も自由や民主主義を謳った国家も、ともに何千人、何万人を殺戮することとなったイラク戦争を戦った点においてはともに同罪なのだ。戦後導入された我が国の政治風土の根底には、自由と民主主義の政体という占領軍であるアメリカの価値観が注入されており、我々は戦後長きにわたってそれをそのまま妄信しているだけなのではないか。」
3.3 テロの衝撃とアメリカの戦略
「我々はこのアメリカによるテロ行為に直面し、正常な理性を失い、ひどく感情的になるあまり、怒涛のような怒りの渦とともに霧にとざされた中をあてどなく歩き回っているに状況に等しい。昨日勃発した我が国がいまだかつて経験したことのない、大規模なテロ行為を前にして、我々政府中枢の人間の頭の中でさえも、テロ行為に対する激しい憎悪による感情的な考え方に満たされ、実際、対応方法の議論の中においては現実的な対応をすることが困難な状況と化している。」
このテロ行為は、物語の核心にある日本が経験する未曾有の事態を示唆する。
「ロシアは常々国家としての意志表明をしている表の言葉や態度とは別に、その裏側で実は真の目的を巧妙に隠蔽していることがある。ロシアは正規の外交チャンネルによる表の外交的表現とは裏腹に別の真の目的を巧妙に隠蔽しているというこの考え方はアメリカのホワイトハウスの人間達に共通の考え方のようだ。しかしよく精査してみるならが、実はその巧妙さという点については、ロシアはある意味はアメリカの足下にも及ばないということが明らかになってくる。」
「アメリカの情報機関や治安部門に一切察知されることなく、アメリカに対してテロ行為が行われることはあり得ないというのが傲慢な主張であったということは、あの9.11が史実をもって証明している。アメリカのCIAのような巨大諜報組織といえでもテロ発生間際まで断片的な情報を得ているにすぎなかった。時間をさらに巻き戻した時点ともなれば、確実に進行しつつある9.11計画の全貌はまったく把握できていなかったと言える。もちろんさまざまなニセ情報の渦の中に埋没させられていたと言えるかもしれない。仮にNSAが通信傍受、分析のサイクルを72時間から48時間に短縮したとしても敵の動きが激しくなっていることがわかるだけで、正確なターゲットや計画の全貌などを探知することはおよぶべくもない。自爆テロという形でテロリストが自らの死をいとわずその作戦に従事するなら、これはもはやどんな方法をとってもこれを確実に防ぐ方法は見出し得ない。」
「今回のテロ行為はいくつかの前兆が探知されていた。また、治安部門も似たようなシナリオを想定して訓練までしていた。」
「アメリカという国はどういうわけか国家安全保障上の問題であるという判断が下されたなら、この問題のあらゆる可能性を想定した机上訓練を時間的労力をいとわずにおそろしく膨大に実施するという行動的特徴がある。」
「アメリカ政府は過去の日本との大戦を前にして、1920年代にすでに日本との戦争を想定したオレンジ計画という計画を準備していたというのはだれもが知っている歴史的史実だ。」
「テロ行為というのは国でない組織がおこなう自国の脅威となるような行為であり、非常につかみどころのない脅威であるのが特徴だ。」
「かつての9.11のように航空機によるテロ行為が予想された。航空機の単なるハイジャックなのか、政府ビルへの体当たりなのかは不明だが、内閣はひたすら最悪の事態を想定した。当然のごとく即時民間航空機の飛行停止を命令した。日本政府の行動としては極めて迅速かつ大胆なものだった。このため、何の予告もなく即日日本からの出国も、日本への入国も不可能となった。」